みなさん、こんにちは。<私たちは神 (至高の実在) ですね!> (^_^)v
マスターについて、ラムサのCD「マスターを定義する」より抜粋しました。より詳しくはぜひCDをお聞きください。
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我々がここで望んでいるのは、パーソナリティーとスピリットの合一、つまりそれらが同じものになることだ。これは完全に透明な状態であり、何の嘘も存在せず頑固なこだわりも存在しない。不足も存在せず、過去も存在しない。存在するのは「今」だけであり、あなたは自分が現実化したものを目の当たりにする。そしてこれがパーソナリティーとスピリットの合一である。これこそがこの学校の目的である。
そしてあなたが変化することは、きわめて重要である。だが私はあなた方に、信用できる十分な量の知識を与えずに変化するように要求したことはない。それらの知識によってあなた方は前進する能力をもつことができ変化することができる。変化は重要だ。あなたが変化しなければ、あなたがバランスのとれた存在になることはない。というものあなたのパーソナリティーとスピリットのバランスがとれるまで、つまりそれらが同じ存在になるまでは、あなたがマスターへと向かって前進することはないからだ。
さてマスターだが、マスターとは何なのか。マスターは神が完全に表に現れ、神がパーソナリティーとなるときに生まれる。マスターは輝いており、美しく何の不足もない。マスターはまさに何の制限ももたず、まったく汚れがない。マスターは「今」という瞬間に生きている存在であり、常に「今」の中にいる。つまりすべてが「今」となった状態だ。これはあなた方全員がこの学校に来て成ろうとしているものであり、これがマスターだ。そしてあなた方は自分たちのことを「マスター」と呼ぶ。私もあなた方をマスターと呼ぶ。だがあなたはマスターだろうか。それはあなた方がなりたがっているものだ。これはあたかもあなたの頭に王冠をかぶせ、あなたに王位を与え、あなたの手に力を与えるようなものだ。これは王位である。
だがマスターになるためにあなたは何をしなければならないのか。あなた方は今夜自分の教師の話を聞くためにここにやってきた。そして霊的な存在のコミュニティーとしてここに集まっている。このコミュニティーは人によって程度の差はあるが、ある程度まで豊かになっており、あなた方はここに来ることによって、あるレベルのエネルギーにひたっている。そのエネルギーはあなた方が自分の夢を受容することを可能にする。だからこそあなた方はここにいるのだ。
あなたが歩くマスターとなるとき、あなたはこの学校の頂点に達したことになる。歩くマスターとは馬を乗りこなす学びにおいて、あなたがすべてのテストを通過し、「今」という瞬間に生きているということだ。あなたがそうなるまでは、あなたはグレートワークの生徒である。これは以前にも話したことだが、あなた方の中のごく少数の人間だけがこの学校から旅立ち、キリストの状態に向かって進化し続けるだろう。キリストの状態とはもはや死が存在せず、ずっと生き続ける状態のことだ。
あなた方のなかには、この学校で学んだ道具を利用して富を手に入れたり、望みの人間関係や望みの生活を実現したりする人々もいるだろう。それはそれでまったくかまわない。というのもこの人生が終わるとき、ほんのわずかな変化でさえ、きわめて素晴らしいことだからだ。だが至福の天界の講義で私が話したことを思い出してほしい。あなたがすでに死んでいて、ライトレビューのなかでこの瞬間を見ているとしたら、あなたはこの瞬間をどのように生きるだろうか。これはマスターにとっての基本的なルールだ。「この瞬間を永遠に生きる」ためにはどうすればいいのだろうか。(中略)
ではマスターとは何なのか。マスターとは足跡を残さない存在のことだ。これについて考えるとき、我々はこの言葉の意味をどのように解釈するだろうか。マスターは過去をもたない。足跡を残さないとはそのような意味だ。マスターは足跡を残さない。さて私はこれまでよく、あなた方に私の足跡を歩かせることによってあなた方に前進させている、と言ってきた。私は実際にそのようにしている。それらの足跡はすべて「今」である。それらは同じ大きな足跡だ。
