GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(大判、感想)

2017-05-29 23:57:00 | ミックス

話題の増山実 著の『上記』(角川春樹事務所、2013年)を読みました!まだ読まれていないかたは、ネタばれになるんで、読まない方が、得策(謝)う~ん、そないに"強いメッセージ性や意外性は、少なかった"ですね~(汗)野球絡みが、多い文献です。特に野球に関しては、1969~1982年を中心に描いた阪急ブレーブスや戦前の球団設立期&それ以前の設立の礎・ベースになった東京の日本プロ野球第1号球団の日本運動協会の流れを汲む「宝塚運動協会」まで遡って書いてる点は、フィクションというより"ほぼドキュメンタリー"でしたね。それと当時の日本・韓国・北朝鮮の時代背景・世相・国の体勢を絡めて書いてますね。この辺もドキュメンタリー。ただ急に時代がタイムスリップしたりするくだりの辺りは、「小説」で"フィクション"ですが!印象に残った文章(名言)は、"「故郷」とはきっと追い求めるのではなく、ふりかえったときに、「ただそこのあるもの」なのかもしれない"という所ですね!!それとこの文章が書いていた近くに詩(ポエム)の要素も、見えます。ただ書き方・表現は、非常にキレイ(丁寧)で文章内容も解りやすく上手かったんで、「読み易い文献」と言えますね(笑)!

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彼といい!!

2017-05-25 00:05:57 | 野球

前川勝(克)彦(近鉄―阪神―オリックス―独立リーグ・香川―独立リーグ・三重)といい奥浪鏡(オ)が、免停中に人身事故で無期限謹慎処分に・・・かつては、オリックス時代に前川氏が無免許&轢き逃げでオリを解雇になってるし、またしてもうちや!!!球団の管理不行き届きが問われるし、そんなに自覚が無いものが多いというかそこまで球団や偉い人が、管理せなあかんの!?情けなや・・・今年の冬には、安達に続き育成選手の中道勝士「潰瘍性大腸炎」になってたし、何かうちは、"いわく付き"が多いなぁ(涙)

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ENGEIグランドスラム

2017-05-24 23:42:46 | お笑い考

"拍手笑い"は、陣内が一番多かった。まぁあの「スタイル」は、そういうのを引き起こしやすい・・・ただ一番ウケてたんは、アクシデント(計算外で偶然)笑いもあったけど、ミキやった。復帰のノンスタは、やはり自身の不祥事を時々入れてたな!やはり芸人の凄いというか矜持は、ここ(逆境をネタにする)やな!!特に"右車線・中央車線・左車線"のくだりは、やられた。ただここの客、アキラ100%のネタに一々悲鳴を出しすぎ(怒)やはり立場上客席が気になるからか、岡村も"ネタの内容が、入って来ない"って言うてた、僕は入って来たけどな!個人的には柳原が、"今回イチ"でしたけどね!!意味深な終わり方(オチ)やな!ナイツの「伏線」はよく出来てたけど、僕は殆ど読めたわ・・・ウーマンのネタに情熱を感じた(拍手)!

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どちらかは分からん

2017-05-17 00:53:08 | ミックス

 だいぶ遅くなりましたが、漫才作家の中田明成(あきしげ)氏が、亡くなられました。「名漫才ライター」でしたけどね。上方演芸会やかつての上方漫才祭によく"作:中田明成"と字幕で書かれてたり、紹介アナウンスをされてましたもん!ただ上方漫才祭では、浜村淳 御大は、"なかためいせい"と呼んでたんで、どっちが正しいんでしょうかね?時事通信によると、芸名がめいせいらしいですが(汗)いと・こい先生や横山やすし・西川きよしの台本や生活笑百科の台本も手掛けていたようです。合掌です(涙)

