GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

もう1人の実力者

2015-01-30 22:29:00 | 野球

317勝投手・草魂の鈴木啓示を押し退けて1979・80年の対広島との日本シリーズ第1戦に先発投手として登板した(啓示の奮起を促す意味もあったが)強心臓の井本隆(近鉄―ヤクルト)氏が、亡くなりました・・・井本氏は、鐘淵化学から1972年オフに近鉄に入団しました。打者の内角をえぐる鋭いシュートを有効に使う強気のピッチングで主戦級として活躍しました。1979・80年の連覇に貢献したのはもちろんの事、2年連続の15勝!さらに79年の日シリでは、第1・4・6戦と先発し2勝を挙げ「敢闘賞」受賞(OK)高知出身の「いごっそ」の心意気を見せました(OK)しかしその分一発を食う事も多く、80年の「シーズン42被本塁打は、リーグ最多」を記録しました(汗)1982年のオフにヤクルトへ移籍。移籍先では、成績は奮わず、1984年に引退(困)他には、同僚・栗橋茂(近鉄)と同様に近鉄らしく"女性関係も派手"やったそうですね~(ウインク)当日試合があっても、"福井県から特急「雷鳥」に飛び乗って、慌てて大阪に帰った"ってエピソードをチラッと聞いた事があるけど、どこに書いてたかは忘れましたし、ネットで探してもありませんでしたなぁ・・・ともあれ通算成績は、試320 81勝75敗8S 防4.08 でした。合掌です(涙)

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激怒

2015-01-29 21:58:00 | ミックス

ケンミンSHOWは、2週続けてのこの地域のみのネタを扱った「大阪SP」やったのに、オリックスの話は、1つも出ず(扱われず)(激怒)もう末期的症状ですなぁ・・・

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ドラえもんに頼らずとも

2015-01-26 11:04:00 | 野球

 今年の野球殿堂表彰者が発表されましたが、ご存知"戦う選手会長"の古田敦也氏が、プレーヤー部門で表彰されました(大笑)もう説明不要に近い選手でしたが、簡単に言うと(汗)確かアマチュア時代というか高卒か大学時代に阪神の入団テストを受験したけど、「眼鏡をかけてるから!」という理由で不合格やったとか・・・幼少時代から自身は阪急ファンやったから、"阪急も受験した"とかいう話もあったような気もするけど、「記憶違い」かも知れんので悪しからず(すいません)確かに"接触プレーに於いて(接触プレーが多い捕手で)眼鏡をかけてるのは、不利"ですし、あまり積極的に起用しようと思わんのも確かですわなぁ(落ち込み)あの眼力の高い「実力重視」のノムさんでも"いくら古田に能力があっても、眼鏡の捕手は、獲得するのは疑問・止めといた方が良い"って当時の思考やったそうですし・・・ただそれは、"先入観"やったという事ですな(ウインク)今やそんな事は無関係で「常識の観念」になりつつあるのは、古田氏に限らず成功例があるからですよ!古田以前にも八重樫幸雄(ヤクルト)・晩年の木戸克彦(阪神)・的山哲也(近鉄・オリックス―ソフトバック)→小田幸平(巨人―中日)といった流れで(燃)そういう"先入観や固定観念は、プロとしてはイカン!!"ってノムさん自身も言ってた様に自身が育てたというのもあったでしょうが、絶賛しだしたんは"凄い手の平返し"でしたなぁ(困)ただノムさんの眼力も微妙と言えば、微妙(困)1994年に2度指の故障で戦線離脱した古田氏の控え捕手の層を厚くしたい(また古田が故障した時の為に)と考えたノムさんは、オープン戦?で一目惚れした当時ロッテの正捕手の青柳進(ロッテ―ヤクルト)を94年のオフに熱心にフロントに頼み込み獲得したが、移籍したヤクルト(ロッテ時代もそうやったかも知れんが)での「盗塁阻止率」は、散々なものでしたからねぇ(涙)"本当にノムさんは、名将なのか?"という思考が出て来ますし、そういった文献が工藤健策の執筆で出てます・・・まぁ何にせよ「先入観」はイカンという事ですな(まる)話が逸れましたが、"守備や強肩が評価され"1989年オフにヤクルトに入団。当初ノムさんも"打撃は殆ど期待していない!年間.250ぐらい打ってくれたら充分やし、それぐらいの計算"という「見込み」であったし、さすがにルーキーイヤーはその2割5分であった。しかし!翌1991年は、"捕手としての配球の読みで力不足を補い(読みでの打撃は、引退するまでそのスタイルを貫いた)「打てる捕手」"にもなり、落合博満の三冠王を阻止する首位打者を獲得(冠)1992・93・95・97・2001年の日本一に大貢献(クラッカー)←ただし1992年だけは、リーグ優勝のみ!!たださしもの古田氏もパスボールは、多かった模様(汗)やはりどんな「良い選手」でもやや欠点があるようですな、師匠のノムさんも弱肩というか"あまり肩が強くなかった"・・・2004年には、ご存知"「球界再編」での"戦う選手会長"として"グラウンド外でも東奔西走"!!近鉄・オリックスの合併は阻止出来んかったものの、何とか腰の重いオーナー連を動かし「1リーグ化阻止」・「セ・パ交流戦」・「新規参入球団」を実現!!!2005年には、"大学・社会人を経てでの2000本安打"は、当時史上初(大笑)→のちに宮本慎也も達成!2000本目は、ヤクルトが時々主催試合をしている「松山坊っちゃんスタジアム」で"地方球場"での達成。ファン想いの彼らしく記念ボールをスタンドのファンに投げ入れ、プレゼントした事もありました(ドキドキ大)ちなみに同じ事(記念ボールの投げ入れ)をしていたのは、草魂・鈴木啓示(300勝目のボールでもプレゼント、唯一持って帰ったのが引退を決意した時の投手交代された時のボール)や佐藤義則(ノーヒットノーラン記録時)も!!次の"「2001本目の安打のボール」を記念に持ち帰りました"ね(笑)翌2006年に師匠の後を追う様に選手兼任監督(プレーイングマネージャー)に就任(驚)球団名もヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズに変更。前年4位から3位に順位を上げるも、借金2でのAクラス(汗)「代打オレ」は、1つの売り物に(ウインク)しかし翌年は、最下位となり選手としては引退・監督としても退陣となる・・・いやぁ!でも捕手像もやや変えたええ選手でしたよ!本当におめでとうございます(拍手)
 他には知らないかたが多いですが、1人目だけはこないだチラッと見ましたが{すいません}朝日新聞社の創業者で、全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)を創設した村山龍平氏が、殿堂入り。夏の風物詩として人気を集める大会は今年、誕生から100年を迎える事もあり、日本の野球の普及・発展に顕著な貢献をした人を対象にした特別表彰での殿堂入りとなりました!この方の人名は、覚えといた方が、良さそうですな{メモ}第1回高校野球の始球式をした人物ですから、「野球知識検定」の問題に出題されそうやし!他には、小学生の日本リトルリーグ創設に尽力した林和男氏も、同時に発表されました。各氏、おめでとうございました!