マスターは過去に夢中になった状態でマスターになることなどできない。それは無理である。人間は過去に夢中になっている。これはつまり我々が自分の変質した自我、つまり制限された自分を定義するとき・・・私の話をとても注意して聞きなさい・・・我々が自分をパーソナリティーとして定義する方法だが・・・私もそれをやったし、あなたもそれをやっているが・・・我々は自分の苦しみという観点から、つまり「自分の過去」という観点から自分を定義する。我々はそのように自分を定義する。なぜならあなたが過去をもたなければ、あなたはパーソナリティーを持たないからだ。というのもあなた方の最初の質問は、「あなたはだれですか、どのようにしてこうなったのですか、どこから来たのですか」というものだからだ。
そんなことはどうでもいいではないか。これらのことを重要視すべきではないが、あなたは毎日これをやっている。これはあなた方の癖だ。よく聞きなさい。人間としてのパーソナリティーは、自らの過去を基盤にして構築されないかぎり存在できない。それゆえそれは過去という観点から考え、生存主義者として考える。それは狡猾だ。それは生き残る方法を知っている。(中略)
マスターとはパーソナリティーが何の汚れもない窓となるところまでパーソナリティーを丹念に変えた存在のことだ。グレートワークの生徒として我々が意図的にそうするとき、我々は新しいワインのための容器を準備する。容器とはマインドと肉体のことだ。我々は新しいワインのためにそれを準備する。新しいワインとはホーリースピリットのことである。
さて、パーソナリティーそれ自体が霊的な存在になる地点まで我々が到達した時、それこそが神秘家である。本物の生きた神秘家は、パーソナリティーがスピリットと同じレベルに達している存在である。つまりパーソナリティーとスピリットが一体化しており、もはや敵は存在せず、影も存在しない。それらは同じ存在である。
それが神秘家だ。そのパーソナリティーは、ホーリースピリットを映し出すものとして、大胆で勇敢で汚れがなく、透明でライチャスだ。つまりパーソナリティーがホーリースピリットの生きた鏡となった状態である。それこそが我々が「ライチャス」と呼ぶものである。転生の正しい使い方である。それが聖なる存在である。
ところでこの聴衆の中には素晴らしいスピリットをもっているものの、ひどいパーソナリティーをもっている人々がいる。彼らはよい意図をもっているが、けっして最後までそれをやり通さない人々だ。さらにここには偉大なパーソナリティーをもっているが、ホーリースピリットのための余地をもたない生徒たちもいる。彼らはカリスマ的であり知的である。彼らはうまく話すことができるが実行することができない。
その容器をとおして出てくるものが何もないのだ。だが本物の神秘家、すなわち真に偉大な存在はきわめてバランスがとれており、彼らのパーソナリティーは彼らのホーリースピリットである。我々はそれを「透明さ」と呼んでいる。
ここで、なぜ過去にひたった状態ではマスターに戻れないのか、という話に戻ろう。その理由は我々が自分の過去に戻るとき、つまりあなた方が過去に戻るとき、あなた方は感情体の中に戻るからだ。それはひとつの感情体を生み出す。それは中毒だ。あなたが過去に戻るとき、あなたは感情を得るために過去に戻っている。
さて、マスターは過去をもたない。これらのものはマスターの現実のなかには存在しないからだ。マスターは不正直ではない。マスターは泥棒ではない。マスターは外交家ではない。これはつまりマスターは偽善者ではないということだ。マスターは嘘つきではない。マスターはありのままの真実を見せる。マスターは他人を巧みにあやつる人間ではない。これらを全部ノートに書きなさい。
マスターガローラよ、これらを書いてほしい。これらについて議論しなさい。というのも我々はこれからこれらがいかにして「ペプチド」と呼ばれる小さなたんぱく質に変わり、第七シールから分泌されるかを考察するからだ。我々はこれらが肉体にどのような影響を与えるのか、そしてなぜ過去はもつに価しないものなのかを考察する。
