GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

勇者魂は不滅ですっ!!

2015-09-29 22:53:00 | 野球

 リック・バンデンハーク(ソ)が、2010年のボビー・ケッペル(日本ハム)と並ぶ外国人選手による無傷での9連勝を達成しました!それに付随する開幕からの登板記録としての記録は、1964年のジーン・バッキー(阪神)、1988年の郭泰源(西武)の10連勝、同じく郭泰源で1994年の9連勝が、ありました!さらに稲尾和久(西鉄)・愛敬尚史(達成時:楽天)の"デビュー登板からの8連勝"を更新する"デビュー登板からの9連勝"となりました!!おめでとうございます!
 この2人だけの「特別扱い」をお許しください(すいません)山本昌(昌広)[中]が、ついに引退表明!!ただまだ50歳での「世界最年長勝利」の可能性が、ゼロになった訳やありません(燃)コントロールとスクリューボールとコンディショニングと投球術とストレート(本人曰く、自身は"ボールは遅いけど、「本格派」")と何よりも「向上心」と「諦めない心」でしょうなぁ(拍手)恐らく長嶋茂雄ばりに"野球を知らない人でも、知られてるプロ野球選手"でしたでしょうし、忘れたくても、忘れられない存在でしたし、一生忘れません!本当にお疲れ様でした!!!そしてついについに"最後の「阪急戦士」"であった中嶋聡バッテリーコーチ兼捕手(日)も、引退です(涙)(困)なお鉄砲肩は今も健在で、"決して記録の為に現役の肩書きを続けてた訳やない"と(ダメ)超強肩もあって、ルーキーイヤーの1987年から阪急の捕手として出場(大笑)球団がオリックスになっても、「星野伸之のスローカーブを素手でキャッチしてそのまま星野投手へ返球」という複雑な対応も披露(ウインク)1995・96年のオリックス・ブルーウェーブのリーグ連覇(96年は、日本一)にも貢献!!1998年に米挑戦もオファーは無く、FAで西武へ移籍(汗)同年と2002年のリーグ優勝にも貢献。2003年には横浜、2004年には日本ハムに移籍!主力ではなかったものの、何度も優勝に貢献(拍手)僕は、レジェンドのあなたの様な選手を一生忘れません!本当にお疲れ様でした!!!そしてこれからも"阪急ブレーブスの戦士だった事"・"勇者の一因に名を連ねてた事"を誇りに思っていてください!!!!!最後に中嶋聡のブルーウェーブ時代?のヒッティングマーチを♪お前のパワーを その手に託して 飛ばせ場外アーチ(曲調的には、飛ーばせ、場ー外ーア~チ~) そして♪阪急、阪急ブレーブス!オーオーッ!阪急ブレーブス!・・・(エンドレス)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリックス4―1日本ハム

2015-09-26 00:52:00 | 野球

 日本ハム側から批評を見るつもりで観てましたが、"あまり見るべき所"が、見当たらんかったな(落ち込み)強いて言えば、"ハンカチは、2周り目ぐらいから捕まえられ易い"傾向になるのは、どこと対戦してもそうなんやな"と!立ち上がりがええだけに、"ついにうちもハンカチに白星を挙げられるんか!"と心配になるんですが(汗)あと杉谷は、スタメンで行った方がええような・・・オリックスは、浅間(日)の第1打席の三遊間の打球は、「小谷野の全盛期なら、捕れてた打球」やったな!と・・・ヒーローインタビューを受ける程の活躍はしたものの、"Tの打撃が、「ノーステップ打法」になってる"のが気掛かりやなと(困)あとキターッ!が一軍昇格後10試合ずっと何気に好投してますし、「今後便利屋として使えそうやな!」と(ウインク)ただ"うちはこれから全勝しても、4位には届かない"らしいですね(涙)
 あとデニス・サファテ(ソ)の"連続イニング(回)奪三振"が、「43回連続」で途絶えました(汗)9/10の日本ハム戦を最後に!途絶えさせたのは、9/13の楽天です(ウインク)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笑けずり 生放送 決勝

