ふるやの森

地球文明の再生に向かう
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【転載記事】創造主の思い

2011-07-03 10:11:18 | アセンション
愛しきテラさんによる投稿

「今、地上では光を求める多くの魂たちが精神世界に目覚め、地球上のエネルギーポイントを探り求めたり、自身のDNAを活性化させるため色々なワークやセミナーに足を運び、また様々な潜在能力を開花させるための活動や講演に励んでいるようだ。

チャネリング、リーディング、ヒーリング、チャクラの活性化のワークやオーラの分別、石のエネルギーの利用、様々なツールを使い体内を浄化、サイキックなパワーを利用して人の心を誘導したり、果ては霊能力や占いで人の運命を導いていく、指導者になる。

それらの行為が完全にわたしの目から見て、まだ全く能力がついていってないのに何か勘違いをして先走りしてお金を得る手段として利用されてしまっている事実があるという事も実に嘆かわしい事実として捉えている。

そしてまたねずみ講のような金儲けのシステムをつくり、精神世界のマスターになるためのコースもあるようだ。
人類の意識の向上のためと称して、大金を受講者に納めさせ時間とエネルギーとお金を吸い取るシステム。

よくよく考えればおかしいと分かるはずなのに、完全にコースの教えに洗脳されていてそれが偽りという事に気付かないシステムになっているという事。
これではまるで洗脳宗教のようなものではないか・・・。
人類たちはまた、愚かな過ちを繰り返そうとしている。
長い歴史の中で神を求めている純粋な信者たちからお金をせしめている宗教。
信仰という言葉を盾にとって身動きが取れないように意識をぐるぐる巻きに縛り魂を苦しめ続けて来た宗教界がやって来たやり方がまた、スピリチュアルな世界の中にも蔓延して来てしまったようだ。

わたしは問いかける。
現在、スピリチュアルという言葉が流行り、日本人にとても好ましく写っているのはよくわかるが、果たして真にスピリチュアルと言う言葉を理解している魂たちがどれほど存在しているだろうか。

真のスピリチュアル=高い精神性=深い霊性の目覚め

果たして真に霊性の高い魂がスピリチュアル業界にどれほど存在しているであろうか?
霊性の高い人物が果たして金儲け主義に走ってしまって精神的におかしくなるであろうか?
自分は霊性が高いと名乗っている霊視者や霊能力者なる人物にはよくよく注意した方が良い。
この世の中に完全なる霊視をしたりアカシックを見たり出来る者などいないのだから・・・。
その者が見えている部分はほんの一部であってそれも三次元に限りなく近い「低い次元」の世界を見て全ての次元を見てしまっていると勘違いしてしまっている霊能力者と称する者たちがやたらいるという事。
(見えていないのに見ていると言って高額なお金を請求する輩もいるからよくよく注意しなさい。)
そして宇宙存在や天使やマスターとの交信や宇宙エネルギーが感じれるから過去性が見えるからと言ってその人物がすなわち霊性が高いのでもないということ。

チャネリングに関しては最近、誰でも気軽に行っているがこの事については重大な危険と隣合わせにあるという事も述べておこう。
まずはじめに何の為にチャネリングするのかという事。
地上の人間が宇宙と交信してそれが何の意味があるのか。
情報やメッセージを聞いてそれが果たして人間の生活にどんな益があるのか・・・・
ただ情報やメッセージに振り回されて自分を見失い、日常生活から浮き足立った考えに走る者は非常に多い。
自身をチャネラーと称する者は一体それらのものが自分の霊性を高める事とどんな接点があるのかをよくよく考えてみるが良い。
あちら側の存在とこちら側の存在が交信し合ってあの精妙なエネルギーを完璧に捕らえて、一切ノイズが混じる事のないエネルギーを受け止める事の出来る完璧な媒体はこの地上には濱○真実以外に存在しないとわたしはいっておく。