 あと西尾慈高(しげたか)[大阪―中日]氏も亡くなられました。西尾氏は、立命館大学を中退して1954年に大阪に入団した。大学同期に吉田義男がいるが、ヨッさんも1年で中退している。1954・55年には先発として何度か登板機会を与えられたものの勝利を挙げることができなかった。1956年に中日戦でプロ初勝利となる完封勝利を記録し、この年は防御率2.80で3勝とまずまずの成績を残した。1957年には、開幕投手になるものの、1勝2敗で防御率4.62と不調であった。翌1958年に、11勝10敗防御率2.71と主力投手並みの成績を残し、エースの小山正明に次ぐ先発投手として位置付けられました。しかし、翌年から村山実が入団したことから登板機会が減りだし、1960年のオフ、トレードで中日に移籍した。1961年、同年こそ6勝を挙げたものの、その後は目立った活躍はできず、1965年に引退しました。僕は、「初耳の選手」でしたね(謝)通算成績は、試296 39勝40敗 防2.99 です。合掌です(涙)

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阪急4x―3日本ハム

2017-05-16 00:15:22 | ミックス

 もう1週間前の記憶を呼び起こして書かんとイカンし、オリックスが勝ったのはこの日を境に未だ無し・・・もうBs Stageは、去年ほど盛況でも無いし、常連が減ったから、場所取りは、1時間前でええな(複雑笑)それでも土・日・祝は、比較的集客しますなぁ(笑)で、この日までは知らんかったけど、彼女のツイッターによると、あらいちゃん(さん)は、オリのイベントクルー&たまにBs Stage司会&グラウンド内の進行等を卒業されたみたいです(号泣)もうオリの球団内やイベクルに「誰も知り合いが、居なくなったではないか」!!花木さんぐらいやけど、まだ覚えられてへんぐらいやろうし。あとは、オリックス日和に出てた広報?の白髪交じりのおっちゃんぐらいを知り合いにすっか(笑)時の流れを感じますね(涙)何やったっけ?BsGは、前日との違いは、知ってる曲では、Stedy Go!→『Believe』ぐらい(汗)よしもと宣伝芸人コーナーは、僕でも知らん男コンビ(ジャイアントナデシコ)やった!イベント告知も無く、よしもとが生みだした功罪・悪癖?の「NSC」の宣伝。ショートコントは、素人がやりそうな"B'zの『ウルトラソウル』を歌いたいんやけど、最後の「HEY!」の歌詞を歌わしてくれへん"というネタ・・・「OBトークショー」は、ゲストの長池徳士 氏が、大幅遅刻により、約15分遅れでスタート(汗)"彼に会うた事はなかった"からね(嬉笑)野球知識検定の試験監督を大阪でやった事もありましたが、その時に僕は受験してなかったんで(困)司会の大前さんも"まさか、長池さんが普通に長堀鶴見緑地線を使ってでの電車で来られるとは、想定外でした、てっきり車でおみえになると"とおっしゃってましたが、まさにその影響での遅刻でしたな。まぁ京セラに来られる事も少ないでしょうし、どこへ向かったらええか判らんやろうから、案内役としてオリのスタッフが、出口近くまで迎えに行ってたらしいですよ!まぁ、おかげで11:00販売開始のチケットを買いに&トイレにも行けましたが(笑)阪急ユニ(彼が入団した時は、縦縞やった)の話。1967年の"西京極球場での「阪急初優勝」"は、"東映の敗北により、その時点でマジック1としてた阪急の優勝は決定してたけど、僕ら選手はそんな事も知らずにゲームを進行してた&勝って決めたかった"。とか"阪急の強さの秘密"や"顎(あご)を乗せて構えて打席に立ってた経緯(理由)"が、解明されました!あと"阪急、西武(教え子は、主に秋山幸二)、南海・ダイエー(佐々木誠)、横浜(石井琢朗・鈴木尚典[現役時代は、大洋・横浜])のコーチ時代の裏話を少々"。中でも「あご乗せ打法」の理由は、"外角が大の苦手・欠点だったんで、出来るだけ身体を開かないようにするには、投手に正対する角度に持って行きたかった!それで外角打ちを克服出来た訳ではないけど、数字を残せるようになった"という事やったそうです!!「長年の疑問」が、解けた事がとても嬉しかったですわ!!ただBs Stageの予定時間は、ズラしてくれず、全体的にトーク時間が短かったし「質問コーナー」は、実施されず(涙)僕は、「あご乗せ構え」の件は解決したんで、もう1つ用意してた"1975年にパ・リーグにDH制が導入されて、主に長池さんはこの1975年にDHで出場してましたが、もっと早くにDH制が導入されていたら、もっと良い成績が残せた・選手寿命が延びたのに・・・とか考えたりしますか?"というのを聞きたかったんですが・・・ただステージを私物化するファンが居て、当時の阪急のファンブックを氏にステージの立ち入り禁止エリアを乗り越えて渡したりだとか最後に長池氏にバットを渡してあご乗せ構えでポーズをとってもらってる所を連写したりだとか・・・まぁ、こんな日ぐらいはええと思いますけどね(笑)イベクルの人らは、ヒヤヒヤもんでしょうけど・・・図々しく割り込んでみるもんですなぁ(苦笑)ステージ退出後の通路近くで彼女の一押しもあり、長池さんから阪急ユニにサインをもらいました!!まさか貰えるとは、思いませんでしたよ。ただサインよりもやはり"顎を乗せて構えてた理由を知れた事"が、一番嬉しかったですけどね!!!ただ長池さんは、あまりこの企画に終始乗り気でなかった表情に見えました(困)前日に福本さんが、「池さん?もっと阪急のOB会の会合に顔を出してくださいよ~」と大前さんへ伝言を頼んでましたし、大前さんも「福岡だけでなく、この大阪・神戸にも近付いて来て顔を出してください」と言ってましたが、あんまり良い返事をしてなかったような。ドーム内=グラウンドの始球式でも記念撮影には応じたものの、捕手を務めた光・打者のTと握手もしてなかったし、今の球団内にも当時の球団幹部がおるんか知らんけど、やはり"阪急の打撃コーチをクビになった"わだかまりか何かが、あるんでしょうなぁ(残念)。

