

旧布野ダッシュ村日記です。
昨日、病院に定例の検診で行ったら、なんか疲れて
熱が少し出て寝てました。
まぁ、大したことはなく、今日は女房殿の医者に付
き合ってます。
本題の侍ジャパン4強入り良かったですねー、負けた
ら後がない一戦一戦、その一戦目に9-3で快勝。
しかし凄いですねー大谷選手、二刀流の実力に加えて
盛り上げるムードメーカーであり力で引っ張る。
ビックリは3回の大谷のまさかのバンド、これが起爆と
なって4得点、終わってみれば9-3の快勝。
大谷選手に限らず、皆さん全力で当たっているのがよく
分かる、いいチームですね。
いよいよマイアミで準々決勝だ、相手はプエルトリコ
強いが勝って優勝へと進めてほしいものだ。
時間差で眠れる夜となるか・・・ともかく元気貰えま
す・・・有難う侍ジャパン。


旧布野ダッシュ村日記です。
先般から高市早苗国務相が、放送法の変更問題で
往生際の悪さをもろにだしている。
自身が総務相だった当時の放送法の解釈変更問題
で、総務省の行政文書を捏造と言い、レクチャーも
受けてない。
追い込まれると、担当局長とあった可能性は否定
しなくなり、捏造の単語がでなくなり・・・
どうでもいいのですが、当時1番組でも偏向番組が
あると電波停止する・・・と放送業界に圧力かけたの
は皆覚えている。
当時の安倍首相の圧力と言われ、その担当大臣が高
市氏、レクチャーを受けたことをなんでそんなに否定
するの?
当時の官邸の影響は受けていない・・・自分の考えだ
と言いたいのか?
まぁ、総理官邸からの放送業界への圧力つまり報道の自
由への圧力と言われたくないのでしょうが。
当の総務省が文書でだしているものを否定して、どこ
までシラをとおすのでしょう。
しかし、安倍仕込みのウソを平気で押し通す・・・そん
なことがまだ通用すると思っているのか。
どうみても墓穴を掘っているとしか思えないが・・・・


旧布野ダッシュ村日記です。
突如ロシアがウクライナ戦争を始めて今日で1年。
特別軍事作戦とか紛らわしい単語を使っているが、
最初から他国の領土を取ろうとする侵略戦争そのものだ。
1年足っても戦争は治まるどころか激化している。
1年前にも書いたが、誰が見てもロシアいやプーチン
のごり押し侵攻・戦争なのに、アメリカをはじめとする
勢力も国連も止めることが出来ない。
国連に至っては、法的拘束力のないウクライナからロ
シアの即時・無条件撤回を求める決議採択に右往左往だ。
無謀な侵略戦争が始まっても、世界の誰も止められない
現実、ウクライナ国民だけでなく、全世界の人々が嘆いて
いる。
全くベトナム戦争と同じだ、何年も爆撃を行いウクライナ
を不毛に地にしないと終わらないのだろう・・・
人間は進歩しないのだろうか・・・
相変わらず戦争ばかりやっている。


旧布野ダッシュ村日記です。
広島県教委の委託問題で新たな法令違反は無かったと
して、平川理恵教育長の給料自主返納で幕引きだ。
湯崎知事も適正に判断された・・・との認識だ。県職
員は戒告処分で当の教育長はおとがめなし。
湯崎知事の勝手な支持者としては、知事の今回の判断に
は非常に残念と言わざる得ない。
知事与党の自民議連と民主県政会にも残念だ、とりわけ
民主県政会が知事与党だから何も言わない・・・つまらな
い民主党系になったもんだ。
どう見てもおかしい、平川教育長が知っている個人・NPO
法人との契約・・・これが不問にされて辞職もせず、処分も
なし。
平川教育長は、この契約問題以外にもタクシー代が100万を
超えて使用していたとされる。
福山に行くのに広島からタクシーだから聞いてあきれる、急
ぐなら新幹線とタクシーの乗り継ぎだろう。
我々と常識が違う方が教育長と言うのは危うさを感じる、ま
たそれを任命したからと言って守る・かばう湯崎知事。
ここは非は非として処分・謝罪すべきがまっとうなやり方だ
、厳に反省してほしいものだ。


