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帆∞翼(セイル バイ ウイング) -太陽そして風と供に- 

海・南風・そして何より”真夏の太陽”が大好きな翔です。

「よろしく!」  

16日その3

2008年08月16日 | 旅行等

ふと「言いたい事は分からなくもありませんが、乗ってしまえば普通の船でしかなく、凝った外観は関係なくなるわけですが、しっかりと写真とっている自分もそこにいたりして。

 それでもまだ「田舎趣味だよなー」とか言いつつ、乗って喜んでいる自分もいたりして。

やがて船は発信窓からみえる景色をたのしみつつ下田湾を一周するわけですが、途中で「かもめ(ウミネコ)タイムー!」というわけで、単純な僕と家内と自分はよろこんで餌を購入、ほんとうに単純な夫婦です。

どんどんと餌をあげていると、途中からトンビが参加。

一応猛禽類ですから、捕獲動作は毒蛇と闘っているみたいですが、あいては海面に浮かぶただのカッパえびせんでして・・・

(^^;)なさけない

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ウミネコ乱舞のなかにトンビが混ざって「あー下田」とわけの分からないことをかんがえたりしている間に桟橋へ到着しました。

まだ時間が早いために、それじゃ温泉でも行くかと案内所に再び足を運び、どこか良いところはありませんか?(とにかく安くて、きれいで、雰囲気のよいところ)と聞くと、1500円くらいからありますと言われ、「いや高いです」と返答。

再び1000円のところを紹介してくれ、「いやいやまだ高いです」と即答、

なんか無理難題を押し付けているみたいですが、結局「河津に有る踊り子温泉はどうですか?」とのことでそこに決定。

「それじゃいくべ」とくるまに乗りエンジンをかけて出発、でも後で考えると、移動に要したガソリンを温泉代にプラスすると、下田で1500円風呂にはいるのと変わりないわけですが、そのときは何にも考えてませんでした。

さて踊り子温泉ですが、公営でとても衛生的、ひろくてなかなかよいところでした、

 温泉をでると、アオキという洋服屋みたいな名前の紛らわしいスーパーの駐車場へ車をいれ、今夜の夕飯を考えます。

たまには僕が作ろうかということで、持ってきた食材にチキンがあることからそれを使った料理にしました。

1時間ほどで道の駅下田に到着、すっかり夕暮れとなり、涼しい風がと言いたいところですが、なぜか風自体の温度が高く、直接風に当たる外ならまだしも、車の中ではどうにも汗が止まりません。

発電機を始動し、エアコンのスイッチを入れて夕飯の支度をすることにしましたが、料理に長い時間を要する場合、換気の問題でこうした使い方は好ましくありません。

今日の夕飯はオリジナルチキンソテーですが、本当ならダッジオーブンをつかった料理を普通のフライパンで時間をかけて作ります。

僕、高校時代に一夏飯場の飯炊きアルバイトをした経験がありまして、その際におっかない料理人に調理の基本と基礎をたっぷりと教えてもらった思い出があります。

今思えばわずかな期間にたくさん教えてもらっていたわけで、修行期間が長く技術は見て覚えるのが原則と聞く厳しい世界ですから、ずいぶん特別に扱ってくれていたことになります。

魚の焼き方の基礎や裁き方からはじまり基本的な料理法や調味料の使い方まで厳しく&たっぷり教わり、そのおかげでたいていの料理はその時に作れるようになりましたが、男ですから当然と言うか、普段家でやることはまったくありません。

急用等で家内がいない時(あ!家出じゃないですからね。家出じゃ(^^;))等は私がつくりますが、そのために子供たちには父親による手料理の味というものがあるようです。

1時間ほどでチキンも焼き上がり、家内とふたりで乾杯。

最終日である明日の晴天を願いつつ早々に眠りへつきました。


16日その2

2008年08月16日 | 旅行等

サル好きの家内につき合わされ、1時間近く園内にいましたが、この間二つほどハプニングがありました。

ひとつはボスざる(おそらく知らなかったのだと思います)が寝ているところを触った女性がジーパンの上から足をかまれるハプニング、たいしたものではなく脅しというほうが正解かもしれません。

