遮光器土偶(spaceman clay figurine)の目が異様に大きいのはがつけるシベリアのヤマロ・ネネツ族等が用いていた遮光用のアイマスクをつけているためだと考えられてきた。
また土偶が身につけているコスチュームは遮光器土偶が制作されたとされる縄文時代晩期(3,000~2,300年前)頃のこの頃の戦乱に明け暮れていた春秋戦国時代の中国で着用された甲冑(明光鎧)に似ていると思われていた。
亀ケ岡
亀ケ岡遺跡にみられる遮光器土偶のモデルは甲冑姿の渡来人だった?にみ亀ケ岡遺跡にみられる遮光器土偶のモデルは甲冑姿の渡来人だった?られは冑姿の渡来人だった?
しかし、日本はもとより世界の各地で何故同じ(類似する)遺物が発見されているのかは、この説では説明できない。
宮城県多賀城遺跡 山形県杉沢遺跡 ギメ東洋美術館(フランス)
アマゾン、先コロンビア時代 バルカン半島シャコマン パキスタン(BC3000-)
したがって、「異星人が宇宙服とスペースゴーグル(遮光器)を身につけて、宇宙船で各地を訪れていた」と解釈するのが最も理解が可能な方法である。
宇宙考古学者のエーリッヒ・フォン・デニケンは昭和50年(1975)に来日した際、集まった記者団にこう語った。
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デニケンは集まった取材記者に向かってとんでもない話をして話題になった・
太古の昔、少なくても1万年前、宇宙人が光速なみの高速宇宙船に乗って地球を訪れ、地球の原住民を遺伝子操作などによって人種改良し、文明の発展に取り組ませた、と主張したのである。
デニケンは「ソ連の作家アレキサンドル・カザンチェクの自宅で見せられた3体の日本古代人形も宇宙飛行士のいでたちをしていた」と語っている。
それに魅せられて来日したのかどうか、それはわからないが、いずれにしろ、カザンチェフは、その際、「秋田県の床舞で出土したもので、紀元前の作品だ」と説明したというのである。
高さ60センチ。両肩から出て体にぴったりくっついたベルトが膝の上で交差し、さらに尻に近い大腿部で再び交差していた。また、鋲(びょう)のついた幅広のベルトが別に腰を閉めている。身に着けている衣服はふくらみがある。頭に乗せたヘルメットもリボン状のもので胴体にぴたりと結合されていた。それに、斜めにレンズをつけた大きなメガネをしていた。
誰が見ても、それは遮光器土偶だったとわかる。しかし、それが「宇宙飛行士だった」などと指摘したのはNASA(アメリカ航空宇宙局)の研究者とデニケン以外にはいない。
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もはや結論は出たと言えるのではないだろうか。遮光器土偶は縄文時代に地球を訪れた異星人の像で、縄文時代の日本人(アイヌ人)は、彼らを指導神(アラハバキ)として崇拝して礼拝していた。
アイヌ民族の神話に残されたオキクルミカムイ伝説は異星人が原始状態に退化したムー文明の子孫を文明の復活に導いた記録なのである。
☆F★
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インドのチャッティースガル州で宇宙船と異星人の姿を描いた壁画が発見されたとインドのタイムズオブインディア紙が2014年7月15日に伝えた。同州の調査機関はNASAとIsroに調査の支援を要請している。
10,000-year-old rock paintings depicting aliens and UFOs found in Chhattisgarh
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