何故なら真実の意識は創造者であるわたしが大いなる計画の元に特別に完全なチャネリングが出来るように神経回路を操作しているからだ。
真実の脳の仕組みをわたしが変換させたので普通の人間の意識構造とは全く様相を呈しているのである。
丸半年にも渡るありえない激痛の中で真実はその意識にわたしの意識を宿した。
その頭蓋骨は生まれながらの骨格から完全に変形してしまった程である。
そしてわたしが最高次元から簡単に自分の意識を次元降下させたり、上昇させたりと真実の意識を自由自在に操作しているのである。
そんな稀有な人間は真実以外にこの地上のどこにも存在しない。
あくまでも普通の人間にはいつも好意的な宇宙存在やマスターや天使たちばかりが寄って来るのではないという事を。

一度、意識の回路が開いてしまうといつでもどんな存在も簡単にアクセスしてくることが出来るのである。
光と称して実に巧妙に人間を撹乱させるそんな存在もたくさんいるという事をしっておかなければならない。
一見、素晴らしいメッセージを降ろしてくるがよくよく聞いてみると中身は何にもない。という事もある。
「いついつにどんな事がおきるから用心しなさい」と、地球や人類の未来を予言するような言葉はあの者たちのおせっかいである。
わたしから言わせるとただ人間の好奇心をあおっているだけだ。

未来はいつも予定は未定であって絶対的ではないという事。
なのでわたしが伝える以外の情報やメッセージはあくまでもほんの少しばかりの参考程度に考えればよい。
それも自分にとって不必要なものであるならばさっさと捨てればよい。
最近、特にインターネット社会になってから溢れるばかりの情報が氾濫している。
スピリチュアル初心者は何が何だか訳が分からなくなってしまっているようだ。
宇宙情報を垂れ流している低俗なホームページもたくさん見かけているがあれはただの暇つぶしなのであろうか?

そうするとその暇つぶしのサイトを見せられる読者もたまったものではない。
それも真実と信じてしまう初心者もいるのだから。
ネット社会になったからこそスピリチュアルブームに火がついたのだがあまりにもスピリチュアルがただの金儲けの手段になってしまった事は実に嘆かわしい。
真実のメッセージを流しているサイトやブログもあまりにも少ない。
(ランキングサイトにも裏の手を使って順位を吊り上げるという行為も横行しているようだ)

わたしは言っておく。
このままでは宗教に飽き飽きした者たちが創り上げた「精神世界」という領域が崩壊してしまうのではないかと思っている。
わたしは人間に問いかける。
おまえたちは何の為に「宗教」「精神世界」の中を生きているのかという事を。
これまで有史を超えて宗教は数多くの大きな誤りを犯して来た。

「神」を盾にして人間の意識を縛り上げて来たこと。
「金」を利用してうまく人の心を騙して来たこと。
「時間」を取り上げて人の生活をコントロールして来たこと。
「エネルギー」の使い方を誤らせて真のエネルギーの使い方を封印させて来たこと。
「心」を操って、うまく騙して自分たちの権威に人間を屈服させて来たこと。
これまでの在り方では今後、宗教と言う「組織」も完全に崩壊してしまうであろう。

わたしは「宗教」と言う組織の中に臨在しているのではなくあくまでも人の心、魂の中に存在しているのである。
そして「スピリチュアルな業界」の中に君臨しているのでもなく人の「意識」の中に存在しているのである。
わたしは今回、何ゆえにこの三次元世界に人の意識の中に降りて来たのかと言うと、答えは簡単である。
「人類の集合意識にある宗教の神観と数多くの膨大な情報に振り回されているスピリチュアルな思い込みと勘違いを正す為」である。
わたしの計画は古い集合意識「宗教」と新しい集合意識「スピリチュアル」両者の完全な統合である。