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夢(ドリーム)東西ネタ合戦 2015

2015-01-22 22:10:00 | お笑い考

東軍西軍
○ナイツ陣内智則
日本エレキテル連合○ウーマンラッシュアワー
どぶろっく○千鳥
オードリー○笑い飯
○流れ星友近
○バイきんぐますだおかだ
<ショートプログラム>
○髭男爵ヒロシ
○アンガールズはるな愛
ハンバーグ師匠(スピードワゴン・井戸田)○すち子&真也
ウエスP○もりやすバンバンビガロ
○コント赤信号ザ・ぼんち
↑ここまでがショートで以降は、再度本戦
○ロバートロッチ
○ハマカーン博多華丸・大吉
シソンヌ○麒麟
○東京03中川家
サンドウィッチマン○パンクブーブー
 採点はしてません{すいません}2対2の対戦形式が多かったけど、出番順は東軍・西軍の交互やったんで、1対1と見なし"単純にどっちが良かったか?"だけで選びました。
 ウーマンは、"敵将の大将・志村を意識したんか"、テンポが若干ゆっくりやったな{笑顔}どぶろっくは、エロ(下ネタ)の度を越してたし、ウケてなかった{落ち込み}特に前半!ショートプログラムのウエスP(ピン)は、僕は初見でしたが、対戦相手のもりやすバンバンビガロと同様「大道芸」というか「かくし芸」みたいなネタを披露するスタイルでしたが、"くだらなさを笑う笑い"かな{汗}もりやすは、失敗してたけどな・・・僕の天敵のロバートでしたが、"前半はいつも通り"で「あかんなぁ」と思ってたけど、後半が良かったから{OK}このネタは、ええ!
 一応客席審査では、今年は"西軍の勝利"でしたが、個人的には9対7で"「東軍」の勝利"でした!まぁ出演者も言ってた通り「去年どっちが勝ったかをすっかり忘れてますわ」と言うように"この勝敗はどっちでも良いもんや・そないに重要な事"やないですな{笑顔}
 ただ各芸人の皆さんプロデューサーの指示もあったと思いますが、「(僕的には)弱い方のネタ」を披露してましたなぁ{汗}バイきんぐもKOC優勝時の1本目のネタ(まぁ去年、2本目のネタをしたから、どうしようもないけど{困った})「自動車学校」のネタでしたし、ますおかも増田氏が、プロデューサーから「このネタをしてください!」という指示でやったから、「ほぼデビュー当時のネタを恥ずかしいと思いながら、披露した」ってブログで暴露してましたし、03も優勝を決めた「旅行初日に告ってフラれて、気まずくなる」のネタやなくて1本目の「コンビニ強盗」のネタでしたし、シソンヌも1本目の「ラーメン屋」のネタで名作の2本目の「タクシー」のネタやなかったですし{落ち込み}

