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帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

グアム旅行 3日目

2010年12月01日 | 旅行等

朝から風が吹いていて、PICでウインドが出来るぞとばかり張り切って出発。

このときの運転は息子の彼女、左ハンドル、右側通行、家は未経験でも平気で運転させます。

 

怖がっていたらいつまでも出来ません!、この先レンタカーを多用する旅行が何度もあるでしょうから、運転できないというのは手足をもがれたのと同じになるからですね。

助手席はナビ兼ねて僕が座り、アメリカの交通ルールを実際の運転に合わせて教えながらPICへ

向かいます。

駐車場に到着してホテル入り口にある受付を済ませると簡単な説明をうけて入場。

着替えをさっさと済ませると、一番楽しみにしていたウインドを乗りに行きます。

初心者と間違えているカウンタースタッフに、みんな中級以上だとつげると、何とも言えない顔をして機材置き場を案内。

そこにあったのが6.3のモノフィルムセイルと、多少痛んでいるけれど135L位から100Lボード。

やった~と期待が大きくふくらみ、風も良風だし・・・

ただ、沖にここからでるなの赤い浮きが浮いていて、それがやたらと近すぎて????

担当スタッフが来たので早速貸してくれと頼むと・・・・・ 後は ふざけるな!に書いた通りの出来事勃発 

このとき相当頭に来ていたのだと思うのが、息子が水着のポケットにライターとタバコを入れたまま沖に出てしまうと言う一件があり、普段僕より遥かに冷静な息子にしては珍しい。

一悶着あって、仕方ないので少し離れたところにあったホビーキャットにしようとするとそこでも????

なんか出だしから不快な思いが連発で、ムカムカする心を抑えるのに精一杯。

この時点で全額払い戻しできないだろうか?と考えるも、家内が落ち着け落ち着けとなだめてくる。

仕方なしにビーチから海へとエントリーしてしばらく泳いでいるとだんだん落ち着いてきた。

まあ仕方ないべ   と、気分転換&おなかも空いてきたので早めのランチを取ることにした。

レストランはビュッフェスタイルだけど、種類が豊富なのと幾種類かのアルコールも無料、味も良いし従業員も感じよい、特に問題はないけれど、強いていえば多少冷房の効き過ぎかな。 

キムチがたくさん出ていたのですが、これは韓国の人が多く来るからだそうで、自分も多少取って食べてみましたが、日本で売られているより遥かに酸味が強く。

美味しいといえばそうだし、これが本当の味だろうか?なんて思ったりもする。

結構美味しかったこともあって、みんな食べ過ぎ気味で楽しいお昼は終わり。

この時、ブュッフェスタイルでよくあるのが皿への取りすぎなのだけれど、これは後で間違いなく廃棄処分されてしまうので、それならとナプキンに包む。

あとでビーチへ持って行き、魚にあげる為だ。

さて再びビーチに出ると、先ほどの餌?を持ってエントリー

ここは多少の流れがあり、その分魚が他のところより多く、パンなどちぎって上げだしたらどんどん集まって大変なことに・・・・

サヨリはガンガン自分の周りを回るし、なんていう名前か忘れてしまったけれど鯛に似たでかいのがぞろぞろやってくるし。

はぎの仲間みたいなのから何からどんどん集まって来る。

スクーバダイバーである僕と家内、息子は驚きもしないけれど、娘と息子の彼女は大感激。

途中ですぐ近くに来た韓国人のカップルがそれをみて感激の声を上げ始めたので、当然自分のもっていたパンをお裾分け。

そのあと彼らと一緒にしばらく魚と戯れていました。

そういえば、午後には潮が満ちてきて午前より遥か先までホビーキャットが出せるとかいう情報があったので、家内が再度予約。

ただ、午前中操艇していたアメリカ人(白人)の学生アルバイト?らしきクソガキの態度が余りにもわるかった(できるだけ走る距離を短くして楽しようとする)ので  、

又こいつなら しばいたろか?と思っていたところ、出てきたのは何とも陽気で明るいスタッフ。

とにかくみんなを笑わせてくれ、午前中に山積した嫌な思いを吹き飛ばしてくれました。

このスタッフはいいですね~ 

一番左が僕です。

 

さて、その後は体験ダイビングが出来るというので、ライセンスのない娘と息子の彼女をダイビングの道へひきずりこむが為にそれようのプールへ連れて行く。

受付は日本の女性でこの人もよかった。

とこがここで又問題発生、といっても今度はこちらの問題。

昼のレストランでビールが飲めたので、息子とその彼女が少しだけど飲んでしまっていたのですね。 

とてもまじめの子ですから、素直に申告、ダイビングはアルコールが絶対にだめなので、残念ですが今回はOUT

仕方がないので、娘だけ体験させてもらい、その子は息子とウオータースライダーへ。

ここのダイビング体験施設ですが、ただのプールではなく、海水を組み入れて本当の魚が泳いで出来る限り自然に近い状態にしています。

先ほどの女性スタッフの話では、サンオイルや、プール塩素などの影響を受けやすいことから魚が弱ったり病気になったりと、その管理には結構気を遣うそうです。

基本的なレクチャーを受けた娘は、短い時間ですがプールの中へ。

おそらく四mくらいの深さですが、上がってきた娘は水の中で息が出来ることに感激していました。

体験ダイブが終了したので、僕らもウオータースライダーに移動。

短距離、長距離とあり、どちらも結構おもしろい。

浮かれて数え切れないほどやってしまった・・・・・・あはは 

飽きてきた頃プールへ移動すると、息子が疲れがでたのか昼寝。

そこで始めたのが家内と娘僕の三人でプールバレーボール。

途中からサイパンから来たチャモロの男が二人参加で、1時間以上?は大騒ぎ。

にぎやかなのが好きな彼らですから、ボールの返しが続いただけでやたらとハシャグ。

この辺が日本人との違い。 

さて、だんだん、日が傾き、スコールの影響もあって冷えてきた、最後に暖かいスパがあったのでみんなで入っていると、3歳の子を連れた韓国人のお母さんと話になり。

というか、何でもかんでも話しかける家内が片言の英語で韓国ドラマが好きだと話し始めたのがきっかけ、俳優の名前だとなんだとか、結構和気藹々の一時を過ごさせていただきました。