旧布野ダッシュ村日記です。
2024年秋には現行の健康保険証を廃止し、マイナンバー
カードと一体化したマイナ保険証になるそうだ。
マイナンバーカード自体を作らない人、保険証機能を登録
しない人には「資格確認書」を発行するそうだ。
また1歳未満の子供には写真無しのカードを発行し、5歳ま
で有効となるそうだ。
うーんこれはこれで、分かる・わかるなんですが、マイナ
ンバーが発行され出して既に十数年。
当初は使い道は超限定され、e-Taxと身分証明くらいだった
し身分証明は運転免許書が定着している。
長い年月を経てようやく実用レベルの業務を出してくる、し
かも河野とかいう出しゃばり大臣の発案だ。そうそう運転免許書
もやるとおしゃっている。
逆に言えば、この実用レベルの業務が出て来なかったら、何の
ための巨大システムの導入だったのか・・・と言いたい。
本質的に言えば、これこれの国民サービスを迅速に実施するため
このシステムを導入する。
ついては一度に出来ないので、習熟帰還も含めて5年から10年で
定着させるロードマップはこれ・・・・といった流れだろうが。
政府がやっているのは全く逆だ、そんなことだから銀行の紐づけ
は将来の税務対策だ・・・と思われてしまう。(ホントと思う)
更に今は金や太鼓で登録を進めているが、もうすぐムチだろう、
既に自治体は還付金で脅されている、次は国民か・・・・
どうも手順が違う・・・・防衛費も一緒だが、我々国民の声は
届かない世の中の様だ。


旧布野ダッシュ村日記です。
女房殿のマイナポイントの手続きやった。
9月頃だったかマイナンバーカード作りに支所まで
同行したが、カードが出来れば投げたままだ。
カードやら通帳やら一式預かり、奮闘すること2時間
弱、時間が掛かったのは女房殿のスマホでするのでなく
PCに移しての手続きとしたためか?
PCならサラサラと打てるが、どうもスマホのキーは小
さくて苦手だ。
これでマイナポイント2万Pは頂けるが、こんな状態の
女房殿がマイナンバーカードを使う可能性は全く無い。
sekiとて そうだ、e-Taxで年に1回使う以外は使ったこと
はない、保険証の変わりになるとか、紙の保険証を廃止し
全てマイナンバーカードに巻き取るとか言っているが。
医療従事者や保険証に詳しい方から、色々指摘が出てい
るがどう改善するのだろう。
ここの処、元々希望者であったものが、国民全員を目指し
地方自治体に補助金でアメとムチだ。
活用・使用方法をあと付けするやり方のシステムに、大金
かける価値があるのだろうか・・・素直に思うが。



旧布野ダッシュ村日記です。
2日ほど前の12月22日、第64次南極観測隊が昭和基地に
到着したそうだ。
第64次と聞いて、ほー凄いな まだ続いていたのだ・・・
が率直な感想。
南極観測と言えば、我々世代は1956年(昭和31年)第1回が
すぐ思い浮かぶ。確かsekiは小学3年か4年の時だったと思う
が、南極という未知の大陸探検に心を躍らせたものだ。
その第1次越冬隊が翌年第2次越冬隊と交代する際、天候が
あれに荒れ第2次越冬は中止なり、その際救助のへりに乗れな
かったのが連れて行った樺太犬。
その後、昭和34年に第3次観測隊が昭和基地に到着すると、
タロー・ジローが生き残っており世の中、我々が驚き関心し
たものだ。その後「南極物語」で映画となりヒット。
まぁ、我々世代だけでなく昭和を生きた人間にとっては、忘
れることが出来ない出来事でした。・・・それが今や第64次。
その後世界は、海洋だけでなく宇宙開発へと凌ぎを削る時代
に入っていったのですが・・・
しかし夢のある時代だった気がします。


