楊貴妃の姉だそうです。
「旅」についての会話にならない発話を聞くことがある。
日常の会話では、お互いの感じ方さえ交わすことなどあるだろうか。
(依然として、昨今事情が影響しているからだろう。)
固定観念が人の中に見え隠れしているのかもしれない。
(昨今の過熱したあの~話題には、たぶんに政治工策的意味合いも影響しているだろう、考えもする。
その後の進歩的展開によっては是非が動くこともありうるだろう、人は資源だから。研究費を欲しがる職でもないけれど
研究者が渡航するのはなぜ?より好ましい場所に人は移動できる選択自由がある。)
何故?と尋ねたり、スムーズにつながる時にはこう答えてきただろう。
見聞を広めてくれるから。新しいことを知るのが好きだから。
違うことと、大きな差でもないこと。なぜどこかが違うのか・・・
旅を経験してから私自身が見つけ、自分に尋ねている。
勿論、旅行中は神妙になったり、不安になるときもある。
危機意識に似通った練習体験だったりもするだろう。
けれど、たいていはうまくいっている。穏やかに多少のサービス精神も加わった平常心で接しているから。
普段の生活で何かの拍子に私を豊かにする糧になっているとは、ひとりごちそう。
訊いてみたい。どんなことで、どれほど心身が活性しますか?と。
身軽になってからできる機会である。
昔から言われている日本人の閉鎖性も、感じ入ることがある。それが何故かとも。
一つの国内で様々な資源を活用してきたなら、その根粒の多様性は味気ないはずだ。
そしてもうひとつの私の旅でのプロパガンダ
日本人はシャイで、実のところ英語を理解し、話します、と。
やっぱり過去を振り返っている。
たまたま古本を見ていると、この献立表が1866年の慶応2年(交易の足音が動き出す頃)に記録されたもので、
印刷に回したのが60年後の1926年、昭和3年に当たり、この時点で殿様のお食事は
遥かに質素だった。贅沢な食事を戒め、過去を顧みる目的で本に仕上げたようです。(残念なことに昭和3年との比較はなし)
まだ栄養学という考え方はなかったでしょうか。うるう年もなかったか、29日と30日で一年が完了しています。1866年の一年の料理記録。
4月29日
朝 大根と揚げのお汁 新午房
お昼と書いてあるのか不明 たけのこ隠元
夜 なまり節の煮つけ ヒラメの煮つけと刺身(いただきもの)
5月朔日
朝 福いも? いりとうふ
昼 くわい 千玉子
夜 干しアユの煮立てだしあん 長芋 お酒
現代から比べると、野菜の種類が少ないと感じます。冷蔵庫もないから干し魚を料理したり、洋風野菜もまだなくて、魚を食べていた頃で、今とは食習慣が多いに違うでしょう。
結果的にどんな病気が起こりやすいかわかるかもしれません。けれど、私たちのDNAがわかるような気がします。
5月5日
朝 ごぼうのささがき汁
昼 ふたりの子供とともに祝い膳
御平 かさご・焼き豆腐・自然薯・たけのこ・ふき
お汁 つみいり福いも 香の物 ごはん いり玉子
焼き物 あじ ・ 吸い物(焼き麩・じゅんさい)
八寸 コハゼのかば焼き
引き盃・お銚子 燗酒 よもぎ・しょうぶ 飾りとして敷いたか、お燗に使ったか、日本料理のセンスに触れる機会!
お膳後八寸 お小皿(切りのし)・お小皿(きなこ)・お縁高(麹三本結び?)
夜 酢貝・わさび お酒
こどもの日にちなんでページをめくり、日本料理ではどんな風に再現されるか、想像するのも楽しい。当時の平均身長は、地域によって差があっただろうか。
自分の祖先がどんな暮らしをしていたか、どんなものか・・・
梅雨を迎えるころどんな食だろうかと、開いてみた。すると、5月28日になって柏餅の材料が整ったようで、柏餅の材料配分を記録していた。柏の葉千枚とあり、他に黒砂糖・白砂糖・味噌なども記録されています。さすがに、お殿様の料理番です。今は、西暦・太陽暦になっているから、ひょっとしたら季節は少しばかりずれているかもしれません。
普段の食事は、きわめて質素。
5月20日 朝 福いも 煮豆
昼 くわい・がんもどき
夜 厚焼き玉子・わさび・お酒
5月21日 朝 大根・あげ きくらげ入り入り豆腐 (国産きくらげ!)
