goo blog サービス終了のお知らせ 

帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

自分はどう考える?

2011年02月26日 | 研究-教育・育児

人にとって一番大切なのは、「自分はどう考えるのだ?」という事、そしてそれを他人にどう伝えるか? 言えるか? ということだ。

 

曖昧という物を日本人は愛する、なぜならこの手法がもっとも楽だし、平穏をかき乱すことなく、悪だと見なされること無いからだ、

でも・・・

 

上の子も下の子も、「自分はどう思のだ?」ということを幼いころより問うてきた。

褒めて育てるなんちゅ~考え方の現代教育からすれば、ある意味いじめ、出るはずのない答えを出させ、でも人間関係に明確な答えなどけして無いのが現実。

なら、「何故に問うのか?」 これに子供達は強烈に抵抗し、反発し、相当苦しんだ事と思う。

 

現実に上の子は不良行動しまくりだったし、下の子は幸運にもその道へと走らずに、反発エネルギーを自分の成長に使っている。

どちらが親として良かったのかと問われれば、そのどちらも正しいとしか言いようがない。

 

しかし、この経験が将来、対人関係に苦しむことなく人生を切り開いていける力になる、なぜなら出せない答えを出す過程で人の心のあり方に関して

膨大な考察を繰り返して悩むからだ。

 

困った事(バカ親父そのものです)に、同じ事を嫁(息子の)にもやってしまっている。

けして出ることのない答え、それを投げかけ、ある意味最低の義理親でしかない。

 

でも、自分を囲っている全ての盾を取り払い、人の持つ本能の声を聞き、それを中心に物事を考えられる事(武士道)は、人の持つ不変の法則を

学ぶことに等しいからだ。

 

人の心のむき出しの姿を知り、どこに人の本心が有るのかを考え、判断出来ることが、どれだけ幸せな事であるか?

というのは、老いて直面する現実をみて初めて悟るか、それとも若くて感性の豊かな時分に得ることが出来るか、という違いでもあるだけれど、事は至極単純であり、生きていく上に置いて

幸せという物をどう感じ、受け取れるか面において底知れなく大切なものだからだ。

 

ある人は言う、億万のお金持を持つことが幸福だと言うし、又逆に不幸だと言う。 又有る人は手の中にあったほんの僅かな幸せさえも放棄し、ブルーシートに囲まれた生活にまで

逃げ込んで理想だと言うし、理想の幸せなど見えないとも言う。

 

当たり前のことだけれど、人は本能にそって生きている、本能が求めるのは常に素直な人のあり方でしかなく、それは貨幣や物量に支配される事のない世界で生きられる事こそが最も大切であり、

その過程における付属品として付いてくる様々な付録がまた幸せを感じさせてくれるのだけれども、そう伝えることはかなり難しい。

 

有りもしない権利、平等、自由。

有りもしないものだから、得たように思えた瞬間は感激もあろうし、感動もある。

 

ところが、それが当然あるものだと幼い頃から刷り込まれて成長すれば、なんら感じえるものは無いだろう。

感じられないとは、感覚を失う事で、それはまた意味(喜び)を得られないということであり、これが人として最も不幸なのだと僕は思うし、そう子供達に問うてきた。

 

今は理解なんて出来なくても良い、クソ親父でも、バカ親父でもかまわない、子供達に好かれ様なんてけして思うことは無い。

過ぎ去りし日々に、悩むことあらばふと思い出してくれる。

 

そんな存在になれるのなら父親としてこれほどの幸はあるだろうか・・・・

 


ケーキ

2011年02月21日 | 研究-教育・育児

なんかオーブンのところで娘がごそごそやってるな?・・・・と思っていたら、作っていたのは可愛らしいミニケーキ。 

その総数27個。 

 

「なんで?」と思っていたら、先週はバレンタインデーだったのですね、例のごとくチョコもらったお返しだそうで、って27個かよ! 

毎年増えていない? もらう数。 

 

最近は女の子が男の子にあげるより、女の子が女の子にあげることが多いとは聞くし、

何でも男の子からもらったのもあるとか(本来は男性から女性)で、”雌鳥時告げ国滅ぶ” という言葉にあるように「あ~いよいよもってこの国は終わりか・・・・」なんて思ってしまうのはジジイの証拠か? 

まあ、事はそんな深刻なものではないが、どうしても抵抗有る 笑 

こんなバレンタインデーは娘にとって普通&恒例の事だけど、俺はもらったことなかったな~

一度も!         爆笑 

 


全く同じ考え方をしておられる方の記事を紹介

2011年02月10日 | 研究-教育・育児

非常に素晴らしいことが書かれています。

 

 

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110210-00000002-agora-soci

「教養」のない日本のエリート教育

アゴラ 2月10日(木)2時0分配信

最近のことだが、

「福沢諭吉の生地、大分県中津で活動中!」

と自身のブログで報告されていた政治家の方がおられた。女性として大蔵/財務官僚のトップを経験した後、政治家に転身された方で、その輝かしい官界経歴と、フランスのエリート養成機関であるENA(Ecole nationale d’administration)への留学経験を誇っておられる。

また先日、通産省出身の民主党議員の方が、Twitterで

「岡倉天心の偉大さを著作を読んで初めて知りました。」

とつぶやいておられた。御年47歳。この方もMITとハーヴァードへの留学経験を有されている。

私はこの両者の政治家として能力をここで問題にしようとは思っていない。お二方とも優秀な方々だと認識しているし、その発言にも注目している。

私が問題にしたいのは、このお二方のように、日本のトップクラスの知性を養成するはずのエリート教育を経て、エリート・キャリアを邁進し、ついには国政を左右する立場に立っている人物に、「日本人としての教養」というものが驚くほど欠けているのではないかという危惧である。私が論じたいのは、上記した方々の個人の資質ではない。現代日本で行われている教育、特に「エリート教育」というものの内容に疑問を呈している。

「福翁自伝」の冒頭で書かれているように、福沢諭吉は豊前中津藩の大阪蔵屋敷で生まれた。父百助の死後、 シングルマザーとなった福沢未亡人が、大阪で生まれ育った兄弟姉妹を中津に連れて帰ると、服の着付けから言葉遣いまでが周囲と違って馴染まなかったという。

後年、諭吉青年が遊学先の長崎から中津を素通りして大阪を目指し、緒方洪庵の適々斎塾で頭目を現すきっかけとなったのが、この諭吉少年のアウトサイダーとしての背景と、以下に引用する「息子を坊主にさせてでも」その大成を期した、不遇の下級武士、諭吉にとっては直接見知ることのなかった父・百助の思いだったのだ。

父の生涯四十五年のその間、封建制度に束縛されて何事もできず、むなしく不平をのんで世を去りたるこそ遺憾なれ。また初生児の行く末をはかり、これを坊主にしても名を成さしめんとまでに決心したるその心中の苦しさ、その愛情の深き、わたしは毎度このことを思い出し、封建の門閥制度を憤るとともに、亡父の心事を察して一人泣くことがあります。わたしのために門閥制度は親のかたきでござる。(福沢諭吉「福翁自伝」)

この箇所を読み返すたびに、私も目と胸に熱いものを感じてしまう。そして福沢という一人の幕末/明治人の回顧を通じて江戸を生きた人々の気持ちに触れた時、封建制度から解放された明治日本が「坂の上の一朶の雲」を目指して猛驀進を始めた「明治の青春」という心情風景への理解が深まるのだ。