そしてもうひとつはそのボスざる近くで遊んでいた小猿をさわろうとして手をだした男性にボスざるが気づいてガン付けるという出来事。

ガン付けされた男性には申し訳ないのですが、はたで見ていた者には結構おもしろい出来事で、この男性悪気があって小猿を触ろうとしたわけではなく、結構可愛いためになでようとする程度のものだったのですが、傍にいたボスざるがそれをみてすくっと立ちあがり、なにやら不機嫌そうな顔?のままその男性の前に移動してそのままガン付け開始。

そばで見ていた僕と家内は「およよ・・・」と思ったわけですが、その男性もガン付けられてることはすぐに分かったらしく、そ知らぬふりをして10mほどべつのところへ移動、ところがそこでよせばいいのにまた小猿に近寄ってしまったのですね。

人間から見たサルとサルから見た人間はまったく違うと考えてよいのだと思うのですが、群れを守ると言う視点からすればやたらと近寄る人間は敵視されてもおかしくは無いわけで。

再びボスざる参上で、つつつと男性のまん前へに移動、そして又ガン付け、こりゃまずいかなーとおもっていると、また男性が移動開始、すると今度は間髪いれずにボスざるが後ろをつけるようにして移動。

その後男性が停まるたびにわざわざ前に周ってガン付けするわけです。

実はこれ、この男性が帰るまでの間延々と繰り返えされまして、見ているほうはその男性の表情、そしてさるの表情、両者の駆け引きが結構面白い、不思議な神経戦がへたな漫才よりおもしろいのですね。

この男性、じつは彼女が一緒にいて、なんとなくばつが悪そうにサルから移動するのを、その彼女が間に入り持っていた傘を開いたりして妨害?するわけで、「結構度胸があるじゃん」と思いつつこちらも見ていたわけですが、サルも相手の強い弱いは当然に分かるわけで、まったくその女の子を無視して開いた傘の横から右へ左へと男性をつけまわします。

ただ、近くによってガン付けはすれども攻撃そのものはなく、どちらかと言うと危険人物につきただいまマーク中と言う感じで、静かだけれどみなぎる緊張感。

ところがそのとき男性におもわぬ助けが、

というのは檻の前を掃除していた係員がこのボスざるの行動を発見、つかつかと歩み寄ると今度は形勢逆転。

あれほどガンつけていたのに、なんとなく罰の悪そうな顔をしてくるりと反転したボスざる、お尻をみせながら係員との距離をあけて逃げていきます。

しかしながら、時折停まるとしっかり振り返って又男性ガン付け、再びまた係員が近づくとすたすたはなれてまたガン付けの繰り返し。

最後は崖のほうへ行ってしまいましたが、さすがのボスざるも係りの人は怖いようで、ここ波勝崎にいるサルにとって係りの人間がどういった立場にあるのか、このボスざるに聞いてみたい気持ちでした。

さてサル園をはなれ、お昼でも食べようかと移動、たまには贅沢して海鮮丼でも食べるかと松崎まで移動しながら途中においしそうな店は無いか?とさがします。

 

しかし、どうもしっくり来ない店ばかりで、ちなみにさる園の人に聞いてみると、下田まで行かないと良い店は無いとの事。

「とはいえおなかもすいているし・・・・」と、うろうろしていたところ回転寿司を発見。

店の中をのぞいてみると現地で水揚げされた魚を扱っているらしくて、それじゃここにしようと決定。

産地偽装を含めて食の信頼性が揺らいでいるこの国においては、逐一疑えばきり無いわけですが、地元産とあればそれを信じて食べればなんでもおいしかろう、と結構お腹一杯になるまでたべてしまいました。

満腹のお腹を抱えて店をでましたが、これ以上海岸線を移動しても今回の目的地である下田からどんどんと外れてしまうために、ここで下田へ戻ることにしました。

来た時は美しい海岸線をゆっくりとドライブしましたが、帰るときは山のなか?を移動してショートカット。

おもったより早く下田に到着、

再び道の駅に車を泊めて案内所に行くと、次を考えます。

 なんか黒船みたいなのが有ったなー」と思い出し、車へ戻るとこうした観光地に良くある観光船乗り場に目が行きます。

 

ちょうど船が戻ってきたため、これに乗ることに決定。

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しかしなんで日本の観光地にはこうした船が多いのでしょうかね? 