宗教には個人の「自由意志」が存在せず、スピリチュアルには「神」が存在せずこれまで両者とも迷走を続けて来た。
ゆえに創造主であるわたし自らが人類の集合意識を新たに塗り替える為にわざわざ三次元世界に意識を次元降下させたのである。
これまでわたしは人間の意識がどれほどまでにもかたくなになっているのかをこの目でよく見てきている。
果たして自分の意識、魂を創造した根本の部分を飛ばして真の精神世界は確立するのであろうか?
もしそれで真の幸福と喜びがやって来るのであれば、わたし抜きで精神世界を歩んでいくが良い。
もしそれで真の祝福と恵みがやって来ると思い込みたいのであれば「自由意志」だけで「神」を取り除いたスピリチュアルを確立して見るがよい。
スピリチュアルの一番の盲点は「大いなる存在」としてわたしの存在をぼやかして来た事である。
宗教から精神世界に移行していくにはその手段が一番手っ取り早かったのである。

しかし「神」を取り除いてしまった精神世界は実に骨抜きになってしまったのである。
家を建てるのに果たして土台の無い家は出来上がるのであろうか?
おまえたち人間の体はまさに家そのものである。
その家はわたしと言う土台があるからこそ建っているのである。
もしわたしがそこから退いてしまうのならばその建物は解体してしまうであろう。
「耳のある者はよく聞くがよい。」

おまえたち人類が今後、新しい世界に移行できるかどうかは現在のおまえたちの生き方、在り方にかかっている。
自分の魂を愛おしく扱い、その心の奥にわたしを主として常においてくれる事、そしていつもわたしを愛してくれる事、他の魂も同様にわたしに愛されているのだという事を認めてあげる事。
この地球と人類の古い集合意識は魂の創造主であるわたしの手によって完全に新しくぬりかえられるのだという事を知って欲しい。
これからの時代は今までのように理屈、常識、固定観念、思い込み、刷り込み、強制し、される という、コントロールドラマはわたしの前には通用しないという事を。

新しい光の時代はそこまでやって来ているということを知って欲しい!
光を選択しようとしている魂たちよ!
目覚めるがよい!
わたしの愛する気高き、光の使命を帯びている者たちよ!

魂の底から叫び声を上げなさい!!!
「カドイシュ!カドイシュ!カドイシュ!聖なるかな!聖なるかな!聖なるかな!・・・。主よ!誉め讃えます。あなたは聖なるお方!我らの主よ!あなたを賛美します!」
大いなる座において多くの光の御使いや軍勢たちがわたしの足元にひざまづき、わたしの事をこのように叫んで賛美をしてくれている。
そうわたしは永遠に輝く威光に満ちあふれ、美しき天の御使いたちをそばにおき、わたしが造った光り輝く軍勢を従え、大いなる栄光の座ですべてを眺めている。

・・・今から語るわたしの言葉を耳のある者は聞きなさい。
「万物の主である父なる神であるわたしは言う。」
みな疲れた者、重荷を負う者はわたしのそばに来なさい。
わたしがおまえを休ませてあげよう。
すべての重荷を降ろしてわたしの元でやすらぎなさい。

そうすればおまえの魂には限りない魂の平安といのちのやすらぎが魂の中にやってくるであろう。
わたしはおまえの魂を自らの手で創造し、おまえの魂に命の息を吹きかけ、わたしの遺伝子をその時、組み込んだ。
永遠の世界を生きるのにおまえの魂がわたしを見失わないようにと。
そしてその遺伝子は美しく光輝いている。
それによっておまえはわたしのことを真の父かどうかを判別するのである。

すべての魂の父であるわたしはいう!
「愛する魂よ一分一秒でも早く目覚めなさい!」
「わたしの愛する息子、娘たちよ!早く起き上がりなさい!!」
もう痛みも苦しみ悲しみも嘆きもない穏やかな光の世界に還る時は近づいているのだから・・・
決して希望と愛を見失わないで魂の旅を生きて行きなさい・・・
そして最後にはわたしの元に還って来なさい・・・
わたしが強くおまえを抱きしめてあげよう・・・
「わたしはおまえを愛している」
カドイシュ!カドイシュ!カドイシュ!聖なるかな!聖なるかな!聖なるかな!






