帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

子を育てるのは難しい? (^^;)よね

2014年01月28日 | Weblog

帰宅したら珍しく息子がいて、「お帰り!」と上から顔を出した、「おう!」と答える僕だが   

ゴルフのクラブなんぞを手に持っていたので、3階からそれを取りに来たのだろう くらいは判る。

他には、「夫婦喧嘩せんでやってるか?」とぽつり言う程度で、男同士ゆえに会話というのが余り無い(笑)

 

無くなってしまった松前漬けを又造ろうかと、買ってきた材料をキッチンに並べ、昆布とスルメを酒に浸しながら人参の千切りを刻み始めた頃。   

携帯をいじりつつ息子が再び参上。

珍しいな・・・なんだろ?と思っていたら、ぽつりぽつり話を初めた。

なんでも、子供に相当手こずっているようで、思うように行かない難しさに直面してえきへきしているらしい・・・・ 

思わず笑ってしまった僕だが、一応は親らしい悩みを抱える様になってきたみたいだ。 うんうん

今2歳4ヶ月の孫に訪れている反抗期は、そう易々と押さえ切れる物では無く、しかも高知能児であれば、正直言って何が何だか判るはずもない。 

まがいなりにも二人の子供を育て、自分も高知能児だったという、一応?先輩の僕としては思わずクスクスと笑ってしまうのだけど・・・・・ 

詳しく話を聞くと、 まあ、簡単に言うなら、 「あれしたい」、「これしたい」、「こうやりたい」、全部自分でやる」と言ってる?いや言い張っている!という事らしい。 

いわゆる普通の反抗期なわけだが、まずは頭の回転にたいして表現力が全くついて来ない事はこの年齢ならよく有るわけで、得体の知れない泣き方をする事から、

親が半パニックになってしまう。

子供は、そんな親の気持ちなどついぞ分かるはずもないので、いつまでも泣いて困らせたりと・・・・     

ただ、成長のバロメーターでもある”これ”が無いと、いわゆる大切な「自分で!」 という自我が育っていないという事であり、後に成長してから大きな問題となる。 

意志と念が強ければ反抗も激しく 泣く時間も長くなる。      よい事だ。 

それが無い子は、いわゆるねばりの無い性格でもあり、なにやっても中途半端な人間になる可能性が高い。 

 

言う事を全く聞かない以外には、洋服を着替えさせようとして抵抗する、外遊びで手が真っ黒なのに洗わせようとすると必死に抵抗。

駄目だといっているのにお菓子を食べて(探し出してしまい)ご飯を食べない等。

又、量的に夕飯を十分に食べられる程度しか食べていないのに、 親と一緒に「いただきます!」というのに対してやたらと反抗してずっと食べない等々。 

 

例の組み立てオモチャで盛んに何かを造っているらしく、それはよいのだけど、時々お母さんを呼んでくる。

要は”続きをやってくれ”と言うことなのだが、セットで何某かを組み立てられる範囲の限度をすでに創造力の方が超えてしまっている? 

とうぜん大人でも出来るはずは無く、どこまでやれば本人が満足なのかも周りには判らないのは当然で、それに対して、段々怒り始めて泣く。   だはははは! 

何かをしたい、やりたいのだけど、語彙数と表現力がまだまだ追いつかないので、本人は目一杯伝えているつもりが、何言いたいのかさっぱりわからん?で怒る、泣く。 

やたらと母親にべったりで、くっついて離れないかと思えば、大きな子達が公園で遊んでいると一人ですたすたそちらに行ってしまう。 

でもって、父親が遊んであげようとしても、嫌がって寄りつかない等々(この年齢ではまだ母親が全て)

 

次から次へと武勇伝?が出てくるが、かなり参っているみたいもの事実で、 まあ、「当然のことだよな・・・・・」 と、 子育てはけして予行演習が出来ず、 

瞬間、瞬間の連続で、その一瞬がこれまた全て。

悩みながら育てるしか解決方法はない。

とりあえず、一つ一つについて孫の行動の”何故?”を息子に説明。 

反抗期の意味、頭の回転と表現力とのギャップ、明らかに存在している父親と母親の役割の違い等、出来る限り解りやすく説明していく。

今(第一次反抗期)が10年後の第二次反抗期にどう絡んでくるか等々、本能から来る心の理論と 理由が分かれば、その分気持ちも楽だし、問題?が解決するのも早いからです。 

同時に、特に難しい注意点もしっかり教えますが、叱ることは一向に構わない物の、それが単に親のストレス発散に絡んでいたり、怠慢や、単にうるさいからとか、

親の思う通りにならないから等の視点からの、”叱る”は絶対に駄目。

ポイントは その事(行為)が子供自身を危険にさらしてしまう事が明らかに判っている場合(当然に体罰も時として必要)、親や他人への暴言や暴力行為等々、

いわゆる社会的に見て、人としてやってはいけない事に絞って叱る事。 

親の忍耐我慢は至極当然に必要で、子供の言っていることを理解しようと努力する親の姿そのものが、将来そのまま子供の忍耐と我慢と努力にコピーされていくのだと最後にくくった。

 

黙って聞いていた息子だけど、 話が終わって暫くしたら、「友達の家に寄りながら帰る」と言って玄関を出た。     頑張れ・・・・・・

 

この状態というのは、いつまでも続くものではなく、かならず卒業するものではあれど、それは子供が自分で自分に課す成長(本能)。

親は大きな心と社会的規範から眼をかけていく以外にはないわけだ。

ちなみに、ほめて育てる(基はペット調教理論)様なまねは、「絶対しない事!」ときっちり言っておいた。

理由は簡単、 子供の心は常に親に対して常にまっすぐ向けられている、それに対して親も真正面から向かい合わねばならない。

子も親も供に悩むことが、子供の心を成長させるわけだが、 ほめて育てる行為は、その子供のまっすぐな心を直接受け取ろうとせず(親はできるだけ悩まず=成長しない)、

不要に反射させて親の都合良い方向から入射したり、乱反射させる事である。

これは、純粋無垢な子供の心に対して、大人がごまかし行為(もしくは子の心に対する詐欺)をする事そのものでもあり、真正面であるからこそ、まっすぐな人間に育つのだ。

そうして都合良く心を反射されて育った子供は、真の心(人の感情)をまともに受け取らずに育つ故、第二次反抗期が来たときに他人の心が強大な恐怖そのものとなってしまい、

引きこもりや無気力、不登校、等になっていく。   

親が自分に都合良い接し方で育てれば、その子は周りの人間に対して都合良い姿を見せて(演じて)自分を守ろうとする。

正に 褒めて育てる=親の逃げ をそのまま学んで成長するということなのだから。

 

まあ、いずれにしても大変である、 子育ては一人の人間を育て上げることであり、 ペットを飼うのとは全く違うことなのだから。

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。