この日本の自伝文学中の白眉、しかも懇切丁寧に近代口語体で書かれた本を読まず知らずの人間が、世界へ向けていったい日本のなにを主張しようというのだろう。

これは全くの余談になるが、中津の名誉の為に言っておく。諭吉青年は気がついていなかったようだが、実は豊前中津藩は西洋学問に対しては非常に先進的な土地だったのだ。その原因は蘭癖大名として名を馳せた、薩摩藩主、島津重豪の息子、昌高が中津奥平家に養子入りしたことが嚆矢となっている。江戸蘭学の端緒をつけた「解体新書」の共訳者の一人、前野良沢は中津藩の藩医であった。また後年、諭吉と因果な関係になる勝海舟に蘭学の道を勧めた幕末の剣豪、島田虎之介も中津藩士だ。

いまさら日本史のおさらいも恥ずかしいというのであれば、この議員女史に以下のマンガを推薦しておく

岡倉天心のことにも触れておこう。

私の以前のエントリー(こちら)でも引用させていただいたが、日清・日露の両戦役を経て、その軍事力を足がかりとして列強国への道を邁進していた当時の日本において、こうした主張していた人物がいたことを、日本の国民は知っておくべきだ。

一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っていることであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道―わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術―について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。(岡倉天心「茶の本」)

もちろん、この主張は新渡戸稲造の「武士道」を意識している。これは私個人の印象かもしれないが、日本人は新渡戸には注目しても、天心に疎い。

立志、不惑を過ぎて天心に触れられた前述の議員氏が、MITやハーヴァード留学以前に天心に巡りあっていたら、どれだけ意義のある国際交流が可能となり、その後の人生を豊かなものにしただろう。

繰り返すが私はここで特定の個人の無知を攻撃したいのではない。お二方のような優秀かつ有為の人材をして、日本人としての教養を身につけさせ得なかった教育のあり方がおかしいと思うのだ。

私がイギリスで不良大学生だったころ、知己を得た通産省官僚は国家公務員試験制度を擁護して、こう言い放った。

「日本の官僚システムは日本において最も知性に優れた人材を有さなくてはならない。」

知性と引きかえに、日本人としての「ハート」を忘れてしまったエリートでは国がもつまい。

交流会のような場で、

「英語を話すとバカだと思われるから、ゼッタイ話さない!」

とノタマッタ官庁派遣の留学生氏が、同胞日本人とみるとにわかににじり寄り、自らの学歴自慢を始める様子を、まるで酢豆腐の講釈をする若旦那を見る思いで眺めていたものだ。

先行き不安が高まるなかで、公務員はかつてに増して大卒生に人気のキャリアだそうだが、最近ではいったいでのような人材が官途を目指しているのだろう。

帰国するたびに訪れる書店の店頭にうずたかく積まれた「○○力」などといった安易なHow To本の山を見るたびに、

「若いうちは手っ取り早く小利口に器用になることよりも、自分の器を大きくすることを考えればいいのに」と、己の説教ジジイぶりに辟易としながらも、内心ため息をつく。

重要なのは「How To Do」ではなく「How To Be」なのだ。

そして世界はあなたがどのような日本人なのか、今の日本とはどういう国なのかを知りたがっている。



追記:今日、2月9日はガダルカナル作戦終結の日である。ソロモン諸島ガダルカナル島を制圧する目的で送り込まれた3万余の日本兵のうち、1943年のこの日までに「転進」という大本営エリートのゴマカシの下に撤退することを得た1万余を除き、2万人が死者・行方不明者となった。2万の犠牲者のうち、戦死者は約5千名のみ。残りの1万5千人は兵站線確保を軽視した司令部の犠牲となり、そのほとんどが餓死であった。

日本国民が、永く胸に刻みつけなければならない、この史実。ネットを見渡すかぎり、今日これに言及している政治家は見当たらない。

不思議な事も有るもんだ

2011年02月03日 | 研究-教育・育児

昨日、封書がポストに届けられた。 

発信元が行政であったことから、「なんだんべ?」 と開封してみると、「れれ?」驚くやら嬉しいやら・・・・ 

簡単に内容を書くと”娘さんを表彰しますのでお越し下さい”、某行政単位××委員会といった内容。

* ××の部分は氏名が分ってしまうので秘匿させてください。

この表彰を受けると、普通の高校ならでかい横断幕を造って門のところに掲示したりするらしいのですが、「あんれま・・・・・」   と、しばらく無言(といっても誰もいないので当然無言だけれど)。 

 

正直、僕にはよくわからん事から多少詳しい家内に聞くなら、全国規模の大会に出場してトップクラスの成績をあげ、品行方正で人格に優れた子を、対象にしているものだそうでして、

分りやすく言うと高校野球で甲子園に行ってベスト3に残るみたいな実績をあげ、成績優秀で生活態度が良く、ボランティア活動など社会貢献を行い、さらには友達に好かれて支持される人間でなければならないそうだ。 

家の子はマリンスポーツにおいて大人相手にガチンコ勝負挑んできたのだけれど、それが評価されたってか?      って?        はは   「本当か~?」 

「そんなこと考えもしなかったな~」、   ポリポリ (^^;)> ← 俺じゃないのに(笑)

このブログを以前から読んでいただいている方はご存じですが、家は運動系の部活動というものに対して非常に否定的でして、故に上の子(なぜか体育大卒)も下の子も小、中、高と全くやってません。

 

理由は至極簡単、特に中学の部活が酷いのですが、本人はたいしてやりたくもないのに親が「楽しい楽しい」と小学校の頃から盛んにすり込を行い、さらに高校受験に有利になるからといってやらせるという事に端を発している訳でして、

要は親の都合と自慢のために子供を誘導してやらせる様な考え方に大反対だからです。

*ちなみに部活と高校受験は、全国大会で活躍した様な子以外は、やるやらないに係わらず何の関係もありませんし、かえってやりたくもない部活をやる過程で、活動態度がマイナス評価として残ります。

 

もちろん自分から進んでやるのは大いに結構、ただし親は一切何も言わないという事です。

煽動による部活の何が問題かと言うなら、こうした環境で行われるものはどうしても偏りが生じるわけで(本当好きでやっている子は一握り、大半はやらされている者達の集まりとなる)、 

特に親に仕組まれていたと誰もが気づき始める、中1の夏休み以降はやたらと不要なストレスを生むだけでしかないうえ、その延長としてかならず起きる不満のはけ口としての嫉妬&ねたみ満載のイザコザ(虐め含む)、というものに対して

反吐が出るくらい嫌いなことも理由としてあります。 

*こうなると、大抵の親は「一度始めたのだから最後までやれ」等と大義?と常識?振りかざしつつ、でもその本心は自分の見栄と利益のために叱ったりなんぞするのですが、もともとは親の煽動で始めたわけですから・・・

 

もちろん娘も中学一年の初め頃に自主的部活をやった事も有りましたが、ウインドサーフィンやヨット練習にいくのは当然ですから当然、土日休む(学校へ部活に行ける訳がない)のも当たり前でして、

これに関しては あらかじめ担任の先生他、先輩や部の友達にも話をして理解をお願いして有ったはずが、いざ蓋を開けてみるなら単に現実が見えただけ。 

土日に部活へ来ないことで、”さぼり”だと言い始める子が出始め、やがてそれを元にした嫌がらせ行為まで始まった。    本当にくだらない・・・

 