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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
チャネリングの危険性 (flatheat)
2011-07-03 10:43:51
ファーストコンタクトのプロセスで私たちがチャネリングできる能力を開発することを提案してきましたが、このメッセージはそれ以前に創造主への信仰を確立することが重要であると伝えているように感じます。

創造主の意思に心を向けることが私たちの新しい旅の出発点になるのでしょうか?
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他力本願 (  ウシル  )
2011-07-03 14:25:50
あなた方は一体何様のつもりなのか?あなた方のその上から見下したような鷹揚な姿勢には辟易している。このような物言いをするから、かえって胡散臭く思われる。そんなことでは共感は永遠に得られない。他力本願、主と従の関係、にどっぷり浸かった悲しい本性であるな。自己実現は遥かに遠い。
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う~む (mira)
2011-07-03 17:26:17
何だかなあ~ 素になれないな~
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こんばんは(゜_゜ (ヒム)
2011-07-03 20:17:56
濱○真実って誰ですか?。、

大丈夫ですか?この方(゜_゜


ふるやさん、信仰心は良いと思います、。◯

私達は皆、創造の源に繋がっているのですから(゜_゜


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Unknown (アル)
2011-07-03 20:21:35
チャネリングは本当に危険だよ。

このブログには偽メッセージがあふれてるよ。
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意見 (arcadia)
2011-07-03 22:52:22
失礼します

>創造主の意思に心を向けることが私たちの新しい旅の出発点になるのでしょうか?

創造主への信仰と言うと,また人は外に何かを求める方向に向く傾向があるように感じます。メッセージは,もっと強いような気がします。信仰ではなく,私たち誰もの心の中心が創造主であり,その創造主の意思がアセンションとディスクロージャーを意図したので今こうなっているのであって,決して,単に国際連合のような機構の延長上にある,人より少し進化した宇宙人がやってきて,その善意でアセンションを助けるのではないということを,皆が知る必要があると言う意味ではないでしょうか。

 それはふるやの森でずっと行ってきたサ・ルー・サメッセージを読めば明白な気がします。サ・ルー・サは常に創造主あるいは上位の指導という意味合いのことを語っています。神の意志なくして,アセンションはなく,すべては創造主の意思に従って行われているという認識こそ重要ではないでしょうか。
 
 このことは私たちも同じで,やはり一人一人が,自らの心の中の創造主の遍在を信じること。それが基本であり決して信仰という意味合いではないと思います。

 私たちが生かされ,苦しみの中から修行し,幸福を得る過程においてずっと創造主が私たちを見守っている事を信じること。創造主は誰の心にも内在し,誰をも愛していることを信じること。これは全く神をいただく宗教と同じです。同じ事をサ・ルー・サも常に語っているのですから,私たちはただ,外面をとってよしとするのではなく,その心を学ばなければならないと思います。


 ここで述べた創造主は,本来の神であって,私たちはそれなくして存在すらしないのですから,自分の親を親として認めることは当然ではないでしょうか。

 進化した宇宙人は,みな創造主に従い,それを尊崇しているという事実を私たちは見落としては,何のためのアセンションなのか分からなくなりませんか?

