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sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

備中の旅

2017-09-25 18:14:27 | 
  頼久寺 小堀遠州 作庭の蓬莱式枯山水庭園。

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 先般の湯原温泉の旅、前日に蒜山高原、翌日勝山街並み保存地区経由
で、高梁市の備前松山城、頼久寺と回った。

 すでに備中松山城はアップしたので、勝山街並み保存地区と高梁市の
頼久寺を備中の旅としてまとめた。

  寺の入口。

 頼久寺

 地理的には備中松山城の麓にあり、市役所からも近い住宅街にあった。

 足利尊氏が命じて再建させ備中の安国寺とした、後に永正年間(1504
年)松山城主 上野頼久公が大檀越となり寺観を一新し逝去したので、
頼久の2字を加えて安国頼久寺となった。

 その庭園を元和5年頃(1619年)小堀新助正次(小堀遠州)が作庭、
蓬莱式枯山水庭園で愛宕山を借景し、白砂敷の中央に鶴島、後方に
亀島の石組が配置されている。

  庭園の回廊に入る手前。

  頼久寺の部屋

  同

 庭そのものはさほど大きくないが、他の客もいないこともあって静寂感
があった、ただ説明のアナウンスが良く響く。

 まぁ一見の価値ありといったところか、つつじの咲くころがいいかも?

  これ酒屋。

 勝山・街並み保存地区

 湯原温泉からR313を下ってくると川向うに町屋が見えてくる、橋を渡
って旧出雲街道の跡の街が街並み保存地区。

 なまこ壁の土蔵、武家屋敷等が並ぶノスタルジックな通りだ、通りも石畳
で整備されていい感じですが、生活道路として使用されており車も通る。

  こんな感じの通り。

  新旧の道案内。

 ただ思ったほど長い通りでなく、さーっと通ったらおしまいの感じ。

 おっさんにはむいてなかった・・・

 

備中松山城

2017-09-21 19:44:03 | 
  山頂の備中松山城天守。

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 天空の城塞として近年有名になった備中松山城に行った。

 岡山県の湯原温泉の帰りに寄ったが、場所は高梁市の小松山の山頂。

 この登坂?ルートが凄かった、山の麓の駐車場に車を止めて、そこから
はマイクロバスでふいご峠まで、後は山頂のお城まで30分ほどの歩きだ。

 その歩きがきつい、竹の杖を突きゼイゼイとなりながら大汗かいて上る
と、最初に大きな石垣が見えてくる。

  こんなタイトルバック覚えていませんか?

  見事な石垣群が続いて出てくる。

 この石垣群が平成16年大河ドラマ「真田丸」のタイトルバックに流れて
いたものだそうだ。

 石垣群からさらに5分ほど登ると山頂の備中松山城天守、二重櫓だ。

 歴史的には鎌倉時代の延応2年に築かれた砦が始まりで、その後時代と共
に変化し現在の城塞となるが、天守の現存する山城としては随一の高さ
を誇るそうだ。

  右が五の平櫓、左は六の平櫓、奥は天守。

  天守の裏側にある二重櫓。

  天守の場内。

 