本当に好きで自発的に部活動をやっている子なら、自分と違う事に打ち込んでいる友達の持つ思いというのを当然理解出来るものなのですが、”やらされている”という認識が少しでも有る子は、「自分が嫌な思いをしているのにあいつは何だ? ずるくはないか?」という思考でしか相手の事情を考えられないからなのですね。   

こうした子は間違いなく高校生になれば部活へ入りませんので、容易に分かる・・・

 

学校で起きているくだらない事実を耳にした僕は、「どちらかを選択しろ」と即座に娘へ言い放ったわけですが、その結果 ウインドサーフィンとヨット等のマリンスポーツを極めて行く事を選択し、以降は学校の部活動に一切係わらなくなりました。 

当然、学年でただ一人部活をやらない”ずるい子”、というレッテルが娘に張られたりなんかしていましたけどね~。 

 

その流れもあってか、現在も部活に属さないポリシーは貫かれており、文系、体育系にかかわらず、普段の学校生活で娘が参加するのは、その範囲にて成果として明確に区切ることの出来る事だけになっています(例えるなら文化祭実行委員など)。

 

中学の時に経験した様々な事が娘に学ばせてくれたのは、”常に単独で孤独であるのが人の基本、でも自分のやりたいことは、自分の力で最後までやる”、ということであって、まあそうしたことを勝手に学んで来たわけですが、故に他人によって左右させられたりブレたりしない心の強さ、同時に他人に対する優しさと思いやりというものを育ててくれた様に思えます。

今回の一件は小学校の頃から娘が積み重ねてきた実績を推薦していただいた方他、多くの方達の目にとまったようでは有りますが、親としては評価いただいた事一つとってもただただ感謝の一言でしかありません。

 

しかしながら、帰宅した娘には「まだ人生の通過点、しかも始まりの出来事でしかなく、調子込むな」と厳しく言い放つ自分もそこにいるわけです。 

 

 

 Rough Weather Sailing - BT Global Challenge 2000


バカだよな~こいつら! 

2011年01月28日 | 研究-教育・育児

Extreme Sailing 2

 

「イヤッホ~!」ってか? こいつらどう考えてもバカだよな~! って大爆笑と同時に何故か気持ちははムラムラ? でも普段は至極穏やかに生きている。

 おっかね~ほどやりたくなり、死んじゃ 周りに迷惑だろうとクール(多分?)にセーブ。

自分も海軍の一部分だし、こんなキチガイ連中と変にシンクロしたりするんだろうけど(爆笑)

 

 


芸能プロダクション?から声かけられて、でもって蹴っ飛ばしたのが我が娘

2011年01月07日 | 研究-教育・育児

有名な友達(バイオリニストの卵)のお誘いで横浜のコンサートへ出向いた娘。

軟派目的の男に声かけられたりは良くあるらしいのですが、今回は多少違う。

 

駅をおりてホールへ向かおうとしていた時に声をかけられ、何かと思えば芸能プロダクションのマネージャをやっているとかなんとか。

 

ノコノコ後を付いていくような愚かな子には育ててませんので、話を蹴飛ばしてすたすたその場を

離れたそうです。

 

まあ、そんなことは有るまいと思いながらも、プロダクション=性犯罪と考えている僕は、そうした相手のやらかすあらゆる勧誘パターンと蹴飛ばし方を娘に叩き込んでおきましたが、それが現実に使われることになるとは・・・・

詳しく話を聞いてみたところ、といってもわずか数分のできごとですが、まともなところかどうかに関してぎりぎりという感じで、むろん芸能界なんぞというくだらない世界に我が子を踏み込ませるような愚かなまねは絶対にさせませんので、娘のとった対応はきわめて正解。

全うだろうが、おかしなところだろうが何だろうが家には一切無関係、「ふざけてんじゃねー!!」

 


一国一城の主だぎゃ~! 

2010年12月15日 | 研究-教育・育児

っていったのは、かの豊臣秀吉 だったかな~ (笑) 

 

今日を持って息子は戸籍を新しく編纂、婚約者は伴侶へと変わります。

息子よ、そして婚約者のSちゃん、結婚おめでとう!

 

式はまだ先になるけれど、幸せな未来を二人に! 乾杯! 

 


人間関係で苦しまない子に育てるのが親の仕事

2010年12月14日 | 研究-教育・育児

息子が仕事について、早くも半年以上が経過。

「職場でどうなんだろう?」という親の心配を完全に裏切り、上司に可愛がられ、同僚には好かれ、一番難しいはずの人間関係で何ら悩むことなく過ごしている。

とうぜん、仕事は楽しいので、毎日、笑顔で帰宅。 

職場の人間関係で問題すらないのなら、二年付き合っている婚約者との関係も当然良好であり、常に穏やかで有る以上、喧嘩すらした話すら聞かない。

普通なら、当然のように持つはずの人間関係に関する悩み、もっとも手強いはずのそれが息子には殆ど存在していないのですね。

僕は幼い頃から息子に対してはかなり厳しく接してきました。

厳しくと言うのは、訳の分らない体罰をしたり、その年齢で不釣り合いな無理難題を押しつけたりやらせたり、勉強を強要するようなことではなく。

あくまでも人という存在に対して正しい認識を持たせることだ。

現実をきちんと話し、そして随所でぶち当たる壁や問題に常に人としてどう対処すべきかという基本を教え、成長してからは本能を基に人はどう物事を考えるかについて説いてきた。

綺麗事をならべてその気にさせたり、誉めて育てたり、おだてて何かをやらせる等の、言うなれば子供を親の思うようする為の意図をはらんだ工作は一切していないのですね。

というか、こういった教育で子供を育てる事が狂気の沙汰でもあることを知っているからなのですが。

 

子供は成長に伴い、理想を教えられて、その理想を元にした社会と人間関係を頭に描きながら成長してきます。

学校もそうしていますし、社会全体もそれを良しとしています。

それそのものは基本として必要なものでし、それが正しいわけですが、それを父親が無思考のままで口当たりの良い部分だけに乗っかったり、評価したり、最悪なのは美化して諭すような事ですが、これは、降りかかる現実への対処能力を欠いた人間を育てるようなものです。

こうして育てられると 引きこもり、不登校、不出社、仕事に就かない等の問題が必ず起きてきます。

理想を他人から学ぶことはよい、しかし父親は子供達に社会の本質を垣間見せる窓のような存在でなくてはならないということですね。

ただ、こうした教育というのは非常に難しくもあり、当然周りの共達が理想を基本として育っているのに対し、家の子は現実も知りながら育ちますので、そこで対立やもめ事も起きやすく、特に中学へ上がってから始まった不良行動は目を覆いたくなるような事の連続でもありました。

周りの家庭で父親が皆同じなら、そんな行動等は起きないのですが、おりしも褒めて育てる教育全盛のころですから、「家だけおかしい!」という、息子の言葉に、それがよく現われていました。

息子が一気に方向転換することになったのは、素晴らしい人格を持つ人たちと知り合えたこと。

尊敬までしているその方達の考え方そのものが、僕と殆ど変わりがなかったことから、改めて親が何を伝えんとしていたのかという事に関して多くを学び考えさせられたようです。

人というのは、基本的本能をもとに性別という要素が加わり、そこに大人になるまでの経験と学習を積み、以降はそれを基礎にして様々な人たちと旨く交わりつつ人生の終演まで歩んでいくものです。