さて、夕飯があるので多少速めに着替え、ところがロッカールームサイドにあるシャワーが全て壊れていて使えない。 

仕方なしにそのまま着替えて食事へ向かいます。

ショーがみられる屋外ステージ横にテーブルがもうけられ、案内係が誘導、早めだったこともあり、結構良いテーブルをもらえました。

食事の無いような例のごとくビュッフエスタイル、ところが客の数に対して品物数が何となく少なく、

狭いところにごった返すような状態でいささか???? 

という感じ、さらにアルコールがやたらと高額・・・・・・ 

途中でピッチャー頼んだのですがね~

まあなんだかんだと一日の話などしながら食事は終了、そして始まったポリネシアンダンス。

 

でもなんか、演出が今ひとつ、滝を演出した大きなセット全体をつかっての演出ですが残念な事に今ひとつ、更に言うなら踊りのレベルが低すぎでしょ・・・・

ショーが終わって、さて帰ろうかと思ってプールサイドを歩いていたところ、バーのすぐ横でカントリーソングを歌い出した二人組がいる。

カントリー大好きな僕は思わず家族をひっぱってそこへ吸い寄せられてしまいました。

数曲歌い、ただの演奏だとおもっていたのですが、途中からカーボーイスタイルの女の子と男の子が現われてダンスを始めた。

やがて、観客参加型の演出に変わり、どんどんお客さんを引きずり込んで、みんなでカントリーダンス。

さすがにアルコール飲んでいた僕はついていけず途中から千鳥状態、このまま数曲参加の全員が踊らされたのですね。

一番初めに引っ張り出された娘

 

これが結構楽しいのですね、なんていうか昔のフォークダンスというか(笑)

次にゲームをやり、

帽子ゲームのファイナルで残った人たち

 

再び踊って、さいごは6人のダンサーによる素晴らしい踊りを見せていただき終了しました。

正直ポリネシアンダンスよりこちらの方が圧倒的にたのしかった。

ホテルに着いたのは夜の11時近く、まあまあの一日でした。

 

 


グアム旅行 2日目

2010年11月30日 | 旅行等

朝7時に起床、今日は昨日の睡眠不足を全員がひきずっているだろう、ということで、買い物と近場の観光。

シャトルバスでタモン市内ホテルに移動すると、さっそく手配していたレンタカー会社に行きます。

今回借りたのは日本レンタカー、理由は至極簡単。

価格及びサービスが他のところより一番良いからで、ほかには激安ではあるものの怪しい評判のたっているレンタカーもあるようで、後に面倒が起きるのが嫌な自分はもちろん信頼性の高いところを選びます。

手続きは30分ほどで終了、まずは自分が運転して最初の目的地に向かいますが、その前に腹ごしらえとばかりに、KING BURGERへ向かいます。

日本と違い、アメリカではマクドナルドは安かろう不味かろうで、比較的美味しいのはこのキングバーガー、ただし出てくる量はアメリカンサイズ。

ビッグマックの倍はあろうかという大きさにポテトとLサイズのコーラが付いて5ドルから7ドルくらい。

当然、薄いバーガーパティ一枚にこれまた薄いピクルス数枚にケチャップなんていうちゃちな中身ではない。

みんな「え~????」というか、驚きながらの食事だけれど、慣れている家内と僕には普通のこと。

満腹になったところで、息子カップルがDFSへ行きたいというので、大人しくお付きあい、

ここで約2時間を消費。

全くブランドに興味がない僕には正直針のむしろ状態ですが、自分一人で旅しているわけではないので、ここは我慢。

そのあと、本来なら昼食となるのですが、みんな先ほどのでかいキングバーガーで満腹らしく、だれも言い出さないので、そのまま車で観光に移ります。

 

まずは恋人岬。

 

グアムの美しい伝説の残るところで、息子とその彼女も伝説の二人のように一生仲良くしてもらいたいものです。

しかし・・・・「以前こんな展望台あったかな?」というのが出来ていて、当然ですが有料。

ばからしいので家内と僕は入りませんでしたが、子供達は行きました。

そのあいだ二人で、何をしていたかというなら、海外の観光地ならどこにでも現われる露店をウロウロ。

さて、運転手交代で息子がハンドルを握り、アンダーセン空軍基地を見に行こうか?なんて考えて、たしか以前は見えたよな~とおぼろげながらその場所を思い出すけれど、ハッキリと分らない。

北半分を周遊する道路をひた走るけど、れれれ?なんかおかしい。

はい! しっかり逆回りにまわっていました。

おまけにねずみ取りまでやっていて、数台後ろの車はつかまっていました。

道が分らなくなるので、一度もどり、再度出直すも又変、今度はそのまま逆方法に回って恋人岬まで戻りましたが、基地は見えないし、ゲートが見えただけ。

なんか変だな~とだんだん僕も息子も不機嫌に、その傍らB52が空を飛んでいる・・・

ところが道に迷った原因は簡単なことで、3号線に入るための標識が無い上に、地図上の分岐点が実際と異なっていたのが原因でした。

それでも一応は回りましたが、基地が見えないし、「おかしい~な~ 」と思うも、もしかすると・・・・リンティデアン岬に行ったときかな?」なんて思いだしてくる。

20年前の記憶だからどうも明確ではないのが悔しいところ、岬に行くときに有ったんだよな~とだんだん不明確な記憶が出てくるが、レンタカー会社のひとからくれぐれもそこには行くなと言われており(路面が非常に悪くパンクが多いらしい)、禁止されているのに無理をしてもと考え、辞めました。

