2,3日雨が降り続いたと思えば、晴れれば梅雨明けを知らせるような夏日になる。散策する辺りでは、簡単に舗装したばかりの歩道に流水でガレキ材が打ち上げられ、
なかには大人が抱えきれないほど太い木もころがっている。それが、川岸から遠い当たりにあるのだから、水の力はすさまじい。
ワールドカップのサッカーがこんな時期にスパイスになっている。小保方さんの問題やら、理事長の解任やらあって、多いに改善されるそうだ。
難病を抱えている人には光明だっただろうが、ため息のでる事情になってしまったのだろうか。
文字表現の記憶 何気ない幸せ
くぼみのある雑草地に、マウンテンバイクに乗った若いお父さんが空の映る水の中を渡りきった。水しぶきが車輪の横から放射状に大きくあがり、
2メートルばかりだっただろうか、渡り切り、草地に上がり、ハンドルの向きを変えて子供を振り返った。 3,4歳で、補助輪はついていないタイやのしっかりした
自転車に乗っていた。初め、水をよけて、草地に向かい、それからためらいを振り切るようにお父さんが渡った水たまりに進んだ。 幼児用自転車の高さからすれば、
彼には、多少の勇気が必要だったかもしれない。
「すごい、すごい」 お父さんは声掛けた。 渡りきった声援は届き、歩きながら見ていた私の視線と、方向が行き合った。
お父さんも息子の姿に満足し、少しばかり誇らしげだったに違いない。
親が好きなことを子供に示し、子供も見習って試し、小さな達成感をお互いに確かめ合った瞬間だっただろう。
父子の何気ない光景にほころび、この頃は、関係を成長させている時世代だと実感していた。
オリンピックが開催されるころは、どんな成果につながるだろう。 大きくなると、反発しつつ、親を越していくのかもしれない。
<と、どうでもないことを描くのがエッセイだと十返舎さんが講座で教えた。
些細な日常をつかみ、形にする。関心はどうでもないことに向けられ、それが読む人の緊張した空気を和らげるのだろう。
面白か、面白くないかは、その人を取り巻く影響環境が左右するかもしれない。他人のプライバシーを覗くのも、大きな刺激・息抜きのひとつにはなりうる。
ただ、ほっとしたことを見出すのも書く作業によって生まれるかもしれない。まず、書くのは自分のためだろう。本当に面白い味は、個性と好奇心・行いが基盤になるように思う。 >
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