 


16日その1

2008年08月16日 | 旅行等

昨晩のエアコン停止騒ぎで多少寝不足気味のまま運転していますが、今日は“砂すべり”が出来る場所があるとかで、そこへ移動。

 ところが、昨日の風の影響で海が荒れていて、おまけに小さな駐車場はすでに満杯。

それでなくても家の車はでかいですから、道端にとめたりすれば迷惑かぎりないわけで、ここはあっさりと撤退。

仕方なしに諦めてもと来た道をもどります、途中のトンネルでなぜか上半身裸の金髪外人が立っています?

両手で停止合図をしてくるので「何?」と思いつつ車をとめると、「電話、電話」と片言の日本語で話してきます。

英語ならコミュニケーションに問題ありませんから、応答するとこちらが話せることを分かったらしくてとたんに説明を始め、なんでも犬を連れてジョギング中、気温の高さで犬がへばってしまったらしく、太陽光あたらないトンネルまで抱えて運んだもののその重さでそれ以降動けなくなってしまったらしいのですね。

携帯電話を彼に渡して車から降りて犬をみると明らかに苦しそう、「こりゃあかん!」と思っている間に「電話に誰も出ない・・・」と困り果てる外人さん。

「どこに家があるんだ?」と聞くと2,3キロ先の丘の上らしく、そんじゃ犬ごと運んでしまった方が早いと彼と犬を乗せて家まで送ることにしました。

運転しながら話をすると、何でもイギリスのブローカーらしく(あまり詳しいことは失礼に当たるので聞きません)日本に着て6年くらい住んでいるらしく、今回は友達家族と別荘へ遊びに来ていたとのことでした。

たいした距離ではありませんから数分で別荘に到着、すぐに出発しよう思ってたところ、お昼代だと1万円を渡そうとするので、困ったときはお互い様だと受けることはしませんでした。

わずか数分の人助けで金品を受け取るは、末代までの恥ですから、ありがとうという言葉だけ受け取って再び国道へ戻りました。

目的地を砂すべりから波勝崎のサルに変更して、ひたすら南伊豆の海岸沿いを走ります。

11時頃に到着、マイクロバスで海岸まで降りてまず檻の中へはいります?

「檻の中に入る?」と思う人もいるかと思いますが、ハイ、ここ波勝崎のサルは野生のサル、ここでは人間が檻の中にはいるのですね。

というのは、えさを与えるときに外に出ると、順番を待つということがサルはできませんから、どっとよってきて寄ってたかって餌をもぎられてしまうわけでして、

そこで、えさを与えるときは人間が檻の中に入るわけです。

この檻の中には売店と歴代のボスざる写真がかざられています。

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家内の買ってきた餌をみると、なんてことないただのみかんで、サルの好きな家内はここで大喜。

 

傍にいた子供たちを呼んでえさを配って一緒にあげています。

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ここには家の息子が小さいころに来たことがあり、餌を上げている子供たちの笑顔をみていると、その時代に戻ったような気がします。

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15日

2008年08月15日 | 旅行等

さて、思いのほか昨日の下田散策がスムーズであったために、今日の予定を変更することにしました。

散策予定だった半日を海水浴へと変更、ついでに爪木崎灯台も見学することにしました。

 駐車場に車を留めて歩くこと約20分(僕は歩くのが好きなため、このくらいの時間はまったく平気です)、半島の突端にある灯台は透き通るような青空と海の中に吸い込まれるようにして静かに立っていました。

それなりに距離があったため後ろで多少ぶ~たれていた家内でしたが、灯台下の風がもたらす爽やかさと景色のよさに大喜び。

うーん相変わらず単純 (^^)かるく流れた汗が乾くくらいの時間をそこですごした後、再び駐車場へもどり、今度は海水浴へと向かいます。

 