2015-09-25 23:21:00 | お笑い考

<1回戦>
ぺこぱ 57
○ザ・パーフェクト 75○
◎Aマッソ 77◎
<最終決戦>
★ザ・パーフェクト 81
☆Aマッソ 83
 97人の観客と3人の芸能人(ホラン千秋・足立梨花・おのののか)による"ライブ審査員"と視聴者投票での「決定法」。1回戦は、課題漫才で「夢」!←最終決戦に「フリーの無題」があってんな・・・ぺこぱは、ボケが粗い(アウト)"「システム」・「設定」も古い"し、ありがちやけど、ウケはまあまあ!ザ・パーフェクトは、所々甘噛やいつもよりピンボケたろうのテンションと力みがあったけど、完成度は高いし、ネタも綿密に出来てる(OK)Aマッソは、"説明出来ない笑い"やな・・・"発想と突拍子も無い発言(ボケ)は、スリムクラブにも似てる"けど!"真ん中立てや!優しいんやから!"のくだりは、ウケたな(大笑)HPにアクセスしてたけど、「投票画面」が一向に出て来んかったんで、投票出来ず(怒)上記の通りAマッソに投票予定やった(落ち込み)しかし結果は、僕の見解通りになりました(ダッシュ)最終決戦のザ・パーフェクトは、"もう少し「漫才コント」に入る前、彼らやったら広げる事が出来て、面白く出来たはず"やけど!"支離滅裂な所もあるけど、凄く「展開」の数が多い"なぁ(ウインク)Aマッソは、シュールやけど、解り易かった(拍手)ただ「客ウケ」は、ザ・パーフェクトの方に軍配が上がったんやないかな(汗)投票出来たんか知らんけど、テレビ画面でやってみた!Aマッソに(ラブ)圧倒的な差でザ・パーフェクトの優勝で幕を閉じましたが、「やはりザ・パーフェクトやろな!」っていう覚悟と予感がありましたが、そうなりましたな!大悟(千鳥)が言ったように「ここまで来たら、好き嫌いでしょうね」といった発言が物語ってると思います、僕の中では"接戦やった"しね(燃)最後の2組に限らず、このメンバー(残り7組も含めて)の中からM-1優勝者が出て欲しいですね、何しろ「250組の中から選ばれた精鋭」なんですから!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

LIFE!~人生に捧げるコント~ series3 #21(series3最終回)

2015-09-25 10:52:00 | お笑い考

 「水たまり①」は、"子どもに立場が上の者(上司)に対してビビってるんじゃない!と教えられる"という教訓を盛り込んだというか、そこまでは"このネタ(を披露した・世に出した→僕は、大袈裟に捉えすぎてる?[困])の意図"をよーく考えさせられただけに、"もっと深い「オチ」を期待してた"けどな・・・ただ「水たまりの底」は、深かったけどね(ウインク)「水たまり②」は、これは"出オチ"感が(困)「交渉人」は、「誘拐での逆探知」という設定は、よくあるしドラマっぽくネタ振りになってたけど、展開が無理矢理やなぁ(汗)
 "来年の4月に「series4」として帰って来れる(来る)"んかなぁ(汗)?帰って来て欲しいなぁ!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年以上経つともはや昔なんか・・・