子供時代は可愛く、なんでも親の言うとおりなるものですから、とかく理想をかかげ、それに向かって清く正しくと育てるわけですが、思春期を迎えるころからそれまでの理想では解決できない現実というものに苦しむようになってきます。

母親は理想だけで子を育てても問題はないのですが、父親はそういうわけにはいきません。

ゆえに嫌われるのは父親であり、単にむかつくだけの母親とは異なって、嫌悪の対象そのものとなります。

思春期はそれまでの理想をもとにした教育の上に、自然がもたらす独立という要素が加わり自分たちを中心とした小さなコミュニティーを造り上げつつ、適度な間隔を保ちながら本能行動を押さえて共存することを学びます。

基本が自分たちの頭に描いた理想である以上、現実にある古くてダサイ社会の常識は見たくもありませんし、著しい成長と共に大人とさほど変わりなくなった身体は、常識なんて簡単にくつがえせるものだという誤った自信すらもたせます。

その代表たる父親はまさに排除すべき存在でもあるわけです。

そうであっても父親は凛として立ち続け、けしてへつらったりご機嫌取りなどしてはいけない。 正しい現実は正しい以上、間違いではないからですね。

昔の父親はみんなこうでした、僕の親父もやっぱりそうだったし。

そうした父親を横目に、しかしながら理想は理想で有る以上、現実に適合しない部分が出てくる。

この頃から仲間同士でもそれぞれの個性が出始め、それと共に摩擦も多数生じるわけですが、厳しい教育を受けてこなかった者はそれに耐える力がありませんから、少しずつ脱落を初め、それが引きこもりや不登校、という姿になります。

 

褒めて育てる教育、優しい子に育てる教育、こうした教育の台頭と同時に爆発的に増えたのは明らかなデータとしてあるわけですが、ここに来てそうした教育が間違いだという認識が広まってきたおかげで、現在は減少傾向になりました。

人と人の関係、すなわち人間関係は理想で解決できる事は殆ど無く、実際は人間同士で生じる物事、問題を如何に理解し、適正に対処処理していくかという事だけが全てです。

その際に優れた対処が出来れば、好かれ、信頼され、頼りにされますが、まともな対処が出来ねば嫌われ、疑われ、つまはじきにされ、子供の幸、不幸は全てこれによって別れ始めます

これを良い方向で処理できる子にするには、父親が幼い頃から人の本質をよく話し、その対処方法の基礎となるような知恵を少しずつ授けていく以外にはありません。

たとえその時に分らなくても、理解出来なくても、繰り返す言葉として血と肉にしてしまうわけです。

後の経験はそれらに関してどんどんと理解をうながし、頭の中に有ったバラバラが全てリンクされますから18歳になる頃までには対人関係における統合的知識として確立されます。

学習や、自己鍛錬などは、それによって必要と判断され、未来のために不可欠な物と認識されれば自発的にやり始めますので、こちらからやれと言う必要等ありません。     家は息子も娘もそうです。

しかし、その統合知識の礎となる物が無いままの、例えるなら母親に教育の全てを任せ、父親が人と接する事をほったらかしにしたり、逃げまわるような家庭で育った子は、人間性に大きな問題を抱えることが多く、それは当たり前なのですが、

最近は一般の認識でも理解されつつありますが、だからとて友達親子と言われるようなベタベタした存在に父親がなれば、これまたさらに大きな問題を抱えます。

現実社会は常に上下関係、見えない階級の様なものが頑固に存在し、それは人持つ本能そのものによって動かされているからなのですね。

残念ながら子供達に現実を教えてくれる人はいません、唯一親だけです。

です! ます! ハイ! ありがとうございました! から始まり、礼(正しく相手を理解する事)を基本としたものに、親の得た経験を分りやすくかみ砕きながら染みこませていく。

 

心を病む人が増えている今の社会、その原因は厳しさを消失した教育に有り、幼い頃からきちんと叱られないことが対人ストレスと戦うための基礎を失わせた事から来ています。

子のしたこと、行動に人間としての問題があれば、親として必ず不快を覚えますから、その不快のによって生じた感情のままで叱ればよいことなのですが、格好付けて感情を抑えこみ冷静に話したとて、それでは一番重要な人の持つ感情(心)の流れというものを我が子へ学ばせることは出来ません。

褒めて育てるという、自然な感情を不自然にねじまげる、いわゆる嘘感情の積み重ねにより子供を育てれば。

人の心など読めるはずもなくKY(空気読めない)だ等と笑われたりバカにされたり。

最悪なのは怒りの感情に接した時に、今自分の目の前にいる人間がどんな心の状態にあるかという事を判断する大切な経験がありませんから、見当違いの読み込みをしたあげくに、更に相手を激怒させることになり。

本人には理由も分らないのに、自分へ激しい怒りが幾度も向けられることから、他人という存在そのものが怖くなり、それが恐怖となり引きこもるようになる。 

おやが嘘の感情で育てたとおりに、心の読めない人間へと育つわけで、これは自業自得なわけですが、それが親に向けば家庭内暴力、他人へ向けば逆ギレ。

どんなに親が我が子の間違いに怒りを感じたとて、親である以上は必ず手加減が入るのに、現実世界ではそうした覆い等が全く無いままででまともに相手は追突してくるわけですから、それを受け止め、理解し、必要かつ正しい答えを瞬時に出す事が出来る様になるためには、やはり親から正しく叱られてくる経験が無ければならないわけです。

親が子供にもたらすことのできる最大の教育に、人の感情(心)があります。

特に親の正しい怒りをどれだけ経験したかでその力(心の理解力)は大きく変わってきます。

これこれすると人はこんなに怒るのか、こんなことすると人はこんなに悲しむのか、とむき出しの人間という物を、親から安全に学ぶのです。

この経験が”褒めて育てる教育など”で乏しいと、人の持つ怒りというものを理解する力が著しく欠落し、怒りを単なる自分への攻撃としか捕らえることが出来ない貧祖な理解力になり、それが怒りには怒りでという考え方をよんでいく。

一例をあげるなら、会社で上司に叱られた時などに、逆恨みする人間と、それを旨く処理して高い評価を得る人間がいます。

叱られることは本来不快そのもので、しかしながら親に叱られた経験がそれには多大なる影響をおよぼしていて、きちんと叱られた経験はじっと耐えて上司の話を聞く訓練そのもの。

うんざりしながら親の小言を聞かされた経験は、上司の放つ言葉の意味を受け入れ理解する力となり、その時々で激しかったり、拍子抜けしたり、穏やかだったりという、自然な叱り方のパターンと親の姿は、自分の行った事に対する他人の怒りの種類というものを正しく理解させる。

こうした経験が、上司との関係を素晴らしい方向で改善する礎として生きてくるわけだ。

すなわち怒りの正しい表示である、親の叱る行為は、人の持つもっとも難しく重要な部分を子供に学ばせるわけで、これは又、他人と如何に素晴らしい人間関係を築けるかという点で、人の怒りをどこまで理解しているか?ということが重要であること、それに他ならないわけだ。

人生を豊かに過ごすためにもっとも大切な人間関係の難しさ、それを楽々こなしている息子の姿をみると、間違いだらけにしか思えない家の教育にも、良い部分も有ったのだろうと思う・・・・

 

 

 

 


子殺し、親殺し、弱者を足蹴にし、強者に諂う、壊れゆくこの国は・・・・

2010年11月29日 | 研究-教育・育児

産経新聞さんの記事、掘り起こしです。   相変わらず産経さんはいいですね、みんなで読みましょう!

