旧布野ダッシュ村日記です。
今、中国新聞の「生きて」で、JFEスチール競争部監督の
伊藤国光さんをシリーズでやっている。
伊藤国光さんはかつての名選手で、興味深く毎日読んでい
るが、丁度2000年前後の高岡選手との師弟の絆の紹介だ。
2000年ごろと言えば、陸上とは全く縁のないsekiがあて職
とは言え陸上部の副部長の時だ。
当時の会社の陸上部は西日本に統一する前であったが、清水
選手・国近選手等を抱えており、その世界では知られた陸上部
だった。
清水選手が世界陸上で7位、アジア大会で準優勝、国近選手が
福岡国際マラソンで日本人2位、そして元旦のニューイヤー
駅伝は常連のチームだ。
当然ビック大会には監督と共に、sekiも福岡国際とかアジア
大会、正月は群馬の高崎市に応援に行ったものだ。
アジア大会は自己負担で応援団を募ったら、40人ほどが集まり
関釜フェリーで行き応援。
そんな、今となっては懐かしい・懐かしい思い出を伊藤国光さん
の「生きて」は思い出させてくれた。
監督ルームで、あの方が宗監督、あの方が・・・・と教えて頂き
場違いな自分を感じていたものだ。
しかし、それも今となっては懐かしい・・・・
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