嘘つきだ。これは創造的な真実だ。さてこれらは何だろうか、声に出して読んでみなさい。マスターではないものは何だろうか。さて、マスターは真実である。あなた方は真実を知りなさい。「真実があなたを自由にするだろう」という言葉を聞いたことがあるはずだが、これはとても重要だ。何から自由になるのか。感情から自由になるのだ。我々はこれからそれを理解する。我々は他にどのようなことを知るだろうか。
感情から解放されれば、我々は過去から切り離される。過去から切り離されれば、我々は過去をもたなくなる。過去をもたなくなれば、我々は「今」のなかに留まる。今の中に留まれば我々は「透明さ」をもつことになる。それがマスターだ。・・・・・。
ハイアーセルフ33 <私たちは神 (至高の実在)である!> (*^-^*)
マスターについて、ラムサのCD「マスターを定義する」より抜粋しました。より詳しくはぜひCDをお聞きください。
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我々がここで望んでいるのは、パーソナリティーとスピリットの合一、つまりそれらが同じものになることだ。これは完全に透明な状態であり、何の嘘も存在せず頑固なこだわりも存在しない。不足も存在せず、過去も存在しない。存在するのは「今」だけであり、あなたは自分が現実化したものを目の当たりにする。そしてこれがパーソナリティーとスピリットの合一である。これこそがこの学校の目的である。
そしてあなたが変化することは、きわめて重要である。だが私はあなた方に、信用できる十分な量の知識を与えずに変化するように要求したことはない。それらの知識によってあなた方は前進する能力をもつことができ変化することができる。変化は重要だ。あなたが変化しなければ、あなたがバランスのとれた存在になることはない。というものあなたのパーソナリティーとスピリットのバランスがとれるまで、つまりそれらが同じ存在になるまでは、あなたがマスターへと向かって前進することはないからだ。
さてマスターだが、マスターとは何なのか。マスターは神が完全に表に現れ、神がパーソナリティーとなるときに生まれる。マスターは輝いており、美しく何の不足もない。マスターはまさに何の制限ももたず、まったく汚れがない。マスターは「今」という瞬間に生きている存在であり、常に「今」の中にいる。つまりすべてが「今」となった状態だ。これはあなた方全員がこの学校に来て成ろうとしているものであり、これがマスターだ。そしてあなた方は自分たちのことを「マスター」と呼ぶ。私もあなた方をマスターと呼ぶ。だがあなたはマスターだろうか。それはあなた方がなりたがっているものだ。これはあたかもあなたの頭に王冠をかぶせ、あなたに王位を与え、あなたの手に力を与えるようなものだ。これは王位である。
だがマスターになるためにあなたは何をしなければならないのか。あなた方は今夜自分の教師の話を聞くためにここにやってきた。そして霊的な存在のコミュニティーとしてここに集まっている。このコミュニティーは人によって程度の差はあるが、ある程度まで豊かになっており、あなた方はここに来ることによって、あるレベルのエネルギーにひたっている。そのエネルギーはあなた方が自分の夢を受容することを可能にする。だからこそあなた方はここにいるのだ。
あなたが歩くマスターとなるとき、あなたはこの学校の頂点に達したことになる。歩くマスターとは馬を乗りこなす学びにおいて、あなたがすべてのテストを通過し、「今」という瞬間に生きているということだ。あなたがそうなるまでは、あなたはグレートワークの生徒である。これは以前にも話したことだが、あなた方の中のごく少数の人間だけがこの学校から旅立ち、キリストの状態に向かって進化し続けるだろう。キリストの状態とはもはや死が存在せず、ずっと生き続ける状態のことだ。
あなた方のなかには、この学校で学んだ道具を利用して富を手に入れたり、望みの人間関係や望みの生活を実現したりする人々もいるだろう。それはそれでまったくかまわない。というのもこの人生が終わるとき、ほんのわずかな変化でさえ、きわめて素晴らしいことだからだ。だが至福の天界の講義で私が話したことを思い出してほしい。あなたがすでに死んでいて、ライトレビューのなかでこの瞬間を見ているとしたら、あなたはこの瞬間をどのように生きるだろうか。これはマスターにとっての基本的なルールだ。「この瞬間を永遠に生きる」ためにはどうすればいいのだろうか。(中略)
