for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

大アマゾン展  インドの仏

2015年03月21日 07時57分31秒 | 展覧会

春休みは混むでしょうか。

大アマゾン展

PRチラシの出来ばえもよかったです。写真刷りのアマゾンの動物は剝製だったり、実写映像だったりします。サル類が、実は豊富で、初めて見る種類ばかりでした。

アナコンダの映像は、まさに来館者に応えるかのように、女性でもどうしたら格闘できるかしら、と引き込まれて想像するほどの会話さえ生まれていました。

バッグならどれくらいできるでしょう?! 光沢のよいFMLをチョウから開発した技術もあり、感心します。 大きな鳥からハチドリのような小さな羽の美しい鳥、ヘラクレスと頭名が続くような

大型昆虫、すさまじい肉食魚、アマゾン川の生成歴史などアマゾンを知りました。大映像画面では、映写設置されたカメラが臨場感を伴い、

酔うぐらい、広大なアマゾン川を体感できます。人移動をスムーズにするような映像サービスだったのでしょうか。展示初めの剥製のコーナーでは、少し込んだけれど、

森林展示は、ガーデニングスタッフ技術のようでもあり、変化がありました。

 

 

インドの仏  仏教美術の源流

チラシの仏は、フランスではなくて、ほとけ。その文字の文様は、半纏や布団表側・呉服模様にもあったかもしれない、中国・韓国・アジア古デザインにも見えます。

表慶館で[仏教美術の源流]とあり、分かりやすい展示です。マハラジャの展示があったのもこちらで見ました。お琴の演奏も聞きました。

 絵画形式の菩薩像も開設され、展示に変化をつけています。現地博物館に出かけると、多くの展示物と外国語表記になるので、

漫然としすぎて却って印象に残りにくくなってしまいます。

ハンディな美術紹介本を探したいとは、ざっと見の感想になりました。

もじばかり

when I was visiting some old castle in North India, I enjoyed watching Indian miniature paintings.

 I am looking forward to the  exhibition of it focusing on some theme .

 

久しぶりの英語、どれほど正解か、

 

 


ブログの話題及びプライバシー どこまで安全か

2015年03月19日 11時35分00秒 | 日記

体の変化を自分のために、そして起こるかもしれない参考にと書き留めていた時期があった。

けれど、そうしなくなったのには、危険を感じたためでもあった。捻挫をしているときに、その治療経過、対策など記せば、

それも参考になるだろうけれど、逆に駅構内の階段ですれ違いになってぶつかれば、もっと大きな災難になるかもしれないと、

控えた。 膝を打ち、人工物を入れたそうな人の話も聞いている。

欧米スタイルで暮らしているかぎりでは捻挫は固まってしまい、気づかなくなってしまう。大したことでもないと高をくくっていたけれど、

固まってからの治療では、左右の筋力やら歩行事体の不具合も生じて、却って完治に時間がかかるようだと経験した。

腹圧を意識すると、解消に向った。 

 

 


My yoga teacher

2015年03月09日 00時02分33秒 | 日記

was respectable. とトゥイッターで記した。

ずいぶん歳月が過ぎた。先生の、「障害者を世に出したくない」という発意からの妊婦講座だった。

読経を取り入れたのには、腹式呼吸で胎児に酸素を促す効果からだったのだろうと、思う。

病院に通院していた不妊症の女性はショウガシップを受けていたそうだ。受講者は食事記録をチェックしてもらう。ひじきは

ヨードやカルシウムが豊富で毎日のように勧められ、小豆は鉄分で血液増補の役目だったようで、妊娠中は薬のように食べていた。

第一子、6か月の頃、それまで陰性で浮腫んでいたが、食事を変えると頭から湯気が上がっているのに気付いたほどだった。

母親の食事は子供を育てているなどの環境下によっても妊婦の食事は変化する。妊娠中の食事を産後の授乳中に続けていると、母乳にも

影響があり、赤ちゃんは顔を赤らめ、便秘気味だった。指導のように青菜やみかんを丸ごとで食べると解消された。

今にしても、母体の神秘を感じている。

更年期の始りにも電話で連絡したことがあった。「更年期を勉強したらいいですよ」とかいう声だっただろう。

ページをペーシと発音していた。家庭をもっているかどうかは当時の私には不明だった。

ある質問をしたことがあった。先生は「どっちが綺麗に見える?」と言葉で尋ねた。それを思い出せるのに、何を質問したのか私は全く覚えていない。

近頃、買い物先でかつての知り合い女性を見かけることがある。ずっと交流していないと声などかけることもなくなるのが本音だ。

家にレッスンで来ていた子供のお母さんらしい人を見かけたが、懐かしくはあったが、人違いだろうかなどと思うほどでもある。

プッツン電話も営業電話も私は苦手なもので、目肩状況によってパソ君につないでいる。

表現に熱中していた「個」は、ほやほや活字で読まれたのだろう、相手の心配をよそに普通にしているものだから、

英語クラブの婦人に逢うと、「忘れちゃったの?」と声かけられた、その昔。(まったく仕方ない人ねえ)が大方の周囲の声だったのだろう。

私はきょとんとしていたね。

けれど、私の見知らぬ人の身心を借りてメディアで動かれた影響なのだろうと、なんとも今でも身近なサービス事業でおかしな具合が発生している。

人は、負の要素に反応し、記憶にもとどまりやすいからだろう。まあ、人間だから間違いもあるけれどね。応援したつもりが、そうでもなくなってしまうからだ。

これもひところ騒いだ、二面性という現象に因るのだろう。いろいろ落ちついてきてはいるが・・・

つぶさな表情をつかんでしまうものだから、相互に災いが及ばないようにと、その後警戒やら、気遣いやら祈りアクションが始まる。

(共通地域名など羽ぶりよく放送登場させているからだ。多分に作為的で、放送側は意地が悪いのだろう。お金もらって。被害者なのに。)

私は普通ににこやかに談笑しているのを先方もご存じなのだが、相手の頭にはその後別物が侵入しているのかもしれない。

まさか、最新版の本やブログをコピーして持っていくわけには及ばないのだろうがねえ、なんとも。頭の切り替えと反応を確かめるにかぎる。

それが、男性と女性とでは、段違いな見解になるから、これは何を示すのだろうか。周囲は若返り化傾向で、これも時節の変わり目だろうと、受け止めている。

「立派じゃない、シングルでも面倒みて」 かつての職場関係の男性はこのように吐いたけれどね。

「えっ シングルって、どうゆうこと?!」 シングル二つの方が、便利な荷物置きになるっていうこと。シングルズって呼んでいるよ、私は。

文章・会話の中の言葉狩りも巷で遭遇し、私の本意はむなしくくだけた。それだけ、メディアの手法が蔓延するという事実を残しておこう。

ある時点の、ある状況下の、今こうして書き留める存在をなぜ試し、批判・比較するようになるのだろう。

女性は語れない。語れないことこそ、本当のことなのだけれど、その推察はいかに。(本当に本当のことって、いわないものなのよ、って女性が言ったね。)

それにしても、ヨガの先生は、何故サラリーマンがラーメン好きかを説明できるのには、感服した。