2015-09-23 21:04:00 | 野球

 松原徹日本プロ野球選手会事務局長が、亡くなられましたね!松原氏といえば、2004年の球界再編時に本当によくあっちこっちに奔走してくれましたし、近鉄・オリックスの合併阻止にも最後まで力を貸してくれましたし、2試合のストライキ決行、労使に関する裁判事項にも折衝していただいて、もう本当に感謝の言葉しかありません(燃)あの年のあなた達の頑張りは、一生忘れません!!!!安らかにお眠りください!!
 さらにその後を追った訳ではないでしょうが、球界再編にも関わった人物が、もう1人亡くなられました!中村勝広 阪神ゼネラルマネージャー(GM)です。チーム帯同時の遠征先(巨人戦ですから、東京ででしたね)で亡くなられたみたいです・・・"勝ちゃん"や"カツ"や悪い使用例と言いながら僕も使ってましたが"負広"の愛称で親しまれた中村氏は、1971年オフに早大から阪神に入団。1年目から頭角を現し1974年には正二塁手となる。以降1978年までレギュラーの座を確保、堅実な守備で1970年代のチームを支えた。また、1978年に残したシーズン守備率.995は当時の二塁手の日本記録である。1980年には岡田彰布やヒルトンが入団したこともあり、コーチ兼任となりました。1982年限りで現役引退、コーチ退任。 1983年から1987年まで阪神二軍監督を務め、一度退団するも、1990年に阪神の監督に抜擢されました!1990年、1991年のチーム成績は最下位、同一監督指揮下での2年連続の最下位は球団史上初であった・・・1995年7月23日限りで途中休養、藤田平 二軍監督が代理監督となった。結局シーズン終了後、辞任しました・・・阪神監督時代は、1992年には優勝争いの2位(同率)・翌年(4位)もさらに翌年(5位)も"Bクラスでも内容は悪くなかった"ですから、彼が色々揶揄される程「そんなに無能とも思えません」けどね(燃)やはり野田浩司⇔松永浩美の"失敗のイメージが、強すぎる"んでしょうなぁ(困)それとやはり「チキン采配」が、ファンを怒らせるんでしょうなぁ(困)阪神時代の1994年には、"6回表ぐらいからもう石嶺和彦に代走や守備固めとして南牟礼豊蔵(阪急・オリックス―中日―阪神)や高波文一を送ったり"、オリックス時代も"6回になると、カリーム・ガルシアやクリフ・ブランボーに守備固めとして大西宏明や下山真二を送ったり"してましたし、動きが早すぎる・焦ってるというか"ビビり"でしたねぇ・・・良く言えば、「堅実」でしたね!!現役時代も同様"堅実・攻守"というイメージで・・・どうしてもオリックス時代の方が印象にあるんで、オリの方が長くなりますがご了承ください(すいません)2003年のオフにはオリックス・ブルーウェーブのGMに就任!2年連続最下位の再建を託され、ダイエーからFAで村松有人を獲得、当時西武の監督を退任したばかりの伊原春樹を監督として招聘しました!しかし新体制も奮わず、6月には近鉄との球団合併が表面化しました(困)結局ファンが支持しない球団合併が行われ、当時の週べによると中村氏も色々「理不尽な扱い」や「理不尽な事を言われた」ようです・・・オリックス・バファローズになってもGM職は継続した為、オリックスでの新規参入球団の楽天との「分配ドラフト」で先に25人をプロテクトの主導をしたのは、中村氏でした。監督には、仰木彬を招聘。シーズン終盤までプレーオフ圏内の3位を狙える位置まで持って行きました。当然?仰木さんはもはや余力が無い為、監督職を勇退し中村氏が監督としてバトンタッチを受けました(少笑)で、GMではないものの、仰木さんがシニアアドバイザー就任と殆どちょうど監督⇔フロント職 と入れ替わった形となりました。2006年に就任した中村氏は、清原和博・中村紀洋獲得にも成功し、ホクホクといった感じでしたね!!まぁ2人の成績は、ある意味予想通りとなり・・・他にも内野手に転向していた裕次郎(筧裕次郎)[近鉄・オリックス]を捕手に再コンバートさせたり、2005年のシーズン終盤にはセカンドで好成績を残してた平野恵一を"体型やプレースタイルで判断したんか、2005年の阪神優勝メンバーであった赤星憲広とダブらせたんか?"外野にコンバートといった所は、結果的には"迷走"も見られましたねぇ(落ち込み)内野席では「中村ー!お前は悪くない、お前を監督にしたフロントが、悪い!!」といった野次も見受けられましたね(涙)翌2007年からは、再びフロント入りで球団本部長に!オリGM時代も2位は2008年のみ2006年の監督時代でも借金29での5位でしたね(汗)2009年は優勝候補も最下位となり、岡田彰布の監督就任?責任を取り?での辞任・・・2012年シーズン途中に阪神初のGMに就任。福留功介、西岡剛、マウロ・ゴメス、建山義紀、呉昇桓といった海外の有力選手を中心の獲得に手腕を発揮(えっ?建山とブルックス・コンラッド[阪神]の失敗は、触れちゃダメ[ダメ])しましたし、"2012年の5位からはチームは浮上しつつあった矢先やっただけに"非常に惜しい形で(涙)オリックス側も人柄も見込んででの招聘やったから、ほんまに人柄は合格やったんでしょう!人柄も「堅実」という言葉が、ピッタリやったような!気遣いも凄かったやろうから、優勝へのプレッシャーもあったやろうし、心労があったんでしょうか?・・・通算成績は、試939 率.249 76本219点 安648/試867 343勝487敗7分 率.434 でした。僕は中村氏を嫌いになれない存在やったんで、これで阪神に優勝して欲しい気もして来ましたねっ!!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする