GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

兆しはあったのか?

2022-02-19 00:59:35 | お笑い考

 漫談家の松鶴家千とせ 師匠が、亡くなられました・・・つい最近までメディアに出ておられたので、大変な驚きと急でしたね(涙)初めて師の存在を知ったのは、1993年の『いいオチしてね』というお笑い?の特番でしたね。当時、中堅~ベテラン芸人が、VTRで笑いを交えながらクイズを出題する番組やったわ。そこに「なんでかフラメンコ」でお馴染みで現在も活躍中のギター漫談家の堺すすむ 師匠と千とせ 師匠が、出とってん。特に後者は、当時の友人が直ぐに真似をして激ハマりしてましたね!"分かるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ。"というギャグというか決め台詞というかお決まりのくだりでしたが、この番組内では"分かるかなぁ?わっかんねぇだろうなぁ。 イエーイ・・・"とイエーイの部分を敢えて小さな声でやってたのが、特にツボやったみたいやで(少笑)確かにここをローテンションにする方が、返って面白いですわな!確かにこの番組も彼も面白かったです。むしろイエーイを付けるのがセットやとつい最近まで思ってたけど、ほんまの彼のネタは、イエーイが付かないんですな(汗)という事を近年の真打競演で知りました・・・加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ・志村けんのだいじょうぶだぁ・ドリフ大爆笑・ダウンタウンのごっつええ感じ・『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』以外のお笑いを知らなかった僕にこの番組や堺すすむや松鶴屋千とせは、翌年からお笑いに目覚めさせる兆しになったかも知れません!!最近の出演番組は、もちろん真打競演やったし、週刊新潮にも"当時の関東のお笑い事情やツービート達の暴露話"のインタビューを2ページ以上に渡って受けてたなぁ。ただ別に"今のお笑いを批判するでもなし、かと言って当時の自慢話をするでもなく、多忙すぎてパンクしたから海外に逃げたとか先輩の浅草芸人は、殆どの人が呑む・打つ・買う・ヒロポン(軽度の薬物)を打ってたというたけしがよくする話をしてただけ"で、格好良くは思わんけど、それはそれで肩肘張らない緩い姿勢が、ええ方に作用するというか合ってる人も世の中には居るんで、それはそれで良かったなと!

 加えて浅草の寄席・演芸会が衰退してる理由についても寂しさを感じているという事も言及してたな(汗)師が活動してた当時=まだ由利徹や渥美清やコント55号が、浅草芸人やった頃は、ストリップ劇場のストリップ芸の合間の繋ぎなどの中でネタを披露してたから、ドアウェーというか誰も芸人のネタなんか、観てくれる客層やなかったから、その人らに目を向けさせる為に必死に芸を磨いたけど、"今はそういう環境やない"でしょうと・・・加えて闇営業もよく行って、腕を磨いていた。今のたけしや色んな芸人や吉本の芸人がよく言うように"吉本は直営の劇場を持ってるから、大きいよな"という意見はもっともで、ここらに集まる客層は金を払ってでもお笑いを観に来るし笑いを観るのを目的に来るから、ホームといえばホームなんやわ(もっともお笑いを舞台やライブでやってるのは、吉本だけやないけど!!)。逆に金を払ってるから、それ相応の笑いを見せてもらおうか!という姿勢で来られるというハードルの高さもあるかも知れんけど(汗)それに芸人になるのに養成所に金を払う時代やから、時代が違うし浅草芸人とかはテレビにも出ようとしない・よその事務所や劇場にも出ない風来坊みたいな者も多くいつも出てる寄席しか出ないから昔ながらの寄席は、減って行くわなというのが、原因のようやな。ただ寄席にしても今のお笑いライブにしても生の舞台に変わりはないから、そこが芸人を鍛える場所には違いはない!という事は、意見としてあるし大事な事のようですね。まぁ当然の話といえば、当然ですが(汗)でも、それに加えてやはり宣伝としてテレビなどの出演やアピールは必要や(ノンスタの石田の考えと一緒ですね、彼は劇場やライブで漫才を観てもらう為の宣伝の為としてテレビやメディアに出てるだけや)と、そうでないとどんどん衰退してしまうと警鐘を鳴らしてましたね・・・

 来歴は、出で立ちは漫談家にはレアでサングラスにアフロヘア。本来はジャズ歌手志望だったこともあって民謡や童謡などを融合させた独特の和風メルヘンの世界を築き、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」のフレーズで、大人気になった。1974年頃「シャバダバダディ〜!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。」とギャグを飛ばし、『夕焼け小焼け』の替え歌の漫談で注目を浴びた。1975年にはシングル『わかんねェだろうナ(夕やけこやけ)』をリリースし、ヒットとなった。のちにこの歌を引っ提げて1990年代後半か2000年代前半に音声だけで英会話スクール『NOVA』のCMにも出演してたような。その余勢を駆って、1976年には2本目の出演映画としてトラック運転手ニヒル役で出演した。同年、放送演芸大賞(漫談部門)受賞。ただ前述した様に一時、多忙になり自身を見失いかけた為、一時海外に行き活動休止をする。帰国後は、浅草東洋館、上野広小路亭、木馬亭、などの寄席演芸のほか、美声を活かして歌手や司会者としても息の長い活動を続ける。東京都の足立区庁舎ホール、老人ホーム、福祉施設などで公演をしていた。東京都の足立区社会福祉協議会に寄付をしていて、ボランティア活動にも精力的に取り組んでいた。2012年11月、芸能生活60周年記念としてコミックソング「これからサンバ」、シルバー世代の出会いを歌った「三千六百五十日もあるからね」をよりリリース。晩年まで東京都と近郊の演芸会場を中心に直弟子や仲間たちと精力的に活動を行っており、入院直前の2022年も1月16日に木馬亭で主催ライブを行っているほか、同月26日には演歌歌手とのユニット「千とせ&ひとみん」でCDをリリースしていました。

 非常に興味深いかたでしたね!お悔やみ申し上げます(号泣)

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