ではマスターとは何なのか。マスターとは足跡を残さない存在のことだ。これについて考えるとき、我々はこの言葉の意味をどのように解釈するだろうか。マスターは過去をもたない。足跡を残さないとはそのような意味だ。マスターは足跡を残さない。さて私はこれまでよく、あなた方に私の足跡を歩かせることによってあなた方に前進させている、と言ってきた。私は実際にそのようにしている。それらの足跡はすべて「今」である。それらは同じ大きな足跡だ。
マスターは過去に夢中になった状態でマスターになることなどできない。それは無理である。人間は過去に夢中になっている。これはつまり我々が自分の変質した自我、つまり制限された自分を定義するとき・・・私の話をとても注意して聞きなさい・・・我々が自分をパーソナリティーとして定義する方法だが・・・私もそれをやったし、あなたもそれをやっているが・・・我々は自分の苦しみという観点から、つまり「自分の過去」という観点から自分を定義する。我々はそのように自分を定義する。なぜならあなたが過去をもたなければ、あなたはパーソナリティーを持たないからだ。というのもあなた方の最初の質問は、「あなたはだれですか、どのようにしてこうなったのですか、どこから来たのですか」というものだからだ。
そんなことはどうでもいいではないか。これらのことを重要視すべきではないが、あなたは毎日これをやっている。これはあなた方の癖だ。よく聞きなさい。人間としてのパーソナリティーは、自らの過去を基盤にして構築されないかぎり存在できない。それゆえそれは過去という観点から考え、生存主義者として考える。それは狡猾だ。それは生き残る方法を知っている。(中略)
マスターとはパーソナリティーが何の汚れもない窓となるところまでパーソナリティーを丹念に変えた存在のことだ。グレートワークの生徒として我々が意図的にそうするとき、我々は新しいワインのための容器を準備する。容器とはマインドと肉体のことだ。我々は新しいワインのためにそれを準備する。新しいワインとはホーリースピリットのことである。
さて、パーソナリティーそれ自体が霊的な存在になる地点まで我々が到達した時、それこそが神秘家である。本物の生きた神秘家は、パーソナリティーがスピリットと同じレベルに達している存在である。つまりパーソナリティーとスピリットが一体化しており、もはや敵は存在せず、影も存在しない。それらは同じ存在である。
それが神秘家だ。そのパーソナリティーは、ホーリースピリットを映し出すものとして、大胆で勇敢で汚れがなく、透明でライチャスだ。つまりパーソナリティーがホーリースピリットの生きた鏡となった状態である。それこそが我々が「ライチャス」と呼ぶものである。転生の正しい使い方である。それが聖なる存在である。
ところでこの聴衆の中には素晴らしいスピリットをもっているものの、ひどいパーソナリティーをもっている人々がいる。彼らはよい意図をもっているが、けっして最後までそれをやり通さない人々だ。さらにここには偉大なパーソナリティーをもっているが、ホーリースピリットのための余地をもたない生徒たちもいる。彼らはカリスマ的であり知的である。彼らはうまく話すことができるが実行することができない。
その容器をとおして出てくるものが何もないのだ。だが本物の神秘家、すなわち真に偉大な存在はきわめてバランスがとれており、彼らのパーソナリティーは彼らのホーリースピリットである。我々はそれを「透明さ」と呼んでいる。
ここで、なぜ過去にひたった状態ではマスターに戻れないのか、という話に戻ろう。その理由は我々が自分の過去に戻るとき、つまりあなた方が過去に戻るとき、あなた方は感情体の中に戻るからだ。それはひとつの感情体を生み出す。それは中毒だ。あなたが過去に戻るとき、あなたは感情を得るために過去に戻っている。
さて、マスターは過去をもたない。これらのものはマスターの現実のなかには存在しないからだ。マスターは不正直ではない。マスターは泥棒ではない。マスターは外交家ではない。これはつまりマスターは偽善者ではないということだ。マスターは嘘つきではない。マスターはありのままの真実を見せる。マスターは他人を巧みにあやつる人間ではない。これらを全部ノートに書きなさい。