この岬は星砂があり、おそらくはグアムで一番美しいところといわれ(ただし海流の流れが速い)ています。

意味もなく北半分を二周してしまったので、今度は南へ下り、 アサン海岸の太平洋戦争国立歴史公園に向かいます。

ここは第二次大戦時に米軍が上陸したところで、迎え撃つ日本軍との間で激しい戦闘がおこなわれたところです。

   

歩いて周りましたが、美しくしい公園で、暖かで強い南風が静かに流れるなんともいえない公園でした。

参考 http://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki0/guam/guam.html

さて次は、ピテイガン

 

対戦時に日本軍が設置した砲台跡ですが、何とも場所がわかりずらいところにあり。

現地の人に聞いて(やたら元気で親切でした)やっとたどり着いた感じ、ジャングル中に設けられた階段を5分ほど上ると、静かにたたずむ144mm砲がありました。

ここで意外だったのは息子の彼女、どんどん上がっていく僕のすぐ後ろをすたすたと付いてきて、反対に家内と娘はだいぶ遅れて到着、息子に至っては来なかった?

「は~?」 と理由を聞くと、なんでも降ろしたばかりのブランド物新品スニーカーを履いてきてしまったらしく、ぬかるんだ道をみてひるんだとか?

「なんじゃそりゃ?」と思うが、とりあえず記念撮影。

砲は3門あり、全部見て歩きたいと思う心を邪魔したのが蚊の軍団。

あれよあれよと集まってきて、まともに見ていられる状況ではなくなってしまった。

追われる様に下ると、みんなでかゆいかゆいと連発、ジャングルですからねー

しかし、こんなところで日本の兵隊達は戦っていたのかと思うと、彼らの祖国への心というものを強く感じます。

 

さて、次は海軍基地横に有る資料館。

建物前には旧日本軍の使用していた潜水艦が正面に展示されており、中に有る資料館を見て歩きます、 38式歩兵銃や写真等展示されてました。

昔はこの海軍基地内を回るツアーなどが有ったようですが、現在行われているのかは不明。

ちなみに施設内の案内をしている米兵に詳しく訪ねたが、知らないようでした。

さてこの時点ですでに4時半近く、僕としてはもっと見て歩きたかったのですが、ミクロネシアンモールを見たいというリクエストが僕以外の全員よりあり、渋々タモンまで折り返しました。

そして最悪の夕飯、プラネットハリウッドでの食事。

 

その後は何となく全員が不機嫌な感じでホテルまで戻りました。

 

 


グアム旅行 1日目

2010年11月29日 | 旅行等

子供が大きくなり家計に余裕が無くなると、どうしても旅行というのは無くなりがちで、多分に漏れず家も同じ。

特に海外となればかかる金額も笑って済ませられる物ではないので、この10年ばかりは全く行ってなかった。

しかし、息子が就職し、家内がこつこつお金を貯めていてくれたおかげで、グアムくらいならなんとかなりそうだ、ということで久々の海外旅行になった。

しかし、夏休みや正月は同じ旅行でも値上がりするのが常識だしバカ高くなるので、そんなときに行けるわけ無いし、となれば一番客数がへってツアーが安くなるこの時期意外にはない。

そんでもって学校休むのを嫌がる娘を無理やりごり押しで休ませ、旅行にいってしまおうという、いかにも家らしいやり方でもある。

今回の日程は月曜日から日曜日までの6泊7日、当然一番格安でなんにも付いていない激安ツアー。

出発は夜の9時近くだし、現地を出るのも真夜中。

そうでなきゃ家が行けるはずないが、当然にぎやかなタモン近辺に泊まれるはずはない。

ただし、これまた家の事なので当然レンタカーを使うので何ら問題はない。

 

さて今日は出発日、 昼間まで仕事していた息子の帰宅を待って家を出たのは1時過ぎ。

のんびりと首都高をぬけて成田まで一直線、駐車場サービスUSA(ここが一番無難です)に1週間約3500円で車をあずけて送迎バスで空港へ。

季節がら、やはりというか、空港内はやたら閑散としていて、ピークシーズンのような賑やかさは無い。

道路渋滞だなんだで、駐車場に着くのが4時過ぎていたのですが、受け付け開始までまだ時間はある、当然ブラブラするがトランクが邪魔。

その後カウンターのオープン時間となり荷物を預ければ一安心、飛行機に乗るまでの時間を再度空港内売店何かを見て歩き、残りの時間を食事にあてます。

お腹が空いたとの声が上がり、食事はターミナルビル5階のパスタレストランに入った。

到着後の予定などを話しながらの楽しい食事。 余談ですが、このパスタレストラン非常に美味しく、お勧めです。

http://www.narita-airport.jp/jp/shops/rest_shop/rest/floor_list/detail/t1cb05_t0000g.html

 

さて、時間になり飛行機へ搭乗、後はグアムまで一直線。

普段寝るのが早い僕は、先ほど飲んだアルコールがすっかり効いてしまい、殆ど寝て過ごすことになりましたが、家族の話では夕飯が機内で出たとかで・・・・・  夕飯食べちゃったのに、と笑ってましたが。

