野に還る

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さあ野遊びの時間の始まりだ。

「街の中の岡本太郎 パブリックアートの世界」展を見てきた

2018-09-01 07:00:14 | 散歩

 川崎市の生田緑地にある岡本太郎美術館で7月14日~9月24日まで企画展

「街の中の岡本太郎 パブリックアートの世界」が開かれている。

  展示されていた「母の塔」の縮小模型

 

 春秋に生田緑地内で臨時開園されるバラ苑には毎年訪ねているのだが、

同じ敷地内にある岡本太郎美術館には今回で僅か二回目。 

 そういえば前回訪ねた時に食べたビーフシチューオムライスは何とも美味かった。

 

 美術館奥にあるひときわ目立つ「母の塔」

 7本の足で大地を踏みしめ全高30mにもなる美術館のシンボルタワーだ。

 

 写真撮影が許されているのは入り口と常設展の一部。企画展示だけは

 今回はすべて撮影が許可されているのが嬉しい。

  写真中央が常設展の入り口となっている。

 

 常設展で唯一カメラOKなのは椅子のコーナー。

言葉にしえぬ異彩を放つ空間がそこにある。

 展示されているのは「座ることを拒否する椅子」。

 

 常設展は以前も来たことがあるのでざっと見て企画展示のコーナーへ移動。

 「赤い手」「青い手」は1981年の制作。掌の中には眼らしきものがあり

 何やら得体のしれない生き物のような気配を放っている。

 

 中央にあるのは「こどもの樹」。2015年に閉館した国立総合児童センター「こどもの城」

の敷地内にあったもの。今はどこへ行ったのだろうか。

 

  これには「若い夢」とあったが、太郎の墓石のモチーフともなっている「午後の日」

に酷似している。

 頬杖している少年と解説にあるのだが、私には仮面を外そうとしている

ようにしか思えない。

 

 多磨霊園にある岡本家の墓地には太郎と父母の一平、かの子が眠っているのだが、

父親一平の墓石はこの「顔」がモチーフとなっている。

ちなみに母親のかの子の墓は観音像だ。

 

 1966年に制作された「若い時計台」は今も数寄屋橋公園の

一角にひっそりと立っているという(私は見たことがないが……)

 

 1959年に長野県千曲市にある戸倉上山田ヘルスセンターに設置された

「無籍動物」。65年に起きた長野松代の群発地震で壊れてしまったという。

 

 この日は平日、美術館は少数の人が展示を見ているだけで

落ち着いた静かな時が流れていた。

 

 1969年岐阜県犬山の日本モンキーセンターに設置された「若い太陽の塔」

高さは27Mもあるという。

 

  71年百貨店の外壁に飾られた「星・花・人」

 

 プロジェクトマッピングの展示もあった

 

 「躍動の門」は93年に浦安市運動公園に設置されたもの。

手前にあるのは「五大陸」

 

 

 渋谷駅構内にある「明日の神話」は長さ30M、高さ55Mにもなる巨大壁画。

太郎の代表作の一つとされている。

 

 

 とても有名な大阪万博のシンボル「太陽の塔」

 

 同じく万博の基幹施設の鍵とされているもの

 

 太陽の塔の塔のデッサン図

 

  親交のあった持田製薬株式会社の創業65周年記念として制作された「歓び」

 

 同じ読みを付けられた「喜び」は85年に川崎市の小学校のために作られたもの。

子供たちはリボンちゃんと呼んでいるそうな。

 

 

 

 太郎の作った作品は日本全国に散らばっている。

 

 その中には数十年の時の中で様々な理由で消え去ったものもある。68年に大田区に建てられた

マミ会館は建て替えのため現存していない。

 

 

 「作品が個人の所有物となることを拒みつづけ、誰でもいつでも見ることの出来る

空間に作品を創り続けた」そんな 岡本太郎の魂に触れることが僅かながらでも

出来た展覧会であった。「場との迎合を否定し、対立することでお互いの個性を

生かすという」太郎の精神は今の日本にこそ求められているように思う。

 それにしても、ビーフシチューオムライスは記憶の通り美味かった。

 

 この辺で。