ところがここで問題、車が大きすぎて駐車場に車をいれると帰りに出られなくなる・・・・

どうしょうかと係員と一緒に場内をウロウロしていると、「入り口の真横に止めたらどうかね?」と親切に提案いただき、他の車の出入りに邪魔とならないように停車。

さっそく準備をしていると、係りの叔父さんたちが次々とやってきては世間話をしてきます。

こちらも急いではいませんから、結構楽しく話につきあっていると普通なら5分で終わる準備が1時間くらいかかるという超スローペース。

最後にパラソルを出してやっと解放され砂浜へと向かいました。

軽水浴場は思ったよりすいており、早速パラソルをたて、さて横になるべと思った瞬間。

「あ! ビーチタオル忘れた!」とは家内の声。

砂浜までは結構距離がありしかも落差も有る、

「あちゃー」とおもっていると、「はい取りに行って!」と優しい家内の声が背後で響きます。

しかしとてもおとなしい僕は、「ハイ」と汗だくになりながらタオルを取りに行きました。

砂花に戻ると家内がキンキンに冷えたコーラを買っておいてくれたのでそれを飲んでのんびり海水浴、下田近辺の海はさすがにきれいで、景色をみているだけでここは日本なのか?というくらいの気にさせてくれます。ここでほぼ半日海水浴ですごしたわけですが。

海というとブームをつかんでボードでぶっ飛んでいるのが普通ですから、なんというかこのまったり感が懐かしくかんじられ、「たまにはこういうのもいいか・・・」なんて思いつつすごしました。

さて、車に戻ると一路伊東方面へと走ります、途中で朝ごはんの残りをおにぎりにしたものとカップヌードル(昨日ひとつ70円で買いました)で昨日と同じメニューのお昼ご飯。 混むだろうなと思っていた白浜付近を通過しましたが、なぜか渋滞がなく、「???」と思いつつ、次の目的である、ところてん工房?へと到着。

初日に見つけた土産物屋ですが、衛生的な設備を使って安価でところてんつくりを体験できます。

1000円で4人前を作りますが約1時間の体験、予約をしていざ時間に行くと、体験は家内だけ(僕は写真係)、なんでも多いときは50人以上になることもあるそうですが、なぜか今日はお客さんが少ないとのこと、教えてくれた先生?も首を傾げていました。

この先生?結構きれいな女性で、まめに指導してくれましたが、途中の話がとてもおもしろい、1時間というと結構長いのですが、ここではあっという間に過ぎてしまいました。

 さて出来たところてんを車の冷蔵庫へぶち込み、次は今日の宿泊地であるキャンプ場へ向かいます。

ところがネットからダウンロードしておいた地図がわかりにくくて場所がわからない・・・・

ウロウロと迷っている間にバイオパークの信じられないような急坂(知っている人はわかりますよね)を登ることになり、転げ落ちるような坂をフルパワーで上るという出来事がありました。

「こりゃオーバーヒートか?」 (@@)

と心配したのですが、ラジエーターを修理してくれた親父のスペシャル仕様のおかげが水温計の針はぴくりとも上がらず、「うおーこりゃすげえ!」と別の意味で感動。

そのあとさらにウロウロして、道路脇からはみ出した木と狭い道に顔を引きつらせつつ到着と相成りました。

車をとめ早速バーべキュー準備を始めたところでブーンと飛び回るあれを発見。そう、もっとも居てほしくない“アブ君です。早速無警戒にシャツへとまったのを一匹あの世送りにし、こりゃサイドテントが必要と判断。

しかしたった一泊のためにサイドテントを張ることになるとは

「とほほ・・・」 (ーー;)

 とちゅうで管理人さんが電源コードをもってきてくれたので、エアコンを稼動させ家内は冷房のきいた車内でるんるんと夕飯準備、わたしはアブを気にしながら汗だくで車外作業。

「男は損だよなー・・・」

(ーー;)

 日も影り二人でキャンプ場のシャワーへ、ここはシャワーの時間制限が無く広い部屋になっているために悠々と体を洗えます。

家族風呂もありましたが、日焼けしていたこともありシャワーにしました。

午前中の海水浴で思いのほか日焼けしているのが分かり、こりゃ痛くなるかも・・・

点火したチャコールの火が落ち着くと、今回のお楽しみの一つ、バーベキューをはじめます。普段食べられないようなサザエにあわび等、贅沢な海産物(もらい物です)を少しずつ焼いて食べました。

 そして就寝、当然のことながら夜でも蒸し暑さはぬけません、でも電源付サイトのよさはエアコンを効かせられつつ寝られる事、明日を楽しみにしつつ早めにお休みなさい。

トラブル夜中に思わぬトラブル発生、なんと電源がおちてしまったのですね、エアコンが効かねば蒸し暑くなるのは当然、ただ、運の良いことに真夜中であったため気温が下がっていた事と、キャンプ場がわりと高い場所あった為に風が涼しく、窓を開けてなんとか寝ることができました。