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実直さを貫いたが・・・

2015-01-21 20:52:00 | 野球

 あさってさんも触れてますが、その名の通り「スラッガー」として活躍した大豊泰昭(中日―阪神―中日)氏が、亡くなられました・・・大豊氏は王貞治に師事し(憧れ)台湾から来日し帰化し中日に入団!ルーキーイヤーから"左の長距離砲"として期待される。この時既にネタにもし易く、かっとばせ!キヨハラくんにも早くも登場してましたね{笑顔}ただ"触れ込み程"ホームランを量産できない年もありましたし、1992年頃はチーム状況が悪い事もあり、タイトルも獲ってなく、僕も失礼ながら、"騒がれてた割には、最近名前を聞かへん・見いへんなぁ"と思ってました{すいません}しかし王氏を尊敬してるだけあって、自身も1992年オフぐらいから「一本足打法」に取り組み始め、練習の成果もあったか1993年には25本塁打を放つ!!翌年には38本塁打、107打点で本塁打王と打点王の二冠を獲得。また、同年は対広島戦で18本塁打を記録し、「年間カード別最多本塁打」の日本記録を樹立(こんな珍記録というか「重箱の隅をつつくような記録」ってあるんですなぁ{ドクロ}){OK}その後も1996年まで好調を続ける!しかし"中日の本拠地球場が、広いナゴヤドームに移転してから、明らかに風向きが変わり"12本塁打と激減{困った}"チームも機動力・ディフェンス重視の方針を打ち出すのは、当然の事"でオフに阪神へ移籍{汗}1998年も一本足打法継続も、2年連続の不振{悲しい}「頑固・信念の塊」も"一本足打法封印"で「新フォーム(というか普通の打撃フォーム・摺り足)」に着手、好調も同じファーストのポジションに期待の長距離砲・新助っ人のマーク・ジョンソン(阪神)が居た為、控えに回るか"併用"の起用法となる{落ち込み}だから規定打席不足ながら26試合連続安打を放つなど、打率.341、18本塁打の活躍。さらに代打でシーズン歴代2位となる6本塁打を放つなど、代打での勝負強さも発揮した。翌年はほぼレギュラーも時折桧山進次郎がファーストで起用されるなど、"イマイチ信用されてない・中途半端な起用"となる・・・ノムさんとの確執もあり、再度中日へ移籍。2001年のオープン戦は、絶好調もまたファーストは、山崎武司起用や(年齢的にも走力や守備面を考えたら、現実的ではなかったと思いますが{困った})レフトでもオジー・ティモンズ(中日)起用や波留敏夫(横浜―中日―ロッテ)のシーズン途中の加入もあり、"ある意味阪神時代よりも冷遇"される{悲しい}僕は、"この2001年は、守備を無視してでも大豊をレフトで使って欲しかった!使うべきや!!"と思ってましたねぇ{炎}それぐらい"この年のオープン戦は、良かった"!!→オープン戦の成績はアテになりませんが、そこぐらいしか判断材料はないやろう{汗}結局、2002年で現役引退・・・"もう1年早くに摺り足にしてれば"・"真面目すぎるからいい加減な所があったら"という気持ちも無くはないですが、そこが彼の「良い所」でもありましたが{笑顔}とにかく「練習の虫」・「努力家」・"真面目で実直な人柄"でしたねぇ!引退後は、一時期4足のわらじ(中日のアジア地区担当スカウト・少年野球指導・中華料理店経営・解説者)を履いていた時期もあり、精力的に活動!ただ1度目に出した中華料理店の経営失敗で借金が多くのしかかり、自身も大病を患い、2度目の中華料理店経営も繁盛も、大病を再発し、終には店にも立てなくなり・・・こうなりました{困った}通算成績は、試1324 率.266 277本722点 安1089 でした。合掌です{悲しい}
 あと緊急で入って来たのは、僕は全く知らない選手でしたが、岩下守道(巨人―国鉄―近鉄)氏が、亡くなりました。岩下氏は、1950年入団時は、投手で野手に転向・・・"川上哲治の控え一塁手"として役目を果たしていました!1959年、国鉄へ移籍。左翼のレギュラーポジションを獲得。同年、2番打者として123試合に出場し、.280はセ・リーグ打撃部門7位を記録する。翌年は6番打者として、111試合に出場した。1961年より近鉄へ移籍し、控え野手として守備固めや代打として出場した。引退後は、アパレル関係の企業「イワシタ服飾」を創業し、その代表取締役も務めました。通算成績は、投手としての出場は恐らく無く、野手として試549 率.246 9本94点 安277 でした。こちらの方も合掌です・・・

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