江戸東京博物館
雨の降る中を両国まで行ってきました。
僕は元々歴史好きで、特に戦国時代の後半50年は群雄割拠、人の心が入り乱れて歴史を作り上げてきた時代として、ある意味憧れのような気持ち?すら持っています。
この時代はさまざまな出来事に関する詳細な資料があまり存在しておらず、でも結果としての事実はあるわけで。 謎が多い事から想像が大いに許されるものこの時代。
だから楽しいのですが、今回はそれよりもっと今に近い時代、江戸から昭和。
このあたりになるとさほど魅力は感じていなかったのですが、それが誤りで有る事を痛感させられるものがたくさんありました。
館内を回っていて特に注目したいくつかを紹介。
まずは、上水道設備、当時の江戸には自然の落差を緻密に計算して出来上がった水道網が完備されていた。
水道施設があったことは知っていましたが、その構造が素晴しい!
ポンプで水圧をかけることができませんから、自然の落差で上手く水を流さねばならない、井戸は普通の井戸ではなく、この水道網からのくみ上げ点(場所)で、それは地価の木製櫃(管路にあたる)を通じて配分されていた。
その工事は地下4mにも及ぶ埋設という工事。
計画、工事、記録、そしてメンテナンスという面で、驚くべき技術としか言いようがありません。
次が出版物。
なんと貸し本屋が江戸には当たり前のようにあった!?
幽霊話から歴史話まで各種さまざまな本がそんざいし、なんと豆腐料理100選、大根料理100選というように、今の女性が手にする料理本にあたるものまで存在していたという事実。
これはまた、当時の江戸における男女の識字率の凄さを表しているわけです。
書物は当然の事ながらたくさんの漢字が常用されており、それを当たり前のように読みこなしていたわけですから、当時の世界における識字率を考えるならぶっ飛ぶような高度教育を当たり前のように子供たちは受けていたわけです。
これが明治維新になり、アジアでただ一国だけ唯一植民地化されなかった大きな理由になるわけですね。
更にブロックごとに計画構成された町という概念、
ブロックは夜に門が閉じられ、火災と防犯をしっかりとコントロールしていた。、火災の際にはそのブロックが消失しても他の区画に及ぼす被害が最小限で済むように考えられ、人々はその中で夜を安心してすごすことが出来た。
最後は水路と陸路を整備し、娯楽から生活のすべてにわたる計画の下に都市が作られていたということ。
午後からの3時間という短い時間でしたが、ざっと見て歩くだけで、これだけのことが学べたわけで、もっと詳しく調べたいという意欲を強く沸かせるところでした。
しかしいつも思うのですが、あの筆書きで残されているさまざまな記録。
自由自在に読めたらなんと楽しいことだろうか・・・
そう思ってしまうのは僕だけでしょうかね。
雨の降る中を両国まで行ってきました。
僕は元々歴史好きで、特に戦国時代の後半50年は群雄割拠、人の心が入り乱れて歴史を作り上げてきた時代として、ある意味憧れのような気持ち?すら持っています。
この時代はさまざまな出来事に関する詳細な資料があまり存在しておらず、でも結果としての事実はあるわけで。 謎が多い事から想像が大いに許されるものこの時代。
だから楽しいのですが、今回はそれよりもっと今に近い時代、江戸から昭和。
このあたりになるとさほど魅力は感じていなかったのですが、それが誤りで有る事を痛感させられるものがたくさんありました。
館内を回っていて特に注目したいくつかを紹介。
まずは、上水道設備、当時の江戸には自然の落差を緻密に計算して出来上がった水道網が完備されていた。
水道施設があったことは知っていましたが、その構造が素晴しい!
ポンプで水圧をかけることができませんから、自然の落差で上手く水を流さねばならない、井戸は普通の井戸ではなく、この水道網からのくみ上げ点(場所)で、それは地価の木製櫃(管路にあたる)を通じて配分されていた。
その工事は地下4mにも及ぶ埋設という工事。
計画、工事、記録、そしてメンテナンスという面で、驚くべき技術としか言いようがありません。
次が出版物。
なんと貸し本屋が江戸には当たり前のようにあった!?
幽霊話から歴史話まで各種さまざまな本がそんざいし、なんと豆腐料理100選、大根料理100選というように、今の女性が手にする料理本にあたるものまで存在していたという事実。
これはまた、当時の江戸における男女の識字率の凄さを表しているわけです。
書物は当然の事ながらたくさんの漢字が常用されており、それを当たり前のように読みこなしていたわけですから、当時の世界における識字率を考えるならぶっ飛ぶような高度教育を当たり前のように子供たちは受けていたわけです。
これが明治維新になり、アジアでただ一国だけ唯一植民地化されなかった大きな理由になるわけですね。
更にブロックごとに計画構成された町という概念、
ブロックは夜に門が閉じられ、火災と防犯をしっかりとコントロールしていた。、火災の際にはそのブロックが消失しても他の区画に及ぼす被害が最小限で済むように考えられ、人々はその中で夜を安心してすごすことが出来た。
最後は水路と陸路を整備し、娯楽から生活のすべてにわたる計画の下に都市が作られていたということ。
午後からの3時間という短い時間でしたが、ざっと見て歩くだけで、これだけのことが学べたわけで、もっと詳しく調べたいという意欲を強く沸かせるところでした。
しかしいつも思うのですが、あの筆書きで残されているさまざまな記録。
自由自在に読めたらなんと楽しいことだろうか・・・
そう思ってしまうのは僕だけでしょうかね。