先の大戦で戦った日本とアメリカ、多くの日本人が戦死したこの戦い、米国人も膨大な数の戦死者を出しているのですね。

例えるなら日本軍3万が玉砕した硫黄島。 偏向マスコミのねつ造報道ばかりで殆どアメリカの被害はないように意識付けされてしまうが、

現実には米軍戦死者は7000人(日本軍の4分の1)を超え、足を失う、腕を失う、歩けなくなる等の身体に大きな負傷をした兵士数2万5000、その他重負傷、軽負傷合わせると

そんな数ではすまない。

彼らも戦いたくてやっていたわけではない、戦後に日本人を知った彼らの思いがこの国をまもる駐留米軍となり、それが今日まで続いている。

彼らと常日頃接している自分には、米軍が行った最も卑怯作戦が京大空襲だと教えられて来る彼らの目に、時代を超えた真実が見えるのですね。

 

http://sankei.jp.msn.com/life/education/071106/edc0711060344001-n1.htm

【やばいぞ日本】 忘れてしまったもの 一片のパン「幼いマリコに」

2007.11.6 03:44
このニュースのトピックス:大学教育

 81歳、進駐軍兵士だった元ハワイ州知事、ジョージ・アリヨシ氏から手紙(英文)が、記者の手元に届いたのは今年10月中旬だった。

 親殺し、子殺し、数々の不正や偽装が伝えられる中、元知事の訴えは、「義理、恩、おかげさま、国のために」に、日本人がもう一度思いをはせてほしいというものだった。終戦直後に出会った少年がみせた日本人の心が今も、アリヨシ氏の胸に刻まれているからだ。

 手紙によると、陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にしていた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知った。

 東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ばし、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しようもなかった。

 彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャムを塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱に入れた。

 彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいていないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」といい、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたいんです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことをつづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたことに深く感動した」と。

 

 彼はこのあとも、ハワイ出身の仲間とともに少年を手助けした。しかし、日本には2カ月しかいなかった。再入隊せず、本国で法律を学ぶことを選んだからだ。そして、1974年、日系人として初めてハワイ州知事に就任した。

 のち、アリヨシ氏は日本に旅行するたび、この少年のその後の人生を心配した。メディアとともに消息を探したが、見つからなかった。

 「妹の名前がマリコであることは覚えていたが、靴磨きの少年の名前は知らなかった。私は彼に会いたかった」

 記者がハワイ在住のアリヨシ氏に手紙を書いたのは先月、大阪防衛協会が発行した機関紙「まもり」のコラムを見たからだ。筆者は少年と同年齢の蛯原康治同協会事務局長(70)。五百旗頭(いおきべ)真(まこと)防衛大学校長が4月の講演で、元知事と少年の交流を紹介した。それを聞いた蛯原氏は「毅然(きぜん)とした日本人の存在を知ってもらいたかったため」と語った。記者は経緯を確認したかった。

 アリヨシ氏の手紙は「荒廃した国家を経済大国に変えた日本を考えるたびに、あの少年の気概と心情を思いだす。それは『国のために』という日本国民の精神と犠牲を象徴するものだ」と記されていた。今を生きる日本人へのメッセージが最後にしたためられていた。

 「幾星霜が過ぎ、日本は変わった。今日の日本人は生きるための戦いをしなくてよい。ほとんどの人びとは、両親や祖父母が新しい日本を作るために払った努力と犠牲のことを知らない。すべてのことは容易に手に入る。そうした人たちは今こそ、7歳の靴磨きの少年の家族や国を思う気概と苦闘をもう一度考えるべきである。義理、責任、恩、おかげさまで、という言葉が思い浮かぶ」

 凛(りん)とした日本人たれ。父母が福岡県豊前市出身だった有吉氏の“祖国”への思いが凝縮されていた。

■厳しい時代に苦闘と気概の物語

 終戦直後、米海軍カメラマンのジョー・オダネル氏(今年8月、85歳で死去)の心を揺さぶったのも、靴磨きの少年と似た年回りの「焼き場の少年」であった。

 原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待っている。素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこう回想している。

 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目をそらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った」

 この写真は、今も見た人の心をとらえて離さない。フジテレビ系列の「写真物語」が先月放映した「焼き場の少年」に対し、1週間で200件近くのメールが届いたことにもうかがえる。フジテレビによると、その内容はこうだった。

 「軽い気持ちでチャンネルを合わせたのですが、冒頭から心が締め付けられ号泣してしまいました」(30代主婦)、「精いっぱい生きるという一番大切なことを改めて教えてもらったような気がします」(20代男性)。

 1枚の写真からそれぞれがなにかを学び取っているようだ。

 オダネル氏は前記の写真集で、もう一つの日本人の物語を語っている。

 

 激しい雨の真夜中、事務所で当直についていたオダネル氏の前に、若い女性が入ってきた。「ほっそりとした体はびしょぬれで、黒髪もべったりと頭にはりついていた。おじぎを繰り返しながら、私たちになにかしきりに訴えていた。どうやら、どこかへ連れていこうとしているらしい」

 それは踏切事故で10人の海兵隊員が死亡した凄惨(せいさん)な現場を教えるための命がけともいえる行動だった。オダネル氏は「あの夜、私を事故現場まで連れていった日本女性はそのまま姿を消した。彼女の名前も住所も知らない。一言のお礼さえ伝えられなかった」と述べている。

 苦難にたじろがない、乏しさを分かつ、思いやり、無私、隣人愛…。

 こうして日本人は、敗戦に飢餓という未曾有の危機を乗り切ることができた。それは自らの努力と気概、そして米軍放出やララ(LARA、国際NGO)救援物資などのためだった。

 当時、米国民の中には、今日はランチを食べたことにして、その費用を日本への募金にする人が少なくなかった。日本がララ物資の援助に感謝して、誰一人物資を横流しすることがないという外国特派員の報道が、援助の機運をさらに盛り上げたのだった。

 こうした苦しい時代の物語を、親から子、子から孫へともう一度語り継ぐことが、今の社会に広がる病巣を少しでも食い止めることになる。(中静敬一郎)


センター

2010年11月28日 | 研究-教育・育児

朝10時には入り、幾度のリハーサル、夕方開演、エンディングの大鳥居でど真ん中に立ち、ずっと演じさせていただいた有楽町は読売ホール。

まがいなりにもお金を払って見に来てくれる方達を前にしてですが、本当に感謝です。

一方、自分たち駄目親は娘を送ると、日中は池袋の東急ハンズや他で遊んでました(笑)

 

ウインドサーファーでヨット乗り、そして舞子であり、普通の高校1年生。

武士の娘のようにを心に置き、真冬に凍るような水と雑巾でトイレ掃除をさせてきた。

国語より人の目を見ながら話す力、音楽より表現力、体育や部活よりどんな荒海にも立ち向う丈夫な身体とまっすぐ伸びた背筋。

数学より工夫と応用力、理科より直接自然とふれあうこと、社会より人の心をできるだけ多く学ぶこと。

 

そんな育て方をしてきたけれど、今は唯々、「この先も幸せな未来を歩んでいってもらいたい」と舞台に立つ娘を見ながら僕は思うのですね。

 

 

 


ちゅんこ と 涙

2010年11月01日 | 研究-教育・育児
ビニール袋をもって突然部屋に入ってきた娘。

突然「うにゃ~」とか言って涙を見せた、何があったか分らない僕はひたすら ?????

