for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

初雪 うっすらと

2024年01月14日 18時09分55秒 | 日記
1月14日
朝目覚めて洗面所に行くと、窓から見えた屋根にはうっすらと白いものがついていた。夜の内に雪になったか、朝方の冷えが色づいたか、例年よりも少しばかり遅れた初雪のようでもあったようだ。

けれど年賀と呼べる状態ではない、能登半島の地震事情である。多くの自治体職員が総協力で復興に尽くしている。現地では不便な状態でも日常、入試も、集団移動も進行するそうだ。

久しぶりに気まぐれでデザ-トを買った。容器の蓋をとると、逆台形の底辺はとても小さくて、現今値上がり事情の現象かとため息を忘れるほどすぐに空になった。ダイエット応援品でもあろかねえ。

蜻蛉日記を借りて数日前に読み始めた。うんざりしていた。が、現代の婚姻関係よりも自由で複雑な男女関係社会で、女性としてはやるせなかった気持ちが発散した行為だっただろうか。

当時としては自分を吐露する画期的な女性だったにちがいない、と少しばかり日を置いて、思い返している。が、彼女の気持ちに同化して読み進めるのはしんどい。

おでんが土鍋で湯気を立てている。冷たいものにしても、暖かいものにしても口にしたとたんにお腹が温度をキャッチするそのセンサーの速さに首を傾げる。暖かい物を口にして幸せになれる時期でもある。

ネズミ歳に送った過去の年賀状

今年も龍を描いたけれど、写真無し。



初夢 1/3

2024年01月04日 08時03分36秒 | 日記
今年も初夢に母が登場した。
が、今までの夢の像とは違い、現実感があり、場面はキッチンでの姿だった。

それまでは母はどこか、私自身の投影像のようでもあり、深奥危機状態の時にたいてい現れた。私は夢で母の姿を借りて別のパワー態を生みだしていたのだろうか。

朧げに映った背景は独身時代の職場だった。

忙しいお正月が終わり、一日ずらしで見るカレンダーを2024年に変えようか、と。

健康いちばん




な、なんと

2023年10月10日 10時07分52秒 | 日記
父が夢に登場した。生まれて初めてで、60年ぶりだろうか、それも壮年できびきびと活動し、指示を放っていた。

私は若い悪党のひとりをもう少しでとらえるところで、その最中に父は私の家(ホールのような大きな建築物)の一室から10キロのお米をいくつかスタッフに持ち出させようとしていた。
「あ、それはダメよ、うちのだから」と夢の一シ-ンには、さらに手持ちの父の写真を私が見せようと吹き出しのように浮かぶ、まさに2次元世界の夢場面に登場している。

米は労働者に食べさせるためだという。

それにしても夢の出現はざっと目を通した「席方平」の影響か、あちらとこちらを行き来し、まさに父が仮の姿で登場、とは、現実生活の影響が、こんなにも夢の世界でお出ましなさった。

海州、どんな街と、想像し、遼寧省海州衛のお話にしおりを入れるくらいだから、お出ますわよね~
びっくりしているかしらん?!


まだ大人以前の大人並! →→→

2023年08月26日 09時17分07秒 | 日記
お人形を持って写真館に出かけた母、二十歳前であることは間違いない。それも日本で写したわけでもなく、幻の日本で、当時の社会事情に置かれた年頃娘に沸いていたむしゃくしゃからこの写真を撮ったのだという。

提灯袖と呼んだパフスリーブのブラウスも自分で作ったそうだ。

ミシンは当時の値段で3000円 1940年以前のことだが、これは支度品プレゼントともいえる。

ストレスやうっ憤晴らしで写真をたくさん手にし、隊列で行進する兵隊さんにあげたのだとか!手を指し伸ばして欲しがる代物、笑っている写真でなによりです。

昭和50年平壌楽浪海30周年記念の住所録には吉本好太郎(毛糸・裏地・裁縫用具)墨田区大平という住所に本人の丸囲みマークがあり、当時現地で贔屓にしていた店主だろうか。―

読者からの続き希望があり、おまけです。

大人の母のおままごとみたいだわ

2023年08月18日 08時02分04秒 | 日記
ナスとキュウリにまこもの脚をつけた馬の写真を,お盆の頃にネット上で見た。

私は母と墓参りに行き、提灯を下げ、小川の端の上にナスとキュウリを置きならべた。母は手を合わせた。確か、それは盆送りの頃で、暑い盛りのお盆の最中に、お出でになった我が家の魂を再び送る母なりの季節の風習だった。

亡き人がいらした頃に提灯に灯りを付けて、お墓からお迎えして我が家に行くころだった。「ろうそくの明かりを消さないように」とも聞いていた。あの盆踊りとは、何なんだろう。あの音響と浮かれ様は、と子供心にいつもと違って神妙な心地でいるのに、沸いた感情だった。

そして、お盆の時の様変わり。どこか母は嬉しそうで、いそいそと仏壇を居間に置き替え、赤いほうずきで飾り、3ヶ日は小さな陶器の器に朝晩に食事を備えていた。赤いほうずきの実はお腹の虫下しになる、とか聞いたこともあり、中の実をとりだした後に、舌に当ててほおずきで音を鳴らした。そんな遊びを初めて知ったが、母のように上手にはできなかった。

思えばそんな他愛のない話を交わせたのは、床に伏していた父が亡くなったから時間がそうさせたのだろう。(反対に男兄弟は父がいなくなって、なぜこれほど取っ組み合いのけんかをするのだろうか。と母が二人の仲に入ってけんかを止めようと必死だった。それまで静かだった和室にやまい人のいなくなった家庭の居間に、私はうんざりしながら感じていたこともあった。)

そしていつだったか、和室に母と布団を敷いて寝ていたが、ある晩、ある朝?母が私を覗き込んで「パバちゃんに似ている~」だなんて、泣き声を私の聞こえる枕元で発した。ロウティーンエイジャーが父に似ているなんて・・・ああ、これは母の大いなる哀惜ゆえの錯乱なのだ、と今になって思う。寝ていたのに聞こえてしまい、そのまま今に至る。

盆だなのそうめんなんて、下げる時にはかちかちになって器にはりついていた。それまでお供えしていた、普段口にするナスやキュウリに脚をつけてバランスよく立つ馬にするのには、少しばかり目をぱちくり、わくわくもしていた。

いったいいつ頃までそう母なりの行事を続けていたか、私は確かめようもないが、お盆の頃になると浴衣を着て盆踊りに入り込んでいたのは覚えている。

今になって感じるのは、あのお盆の、いつもと違った居間の空間は特別で、どこか母のおままごとのように、今になって感じている。

そうした風習は私の細胞で再び仏壇で再現されることもあった。