 朝になり管理人さんに聞くと電源は落ちていないとの事、おかしいなーと思いつつキャンプ場を出ましたが、後日車装備である外部からエアコンや電子レンジ等に電源を供給する用ステップアップトランスのブレーカトリップと判明。

その後の点検で異常は見つかりませんでしたが、振動か何かにぶつかったかでブレーカが落ちかかっていたのだと思います・・・


8月14日

2008年08月14日 | 旅行等

4時に起床、盆ですが平日ですから、有る程度の渋滞を予想しての早起き。

まずは国道129号線を使って厚木まで移動、箱根新道をへて晴天の伊豆スカイラインに入りますが、

ここまでまったく渋滞がなかった事、そしていかにも夏という快晴の為に気分はうきうき。

天城高原インターを出て、あまりの順調さに「こりゃラッキーと?」と油断していたら、そのすぐ後で渋滞

  (― ―;)やっぱり・・・

 原因は白浜海岸の混雑で、距離にしてわずか10km程度なのですが、なかなか進まない。

あまりの気温に車内容積のでかいキャンピングカーのエアコンはいまひとつ効かず、約1時間のノロノロ運転&うんざり。

時間を見ると昼なので路端の展望台&休憩所で昼食を取ることに決め、でかい車体を駐車場へ入れます。

マフラーを修理&改造したての発電機を始動し、エアコンをつければそこはリゾートに♪

なんてわけはありませんが、とりあえず家内の握ってくれたたおにぎりとカップヌードルを頬張ります。

その後15分ほどノロノロ運転した後、やっとこさ白浜海岸を通過、そんでもって渋滞の原因はなに?と思われるでしょうが、単に浜の前にある横断歩道が原因。

別に変な信号があるわけじゃないのですが、一度車が止まると次から次へと人がわたりはじめなかなか発進出来なくなります。

「これじゃ仕方ないか・・・」と半分苛立ちますが、自分の数台まえの車が停車して横断歩道の人を渡しているのをみて、「俺はとまらないぜ!」と思っていたのにしっかりと停止する自分がそこにいました。

 なんだかんだと白浜を抜けたとたんに道がすき、あっという間に下田へ到着、とりあえずは資料館が併設された道の駅に入り、観光資料を収集しつつ旅行プランを作成します。

とりあえず最上階にある資料館へ行き、下田の歴史に関する基礎知識を身につけます。

というのは歴史に関する知識の有る無しが旅行の楽しさを左右する大きなファクターであると思っていて(多分僕の場合ですが)、様々な知識と結びついた「なぜ?」というのが紐解かれるのがとても楽しい思い出になるからです。

「ほ~♪」とか「そ~なんだ♬」なんて言いつつ、にわか知識をたっぷりと?身につけて車へ戻りますが、以外だったのは豊臣秀吉の小田原責めの際に下田も戦場になっていたこと、下田に結構な規模の城が有った事にも驚きましたが、さらにこれが水軍同士の戦いでもあり、脇坂。長曾我部そして毛利の軍師でもある安国寺 恵瓊(あんこくじ えけい)という早々たる兵の名前と軍の書状が残されていた事はまったく想定外であり、まったく知られたいない歴史の一幕を発見したようで、とても得した気分になりました。

大規模な陸戦ばかりが取り上げられる小田原攻めですから、北条のもっていた水軍はほとんど活躍しなかったのかとばかり思っていたこともあります・・・

http://www.city.shimoda.shizuoka.jp/shougaikyouikuka/Kyouiku_Bunka_Sports/Kyoudo_Bunka/Bunkazai/City/S_bunnkazai_53.jsp

一通り資料館を見終わると車へ戻りますが、外はおそらく35度オーバーで、うんざりするほど暑い、これで風が無ければ熱中症で病院は満杯だろうな・・・

と思ってしまいます。 午後1時半頃から下田の歴史散策とおまつり見学ということで家内と準備。

サンダルをスニーカーへ履き替え、カメラと地図、タオルをリュックに投げ込み、焼け付く下田の町へと繰り出します。

 