そして、見せてくれたのは、ゼリーやら何やら色々と娘の好きな食べ物が入った袋。

「なんだそれ?」と聞くと、玄関ノブに(うちの玄関ドアはガラスのスリットが入っています)何かぶら下がっていたのが見えたので、ドアを開けたらそれが有ったそうです。



以前からもこのブログを読んでくれている方達は知っての通り、家の娘は普段から色々やっていてかなり忙しい。

そしてそんな状況であるのに係わらず、私立学校授業料無償化活動で日本中を飛び周り、最近では学園祭サンバ隊の一員として参加者を牽引し、さらには学園祭そのものの実行委員まで担っていたせいで、準備やら何やらで夜遅く帰宅する事がこのところ有った。

そして学園祭は無事成功&終了、ところが間髪開けずに出演依頼されてる演劇活動の為の動きを取り始めた矢先、とうとう疲れが重なったのか週末ダウン。

親は一切口を挟まない考え方ですから何も言いませんが、やり過ぎなんですよね・・・・・ 

土曜日も、心配していた親の言うこと聞かずに選択授業へ出て、やはりというか日曜日には熱が出始め、今朝は完全にアウト

それでも学校行くんだと言い張ってたようですが、体は正直。

さすがに観念して今日は家でおとなしくしていたようですが、午後3時頃からクラスの友達達からのクイズメールやら質問メールなどが携帯に届き初め、

娘もその意味は分らなかったらしいのですが、昼過ぎくらいから熱が少し下がってきた事もあり、ポツポツと返信していたらしいのです。

どんなメール内容かというと、「アイスとゼリーならどちらが好き?私はアイス。」っていうようなものだったそうです(娘の話では)。

そんなやりとりがしばらく続いた後、メールがぱたりと収まり、だんだんと暇を感じ始めた頃に僕が帰宅。

少し元気が出て来たのと、寝飽きたのもあってか、降りてきた娘に僕はつかまり、しばらくおしゃべり相手をさせられてました。

でも、まだ37度と微熱が有りますから、だるくなったのか、再び部屋で寝ようと廊下に出たところで玄関ドアノブの袋に気がついた。

中身をみて驚く娘、そして冒頭に書いた反応。 

「その理由は?」というなら、学校の友達達が娘の好きな物を買い集め(質問とクイズ参考で)、それをお見舞いとしてわざわざ自宅まで届けに来てくれたのです。

熱が有るので当然呼び鈴は押しません、会いもしません、そっと届けて帰ったクラスメイト。

でも中身をみればそれが友達みんなの気持ちだとすぐに分ります。 


似たようなことは以前もありましたが、今回は娘の受け取り方がこれまでとは全く違い、小さな気持ちが心から嬉しかったようです。



「あ!」 ちなみに ちゅんこ とは、僕がこのところ娘を呼ぶときに使っている言葉です。
というのは、何を思ったかいきなり化粧をした娘と、僕が帰宅してはち合わせになった時に顔が雀に見えたところから来ています。

「返事はハイじゃなくて ちゅん! と言え。」と僕が言うたびに娘は怒っていますが、どう見ても雀だろ~あれは (笑) 



お嫁さんは学生さん? 学生結婚ていうのかな? これ

2010年10月20日 | 研究-教育・育児
近いうちに家の子となる息子のフィアンセ、Sちゃん。

実はその子が家に来たら、家から学校へ通ってもらおうかと僕は考えている。
もう一度学生生活をしてもらうという意味だ。  

「なんのこっちゃ?」と、長い間このブログを読んでいただいている方達は思われるでしょう。

本来であれば大学生でもおかしく無い年齢のSちゃんですが、結婚しているから(したから)学生になってはいけない等という根拠もなく、むしろ二人の将来にとって良い結果をもたらす可能性を広げられるなら、親になる義務の一つと考えているし、”むしろ必要なことではない”かとも考えている。

これを言い出したのはSちゃんではなく僕ですが、本人の意志がこの場合には非常に大切ですから、もちろん進学の意味と目的をきちんと説明したのですが、一応その気になってくれているらしく、それが心より嬉しい。

もちろん無意味に進学する訳ではなく、きちんと目標を持ってということになるのだけれど、それが叶うかどうか?、なしえるかどうか?、等という小さな事を言うつもりは一切無い。

うまくいかなくても駄目人間と見なすことも、思うこともない。 

なぜなら僕も、家内も、そして家の子達みんながこれまで失敗ばかり繰り返してきたわけで、特に長男は元不良でナイフ持って喧嘩するような仲間達と荒れた時代を過ごしてきたし、今でこそ大学を卒業して親方日の丸で働いているが、みんな優等生ではなく、頭がよいわけでもなく、どちらかというと落第生一家というほうがピタリ。


Sちゃんには二年間の学生生活を送ってもらいたいと思っているのだけれども、これにはもう一つ意味がある。

人間の一生には無駄というものがとても大切で、無駄に思える時間と経験が無駄ではなく、後になって非常に重要な意味を持っていたのを知ることは多々ある。

これは自分が嫌というほど経験している。

高校を卒業し、本来ならまだ数年は無駄な時間を消費せねばならないのに、それを失うことは若い時分にはもったいなすぎる。

今は子供が友達と遊んでばかりいると、それが無駄だとばかりに、下手すりゃ幼稚園時代から習い事だ塾と通わせ、ひたすら時間を減らすことに満足と充実感を覚える親がいるけれど。
学力は単なる技能でしかないうえに、それを使いこなす人間性があって初めて意味を持つのだという事を忘れている。

自分の幼い頃は、朝から晩まで真っ黒になって遊んでいた、勉強なんか全くしなかったし、当然成績はビリから数える方が早く、宿題なんか当然しなかったので学校の忘れグラフは常にトップだった。

いわゆる薄汚いバカガキそのものだ。

ところがその時にさんざん経験した友達同士の遊びが社会や職場で快適な人間関係で過ごすための暗黙のルールを学ばせてくれ、喧嘩した経験はもっとも難しい人間関係の形成と修復方法を学ばせてくれ、いじめたり いじめられたりは忍耐をはぐくみ、泣くことで人の心の痛みを覚えた。

何一つ無駄は無かったわけだ。


人は嫌でも年をとっていく、故にその時にしか得られないことは沢山あり、再び学生生活を心からエンジョイしてもらうことは、利益こそ有っても損というのは無い。

僕の考え方として、儀式である結婚式にお金を出すつもりは殆ど無い、なぜなら式というのは自分達の出発そのものであり、二人がおこなう初めての建設的共同協力作業である以上は、それすら自力でなしえない二人に明るい未来等有るはずもないからだ。

現実、自分は家内と二人で親に頼らずにそれなりの式を挙げた。 

こうしたものを派手にするための財産消費というのを僕は好まず、その分を別の財産として残す道を選ぶわけだけど、

注意: これはあくまでも僕の考えで、良いとか悪いとかという話とは全く違うえに、他人を批判するつもりはないので勘違いしないでもらいたい。


それは、親が我が子に残せるのは、お金や土地のような財産ではなく、幼き頃からのたくさんの思い出と人間性、そして無駄であって無駄ではない無形の財産そのものなのだと僕は思っている事から来ている。