 近鉄復刻との違いは、近鉄ではオリが攻撃時のウグイス嬢は、終始女性で"昔ながらの苗字のみコール"でしたが、阪急の時は1回表に守備位置に就く時だけ平野さんが"勇者の魂を誇りに?阪急ブレーブスの選手が、守備位置へ!"とアナウンスした以外は、終始いつものオリの平野さんの「フルネームコール」なんですよね・・・しかも近鉄の時もあったけど、スタメン発表&試合開始前の「煽りVTR」に"誰もが野球に熱狂した時代"というのは、今の野球は面白くない・誰も熱狂してない みたいな言い方ですよね(汗)阪急の先発投手は、好投しながらも援護に恵まれずに来た山岡。しかしこの日は、弁護出来ない内容(2回2/3でK.O)でした(涙)しかし山崎福・海田・吉田一・黒木・WARNINGが、そこそこ抑え、大崩れせず(グッド)!ましてや勝利投手(→最後に登板した)となった赤間は、延長12回に二塁まで進まれるも、抑えた。(北海道)日本ハム打線は、田中賢介にホームランが出、大田泰示も出場し、1安打。岡が故障もあって精彩を欠いているだけにチャンスなんは、先の東京ドームでのロッテ戦の打棒でも今後の野球人生に左右しそうですな。阪急は、武田・若月が、躍動。光をベンチに置いてるのは謎やし、今年の打率も・・・やが、数字ほど悪いとは思わへんけど、延長12回裏で代打で登場し、落ち着いた選球眼で四球を選んだ。そして何と言っても、駿太サヨナラ安打で決めてくれました!!この日も"阪急の敗北を覚悟してましたし、てっきり良くて引き分けやと思ってましたが、まさか勝てるとは"。というか試合が長すぎるから、早よ終わってくれ!とも思ってましたが、棚ぼた(笑)まぁふざけずに書くと、"阪急は「投手が代わっても、質があまり落ちない投手陣である」のと比べて日本ハムは「投手の質が回を経る毎に段々落ちて来てた(特に延長12回に登板した榎下とか)」差が、出たんやないですか"な!?今年の掛け声「勝利を―、いただきー!!」のポーズは、はっきりせんのかい(笑)!腕を上に掲げてる赤間と駿太やファンが居たし、僕はK―岡田・KYOKOさんがやってた「引き寄せるポーズ」をとってたし、何が正解なんや?

 「(勝利の)二次会」を彼女と出来たー!!まぁあの人は、全くうちのヒッティングマーチやチャンステも知らんけど、"知らんなりに、乗ってくれた"(拍手)二次会が出来て、良かった!次のDは、「野球やお笑いやない所にも、行かなイカンな」、いつも"俺の趣味"丸出しで、すまんな!!

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