 お城はさほど大きくはないが、標高430mの天険にその昔築いたことに感嘆
する、登りながら何で好き好んでこんな所にと何度思ったか。

 しかし、登りきるといい風が吹きあがってくるし、歴史ある山城だった。

 一度登ってみることを皆さんに勧めたい。

秋だ、温泉だ、旅だ

2017-09-11 17:37:46 | 
  第6回秘湯シリーズ。

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 ようやく暑かった夏も終わり朝夕すっかり涼しくなった。

 秋と言えば、温泉に旅そしておいしい酒。

 その温泉紀行、まず悪友?3人との秘湯シリーズをセットし、もう
一つ女房殿と2泊3日のツァーを予約。

 秘湯シリーズは来週20.21日で岡山の湯原温泉、湯原温泉では秘湯
とは言えないが、前回があまりに夢の跡だったので・・・

 まぁ 強いて言えば、西日本一と言われる河原の露天風呂(砂風呂)
を秘湯と位置付けての第6回だ。

 女房殿と行く10月の「日光東照宮と草津・鬼怒川温泉」、これは完
全に某阪急交通のツァーだから、何も考えなくていい。

 このツァーは昨年も行きたいと思っていたコース、村長としては草津
と鬼怒川温泉に大いに期待している。

 村長まだ この2つの温泉に入ったことがないのだ。

 さぁ 百姓頑張って済ますぞー
 
  秋野菜の準備進行中・・・

赤穂城跡・大石神社

2017-01-16 19:39:10 | 
  赤穂城 本丸門。

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 播州の旅 最後は赤穂城跡と大石神社。

 大石神社が赤穂城のすぐ隣というか、大石良雄の屋敷跡が神社になっている
ので完全にセットだ。

 ついでに大石良雄の長屋門はあるが長屋等はなく公園だ、本丸門も立派に復元
されているがそこだけ作った感じだ、やはり赤穂城跡というのが正当だろう。

  二の丸庭園表門。

  本丸門から入ると中は何もない城址、公園だ。

  天守台跡に登ってみると眼下に本丸庭園。

  右奥に東北隅櫓。

  本丸門を出て大石良雄長屋門、内側は公園ですが・・・

 それでも国に史跡に指定され、順次復元建立されてつつあるので10年スパンで
見れば整ってくるのでは。

 赤穂城というより、忠臣蔵であまりに有名なのでどんな城か城跡かと思ったが、
意外と小さい城跡。

 刃傷事件で浅野のお家は断絶、他の城主により守られてきたが明治維新で払い下
げられ、その後お城を復興することになって今日に至っている。

 その関係だろう清水門から外堀を渡って入ってくると、大石良雄の長屋門が見え
てくるが、その手前にはネギや大根を植えた畑が、多分払下げのままなんでしょう?

 お城全体の感じは城址公園といったほうがいいだろう、冬でもあり観光客はまばら
ですが、大石神社は大いに賑わってました、ほとんどの方が新年の大石神社参りに
来られた感じ。

  大石神社。

  大石神社入口には左右に四十七義士が、右が表門隊、左が裏門隊。

 その大石神社、大正元年に建立されたそうだから歴史的には浅い、しかし大願成就
の神社として広く信仰されているようだ、まぁ47士の大願成就さもありなんですね。

 しかし何でも神さんになるんですねー

 神社建立の商魂?と町起しに敬服しました。

 

姫路城

2017-01-14 18:37:00 | 
  大手門側からみる。

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 播州の旅2回目は姫路城だ、あまりに有名で見学された方が多いと思うので、
写真中心に簡単にまとめたい。

 姫路城、別名白鷲城は、白漆喰総塗籠作り5層7階建て、平成5年2月に世界
文化遺産に登録される。

  大手門。

 現在の姿は慶長14年(1609)池田光正の大改築によったものとされていて
400年以上経過している、この間戦火に見舞われることが無かった不思議な
城だ。

 元々は1333年、赤松則村が姫山に砦を築いたのが始まりと言われ、以降13氏
48代の城主が守ってきた、大河ドラマの黒田官兵衛でも有名になった、官兵衛が
中国攻めの羽柴秀吉にこの城を献上したとされるのが1580年だ。

  4階 石打棚、1階には石落としがある。  

 
 城内はこんな感じ、カメラが光をひらって明るいように見えるが、実際は暗くて説明版もよく見えない。

 
 窓から、左は西の丸 百閒廊下、右は鯱。

 そんな長い歴史を持つ姫路城、昭和の大修理に続いて平成の修理を昨年終えて
のリュニアールオープン、村長は初めて城の中に入った。

 率直に言うと、外から見る白亜の優雅な姿からは真逆と言える、階段はキツイ
は暗いは、まぁ戦闘用の城だから当たり前なんでしょうが。

  本丸(備前丸)から見ると、真下でこんな感じ。 

  そのすぐ横の備前門から出ていくと・・・

  播州皿屋敷・・・のお菊の井戸だ。

  その前の塀には狭間、ここから鉄砲や矢しかし低い位置です、まぁ下は石垣ですから・・・

  扇の勾配、上にいくほど反り返り敵に石垣を登らせない作り。

  西の丸 百閒廊下に行って見ると歴代の城主の紹介版、出口付近には千姫が休憩したという化粧櫓。

 もう一つ、長い歴史、戦禍にまみれ無かった割にはお宝の展示が無かった、多分
別に保管されているのでしょう。

 と 色々言いますが、一番はやはり暗いこと、光を当てると構築物に悪いのか知
りませんが暗すぎ、光でいえばライトアップやっているのに・・・

 なんて、いらんこと思いました。

 一言でいえば、この白鷺城 桜の下で外から眺めているのが一番のようです。
 

書写山円教寺

2017-01-13 18:20:55 | 
  摩尼殿 マニとは梵語の如意だそう、天禄元年(970)の創建、四天王立像も安置されている。

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 天台宗別格本山 書写山円教寺、西国27番札所、そこはロープウェイでわずか4分
上るだけで深山幽谷の世界だった。

  これで4分で別世界へ。

  摩尼殿を横から見ると。

 1月という真冬でもあり観光客もまばら、人気のしない広い境内、というより木立
に囲まれた間道を歩いて摩尼殿、3つの堂(大講堂、常行堂、食堂(jikido))
鐘楼等と回った。

 夫々1000年以上の歴史を有し、その重さが十分伝わってくる建物だ、特に京都清水
寺似たつくりの摩尼殿、多くの写真に出てくる3つの動にはその重厚さ・大きさに
圧倒される。

  3つの堂右側の大講堂、円教寺の本堂に当たり講義や議論が行われる。

  3つの堂左側の常行堂、常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の名を唱えながら本尊を回る修行)をするための道場。

  
 3つの堂の中央、食堂(じきどう)本来は修行僧の寝食のための建物、現在は1階は写経道場、2階は寺宝の展示館、余談ですが右の写真1階部分を斜め横から撮ったのですが、黒田官兵衛のシーンで見たような・・・・


 ほかにも多くの寺院が林道のそこここにあったが、なかなか一見では何の寺院か判別
出来なかった、帰着してもらったパンフやHPでやっと理解。

 おそらく春の桜とか秋の紅葉時には、大勢の訪問客でいっぱいだろう、寒いがこの
時期に訪れ凛とした空気にふれるのもいいと感じた。

  鐘楼。

  妙光院、宿坊。

  円教寺会館、宿坊。

 余談ですが、 ロープウェイを降りると、志納所なるものがあり入山料500円、マイ
クロバス乗車の場合は別に500円を支払うことになる、村長は女房殿と一緒なのでマイ
クロを利用したが、歩くのがお勧めだろう。

 ともかく一見の価値あり、ここで映画・テレビ等のロケが行われることが理解できる。

 
 ロープウェイ乗り場の展望台から姫路市内を見ると・・・

播州の旅

2017-01-12 18:42:41 | 
  書写山円教寺。

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 女房殿と姫路城、好古薗、書写山円教寺、赤穂城跡、大石神社と廻った
播州の旅から夕方帰って来た。

 久しぶりの高速道運転で疲れたが、何とか夜になる前に帰還出来てホット
している、村長もう夜は全く運転の地震がない、よく見えないのだ。

 寒波襲来と恐れていたが、それもさほどの寒さでなく存分に見て回れた、
村長的に一番気にいったのは書写山円教寺だ。

  姫路城 西の丸から望む。

  好古薗 姫路城のお堀のすぐそばにある。

 西の比叡山と称される、天台宗別格本山書写山円教寺は康保3(966)に
性空上人よって開らかれた そうだから長い歴史を持っている。

 その歴史が何か伝わってくる感じだ、大河ドラマの黒田官兵衛やトムク
ルーズのラストサムライ等のロケに使われており、なぜ使ったか理解出来
くるようだ。

  赤穂城跡。

  大石神社。

 お疲れモードで今日はこの程度で、訪れた場所の写真アップします。

 詳細は順次の予定。

 

今から姫路城めぐり

2017-01-11 08:45:08 | 
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 今から姫路城、書写山円教寺、赤穂城と巡ってくる。

 姫路城以外は初めてのところ、宿の塩田温泉も初めて。

 姫路城も行ってはいるが、お城はリュニアール中で桜を見て一杯飲んで
帰って来ただけ。

 今回はお城もリュニアールされているので、じっくりとガイドさんでも
頼んで世界遺産を見てきたい。

 ではでは。

 

ベトナム(8)フエ 終り

2016-12-06 18:13:37 | 
  カイディン帝陵 小さいが中は派手だ。

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 ベトナムシリーズ最後はグエン朝のお墓、つまり帝陵だ。

 帝陵はフエの王宮から車で30分くらい山に入る、我々が見たのはミンマン帝陵、
カイディン帝陵、トゥドゥック帝陵の3つ。

 ミンマン帝陵
 帝陵の中では一番大きく、楕円形の敷地に主要構造物が一直線
に配置されている、中国文化を好んだ皇帝自らが設計したものだそうだ。

 あまりに大きいので途中 皇帝が休むベッドもしつらえてある、埋めてある場所
は分からないそうだ。

  ミンマン帝陵 これらの建物が一直線に配置されている。

 

  中央の橋は皇帝専用、両サイドに軍人、文官の渡る橋がある。

 カイディン帝陵
 新しいものや派手好き、ヨーロッパ好みの皇帝自ら設計したとされ、廟の内側の壁
には陶器やガラスで四季を表現したり凝っている、日本のビール瓶も使用されていた。