現地の空港に到着したのは日付の変わった後、日本との時差1時間、雨期と乾期の入れ替わり時期なのでスコールがやたらと有る。

むっとした空気のなかで案内人ががフォードバンでお迎え、ここから約30分で山上のホテルに到着となる。

ホテルは家族5人なので、センタードアが開く部屋を二つ借りたのだけど、思った以上に広く、衛生的で綺麗、一番肝心な設備関係トラブルもなくてよいところだ。

山の上で他に空を邪魔する物がないので、バカみたいに天の川ほか星が綺麗に見えるのが良かった。

へたにタモン地区を希望してウサギ小屋だったりシャワーもまともに出ないところをもらうよりは遥かに良い。

これでキッチンが付いていれば完璧なんだけど・・・・

適当に荷物を整理し、今日はみんな早々の就寝でした。

 

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スパリゾートハワイアン その2

2010年10月17日 | 旅行等

朝目を覚ますと、外は晴れ。  れれ? 雨と予報では言っていたような・・・・

まあ、雨が降るより良いですから文句は有りませんが(笑)。

まだ時間は7時、昨晩早く寝た娘は、もそもそ起きて賑やかですが、それ以外は爆眠状態。

なぜか目がさえてしまった僕は暇、そこでボウルにホットケーキにミルクと卵入れ、娘と話をしながらコネコネ。

車のキッチンで薄くて小さめのホットケーキをたくさん焼き、同時にカリカリのベーコンも焼いていきます。

高校生になって娘とゆっくり話す時間は減りましたから、こうした時間は貴重で大切にします。

途中で起きてきた家内と朝食準備を交代すると、9時頃にみんなを起こしてゆっくり朝食。

コーヒーを飲みながらスローな時間が流れます、ホテルや民宿とは違う意味の時間というのがキャンピングカーには有るのですね。

さて、あんまりゆっくりも出来ませんので、10時には準備して、送迎バスで再びスパリゾートハワイアンに入ります。

昨日面白かったスライダーから始まり、流れるプールで漂流?したり、亀と浦島太郎やっておぼれそうになったりしている間に時間は経過。

食事とショーのメニューが詰まっているので、12時には本当の?浴場(洗い場)へと移動し、ゆったりと暖まります。

なんとなく遊び疲れが見えて来たのか多少眠くなりますが、予約しておいたお弁当を個室で食べ、午後の1時半からお昼のショーを見学に行きます。

失敗したのは、施設内の温度が高すぎて、水着なら丁度良くてもGパンにTシャツじゃ暑すぎること、見ている間に再び汗だくになってしまった(笑)。 

このお昼のショーですが、正直に感想を述べるなら、夜の方が断然良く、昨晩と同じ物を期待して有料席を予約していた僕らは多少がっくり。

まあ、夜のショーが素晴らしいのは、その時間まで出来る限りお客さんを引き留めておくという意味合いもあるのだと思いますが、照明を効果的に使えるし、昼とは異なってプール騒音なども無くなる事、ホテルなどに泊まっているお客さんがこのショーを目当てに見に来る?という事が相乗しているのだと思います。


さて、いつまでも遊んではいられませんから午後3時半には帰途につきますが、
途中で夕飯を食べるためにインターをでて実家へと向かいます。
立ち寄ることはあらかじめ連絡をしておきました。

張り切って夕飯を準備してくれた両親に感謝しながらみんなで美味しく頂きましたが、子供達も大きくなるにつれて一堂に会して集まる機会が減ってますから、こうしたわずかなチャンスでも親元へ家族を連れて行くようにしています。

しかし・・・、僕だけだと適当な夕飯なのに、孫達が来ると途端に頑張り始める母親と親父。
惚け防止、若さキープ、年をとるとこうした事が嬉しい物なのだと聞くことはありますが、親の姿をみていると本当にそういう物なのだと思います。

自分が年取ったら同じ事が出来るだろうか? なんて思ったりもしますが面倒くさがり屋な面もある僕だからな~ 








スパリゾートハワイアン

2010年10月16日 | 旅行等
なんちゅ~処へ行ってきました。

以前ウインドサーフィンレースで優勝した娘が、商品として頂いた旅行券を使っての小旅行ですが、当然旅館やホテルなんぞという高級な処とは無縁の我が家のことですから、当然宿泊はキャンピングカー。

ただ、今回は息子のフィアンセ混ぜて5人の為、広く寝たい事からキャンピングカーを二台とも出しました。

実はここ、自分が幼い頃に一度行ったことがあり、といっても年齢が3歳くらいのころですから、
思い出は幼い自分が写っている写真一枚と、何かの理由で親父にこっぴどく叱られた物しかない。 

そういえば僕の家族旅行の思い出って、なぜか親父に叱られている記憶しか無いんですよねな~  これが    あはは

空いた高速道路を北へとひた走りますが、家を出たのが遅かったこともあって、到着したのは午後4時。

それから水着に着替えてプール、スライダーなんぞ楽しみ、続けざまにあちらこちらにあるスパ巡り。

スライダーは二人乗りのやつがスリル満点で、ただ、でかい浮き輪持って階段を何度も上がるのが面倒。

次は水着で入れるお風呂へと移動しますが、一番よかったのはジャグジーやメロディ風呂などある露天。
これで空が晴れ渡っていたら最高なんだけど・・・・ 

そんなこんなですぐに時間は流れ、腹はへり、そんじゃ~とロコモコ何ぞをみんなで食べましたが、味の方はガーリックがおすすめです。

そして見物は、なんといっても夜のフラダンスショーですが、これが意外に良く、まあ映画フラガールで取り上げられているほど有名なのです。 

確かに売りでもありますから、綺麗だし華々しい、近隣のホテルからお客さんがそれを実に戻ってくるのか、施設にいるのか、食事している時にはガラガラだった観覧席が途中から立ち見客であふれるほどの満員御礼。

ショーの方はほぼ一時間、しっかりと楽しませていただきました。

夜10時には駐車場へ戻り、最後は一台のキャンピングカーにみんな集まって(といっても未成年の娘は疲れて別の車で早々の就寝)、僕と家内、息子とそのフィアンセの4人で盛り上がってしまいました。 

ちなみに、常識的な事ですが、駐車場でこうした宿泊の際に騒ぐは御法度であり、あくまでも車内で静かに過ごします。
ちなみに、停泊の件はあらかじめ施設に許可を頂き、大きな駐車場の一番奥をつかわせて頂きました。

最後に、照明設備消灯の連絡の為だけに、パトカーでわざわざ来てくれた警備員さんには本当に感謝しています。







鉢形城趾公園

2010年05月02日 | 旅行等
 

ゴールデンウィークということで、と言っても日本の祭日と全く無関係である僕は今週末くらいしか期間中の休みがありません。
 連休なんて羨ましい・・・・」なんて指くわえて見ているのもどうかと思うので、近くにある鉢形城跡公園を見に行ってきました。
 遠出もしたかったのですが、この期間恒例の大渋滞に巻き込まれたくもないし、毎回々海ばかりじゃ~いい加減あきる。
 

この鉢形城は日本名城100選の一つで、埼玉県は寄居町にあり、天然の要害を巧みに利用した城。
北条氏邦がまもり、豊臣の軍勢約3万との戦いで有名な城でもある。
 現在遺跡の発掘は終わり、資料館が整備され、二の丸三の丸は美しいレンゲの花さく美しいグリーンの非常にきれいな公園にもなっている。


 朝からおにぎり弁当を用意して、当然渋滞の関越道をさけながら下の道をとっとこはしると10頃には到着。
まず資料館へと足を進めるけれど、200円払って正直中身は???? (ーー;)という感じ。

そのあと二の丸、三の丸、虎門、そして今度は本丸後と搦め手、そして白の外郭を川沿いにぐるっとまわって再度二の丸にいって昼食の予定。
よく保存された遺構に戦国武者達の思いを重ね合わせつつ歩きますが、でかいリュックに弁当と水筒、カメラやタオル、
ツール類など入れたリュックは10kg位はあっていい運動になる。
 家内はてぶらで弁当食べることばかり考えているらしく(笑) (^^)
 ゆっくり見ようという気もないみたい (^^;)はは
 

それでもほぼ二時間半近く歩きっぱなし、最後はきれいなグリーンの上に弁当広げてつかの間の時間を楽しむ僕と家内でした。


美人の湯

2009年11月08日 | 旅行等
昨晩酔っ払いすぎて何時に寝たか分からないまま、朝4時には目が覚めてしまいました。

しかし車内激冷えで、すぐにFF暖房装置を起動。

暖かくなるまでしばらくウトウトし、5時ころにはパンとインスタントラーメンで朝食です。

普段の生活がそのまま再現されているのがすごいというか (^^)

家内と娘はホテルで御馳走食っただろうか?、なんて思いますが、女性の団体に加わって過ごす事なぞ考えたくもないので、

気楽なこちらのほうが自分には合っている。

「さて」と今日の朝はデスノート前半から開始、続けざまに後編をみます。

昨日の「おくりびと」は本当に感動ものでしたが、デスノートは完全な娯楽大作。

ヒットするだけあってなかなか面白い、「ほほう!」、 「ふむふむ!」、「お!」なんて思いつつ鑑賞。

全体的に面白いストーリーでしたが、あちらこちらに存在する矛盾点が目に付いてしまったのが残念でした。

その後は雑誌なんか読み、一休みして再びアナコンダ3を見始めましたが、

「げ!つまらん!」 (--;)おおお・・・・・

はじめは我慢していましたが、途中からどうでもよくなり、ふと時計をみると10時。

そういえばこのあたりに日帰り入浴できる”美人の湯”ってあったよな・・・、と思い出す。

ネットで月岡温泉を調べていたら偶々出てきたので記憶に残っていたのですね。

http://www.geocities.jp/oyu_web/t509.html

DVDを途中でやめ、さっそくタオル片手に街中をぷらぷら散策しながら向かいます。

この立ち寄り温泉ですが、硫黄泉で水の色が緑色。

例えるならバスクリンみたいな色で、入浴後いつまでも温泉の香りが体に残り、とてもよい温泉です。

月岡温泉はこの良質な温泉をもとに成り立つ温泉町ですが、いたるところに立つホテルや旅館は、

バブルのころに「さぞ華やかであっただろう」という雰囲気を感じさせてしまいます。

町中にいくつもある有名な月岡饅頭屋の噴き出す蒸気は非常に特徴的ですが、いかんせん今日は気温が高いせいか今一つ。

11月半ば近くだというのにTシャツ一枚で歩ける暖かさですからね~



アッシー(死語?)君

2009年11月07日 | 旅行等
今日から明日まで、一団を乗せて新潟は月岡温泉まで移動します。

というのは、娘が幼いころより習っているメキシコ民族舞踊の大家が直々に手ほどきしてくれるとかで、まあ年に一度日本のあちらこちらから人が集まってホテルで練習するのです。

娘と家内もそれに参加というわけで、僕はアッシー君として昨年使われています。

今年は娘の属している団体が大きな車をだすとかで、お役御免ということだったのですが、直前になって当てにしていた車が手配できなったそうで、そうなると僕に白羽の矢が立ちます。

(--;)はは・・・・ ←「ヒュン!」

昨年は家族だけだったので軽自動車の移動でしたが、今回はキャンピングカーで全員乗せての移動、

自分合わせて10人が乗れ、おまけに衣装入れたでかいトランクその他を載せてまだ平然と余裕があるキャンピングカーを持っているとなれば、視線がこちらに来るもの当然と言えばそうですが・・・、

まあ僕も特に予定が無かった事から引き受けました。

さて、朝7時に集合し、リアのヒッチキャリアにトランクを4個積載、まだあと3、4個は載せられるのですが、社外なので傷つくのが嫌な人は車の中へ。

出発してすぐさま思うのが、車内の賑やかこと・・・・ (^^;)ははは

まあ女性のこうした特徴はいつの時代でもそうなのでしょうが、お茶とお菓子とおしゃべりが現地までの約5時間、一度もとぎれることが有りませんでした。

さて、ホテルでみんなを降ろすと、そのあとは自分の自由時間。

昨年は軽自動車だったのであちらこちらを観光してそのあとビジネスホテルに泊まりましたが、今回は辺りを昨年に全部見て歩いているのと、

家(キャンピングカー)そのものを移動してきているので、以前から見たくて見れなかった映画を見てのんびりと過ごすことに決めていました。

不謹慎ですが、2時頃からつまみ片手に飲み始め、借りてきたDVDを見始めましたが、昨年「ん?」、今年?のヒット映画「おくりびと」は本当に良かったです。

夕飯は途中に有ったでかい食品店、ベイシアでウニ満載丼をうっていたので、それを食べましたが、値段の割にはあまりおいしくなかった。

冷蔵庫で冷やしていたのがいけなかったのか? 電子レンジで温めて食えばよかったな~







岡崎城

2009年03月30日 | 旅行等

娘を合宿へ送った帰り、丁度帰路途中にある岡崎城を見物しました。

後ろにトレーラーを牽引しているので駐車料金はやはりバス料金。

ただ、公営であるためにやたら高いというほどでもなかったので停めさせてもらいました。

入ったはいいがトレーラの切り返しに苦労しているのをみた係りの人、特別扱い?で一番良いところに誘導してくれまして、こちらとしてはとても感謝です。

さて、入って早々に家内が向かったのは名物の味噌田楽。

味のほうですが美味いというか? 濃い目の味噌ソース?をかけたコンニャクというほうが正確というか(笑)。

さて、岡崎城ですが、丁度桜の花が7部咲きくらいでとても綺麗。

そんな中でまず向かったのは資料館。

徳川家の歴史にまつわる資料資料などが展示されてましたが、実のところ僕は徳川家康という人物が好きでない事もあって今ひとつ。

ただ、武田家と家康にまつわる不思議な関係はテレビ番組じゃありませんが、家康が信玄の息子の一人であっただろうという僕の思いは膨らむばかりなわけですが、

そうした根拠となる歴史上の逸話は三方原の戦いからはじまって多々あり、ここでその根拠と出来事、理由等を逐一説明していると際限ないのでよしますが、一つだけ例をあげるとするなら、家康がやたらと固執した血筋、すなわち源氏のながれそのものは本来の徳川家とは何ら関係なく、徳川家は単なる多少大きめな豪族程度の存在でしかなかったわけです。

さらに家康そのもの出身という面における明確性においてはじつのところこの資料館でさえもうやむやにしていて、こうした豪族が力を得るための後ろ盾としては苦渋を飲まされている近隣(今川等)ではない、少し離れて当時直接敵対することのなかった名門武田家の血が入った人間を国主にしようとすることが近隣との関係(国策?)という面ではとしては非常に重要なわけです。

しかし当時の世の中は戦国時代、その流れの中で出世の秘密というものはあやふやにされねばならなかったわけですが(ただし本人は知っていたはずです)、当然のことながら今川に人質として組み込まれた以上は武田の血を引く等とはけして言葉にする事かないませんから、彼がこうした諸本の拘束から逃れる頃になれば自分がその血筋であったという事を求めるは極自然なことであり、しかしながら別の側面として大国になればなるほどそうした事を口にする事ははばかれなくなるのは今も昔も変わらない現実なのですね。

そうした一つの流れが、その家康が膨大な財を投げ打って源氏の血筋を購入する形をとり、さらにそれそのものは彼がけして口にする事が許されなかった武田の甲斐源氏と同一の源流そのものであった。

父の遺産?でもある甲州統治を命がけで信長から譲り受け、敵対し滅ぼした(本来は憎むだけの相手)はずの武田勝頼最後の地である天目算で当時としては信じられないほど壮大な再葬儀を行い、おまけに定期的な慰霊行事を行うために同じく膨大な建設費をはたいて寺を建立、伝統と歴史のある(戦すると必ず負ける)三河流兵法指南を国から叩き出し騎馬突撃を中心にした(井伊直正等)甲州流に全て改めた、彼が歩んだ数奇な人生の裏にあったこうした別の部分を考えると、信長亡き後の家康のとった行動にある数々の謎というものが全てつながってくるわけです。

さて、そんな家康の資料館をテクテク見て歩いたわけですが、歴史の事になると、とんと疎い家内はどんどん先に行ってしまいます。

もっともすでに時刻は4時半、あまりゆっくりもしていられないので、すぐに岡崎城へと向かいます。

この城自体は当時のものが残っているはずはなく、再建築されたものですが、

まあこんな風に建っていたのだというイメージ的なものは良く分かります(笑)

城の中も資料の展示があり、つらつら見て歩きますが、僕自身は展示されている刀や甲冑、槍などというものより、基礎を構成している苔むした石垣や、空堀、水堀等を見るほうが好きで、なぜならそうした地味な部分に当時の技術力や防禦に対する考え方などがたくさん詰め込まれているからなのですね。

10万石といわれた岡崎城ですが、ほぼ同程度の石高である上田城(真田家)とはだいぶ異なり、地味ながら完全に大群と戦うに有利なように城下町まで戦略都市として造られている上田城とは大きくことなり、「これで敵勢から防禦できるの?」というのが僕の本音。

実際問題、防御性は低く、どちらかというと関所みたいな意味合いのほうが強かったのではないかと思っています。

さて約2時間ばかりの岡崎城めぐりでしたが、いくつも敷地内に余計なものがありました。

一つは花時計、違和感感じる銅像、電話ボックス、そして仕掛け時計。

見ているのは面白くてよいのですが、なんかこうした発想ってどうなんでしょうかね?