昼 タケノコ・こんにゃく とうふ
夜 生りぶ(?判読不明)し ・きゅうりもみわさび
鰹の生りとかニシンの干した魚など、最近は食べていないと感じる。少々臭みのある魚も季節を告げる料理が古くからあったと実感。
目に青葉山時鳥帰初鰹 正に季節感の象徴にも拘わらず、食卓にも上がらないけれど、薄れる攻防は、こうした作品の伝えのみでしょうか。
ツイートにでも季節食材と傑作を上げるのも購買につながるかもしれないけれど、とは、時流事情。
身近で暮らしていて放送がネットに拡散し、さらに人にも影響を及ぼしているのを実感している。良き悪しきにつけ、
整理してみる。
☆ 久しぶりに電話をしてご機嫌を尋ねると、年長者はまず威喝の感情をもっているのか、言葉を投げ放つ。
誤解しているのは、個人のプライバシー周辺の問題に違いない。何かをあげるというけれど、別に物なんて特段欲しいとは思わないので、
お断りしている。 自然な会話の後、「聞くわよ」などと返った。楽しい話ならともかく、今だに多いに気を使ってくれたのは?
「すみません」姿勢に平静になったことだろうとは、想像するけれど。
☆時間が経ってのグループの談笑。 皆さん笑いながら声を返し、男性が一人でも混じると一斉にエンタメ談笑。
創作同化気味をアレンジちりばめ、お上手歓談。
☆ 初めて入ったアジア人との交流。 金髪モードで「かわいい」と私を指示し、交流をしはするものの、グループでつるむ。
身近で金髪にしたりもあり、ジャーナリストも金髪組はいる。日本、恥文化の国という瞬発メッセージもネット上に入った。
☆ 数人のしっかりリーダー的女性。「私だったら聞くわよ」と告げる。放送による大誤解に発展させている。放送は秘密という言葉のメッセージ
に、視聴者が敏感になり、普通に暮らしているのに、係わりたくない攻める現象か、つないで聞く現象の2種類。だから、
切磋琢磨し、向上貢献型か、自然会話タイプ・余興タイプ
放送、得にnhkの民間サイドの姿勢が大きく悪く影響を及ぼしているのではないだろうか。大衆視聴者の声を拾って放送で流しているようにも
受け止める。エンタメ化は民放の力。
放送してきたことの事柄メディアによる影響と、視聴者のいたずら的悪感情を代弁放送しているのではないだろうか。nhkは吉本ルーツを応援。
民放では、「シ」業績をきちんとシンボルで示している番組もあるけれど、そっぽを向いたシンボルを置く番組では、お金談義を意味させているにすぎない。
もっとも、BPOサイトに放送による感謝は書き残して終わりとしたのは、繰り返しにはなる。
けれど、放送は以後も止むこともなかった。それらもろもろが↑に示したような現象を人々に引き起こしている。
ただ、私は気持ちが楽でいられる人と会話をつなぐだろうし、それは普通の人の普通の感覚であることを伝え書きおく。
某サービス媒体には2年ほど前に入会し、月一の連絡。上記に似た現象を一般から経験し、受け止めている。考えればわかりそうな問題だ。
かつてあさいちは男性を紹介しつつ放送を繰り返してきたほどだから、非常にえぐい体質が温存されていたように思える。表面は変わったかもしれないが、
放送は、他のメディア・企業とも関連がある。政党とも関連がありそうだとは、外国人でもわかっていた。←繰り返し。
性とプライバシーにまつわる放送の影響は↑様々な影響を及ぼし、一個人を守り、奢っているいるかのようにして放送行為に及んでいる時もある。
けれど、パワーハラッスメント的要素をも含んでいるのをも意識しなければならない。
お笑いとは誤魔化しの発展型のようにもみえる。それも現状回復に寄与すればいいけれど、個人・考え方に悪い影響を及ぼすのだったら、不要だね。
放送における言葉が持つ力はかなり大きいと実感する。だからこそ、受容可能な、腑に落ちる言葉をみつけるのは?メディアが放つことばやキャッチー指向のフレーズ・
常識問答も怪しいと受け止めると、自分自身の配慮を編みだせるだろうし、それこそが自由・自律の風土文化を育むかもしれないと、夢に繋げよう。
恋愛めんどくさがり化現象はどう解消されるか・・・・
☆「か」表記の中ですべてを表すわけではないのに、多いに犯罪まがいに取り扱った点、ブログで書き及ばない問題・購買姿勢他を好奇心から熟慮しないで取り上げた点
は放送側の無責任さ・汚点に挙げられる。これも人権侵害の範疇に及ぶと伝えおく。