と、偉そうに書いているわけですが、現実に少し厳しいな~と思うのは、下の娘の大学進学が二年後に控えている現在、学費をどうやりくりするかというのが、もっかの課題となっている。

一部を奨学金でまかなえるかな・・・・・   えへへ


「こんな男と結婚するか!」  女性の気持ちが分るな~

2010年10月14日 | 研究-教育・育児
昨日のこと、帰り道で信号待ちをしていた僕の横に、最近はやりのビッグスクーターが並んだ。

と、ここまでは良かったのだけど、なんか声が聞こえてくる?   「ん?」

「いけいけ!」「 早くしろよ! オイ!」 「あ~あ」、それ以外に車がどうとかあ~とかひたすらブツブツ(というか結構ハッキリ)ひとりで喋っていて、初めラジオの音かとおもって周りを見渡したのだけれど、声の方向は明らかにそのバイクの男、口も動いているし。

携帯の手ぶらで話せるヘッドセットか? なんて思ったりもしたけれど、コードも見えないしほぼ一方的に話しているし? 何よりその話そのものに中身が全くない。

反キャップのヘルメット、服装はごく普通、年齢は僕とほぼ同じくらい、免許もってバイク運転しているくらいだから(同じ道路を走るのでも車と違ってバイクの情報処理量は桁違い多いのです)知的障害が有るとは思えないし。

結局、しばらく止まっていたその信号で初めから終わりまでずっと何かしゃべっていた・・・・
正直その姿はなんとも気持ち悪かった。

ふと、「もし娘がこうした男と結婚したいなんて言ったら僕はどう反応するだろう?」なんて事を考え始め、今の様に気持ち悪い風体に生活力もない男がそこいら中に蔓延してしいる昨今、結婚の晩婚化というものが当然なのだと変に納得してしまった。

「おかしな男と結婚するくらいなら独身の方が増し」という言葉に、みょうに頷いてしまうのですが、10年くらい前まではこうした言葉を口にする女性にたいして、我が儘だと思えていたのだけれども、自分がある程度年齢が増したせいも有り、実は問題のある男が増えてきたのを直感的に女性が捕らえていたという方が正解なのだと思うようになってきた。

同じに、ねばならないという社会の風潮に自分の人生を奪われたくない、という抵抗と言えるかもしれない。


そういえばこのところ、ウインドサーフィンの初心者スクールに若い女性が増えてきているという話を聞き、実際にそれを僕も見ているけれど「それもそれによる影響の一つかもしれないな~」なんて思ったりもする。

女性にとっての結婚は、男子より深刻且つ重要な問題であり、相手により一生の幸せが決まってしまうと言っても過言でないのが現実。

もし自分がその立場なら、この信号で横にいたブツブツ男と絶対に結婚しようなんて思わないだろう。

おかしな男が増えているということは、絶対供給量が決まっている以上は質の良い男の数が確実に減っている事そのものを意味し、いくら男余りとはいえ2倍3倍なんていう比率じゃない以上は、まともな男をどう獲得するかというのは女性にとって結構深刻な問題だ。


そう言ってる自分がろくでもない男である可能性を排除せず、思うままに書くけれど、おかしな人間性を持つ男とだけは結婚しない方がよい。

これは顔がよいとか、学歴が高いとか、経済力があるとかいう問題よりはるかに重要であり、というのは、顔はすぐにおっさんへ変化するし、学歴は働き始めて2年もたてば何の関係もなくなるうえに、下手に高学歴だと会社がつぶれて転職しなければならない時に障害となる。

お金の有る無しは短期的な視野で考えれば良いけれど、20から80までの60年間というスパンを考えれば一生無くならない等という、不思議な現象はまずあり得ない。

年商100億の社長でも、数年後は100億の借金を抱えて平気で倒産するのが今の世の中で、少し前にあったITバブルで起きた現実は星の数に匹敵するほどで、つまりは、家庭と妻を大切にし、文句言わず粗食を食い、健康で笑顔の絶えない男というのが一番ということになる。

先の話に戻るけど、なぜに日焼けを一番気にする年齢の女性達がウインドサーフィンのスクールに来るのか?と、そこに生じる矛盾を顧みるに、往々にしてマリンスポーツをしている男の質というのは比較的良質であることがその背景にあるのだと僕は思う。

だからとて他の男の質が悪いわけではないのを冒頭においての話だけれど、まずはウインドサーフィンやサーフィン等のスポーツは”もっとも難しいスポーツ”といわれているように、ある程度上達するまでにたくさんの水を飲み、死の恐怖はつねに身近につきまとうし、波に巻かれれば息が止まりそうになって単につらいだけの拷問みたいだ、一応?楽しくなるまでに幾度も悔し涙を流して苦しまなければならない。 

常に前向きな精神と忍耐力を要求され続けるスポーツそのもので、少し練習したらとりあえず楽しめるスキーやスノーボードに代表される至極簡単なスポーツとの大きな差はここにある。

ヨットマンもそうだけれど、常に変化する海で知る自然の怖さと優しさは、謙虚でいることの大切さ学ばせてくれ、しぶきも凍るような厳しい北風は健康のすばらしさを教えてくれるし、嫌なことから逃げない姿勢の意味を教えてくれる。

軟弱でなよなよした気持ち悪い男がやたらと増える一方で、こうした世界に身を投じる男達もいるわけだけど(ただし数は確実に毎年減りつつある)、先も話したようにウインドサーフィンの初心者スクールに若い女の子達が増えているのは、この世界に基本的良質な男が多い事と、それが他所で選別するより遥かに良い相手に巡り会うのチャンスと瞳に写っているからだ。

さらに良質な男を捜すだけではなくて、そのなかでさらに自分の希望する相手を絞り込んでいけるという、”選択できる幅の広がりを得たい”という女性のもつ自然な本能がそうさせているわけですね。

というのは、伴侶の選択権そのものは遙か昔から女性の側にあり、男が妻を選んだのではなく、妻が伴侶を選んだという方が正しく、それは人間の長い歴史の中で安定した食糧供給と保護を得て、遺伝子を未来へ残して行くに優れた男を得ない限りは絶対に手にする事が出来ない現実だったからです。

町中を歩けば、およそ男らしさと無縁の若者が溢れかえる現在、それが褒めて育てるだ、優しい人間にするだ、力は悪だと教育されてきた結果そのもの。

本当の優しさは厳しさと叱られることもきちんと兼ね備えた教育によって育まれる物で、それによる強さが心のバックグラウンドとなってこそ本当の優しさが確立されるものなのですね。  

強くなければ自分のことだけで一杯になってしまう、余力が豊富にあるからこそ人のことを気遣えるわけですから。

少し前に、若い男女に対して「異性にあこがれるか?」というアンケートというのをやっていたのを見たけれど、結果を見ると女性という”性”そのものにあこがれを抱く男の数がやたらと多かった。

この憧れそのものは、どんな女性が自分の伴侶や恋人になってくれるか?というものではなくて、純粋に今の自分に備わっている性に対比しての事で有るところに問題のポイントがある。

本来、自分という存在に対して常に磨きをかけている若い世代の男というのは、この先伸びていく自分の姿に目標(憧れ)を持つもので、別の性に憧れるというのは、現時点での自分が成長点の到達ラインなのだ、と勘違いしている輩が持つ、いわゆる褒めて育てられた人間全員がもつ特徴そのものでもある。