マスターガローラよ、これらを書いてほしい。これらについて議論しなさい。というのも我々はこれからこれらがいかにして「ペプチド」と呼ばれる小さなたんぱく質に変わり、第七シールから分泌されるかを考察するからだ。我々はこれらが肉体にどのような影響を与えるのか、そしてなぜ過去はもつに価しないものなのかを考察する。
嘘つきだ。これは創造的な真実だ。さてこれらは何だろうか、声に出して読んでみなさい。マスターではないものは何だろうか。さて、マスターは真実である。あなた方は真実を知りなさい。「真実があなたを自由にするだろう」という言葉を聞いたことがあるはずだが、これはとても重要だ。何から自由になるのか。感情から自由になるのだ。我々はこれからそれを理解する。我々は他にどのようなことを知るだろうか。
感情から解放されれば、我々は過去から切り離される。過去から切り離されれば、我々は過去をもたなくなる。過去をもたなくなれば、我々は「今」のなかに留まる。今の中に留まれば我々は「透明さ」をもつことになる。それがマスターだ。・・・・・。
ハイアーセルフ33 <私たちは神 (至高の実在)である!> (*^-^*)
読まれてみるのもいいかもしれません。
もてなしをしたからといって何かを要求したり、何かをしてやったからといってアローファ(贈り物・交換品)をほしがるような人間を、私たちは軽蔑する。という尊いならわしを、私たちは大切にしよう。ひとりの人間が、他の人たちよりずっとたくさんの物を持つとか、ひとりがうんとたくさん持っていて、他の人びとは無一物、というようなことを私たちは許さない。そのならわしを大切にしよう。そうすれば私たちは、隣の兄弟が不幸を嘆いているのに、それでも幸せでほがらかにしていられるあのパパラギのような心にならずにすむ。
「パパラギ」より
>ハイアーセルフ33さん
質問です。
人間が生きてきて、自己の過去を振り返らない人はいないと想う。今の自分自身が存在する状況は、過去の自己の想念が創り出したものですから。この事は、過去の自分が発した念で、自分自身が行動した結果です。記事の内容は非常に重大なことと感じます。ある面、今の自分が悩んでいる事の答えとしてのシンクロなのかとも観じます。
人は、生まれる環境、両親を選択して、自分の人生の計画を立てて生まれて来ると言われています。そうすると、どうしても自身のカルマの昇華による思考・行動に捉われがちになります。この“捉われがちになる”ということは、過去に捉われるという事と同義です。この事からの離脱は非常に難しいことですね。だからこその『マスター』なのですが・・・。
自分の過去に捉われる、自分の過去の行動、思考に捉われフラッシュ・バックに悩む。あの時、あのような思考・行動に出なければ・・・と悩む人は多いとおもいます。だからこそ、自分自身の進歩が促される面もあることでしょうが。
・今の時期だからこそ、ご紹介の記事内容が当てはまるのでしょうか!?
・今の時期だからこそ、どのような人生(例えば、極悪人と呼ばれる人生を歩んだ者でも)、過去に捉われない思考が出来れば、『マスター』と呼ばれるような存在になれるのでしょうか!?
この事は、嫌味で聴いている訳ではありません。
なぜならば、この世の善悪は、この世のシステムを作った者が創り出した物であるからです。この世の社会常識を脱した者ならば、この世的な善悪の概念を脱していても当然です。社会的判断の、事象としての善悪ではなく、自身の中の観念的(良心的といってもよいが)な善悪を脱する事ができるのか!?です。
この事に、今、非常に考えているところです。
この事はアセンションにも通じる事と観じています。自己の感情を脱することが出来るのか!?自己の捉われた善悪感情、思考、行動・・・を、自己の内在する良心的な感覚で捉えることができるのか・・・???
私的には、一時的には良心的な感覚・・・?と想える平和な時をすごすことが出来ています。総てを受け入れることが出来る感覚、総てを許すことが出来ている感覚。
しかし、元の感覚に戻るには、一瞬でこと足ります。また罪悪感に襲われます。社会システムに刷り込まれた罪悪感にね!!!