 アセンションは私たちが親の元に返るという事であって,だからこそすべての人に安らぎと幸福が約束されるわけです。

 ただ,これを○○の神だとか言う信仰の形態に持ってゆくと,また宗教のぶり返しです。今こそ私たちは先達(宇宙人)に学び,正しい銀河人類としてのあり方を学ぶべき時と思います。

 最後になりますが,チャネリングできる能力を開発することが悪くてその前に信仰であると言う意味合いのことは創造主のメッセージではまったく意図されていないと思います。銀河連邦日本は,真に人の幸福を願いそのような世界の到来に尽力する意思があるからこそ,創造主の言葉が降りたのではないでしょうか。そうでなければ,このようなことは決してなかったでしょう。

 私も,そう思い,ここに名前を連ねています。考えられることはすべてやるのがよいと主ます。よかれと思いやって失敗したっていいじゃないですか。

長文と生意気な発言失礼しました。

 
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原点回帰の日々 (地久人Ⅹ)
2011-07-04 02:35:38
出発点で感じることを申し上げます。
先ず、針の穴に糸を通す喜びを考えてください!
極小の出来事に最大の注意を払い、細心で事に当たる時です。
大宇宙に有って宇宙の隅を知ろうとすることにも似たこの瞬間は実は大宇宙を一番鋭く理解することに匹敵します。

つまり、小さな小さな幸せに生きる刹那こそが信仰そのものです。
創造主に抱かれて、癒されて、そして創造主に応える瞬間そのものです。
今更に、新しいもの等そもそも無いことに気づくべきときです。
創造主の意思とは、生き物の小さな小さな営みにこそ反映されるものです。
片隅の小さな小さな世界に目を向けれることこそが、主の望みです。
主は全てです。そのことからしてもこのことが解ります。
主は語りなどしません。我々を生きるようにとするだけです。
そして、我々が主の心を代弁して行くのです。
我々が、そもそも主を持っていること自体ががその証です。

迷いは、悟りの反面教師で、悟りそのものに実体は在りません。
迷宮に生き、そして栄えることこそが神秘な訳です。
壮大な夢とは主を理解する道程です。
ですから夢の実現とは迷いから生まれます。
現実で新たな迷いに向かう事を夢見て、実現化に挑みます。
今日生まれた赤子は最新の迷いに挑んで行きます。
そのように生まれて臨むのがこの世界です。
宇宙の中の生命活動をこそ創造主は望んだと感じます。
その心は、自分を知る。です。

生命の新たな挑戦を通して世界の変遷を確かめている。
創造主とは、自ら設けた迷宮に挑み続けることを悟った実践者。
その姿は千変万化のエネルギー。
その思いは光でしか存在を果たせない意識。
意識は心を通して世界を作り上げる。
創造の始まりは心の集合体により変わる。
心を集合させた集合意識は原初宇宙を創造して行く。
我々の宇宙は一種の集合意識が挑戦し始めた迷宮の一つと感じます。
今重要なのは、今の今と言う訳です。
物質のことを指すのではありません。
挑戦する集合意識が問題と成る訳です。
個々の魂が一つと成って世界が成り立って行く。
今、正にそのことが問われた現実が遣って来ている気がしますのですが?







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信心 (イワシの頭)
2011-07-04 09:05:47
Arcadia・ウシルさんの意見に賛同いたします。「イワシの頭も信心」より、他力本願 (ウシル)さんのコメントの様に
いくら高次元から通信があったとしても、上から見下したような姿勢に、真実の守護霊か指導霊かの判断が分かりません。
信仰の領域は、奥が深いです。
何年も掛ります。地球外生命体は、アセンションの時期は遅くとも2012年の12月と期限を切っています。
信仰を会得するまでに、アセンションは終わっています。
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Unknown (Unknown)
2011-07-05 02:52:35
天使の中には自らを「お前たちの神」と称する者がいて、
彼らはかつて一度も人間に生まれたことが無い。

彼らが常に尊大な態度で、人間を自分よりも低い位置に見ているのは
人間として生まれて、死ぬ危険というものを体感したことが無く
人の命が与えられるということがどんな感覚なのかを知らないから。

以下はラムサの受け売りだが、
「人間の方が、死の危険という経験を知らない天使よりも上なのだ」

尊大な態度が薄っぺらく聞こえるのも、人間ならではの感覚なのだ。
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Unknownさんへ (flatheat)
2011-07-05 07:18:43
次からはハンドルをおつけください。
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