(^^)

 

 

 


天神山城

2008年11月09日 | 旅行等

翌日8時にビジネスホテルを出ると、今日の目的地である、天神山城へと向かいます。

とちゅうでウインドの出来る浜の横を通りつつ、昨日の風で荒れている海面をみて自分の技量じゃこりゃ死ぬなーなんて思ったりします。

のんびりと海沿いを抜け、だんだん山へ近づきますが、どうしても天神山城がわからない・・・

困ったなと思っていたら、温泉に案内がありますと書いてあり、早速そこへ入ると、その温泉施設の後ろの山がそうでした。

この天神山城は天然の地形を利用した城で、御館の乱で勝利した直江兼次の弟がこの城に入り、ここを支城とし、後に景勝の会津転封の際に廃城となったものです。

車では途中までしかいけないために、歩きますが標高は290mあり、おまけに城に使われていただけあって起伏が激しく、二人で息をつかせながらの登山。

物見台で一休みして、そのあとなぜか山頂近くに水の湧き出る(春日山城と同じです)ひょうたん池をみて、武者黙り、最後に天守台跡へと上ります。

さすがに景色もよく、すばらしい眺めでしたが、なんか雨が降りそう・・・

15分ほどやすんで早々に下山しました。

下へと降りてくると時間はお昼、どう考えても娘の迎えの時間が迫るためにもう一箇所というわけにはいかず、途中で道の駅に入り土産(自分達の)の日本酒なんぞを買いました。

あとはみんなを乗せて東京を目指しますが、人に全部運転させて横で思いっきり寝ているんだよね~これが・・・ (^^;)


その2

2008年11月08日 | 旅行等

 

家内と娘を下ろすと、夕方まで暇なのが僕、そこで早速向かったのは新発田城、

新発田重家が豊臣秀吉の後ろ盾を得た上杉景勝(直江謙次軍師)との戦(新発田重家乱1587年)で落城した城です。

上杉が会津に転封された後、堀口秀勝(甲斐源氏の流れ)が入り、その後代々続いたすばらしい政治のおかげで6万石から約19万石までに成長し、

奇跡とまでいわれた国を作っています。

なぜこうした豊かな国になれたかという理由があり、まず政をしていた代々の国主及びその下々が無駄使いを排して倹約につとめたということ。

次に当時はどこもやっていなかった学校制度を早々に設立、授業代は教科書の紙代だけしかとらずに出来る限り多くの子供達に高度教育をおこなっていたこと(当時では珍しい医学校に当たる物も当然に設立しています)。

政治は治水と田畑の開拓開墾を基本とし、そのために国主自らが動きそれをみた民衆が一丸となって取り組んだ。

年配をを大切にし、真面目に働いたものを正しく評価して褒章をふんだんに遣わし、勤勉に働けば豊かになれることを保障していた。

年貢の基本となる畑の単位基準を独特の物を持ちいることで、年貢を納めても十分に農民達の手元に残る計らいをしていた。

他にもありますが、簡単にまとめると、民を豊かにする事が国を豊かにする事という考え方の基にこの国はあったわけです。

国民がやる気の出ない国では、誰も働きたくはありません。

上のものは無駄使い?をしまくり膨れ上がり続ける借金財政、お金のあるものだけがふんだんに受けられる教育(医科大学含む)、真面目に働くものが馬鹿にされ、マネーゲームをうまくやると賞賛される経済。

年寄りを粗末にし、弱者を踏みつけにして、自由教育の名のもとに自虐の歴史を植え付け、人格育成より偏差値ばかり優先の教育。

この国と同じ国土の我が国、どこに違いがあるか? このブログを読んでくれている皆さんにはお分かりかと思います。

さて、新発田城は明治の廃城政策で壊されてしまいましたが、現在復元されています。

丹念に積み上げられた一つ一つの石垣を手で触りながら、繰り返される人の世と歴史の流れを感じ取りつつ、思いをめぐらせる。

自分の好きな時間の一つです。

約1時間ほど散策しましたが、そのあと家内だけ迎えにいって(娘は高級ホテルの伯です)宿泊予定地の新潟市へと向かいました。


新潟までアッシー君だぜ!

2008年11月08日 | 旅行等

若い男の子が下心みえみえでアッシー君(死語なの?)をやる事はあります

が、僕もきゃぴきゃぴの娘(といっても家の子ですが)を乗せて新潟まで送り迎えさせられてしまいました。

なんでも日本で数人しかいないメキシコ民族舞踊の先生が新潟で教えるとかで、あさ3時起き4時には高速にのって新潟まで足をのばしたわけです。

家内だけだと居眠り運転しそうだから・・・というのが無理やり引っりだされた理由で、とても大人しい私はハイハイとアッシー君。

丁度来年の大河ドラマがかの直江兼次でして、といっても彼は魚沼郡の出で、活躍は春日山城と米沢で今回の行き先とは方向違い。

まあ、それでも新潟市近辺に何かしら有るだろうという下心に任せてハンドルを握って約5時間。

とりあえず、巻潟東でおりて、いつもの事ながらただの移動を嫌う僕は白根の大凧合戦資料館へと向かいます。

http://www.city.niigata.jp/info/minami/ootako/index.html

なんか地味な雰囲気で、一瞬入るのをやめようかと思ったものの、なぜか思い直して中へと入ると「おおー!」と結構すごい、紹介映画を見ると、大凧合戦の意味が始めて解り、

しかし予想に反してこれが面白いのなんの、来年はぜひ合戦場へ見に行きたいとみんなで大盛り上がり。

一階を見終わると世界中の凧を展示してある展示室をあ~だ、こ~だと話しながら二階へ、するとなぜか凧を作ることに話がなっていまして、やりたいとは娘、

自分の子供の頃にあげていた凧、が目の前で出来あがっていきます。

多少不器用に造る娘の姿に思わず口を出しそうになりますが、ここは我慢、

凧が完成するとすぐに隣にある風洞実験室であげますが、よく上がること。

凧つくりを教えてくれたおじいさんと話が盛り上がり、本当はもう少しいたかったのですが、時間が無いためにお礼をいって次の目的地へと移動します。

次は白鳥の飛来地で有名な瓢湖

http://kadoyasan.com/swan.html

丁度お昼だったために、家内の手作りお弁当を車の中で食べて見に行きましたが、ただ見るだけに飽き足らず、必ず餌をやらねばならないと思っている家内と娘は大喜びで餌売り場へ直行。

白鳥の数はまだ思ったほど多くなく、それより鴨がやたらと多くて、投げる餌を巡って繰り返される白鳥と鴨の餌争奪戦が結構おもしろい、「こりゃすげーなー」と思っていると、

なんと掟破り?の大技を出したのが鴨。

水から出て愛嬌を振りまきながら平然と人のいるところまで来るので、幼い子供がせっせとエサをあげ、それを独占しています。

うぬぬ、ひきような (ーー;)

 

とひとしきりふれあいを楽しむと、いよいよ時間にせまられ、再出発、予定時刻の10分前に集合場所へつきました。


17日

2008年08月17日 | 旅行等

目が覚めると、いつものようにご飯と味噌汁、納豆で朝を済ませます。

今日は最終日、残された時間は午前中だけですから、再び海水浴に決めました。

時間は少し早いですが、二日前に行ったところに再び行くことに決め、早めに移動します。

 

今日から天候が崩れるという予報でしたが、いたって快晴。

前と同じく、でも今度は忘れ物をしないように海岸へとおりました。

二人で浮き輪を借りてぷかぷか、しばらくして潮が引いてくるころになんとなく雲が出始め、やっぱりという感じ。

そんならというわけで、ビーチ横にある岩場までペットボトルと割り箸をもっていき二人でカニ捕り開始。

取ったかには昼ごはんの一部にしようというわけで、そうなると結構真剣になるものでして、岩場の隙間にいるカニを割り箸を使って捕りますが、コツは退路を塞ぐ事。

カニさんとの知恵比べですが、子供のころに遊んだ記憶はいまだ失われておらず、こうした一瞬に新鮮な記憶としてよみがえってくるのがとても不思議です。

ちなみにサザエやあわびなど海産物として指定されているものを勝手に取ると犯罪になります。

味噌汁の出汁で昼をたのしもうというわけですが、家内と2人で無邪気に(ムキに)なって捕獲。

小さいのはとりませんから、5センチ以上ある大きなのを5匹ほど捕まえ、「カニ汁だなー」とペットボトルにはいったのをぶら下げて浜へ戻る途中。

小学校低学年の男の子二人と、抱っこされた女の子の3人子連れの家族がいまして、同じようにカニ採りしています、しかしどうもうまくとれない(おそらくお父さんに経験が無いのだと思います)ようで、うらやましそうにペットボトルを見ている子供の顔をみると、息子の幼い頃によく連れて行ったキャンプで色々な生き物の捕り方などを教えていた時を思い出してしまい。

思わず可愛くなってしまい、「ほれ!」とせっかくとったのを全部その家族にあげてしまいました。

「あ~あ、カ二汁がね~!」と笑う家内は少しだけ惜しそうな顔をしていましたが、僕にとってはカニをもらった子達が、わずかでも生物に触れられればそちらのほうが僕は嬉しいわけです。

磯から戻るとパラソルを撤収し、とうとう帰路に着くことにしました。

伊豆スカイラインを帰りも使いますから、東海岸の国道を伊東方面に向かって走る途中、あれほどきれいだった海が荒れて色が変化しているのを見るにつけ、自然の表情がもつ豊かさを教えられます。

「最後に温泉でもはいろうか?」と家内と相談、XXXの少し奥まったところにある、温泉へ行きましたが。

これが思いの外大当たりで、お客さんは先に入っていた家族を除いて僕と家内だけ、広い湯船にゆったりと入れます。

何でもこのあたりはここが一番安いらしく、でも見た目が変な建物なので外部の観光客からは敬遠されているいわゆる穴場?

もうすこし外観を工夫したらどうかと思うのですが、あまり無駄なことをいうのもいかがなものかと・・・・黙っていました。

ネットは情報が早く、場所など話すと混むの可能性があり、それが嫌なのであえて場所と名前は書きませんが花に関係あるとだけ書いておきます。、

温泉を出て伊豆スカイラインへ入りましたが、箱根の山を降りるまでひたすら霧の中を走るほどの状態で、50m先も見えない視界のなかをのろのろ走行。

こちらは目をカット見開いて家内は完全に目をつぶって隣で爆睡しています。

「女はいいよなー」と思いつつ、土砂降りの厚木インターを降りて、雨の降りしきる国道129号線で帰宅をいそぐ僕でした。

終わり