お祭りの提灯が町の活気を思わせ、なんとなく懐かしく感じる下田の町を歩いて名所を巡りますが、とにかく暑い・・・・

(― ―;)うううう

とりあえず半分ほど名所を巡り、最大?の目的となった先の下田公園(下田城跡)へ登ります。

豊臣軍が一月かかっても力攻めで落城させることの出来なかった天然の要害の遺構等を見ながら山道を歩き、途中の展望台から海を眺めては一息。海を多いつくす圧倒的な数の軍船と、陸に配置された軍勢をみて当時の城主はなにを思って戦いに挑んだのだろう、と思いをめぐらします。

やがて天守台跡に到着、真夏の太陽が木々に程よくさえぎられ、海風の気持ちよいこと・・・このまま一眠りしたい気分になるも、まだまだ見るところは多々あるので草々に下山。

下りる途中で小さなお稲荷さんがあり、ところが石が倒れていたり、木が横たわったり、湯のみがひっくり返っていたりと荒れていたのを家内と2人で簡単に掃除し、お賽銭を投げてこの旅行の安全を祈願します。

山を下りると長楽寺傍を流れる雰囲気抜群できれいな川沿いを歩きつつ残りの名所をまわり、最後に国道から道の駅へと戻りました。

さて、今日は下田で祭りがおこなわれています。 

 

案内所で聞いたところでは夜7時半ころに太鼓の打ち鳴らしが行われてそれがピーク、まだ1時間半ほど時間がありますので、街中にある銭湯へいくことにしました。

日も落ちて涼しい風が吹き始めた下田の町は太鼓や三味線、お囃子の音があちらこちらで鳴り響き、それがまたなんともいえない雰囲気をもたらしてくれます。

銭湯をでると、さすがに日中一緒に歩いた家内に「夕飯を作ってくれ」という気にならず、近くの大型スーパーに入りすし詰めなんかを買いました(やたらと外食、特に馬鹿高いすし屋に入るなんて贅沢を私は絶対にやりません)。

二人でのんびり歩いて(汗かくのが嫌なので)祭りの最終会場へ向かいますが、すでに地元の人や観光客が集まってきていて時間的にジャスト。

やがて日中街中を移動していた山車が明かりをたくさんつけて会場へ次々と集まってきますが、その明かりがとてもきれいで、太鼓の音と横笛、三味線の単調なリズムが夏の夜風に溶け込みます。約15台の山車並び、やがて始まった太鼓の打ち鳴らし、

しかし・・・・・僕の想像とは大きくかけ離れたのんきなリズムでして、正直なところしらけてしまったというのが正直な感想。

それでも4つのパートすべてを終了するころに祭りのハイライトである花火が上がり始め、混雑をさけるために少し早めに移動を始めた僕と家内は、花火を見ながら岸壁沿いを歩き、時々立ち止まっては空に咲く大きな花火を楽しみます。

車に到着するころちょうど最後の花火が打ち上げられましたが、それを見終わるとやたらとおなかが空き始め、そくさくと車に入ると発電機とエアコンを始動して冷蔵庫からビールを取り出して乾杯。

炎天下に4時間近く歩いて疲れていたこともあり、やたらと早く回ったアルコールにすっかりいい気分、朝までぐっすりと寝てしまいました。


下田旅行記 

2008年08月14日 | 旅行等
下田旅行 2008年8月14日~17日


休みといえばいつもウインドサーフィンがらみ、
「たまにはウインドをはずした旅行をしようよ!」と以前から繰り返し言われていた私。
こんなに天気がよければ西湖はいい風が入っているだろうな・・・と多少後ろ髪をひかれる気持ちでしたが、普段色々やってくれている家内に感謝せねばならないということで、「たまには・・・」と気持ちを入れ替えて下田を目的とした旅行をすることにしました。

天目山の春(旧日記より転載)

2008年03月29日 | 旅行等

娘はスクールの合宿へ行ってしまったし、春と言うことですから家内と共にふらっとお出かけ、行き先はもちろん私が勝手に決めますのでまずは甲府の信玄堤を目指します。
僕は昔からの信玄ファンで、信玄にまつわるものをチャンスのある度に見て回っています。
中央高速を快調に走り(家内はよこで思いっきり爆睡)、でも節約のために降りたのは勝沼。
バイクのツーリングならさぞかし気持ちよいでしょうが、花粉でブルーになるのが怖い。
国道20号線をテコテコと走り、信玄堤へ到着。
公園に車を止めて早速見学と相成ったわけですが、正直どれが堤なのか分らない。



