for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

民族による比較・体脂肪 空調温度適応度etc

2012年08月20日 14時39分31秒 | 日常の発見

こんな気温でも暮らした経験がある、と今まででも、人から耳にしたことがある。

現地のポツダムツアーに参加した時に知り合ったパキスタン生まれのアスランという経済の研究発表でノルウェーから来て

滞在していたという男性。パキスタンからノルウェーというから、気温の差は大きいだろう。でも、彼はこれから結婚する20代後半だっただろう。

ツアー参加中にイギリスで知ったことがある。若い女性が、秋でも少し太陽が照っていて、風が吹いているのに半そでで歩いている。私たち日本人には到底できないことで、

歓声を上げると、添乗員が放った。 体脂肪のつき方が違うようで、細胞の隅々まであって、その脂肪が寒さや風から身を守っているらしい、といった。

この体脂肪って、乳脂肪摂取のこと? 以来、そうなんだ、と勝手に思っていた。太陽光が体に必要なのだろうか・・・・ 

夏の極めつけの冷えは、サンフランシスコの空港内。 陽だまりを探してそちらに行くと、中国の人が多くいた。 近くの空港内を歩く欧州人だろう女性は

ノースリーブや、紐状態の衣類で上半身を飾っていたりもする。

毎日ダンスを練習しているコンテスト受賞者の男性(国を守っていた)がバンクーバーのB&B先で真っ先に放った。

「こちらの女性は、皮膚感覚が鈍っているのじゃないか!」

私もその声の傾向に同じ。それとも夏の季節を楽しんでいる?

(バスでシアトル寄りのホワイト ロックに出かける車内で、旅行客のフラン人女性がウールのストールを慌てて体にまとった。)

私の冷房対策もある。

帰りの機内でお願いごとを声に出した。「エアコンを止めてください。手が届かないのです」( 笑)

「どこもしまっていますね。どこから来るのでしょうか。(あちこち冷気の来る方に手を当てて、・・・ ) 機内の冷房温度を下げましょうか。」

ああ、嬉しい、その後、機内の温度は上がった。行きの経験もあったので、十分防備していた(個人的差異も影響していただろう)けれど、欧米人の空調温度には適いません。

とあれ、、地球温暖化、エネルギー供給ニュースなど、身近で耳にして暮らしている私には、

地球温暖化対策に添えない理由のひとつになっているのではないんの・・・・と、極めつけの冷房温度によせて、勝手に考えを馳せた。

今日も、すっきりした夏日で、温度計は30度を超えている。 3時も過ぎると、風も心地良い。

ああ、温暖化、空調温度、平均我慢度。果たしてどれくらいで穏やかに暮らしているものだろう、世界では。 


バンクーバー

2012年08月16日 05時07分31秒 | 旅行

世界でも、住みたいランキングに入っている都市だったので、何がそうなのか、常々知りたくて出かけた。

バンクーバーの税関は、サンフランシスコ空港の税関とは、うってかわって愛想の違う空港だった。

「こんなに長くいて、何をするんだい?」との問いに、上文をかかげ、降りついたものの、機内の冷房のきつさにあってか、もう夏時期だから

毛布も置いていないと言われ、肘を抱えながら機内で暖かい飲み物を注文したけれど、体調を崩し、随分お気楽な滞在になってしまった。

出発の前日まで取り止めようかと思ったくらいだった。やはり、 太平洋を越えて東に飛ぶのは、自律神経を大分損なうので、帰ってからも、しんどい。

旅行中、歩きながら、あるいは目覚めたり、深い睡魔にあって、時差を計算しては、自分の体調に生活を任せる時が多かった。

それでも、最後の空港近くの宿泊ホテルで町を散歩すると、人類学博物館で知ったように、この都市はとても新しいのだと改めて知る。

そして巨大な大木を切り倒し、町が開拓されたのだろう。 植物にしても、家で育っている植物が、こちらでは、一段と大きく成長している。

雑草はこの気候では、元気がないのだろうか、とも考えた。何せ、緯度は樺太と同じらしい。

家のわずかな庭を想像しては、綺麗に整えられた庭を半ばうらめしげに楽しみながら歩いていた。

 「がんばれ日本」とオリンピックを応援する窓ガラスのステッカーを見つけては、心嬉しくもなった。

大人一人では抱えきれない木をそのまま残して区画したブロックもあり、こんもり両脇に生い茂った樹林の並ぶブロックを歩くと、ロッジとかマノアーとか書かれた共同住宅の建物があるのだと、わかった。

昼間、生活者の陰は見えず、芝のある家から急にふたりがバレーボールをもって興じ始めた。中国人の学生で、姉弟がはだしのまま楽しんでいた。

 


終戦記念日 番組の後開いた 昭和万葉集

2012年08月15日 20時59分17秒 | 日常の発見

ぱらぱらと索引に目を通すうちに、亀井勝一郎さんの奥さま 亀井 斐子と名があり、句があった。

「戦ひを聖しと言ひし此の国の遂に破るる時にぞ会ひし」

欄外には 一億総懺悔について記されている。 昭和20年、初めて東久邇宮皇族内閣が成立。陸海軍の交戦派を皇族の権威で抑え、全国民の「承詔必謹」を求める意味もあったとみられる。

首相は8月28日記者会見し、国体護持、敗因の究明を強調した。とくに敗因については、国家体制の動脈硬化と国民道徳の低下とを掲げ、「全国民総ざんげをすることが、我が国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩であると信ずる」と述べた。 「私の記録」 ここから一億総懺悔という言葉が流行することとなった。(原田)

史上最短の54日内閣。

番組の中de, Mr.San ill-humourously expressed the same political situation in today's recent Fukushima problems,which should be the repent and severe

opinion must not be carried out again like those day's late decision (why it was late ) about the defeating.

沈黙のわれに見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ   斎藤茂吉

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%B9%85%E9%82%87%E5%AE%AE%E5%86%85%E9%96%A3

陸軍中野スパイ学校   この名前を知ったのは、沖正弘 さんが肉声で講義の時に語った?それとも雑誌で読んだ?ずいぶん昔のこと。彼がその一人だったのは、

研修生から漏れた声だったかもしれない。落下傘から無事に地上に降りる話など、思い出した。 道場に入ったのも、日光湿疹の悪化だったりもしたけれど、強烈な印象の場所だった。

本当のことが見える人に思えた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E4%B8%AD%E9%87%8E%E5%AD%A6%E6%A0%A1#.E5.8D.92.E6.A5.AD.E7.94.9F.E3.81.AE.E5.8B.95.E5.90.91