何故なのかということを簡単に説明するなら、褒めて育てられることで出来上がる根拠の無い優越感は、本来なら力のない自分に不安と恐怖を覚える事で自分に磨きをかける行動を起こすはずの本能が働かず、成長期における正常な精神活動が行われなくなってしまうことになる。

常に根拠無き自信と万能感を持っている事が問題となるのだけれど、しかしながら社会という現実との摩擦を経験すれば、「こんなに優れた?自分は、実は駄目人間なのではないか?」という漠然とした不安が生じるのは当たり前のことで、
しかしながら褒め続けて育てられた以上、現実そのものを認める基礎的心の訓練がされていない事から(褒めて育てる教育が生み出す最大の問題点)、あらゆる逃げ口実をつくって待避をするようになる。

そして、自分は優れているのだという、全く根拠のない自信は子供の頃からの褒めて育てる教育で頑固に心へ固着してしまっている以上、虚栄心だけで十分に心が満たされてしまうから、努力をしよう等とはけして思わない。

当然、努力よりキレルほうがまず早い。

結果、そうした自分の不安を転嫁してしてごまかす待避方法の一つとして異性へのあこがれというのが存在し、これは今の自分がそのまま女性になるなら努力せずして上の位置に収まるではないか(本来男が持つ競争本能の異形)という誤った結論を導き出してくる事になる。

そう、これは単なる逃げであると共に、たいていが異様な性意識と重なって確立されることが非常に多い。

ロリコン、幼児愛、アニメの中の少女に本気で恋するなども、程度の違いこそあれ、根底はおなじだ。

結局、心の強さを何ら育むことが出来ない”褒めて育てる教育”がもらたす害の一部が、こうしたアンケートにも現れたと見てもよく、単に自分の逃げの場として異性に憧れているだけに止まらず、それそのものが、「女性は男より下の存在なのだ!」というねじ曲がった差別意識を背景にして生み出されてくるという恐ろしい一面も、持っているのですね。

この怖さがお分かりでしょうか?  力は全て悪いだとし、優しい人間になるはずだった”褒めて育てる教育”が生み出した大量の弱い男達。

それが増えるほど、世の中が平等になるのではなく、逆にゆがんだ差別をどんどん生み出してしまう現実。

異様な行動を取る若者達の育った教育に、どんな問題点があったのかと少しでも考えるなら、
そこにある人の持つ本能をねじ曲げた教育が先進的教育としてされてきた経緯がある。

ホームレスに熱湯かけたり、学生が女子に酒を飲まして集団レイプしたり、老人を平然と騙してオレオレ詐欺をする大学生、等々。  毎日メディアを賑わす異様な事件の加害者に、あと少しだけ心の強さと他人の痛みを思いやる心ががあったならと考えれば容易にお分かりになるでしょう。

今?はやりの草食系男子(といっても定義そのものがおかしいが)で、これに当てはまる特徴というのは沢山あり、例えるなら女性と自分は平等という、一件よさげにみえてしまう表面的な行動と意識の裏には、理想とはほど遠い嫉妬心が底にあるもので、その裏返しが行動として出ているが、女性はそれに対して本能的恐怖感を覚えるものだ。

それが、歴史上の武士達見たいに心の強い男達に憧れるという、歴女みたいな女性を生みだしているわけだ。


女性にふられた時、 昔の男は必死でやせ我慢した。 強がった。

しかし今日では、いつまでもストーカーのようにつきまとったり、刃物を振り回してみたり、挙げ句の果てには相手の家族まで殺したりする事件が後を絶たない。

そんな訳の分らない男と紙一重の者達がそこいら中に蔓延している。

そしてその心の奥底には、褒めて育てられた事によって、軟弱で、忍耐もなく、耐えることも努力することも出来ないくせに自尊心と虚栄心だけはやたらと高い人間性があり

さまざまなところで色々と問題を起こす引き金になっているのですね。

ついこの間、女の子と一緒にいた高校2年生の男の子を刺し殺して逃げている、髪の毛が肩まである小太りの気持ち悪い男。

まさにこれなんかは、褒めて育てられた男の代表だろうと僕は推定している。






主役の次に

2010年09月28日 | 研究-教育・育児

演劇部からダイレクトにスカウトされた娘ですが、もちろん一つの処に所属して活動する気なんていう考え方が毛頭無いのも家の子。

これは中学校時代からの名残で、娘が部活という世界に所属したのは中学1年生初めのほんの一時だけのことで、互いを拘束し合う不思議な?部活という世界を、たいそう毛嫌いしている事から、基本的には学校ではいつも一匹オオカミみたいな立場でした。

3年間通して部活を全くやらない(ただしウインドは徹底してやった)という、特異な存在だった訳ですから。

ただ、それというのも「部活をしていると高校受験に有利になる」という、一般のお父さんお母さんに信じられている大嘘が、教員の友人が多い僕には全く通用しない事であるし、さらに本人の希望するものが無いのに安易な妥協によって無理やり所属すること(注:それが適している子は除きます)や、それによって消費されるダラダラとした無駄な時間が無意味である事を徹底して教えてきたことも影響している。

それもこれも、「他の人間がやっているから」とか、「友達に誘われたから何となく」ではなく、あくまでも自分の考えで選択判断し、そして一度やると決めたなら必ず一つの区切りを完全にこなすまで完遂させるという
方針にて、又人間性をつくるためにもそうしてきた。

先の部活動のように、親の安心と満足?のための中途半端は絶対にさせないということだ。

そんなわけで、上級生に呼ばれて演劇に出演することになった訳ですが、やっぱりというか・・・部に属す事の無い期間限定(なんだそりゃ?)で、それも出演する演劇それ一本完遂のみで終了!、というのが娘の考え方らしい。

それ一本に全力集中して、それが完遂出来たらその後は再度自分で考えるという、いつものことだ。

昨日、貰ってきた台本を僕に見せてくれたが、台詞の多さはほぼ主人公と同じでかなりの分量、役柄は確かに家の娘そのものという感じ(笑)。

こなしきれるのかどうかなんて俺は知らない、親の立場としての考えもこれと全く同じだ。

自分で判断して行動し、失敗したら非難されて泣けばよい。 そんなことに負ける子に育てた覚えはない。

当然の事だけれど、もうすぐ16歳になるというのに、この程度のことで親にお伺いをたてているようでは、将来どうしようもない人間になるからだ。



今度は演劇部から

2010年09月21日 | 研究-教育・育児
あれやらこれやら、色々なところからお誘いの来る我が娘。
今度は演劇部の上級生からからいきなり出演してくれないか?とのお誘い。

「しかし・・・・」 ありったけの時間を殆ど使い切っているのに、これでどう時間を割くのか・・・・

ウインドサーフィン、ヨット、から始まってフラ、メキシコ舞踊のステージ、学校では文化祭の実行委員はじめ選択授業他多数&課外活動として私立学校の授業料無償化活動で先生達と一緒に随所で活動、
他私立高校との振興に学校代表で伺ったり、同無償化署名活動で駅前署名に立ったり、

休み時間すら自発的に数学の先生のところへ出向いてプリントやったりと殆ど空いている時間がない、パワフルなのは良いけれど、やり過ぎではないかと心配になる。

若いときにあらゆる経験をどん欲に積むことを教えてきたのは僕なのだけれどね~    あはは(^^;) 汗