そこで再度車に乗り違う場所へ移動して高岩を見ようとして迷走、
「なんだかよく分らない?」ということでもう一度もどって今度は川に沿って移動、
所々に堤と記述が有るもやっぱりピンと来ない。
「そんじゃ!」とまず高岩を見ようと信玄橋をわたって、御勅使川(みだいがわ)方向へ移動、
すると「有った! 有った!」
釜無川にT字型にぶつかる御勅使川の勢いをこのデカイ高岩にぶつけて威力をそぐというもの。
「なるほどー」と思い再度信玄橋をわたって堤方面へ移動、するとやっとここで理解。
現在川かわにそって作られている堤防に半分埋まるようにというか重なるように堤があったわけです。
工事自体は今から450年くらい前、20年の歳月をかけて人間が作り出した大きな
造成物。
自分が頭の中に描いていたちんけな想像とはスケールからしてまったく違うわけで、
だから分らなかったわけです。
この堤の技術を基にして現在の治水は設計されているとのことで。
目にみえる辺り一帯がすべて堤のためにあったという事実に結構な驚きを覚えると共に、当時の人口や土木技術・経済力をかんがえるならやはり武田家というのはスーパーパワーであったわけです。

うんうんと関心していると時間はもう11時半、歴史のことなどどうでもよい家内はお腹空いたーとごね始めます、およよと思いつつ仕方がないので次の目的地へ移動、下を走ると時間がかかるので再び高速に乗り勝沼へ移動して葡萄の丘へ。
腹が減ったので温泉卵付きの600円側をつるりと平らげ、これまた600円の展望温泉に入ります。
まだ桜が咲かず、観光客もまばら、「おおー!ラッキー!」と思いつつ露天風呂へ入ろうとすると、なんか子供とお父さん連中が端によるように入っています。
外へ出て理解、入れ墨の兄ちゃんがど真ん中にはいっていたのですね。
ちなみにこうした連中と付き合いのあった(私は昔法律に携わる仕事をしていました)僕はちっとも怖くありませんので空いている?墨のすぐ横に陣取ってさわやかな風と温泉の温かさを楽しみます。
その後はミストサウナそして再び露天とはいり、のぼせたところでギブ。
家内の方が出てくるのが遅いことが多いために私は趣味?(だったかな)写真を取るために駐車場へ歩きながら菜の花と雑草を見つけて写真撮影。
さて、私の好きなまるきワインを2本購入すると、本日の最終目的地。
天目山へ向かいます。
天目山は武田家終焉の地。
景徳院には織田・徳川連合軍に逐われた37歳の勝頼、19歳の後婦人、そして16歳の息子
が眠っています。
何となく自分の息子と思いが重なってしまい、まだ生きていたかったろうに・・・という何とも言えない気持ちで回っていると、なんと発掘隊がいます。
何でも武田を滅ぼした徳川が勝頼没後の200年後にかなり大きな葬祭を行っていたことが最近わかったらしく、お墓の下に5400枚の経石(お経をかいた石)が発見され、当時としては大規模なものであったことが分ったわけです。
発掘にはそれなりに費用がかかるらしく、国もお金がないんだね・・・・
来る方に1000円の寄付を募っていました、武田ファンの私としては喜んで寄付させてもらい、お守りを頂くと同時、これまた私を守ってくれるというお経の一文字「雨」頂き(この文字に関わることが私を一生守ってくれるそうです)、ちなみに家内は「除」でした。
2人で新しい経石に筆と墨で文字を刻ませて頂きます。
次の大発掘捜査後に発掘した経石は埋め戻すそうですが、その時にこの寄付車の経石も一緒に埋めるそうです。
次に明けるのは200年後になるそうです、2人ともこの世にいませんが・・・

その後400年の歴史有る景門をくぐり、家内が本殿にてお賽銭を投げると、「なんとー!」。
お金が中に入らず、箱の入り口の隙間に立ってしまったのです。
2人で一瞬びびり、でもその後なんか超―!ハッピーな気分に満たされます。
何故かというなら投げたのは5円玉それが信じられないような確立で箱の中に入らずに立って見せてくれた、すなわち神様と“ご縁が建った”ということですから