 カイディン帝の像がありその台座の下に埋葬されているそうだ、一説には女性に興味
がなかった帝だったそうだ。

  カイディン帝陵は丘の上にある。

  カイディン帝の像この下に埋葬されている。

 トゥドゥック帝陵
 グエン朝 最長の在位期間確か30年とか、生前に建てられトゥドゥック皇帝が住んで
いたといわれ、配置された池で釣りをしていたとか。

 全体的に地味な感じ、派手さはないが池や林が巧く配置され落ち着いた感じだ、こちら
も埋めてある場所は分からない。

 トぅドゥック帝陵 池に沿って進むと階段、上ると建物が。

 

  ここに住まわれていたとか・・・

 終わりに、今回のベトナムプライベートツァー、ことの他トラブルの連続でハノイに到着
した2日間は観光もままならない状態だった。

 それでも何とかフリーでホテルを抑えたり、やっと見つけたトラベル会社にフエの手配を
依頼したり、迎えに来ないバスに見切りをつけ空港までタクシー飛ばしてギリセーフ出来た
のはメンバーにこの種旅の熟練工がいたからだ、、役に立たない村長はただ感謝・感謝。

 少し気になるのは休み期間でないことを割り引いても、日本の若者がほとんどいなかった
ことだ、白人系の若者は男子も女子も大勢、みな5ドルのホテルに泊まりながら頑張ってい
た、日本の若い人是非貧乏旅をし見分を養ってほしいもの。

 最初にハノイ空港で忘れた小型のショルダーなんと在りました、空港のいわゆる遺失物
預かり所に、ターンテーブルの近く空港の中だったから良かったのでしょう、ただ最初の
変なホテルについてすぐホテルの車で折り返したので80ドルほどぼられたが。

 まぁ色々ありましたが懲りずに、体力が続く間はチャレンジのつもり・・・

 以上。
 

ベトナム(7)フエ

2016-12-05 18:26:51 | 
  午門全部で3つあるそうだが観光用はこれ。

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 ベトナムシリーズ第7回は古都フエの象徴 グエン朝王宮。

 世界遺産に登録されているグエン朝王宮跡、1802年から1945年まで13代続いた。

 あのベトナム戦争で爆弾を投下され破壊されたが、ほぼ元の形に修復されたと聞いた
が、実際に王宮に入ってみるとまだまだ復旧されてないところ、復旧工事のところが。

 フォン川を渡り城壁の中に入り王宮跡に入ると、大きな大砲が5つ中国の5行思想に
よるものとか、反対側にも大砲が4つあるそうだが我々は行っていない。

 王宮の入り口である午門の前方には、大きな大きなフラッグタワー ベトナム国旗が
掲揚されている。

 それを左手に見ながら午門に、午門とは正午になると真上に太陽が昇ることからだそ
うだ、その2層式の大きな大きな午門を入ると、遥か奥に王宮の中心に位置する平屋の
太和殿が見える。

  これは正面からの午門。

  大砲とフラッグタワー

 その大広間の真ん中に皇帝が座る金箔の椅子と玉座、これもベトナム戦争で全壊し再
建されたもの、ここは写真撮影禁止だった。

 このいわゆる玉座に座って即位式等が行われたそうだ、玉座の前の広場は石畳みで出
来ており、官位の高い者から順次並んで儀式が行われたそうだ。

 更に奥に進むと皇帝の居住した平屋、どうもそこまでが王宮の中心部で内堀に囲まれ
ている、あとはものすごく広いが どうも街のようだ、我々のガイドさんは中心部の
案内で終わってティエンムー寺へ。

  皇帝の執務室 太和殿。

 ティエンムー寺は王宮から出て、フォン川沿いに数分くらいの岡野上にある7層8角の
寺院、塔の名はトゥニャン塔(慈仁)とか。

 この寺院に寄ったのはお参りもあるが、ボートトリップのコースになっているためだ、
この寺院の下がボート乗り場、王宮を見て寺院を見て帰りはボートで一挙に中心部に帰る。

  左はティエンムー寺、東京のツァーの方とボートトリップ。

 このボートは夫婦でやっている、なぜか? 乗ると夫人が土産物の売り子に早変わり
言葉の障害跳ね返し 上手く商売する。

 一見の価値は十分ある古都笛の建造物群です。

 以上

  宮殿の中心部を外れたらまだまだ工事中やら復旧出来ていないところやら・・・