旧布野ダッシュ村日記です。
今日の中国新聞5面オピニオン、「考える」で論説委員の
石丸氏が障がい者の花咲智子さんに触れている。
その文章を、つづめて分かり易く紹介する能力がsekiには
ないので新聞やネットで読んでで頂けると誤解がない。
それでもあえてつづめてアップすると、大学でジャーナリ
ズム論の授業を持っている石丸氏が、取り上げたのが花咲智子
さんが書いた「私は人間」の詩。
それは「福祉作業所で働いて時給250円だった」で始まる、読
んだ学生からは、雇用契約を結んでいない福祉作業所の場合は
工賃ととらえ、最低賃金が当てはまらない、そんな事情を教わっ
ても違和感が払えなかったそうだ。
更に石丸氏は「私は人間」の詩に接した読者の反応も授業で伝
えた、とある偉いさんは税金で購入した何千万もする高級車で移動
したり、年間100万以上になるタクシー利用でも、多少多くなった
程度だとか。最低賃金にはるかに及ばぬ額しか支給されない人がい
ることに、どれほど思いを寄せているのでしょうか・・・西区の
竹田晶子さん。
石丸氏はジャーナリズム論の観点から、花咲さんを取り巻く1編
の詩から、広島・山口両県で発生した高級公用車問題や広島県教育
長の不始末に思いが及んだ。
このことから理非を正すのは、何も政治や行政を巡る報道に限らな
い、ジャーナリズムの別の役割は名もなき人の生き方や伝えること
であるとしている。
それはその通りですが、sekiはもっともっと一井の人の声を生活
を取り上げてほしいと感じる、seki自身障碍者施設の仕組み・ルール
等について全くの無知、へー賃金出るんかいなー、通所の人、施設
入所している人の関係・・・全く知りません。
まぁ私の無知は置いて、これには続きがあって花咲さんが中国新聞
に投稿したのだ、「時給が50円上がり950円になりました、お祝いに
2枚で258円の家族分買い味わって食べました、昔はいくら頑張っても
報われないと考えてました、自分を出さないように、目立たぬように、
福祉の中で頭を下に向けて、誰とも目を合わさないようにしてました
。今は、どんな人にもあいさつをしています。仕事も、いつも全力です。
それが伝わったのか、今の職場は居心地のいいし、人も優しいです。
(雇用関係のある職場に変わったようです)
授業で2度読み上げたら教室がしんとなったそうだ。
長くなりました、原文をみてほしいですね。


旧布野ダッシュ村日記です。
今、中国新聞の「生きて」で、JFEスチール競争部監督の
伊藤国光さんをシリーズでやっている。
伊藤国光さんはかつての名選手で、興味深く毎日読んでい
るが、丁度2000年前後の高岡選手との師弟の絆の紹介だ。
2000年ごろと言えば、陸上とは全く縁のないsekiがあて職
とは言え陸上部の副部長の時だ。
当時の会社の陸上部は西日本に統一する前であったが、清水
選手・国近選手等を抱えており、その世界では知られた陸上部
だった。
清水選手が世界陸上で7位、アジア大会で準優勝、国近選手が
福岡国際マラソンで日本人2位、そして元旦のニューイヤー
駅伝は常連のチームだ。
当然ビック大会には監督と共に、sekiも福岡国際とかアジア
大会、正月は群馬の高崎市に応援に行ったものだ。
アジア大会は自己負担で応援団を募ったら、40人ほどが集まり
関釜フェリーで行き応援。
そんな、今となっては懐かしい・懐かしい思い出を伊藤国光さん
の「生きて」は思い出させてくれた。
監督ルームで、あの方が宗監督、あの方が・・・・と教えて頂き
場違いな自分を感じていたものだ。
しかし、それも今となっては懐かしい・・・・