GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

にちようチャップリン

2017-10-30 18:00:44 | お笑い考

<お笑い王決定戦 2017 第1週>

前半戦

◎プラス・マイナス 56

パーパー 56

〇我が家 58

後半戦

東京ホテイソン 51

デニス 56

◎ジェラードン 57〇

決勝ステージ

プラス・マイナス 55

◎ジェラードン 59〇

 プラマイは、意外性が少ない!パーパーは、「募金」のネタ。ネタパレでネタバレ・・・オチは、ハッピーエンド?で良かったな。我が家は、本題からズレるっていうのは、よくあるけどな。

 東京ホテイソンは、わざとらしいドヤ顔(備中神楽)のツッコミをどう捉るかやな(汗)僕は、"笑い所を勝手に教えられてる(押し付けられてる)感じ"がして、ちょっと嫌な気持ちなる・・・2回目のツッコミで飽きもしてしまうし!ただツッコミが無ければ、コンビの売りがなくなってしまうし(涙)デニスは、設定・展開的には悪くなかったけど、ちょっとありがちやったかな(汗)ジェラードンは、前近代的な設定と笑いやったけど、まあオチが深かったから、良しとするか(笑)ただメッセージ性が弱く、"何を言いたいのかが、解らんネタ"でもあった(汗)

 プラマイは、そこまで意外性がないのに、客ウケはしっかりしてる点は、加点対象かな。ジェラードンは、「しっかりしたネタ」やったな!ただ"時々セリフを埋める言葉が見付かってないような時間がある"気が、する・・・

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日本人チーム総年俸最高額球団と最低額球団の戦い

2017-10-28 01:37:40 | 野球

は、ある意味見所かも知れん!高額は、ソフトバンク、低額は、DeNA。DeNAは、"セ・リーグでは、初の3位からの日シリ出場"です(ドクロ)!!「勝利の方程式に固執した」広島と「臨機応変にスクランブル登板を辞さなかった」DeNAとの差が、出ましたな。日本一になれば、ほんまの下克上!"戦力・地力では、ソフやろうけど、失うものは何も無い・ダメ元・勢いの怖さで波乱は、あるかも"です!ましてや球史上、DeNAは日シリの勝率(日本一)は、10割ですからね。「不敗神話」のジンクスは、続くのか!?ソフは万全ではないけど、一応、4勝3敗でソフトバンク日本一と予想します。

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無題

2017-10-27 00:00:05 | ミックス

下記の1942年のプレイボールに加筆水平線から下の文が、そうです・・・

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『1942年のプレイボール』

2017-10-24 22:53:19 | ミックス

 再放送で観てしもた・・・まだ観てないかたは、"ネタバレ"に注意。戦前から戦後にかけて「二刀流」の野口二郎をはじめ「野口四兄弟(二郎は、次男)」を描いた「"フィクション"ドラマ」でした。まぁフィクションやけど、ほぼノンフィクションと言っても良かったんやないかなぁ(笑)野口四兄弟は、全員職業(プロ)野球に所属した実力者でした!!長男の野口明は、選手時代はセネタース―大洋軍・西鉄軍―阪急軍―中日・名古屋・中日で、監督も2年間中日で勤めておられました。三男の野口昇は、阪神軍に所属し、兄弟で唯一戦死してしまいました(号泣)四男の野口渉は、近畿日本軍・グレートリング―宇高・熊谷に所属し、既に亡くなってますが、没年は不明との事・・・初めて知ったんは、戦前の「敢闘精神」である年を境に"引き分け"が廃止になったんは、知らんかったな(汗)ただ収穫は、この事ぐらい・・・作品としては、まあまあ。


 あとセリフに審判のコールの「アウト」・「ストライク」・「タイム」とか言ってたのが、気になった(汗)戦時中は敵性語やから"英語使用禁止"やったのに・・・せやからほんまは「退け」・「よーし一本・良し」・「休止」が、正しいはずやが!まぁフィクションやから、ええんかな。

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手短に済ませた割には、史上初!

2017-10-23 21:18:37 | 野球

 井口資仁(忠仁)[ロ]が、選手引退即同チームの監督に就任!!このチームは、1986年オフにも有藤通(道)世が、引退直後に監督に就任してますし、ある程度"そういう慣習・歴史が、ある"んかも知れません。さらに井口監督は、メジャー経験もあり"メジャーでプレー経験のある日本人監督が、就任するのは、史上初"の事です!「メジャー仕込み」は、バレンタインの例もありますし、もしかしたらこの球団に合うかも知れませんね(笑)「引退即監督」は、巨人の由伸監督以来ですね。井口監督の選手時代は、2013年に2000本安打を達成した時に殆ど書いてるんで、そのあとは2013年に23本塁打以降は、徐々に下降・・・ポジションもセカンドからファーストからDH・代打と"段々と右に寄って行き"ました(汗)

http://forever545kb.hatenablog.com/entry/2013/08/03/230500

 引退試合での最終打席でのホームランは、ドラマチックで感動的でしたよねぇ!そんなドラマティックなチームを作り上げる事が、出来るんでしょうか!?

 あと知らない人物でしたが、野球選手後俳優として活躍したらしい橋本力(ちから・俳優時代は、りき)[毎日・大毎]氏が、亡くなられました。1953年国鉄へ入団予定だったが、毎日へ入団。1957年外野手レギュラーを獲得。1958年、阪神から強打者・田宮謙次郎が入団。橋本は外野手としてあぶれた形となる。1959年、ケガで二軍落ち。この際に五味康祐原作の小説『一刀斎は背番号6』が、親会社の大映で菅原謙二主演で映画化(監督:木村恵吾)されることとなり、当時二軍にいた橋本はアドバイザー兼選手役で出演。実質的な俳優デビューとなった。しかし、この『一刀斎は背番号6』で、外野でのダイビングキャッチを演じた際に鎖骨を折ってしまうアクシデントに見舞われ、この年オフに自由契約となり、現役引退・・・しかしまぁ入ったチーム・世話を焼いてくれたのが、大毎やった事が、幸運でしたな!これを機に俳優へ転身出来たんですから!本社の意向もあり、『一刀斎は背番号6』で助監督を務めた中村大十郎が同じ大映の社宅にいたことで「役者にならないか」と誘われ、俳優に転身。本人によるとそのまま撮影所長から大映社長の永田雅一に話が進み、トントン拍子に決まったと語っている。1966年、上背の高さを生かして『大魔神』で大魔神のスーツアクターを務める。この年3本製作されたこの「大魔神シリーズ」すべての大魔神役を務める。1972年、香港映画『ドラゴン怒りの鉄拳』で、ブルース・リーの敵役として共演。以後、数々の映画に出演。通算成績は、試299 率.224 12本45点 安121 でした。合掌です(涙)

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