しかも最初は斜め読みしてたのに、最近はエスカレートしてて結局ほぼ全部読んでて段々完読に費やす時間が、長くなってる、月1のプロ野球ヒーロー大図鑑・・・一応コンセプトとしては、ブログを始めた時から亡くなったOB選手は、出来るだけ書きたいから、生年月日~没年(2009年2/2以降)は、全員該当するはずなんですが・・・まぁ出来るだけ・・・浜田(関口)義雄(急映・東急・東映)氏が、2012年に亡くなってます・・・1948年に急映に入団。翌年登録名を浜田にすると同時にレギュラーに定着。51年にオールスターに出場している。また1955年10/5の対毎日戦~56年5/20の阪急戦まで196打席連続無三振を記録。これは当時の日本記録であった。1958年に現役引退。翌年から1969年まで東映のコーチを務めました。通算成績は、試1027率.245 20本217点 安892 でした。だいぶ経ちすぎまくってますが、お悔やみ申し上げます。あと八田正(大映・大毎・東京―阪急)氏も2018年に亡くなってます・・・春のセンバツで甲子園出場経験あり。1955年に大映に入団し、2年目には遊撃手としてレギュラーの座をつかむ。地味ではあるがミサイル打線の脇を固め、59年には初の規定打席に到達(.278)。1960年にはポジションを柳田利夫に譲るが、シーズン前半に柳田が負傷欠場し、レギュラーに復帰。同年のリーグ優勝に貢献し、大洋との日シリにも全試合出場した。第3戦まで無安打と苦しむが、最終第4戦では9回裏に代打で起用され大洋のエース・秋山登から初安打、一矢を報いた!1961年からは二塁手に回り、65年には打率.275、ベストテン10位の好成績を残す。67年以降はレギュラー二塁手を他2選手に譲るが、打撃は好調を維持し、活躍を続ける。68年に当時のA級10年選手となり、ボーナス受給の権利を手にしたが、支払いを嫌がる球団は彼を自由契約とした。結局八田氏は阪急に移り、準レギュラーとして要所で活躍、阪急のリーグ3連覇に貢献!!特に古巣ロッテに強く、ロッテ首脳陣をしばしば困惑させた。1971年限りで引退。その後は阪急球団に残り、スカウトやスコアラーを務めた。また、1980年には、二軍で守備コーチを務めました。名前は、聞き覚えありでした!通算成績は、試1549率.263 56本360点 安1148 でした。お悔やみ申し上げます。
それと山口航輝(ロ)が、先日パ・リーグタイ記録となる4打席連続本塁打(2試合にまたがってでの、1試合目1本、2試合目3本)を放ちました!おめでとうございました!史上15人目でパでは7人目やから価値が低いといえば低いけど、1997年のナイジェル・ウィルソン(日本ハム)が、持ってるイメージが強いな。プロ野球記録は、2022年の村上宗隆(ヤ)の5打席連続本塁打(2試合にまたがってでの)です。