動揺の『かごめ』でおなじみの、籠の中の鳥とゆわれる所以ですね。どうしても、長年刷り込まれてきた物と絶縁したくても仕切れない自分が腹立たしいと感じてしまいます。
ハアイーセルフ33さん
よろしければ、ご自分が感じたことなりでもお答えいただければ幸いです。
高度過ぎて頭がオーバーワークになってますが、
ポイントは「ありがとう」じゃないかと思いました。
総ての自分の言動に「ありがとう」と言うのです。
良いこと、変なこと、悪いこと、面白いこと、最悪のこと、大失敗・・・、を言ったりやったりしてくれた自分にお礼を言うのです。
するとどういう訳かたった今、この瞬間の自分になれます。
そして、たった今の言動の選択は星の数ほどもあるんだ、とわかります。
長年刷り込まれてきたものを引き受けてくれた過去の自分、絶縁しきれないで当惑することを引き受けてくれたちょっと前の自分。
どんどんお礼を言って、またたった今の自分を見張りながら続けていくのです。
自分の代わりに自分がやってくれたのです。
だから、「ありがとう」なんです。
でも、こんなこと、(HK)さんは百も承知ですよね。
すみません・・・。
「ありがとう」、「許す」、「愛してます」
と言うだけで(心に思うだけでも)
陰陽のバランスがとれてくるような・・・
気がしませんか。
思い出してください、という意味なのかな。
地球人類の皆さま、もう、狭いカゴの中で、
つまらない常識や固定観念、既成概念などに
縛られている場合ではないですよ、
柔軟性をもって、果てしない想像力を
羽ばたかせていかなければ、
宇宙の波に乗り遅れますよ、
「シリウス文明がやってくる」より
自分を縛りつけるネガティブな感情から抜け出し、自己コントロールが完全に可能になることだと思います。感謝や許容は、意識の拡大、宇宙意識との同調
のためには、必要不可欠だと思います。
なのかなって思ってました。(笑)修飾しすぎると、
読んでる人が間違えやすいよね。
質問があるからこそ、私もここでいろいろ述べることができるのでうれしいです。
>今の時期だからこそ、ご紹介の記事内容が当てはまるのでしょうか!?
ラムサがここで言わんとしている基本メッセージは、2つに集約されるかと思います。
ひとつはマスターの特質としては、マインドが「今・ここ」に置かれ、かつ透明な状態であるということ。もうひとつは、そうなるために特に弊害となるものは、過去の「自分の苦しみ」という記憶にもとづいた自己定義であるということです。
「特に弊害」と書いたのは、最終的には肯定的なものであれ否定的なものであれ、自己イメージ自体が脱落した状態(イメージとの同化が断ち切れた状態)がマスターだからです。ですが、マスターになるまでの途上においてはそうではありません。
精神世界の情報では、ご承知でしょうが、様々な「自分への肯定的な定義づけ」が役立つということで、それが利用されています。あくまで現段階・現レベルの自分にとって、無理が少ないやり方で高次意識と同調していく段階的なやり方が提案されています。
紹介した記事は、「今の時期だからこそ当てはまる」といったことでは特になく、いつの時代にも当てはまる、またどんな人間にも当てはまる「普遍的は原理」です。
>今の時期だからこそ、どのような人生(例えば、極悪人と呼ばれる人生を歩んだ者でも)、過去に捉われない思考が出来れば、『マスター』と呼ばれるような存在になれるのでしょうか!?
