おかゆうた(おかけんた・ゆうた)さんが、亡くなりました、・・・ってだいぶ経過してますが(謝)吉本新喜劇座員の岡八朗 師匠の弟子でしたが、ここの門下生は芸がきっちりしてて、手堅い印象というのは、かつての仕事仲間の落語ファンで、そないに色ものに詳しくないかたでも、そう感想を述べておられた!巨人師匠も岡八朗師匠の弟子でしたから、巨人師匠は兄弟子にあたられますな。で、阪巨師匠も手堅い訳で。NSC1期生として、入学。そのご当初はゆうたさん1人で、岡八朗に弟子入り、のちにけんたさんも弟子入り。当初は、本名の「龝山(あきやま)・井元(いのもと)」というコンビ名やお互いの風貌から「きつねとたぬき」というコンビ名であった。そのご「岡けん太・ゆう太」を経て現在のコンビ名。1999年に二丁目劇場閉館に伴い、毎日放送で特番が組まれたが、この時ダウンタウンも大阪へやって来て、同期の浜田氏の事を思いっ切り呼び捨てで、浜田って言ってました。並びに真面目やから、「俺真面目やから、そういう不真面目な行動・奴、ごっつ嫌いやねん」とか本音を吐露してたな。2015年頃のサンテレビのレギュラー番組でも、真面目にきちんと芸をしなかったゲストで来たガリガリガリクソンに半分キレながら、番組中に説教をしてましたしね。
僕が上方のお笑いを見始めた時から出てましたね。当時の関西ローカルの漫才番組(上方漫才まつりなど、事務所は無関係で吉本・松竹・ケーエープロ・昭和プロ・和光プロなど全ての所属事務所の組が、出演していた。)では、トップ出番か、2組目出番が多かったですね、芸歴的にも中堅扱いされてた。実力も伯仲で、どんきほ~て(太平かつみときびのだんごによるコンビ)と大体同待遇で、どんきほ~てとけんた・ゆうたが、トップ出番を争ってたな。僕的には、どっちがトップ出番でもおかしくない実力やと思ってたけど、回数的にはどんきほ~ての方が、多かったな(汗)なおどんきほ~ては、1999年に解散。漫才には定評があり、昔の芸人に多く見受けられるくだりによって、ボケとツッコミが入れ替わるのも特徴でした。それでも6:4でゆうたさんがツッコミの方が、多かったな。コメディのなんじゃそら3人組にも出演し、当時のニュース「カズ(三浦知良)・北澤豪がW杯メンバーから外れる」をパロったネタでけんたさんが、カズの役で"オズ"という名前でサッカーのユニを着て出て、ゆうたさんが北澤の役で"南澤"という役を演じてたな。→時代を感じますなぁ。当時は、かなりぽっちゃりしてたゆうたさんをサッカー選手の北澤氏に当て嵌めるのは、かなり無理があると思いましたが(笑)1999年に上方漫才大賞を受賞!2000年には、文枝・きよし師匠・中川家がメインの2代目・満開ハッスル家族にも出演してたなぁ。その前の文枝・きよし師匠・高山知浩さんメインの1代目時代から出てたかも。小僧寿しのCMにも出てたし、2000年頃にはけんたさんが漫才中に急に笑い出すなど、変則的な漫才を取り入れるようにもなっていたが、妹には不評で「おもんなくなったなぁ、前は面白かったのに」と言われてしまってたなぁ・・・この辺から若干東京での仕事も視野に入ってた様に、僕は見えたけど、CMに出たってだけかなぁ?・・・2人共もの真似も得意で、けんたさんはドナルドダックの声真似が、出来る。さらに美声で自身で「ええ声」と言い、ゆうたさんが「自分で言うな、自分で言うたらアカン」とツッコむ。「オオソ~レミヨ~、天王寺ミ~オ」とボケ、ゆうたさんが「天王寺、ミオ、関係あらへんがな!」とツッコむくだりもまあまあ。あと同じく美声の2人のネタで、昔の丸大ハンバーグのCMの「♪ハイリハイリフレ、ハイリホー」というのがあって、アレンジしてハイリホーのあとに2人で「ホホー!」と言うて「ホホーやあらへん!」というくだりがあったけど、この元ネタを知らんかったからこのくだりの面白さが解らんかったけど、最近このCMを回顧番組で知って、"この事を言うてた・ここから拝借したんや!"とやっと知りました・・・話が飛んだけど、ゆうたさんは、裸の大将・島木譲二・くるよ師匠のもの真似が、出来た。何かドナルドに合わせてコンビでディズニーに関する音楽をバックに、ダンスをしてた場面も覚えてるなぁ、そのまま舞台袖に捌けて行ったような。ただ2007年頃から糖尿病による透析の影響で、腰の曲げ方に違和感や生活笑百科に出ても、出番直前まで壁に手を捕まえて出たりと、かなり病気と格闘しながらでしんどそうでした・・・その年に親父は、「あれ、絶対病気やで。顔色も悪いし、痩せ方も病的やもん。」と言ってましたが、本人の方が先に逝ってしもたやないか・・・他にもセンターマイクを杖代わりに持って漫才をしたり、時折滑舌やちゃんとセリフが言えてない時も見受けられましたが、4・5年前はちょっと元気になってるように見られたんやが(涙)元旦のサンテレビや数日後にKBS京都で同じ放送の恒例番組の新春よしもと大爆笑では、今年も元気でやってるかの確認が出来て、唯一年に1回僕が観る機会であった番組も、今年は出てなかったから、少し悪い予感はしとったんやが、的中してしもたな・・・その為コンビでの活動は激減してたけど、また再起を期し死の直前である8/15に行われたライブイベントで久々に漫才を披露したのが最期のコンビ活動となった・・・でも、最期にまた漫才が出来て良かったですなぁ!!「また漫才をやって行きたいんや!」と言ってたらしいですから、1回だけやったけどまた出来て・・・巨人師匠は「天国では僕が弟弟子になりますね(笑)」と粋なコメントを残してくれましたね。お悔やみ申し上げます(涙)