HKさんが、「今の時期だからこそ」というのは、「波動の加速が生じていて、想念の現実化が速まっている今の時代だからこそ」、というふうに私は理解していますが、そういう視点からいえば、今回の記事はアセンションしてマスターになるために特に重要な概念だと思います。
たとえ極悪人の人生であったとしても関係なく、奥深い意識のレベルから過去を切り離せられて、「今・ここ」に意識が留まり、「ただ在る状態」を実現できれば、そのことによって「無限の知っている状態」がマインドにもたらされ、マスターになれるというのが、これまでのラムサ一貫した主張であると私は理解しています。ラムサホワイトブックをはじめとする内容から、そう理解できるのではないでしょうか。
>この事は、嫌味で聴いている訳ではありません。なぜならば、この世の善悪は、この世のシステムを作った者が創り出した物であるからです。この世の社会常識を脱した者ならば、この世的な善悪の概念を脱していても当然です。社会的判断の、事象としての善悪ではなく、自身の中の観念的(良心的といってもよいが)な善悪を脱する事ができるのか!?です。
「自身の中の観念的(良心的といってもよいが)な善悪を脱する事ができるのか?」ということですが、現時点の人類のレベルがどの程度かに、すべてかかっていますよね。基本的には「意図・意志によってすべてが可能となる」潜在性をだれもがもっているわけですが、優劣や善悪といった価値判断を脱しようと「意志するか」そしてそのための適切な手段を「実行できるか」です。
そのためにまず必要なのは、その本人にとって有効に作用する「情報」(知識基盤)です。だからこそラムサは文中(2ブロック目)で、「私はあなた方に、信用できる十分な量の知識を与えずに変化するように要求したことはない。それらの知識によってあなた方は前進する能力をもつことができ変化することができる」といっているといえます。
>この事に、今、非常に考えているところです。
だれもがマスターになれる潜在性をもちながらも、それを意図して、着実にそれに向かって必要なことを、内面的においても外面においても実行していくかどうか・・・その人類の割合について、あまり考えても仕方がないかと・・。
>この事はアセンションにも通じる事と観じています。自己の感情を脱することが出来るのか!?自己の捉われた善悪感情、思考、行動・・・を、自己の内在する良心的な感覚で捉えることができるのか・・・???
最後に今回の投稿には入っていませんでしたが、同じ「マスターを定義する」のラムサの話のなかから、次の言葉をお贈りしたいと思います。
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・・・・。我々はこのように言える。「まあ、自分はこのような人生を生きているけど、自分がマスターだったらいいのになあ・・」
あなた方全員にとってマスターとしての人生は存在するだろうか?もちろん存在する。この部屋にいるだれもが完全なキリストとして歩くという可能性をもっているのだろうか?もちろんだ。死を克服したアセンドした存在としての人生だ。この部屋の中にそのような不死のタイムラインを可能性として持たない人間はいるのだろうか?この部屋のだれもがそれを持っている。あなた方はそれについて学んだので、より確実にそれをもっている。
だがここであなたは、「でもそのような可能性が存在することを知っていながら、どうして自分はそうなることを選択しないのだろうか?」と言うかもしれない。だがマスターになることを願うだけではダメなのだ。マスターになるとは、もっとはるかに大きなことだ。あなたがマスターではないのは、マスターになることがあなたの普通の思考ではないからだ。もしそれが普通の思考になれば、今あなたが生きている人生は劇的に変化し、まったく過去がなく、まったく汚れがない何のしがらみもない喜びに満ちた人生になるだろう。そしてあなたは「今」という瞬間に生き、あらゆる瞬間に神という存在をはっきりと感じるだろう。
そのタイムラインはすでに存在する。ではなぜそれを願うのか?真実をいえば、あなたにとってマスターになることは十分に普通ではないということだ。あなたはまだそれを選んでいない。あなたが選んだのは今の普通の人生だ。我々の教えは、あなたにマスターの人生を普通に選ばせるためのものだ。つまり無理やりにではなく、うわべだけでもなく、選んでいるふりでもなく、狂信者として選ぶのでもなく、普通の生き方としてそれを選ぶということだ。そうすればその可能性は実現する。
我々は脳をもっているが、どうやって脳にそれを実現させればいいのか?・・・・・・。
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より詳しくは、CDをお聞きください。http://ramjapan.com/
これまでこのふるやの森に、私が投稿したラムサ情報のURLは以下のとおりです。参考にしてください。
(脳がもつ神になる能力)
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/0e6ca65bf60c6812cdd9915d8a24dd6a
(視覚化の大切さ)
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/c7ee24531110b4c017b498c6c5b20e63
(質問調にしたラムサ思想の紹介)
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/ae9c12896d9a8570aa3a15c4c10fdcfd
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/6960cd5016c3bcdda8d898a8204dcced
(脳は受信機である)
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/2f0ff102418b72b4aa5d0b08dc95870c
(ニューロン新生)
http://blog.goo.ne.jp/flatheat/e/b4296da6d85962af8a3a53b5222b8d54
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ハイアーセルフ33 <私たちは神 (至高の実在) である!>(*^_^*)