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あまてるみたま考(3)【隠された神】

2013年02月27日 21時59分26秒 | あまてるみたま紀行

★「あまてるみたま考(2)」のつづき 

 ところで一般的に日本神話とは、記紀のほか、『風土記』『古語拾遺』『先代旧事本紀』などの上代古典にみられる神話群のことを指して言われるが、こうした文献は(とくに記紀は)中央政府の意向によってかなり潤色が加えられたと考えられている。こうしたことを問題とする立場から日本神話批判の試みも多く行なわれているが、松前の『天照御魂神考』もその1つであった。ただしそこには、普通の日本神話批判には見られない際だった特徴がある。

 この論文は次のような一文で開始される。「『延喜式』神名帳をみて気がつくことは、天照御魂神という神格を祀る神社が、畿内諸処にみえることである。」 ── まず最初に神社のことが話題になるのだ。これが神話学の論文としてかなり異例なのである。

 普通、神話学の論文というと、世界各地に伝わる神話のモチーフに類似したものが見られないか博捜し、その比較検討から伝播の可能性を追求するものなので(いわゆる比較神話学の手法。吉田敦彦とか大林太良などが典型)、天火明命の神話を扱うなら、まずはその前提として上代古典に見られるこの神の神話を抽出するのが先決である。ところが、さっきも言ったとおり、記紀等に見られるこの神の記事は系譜関係だけで、その具体的な活動はほとんどみられない。したがって比較神話学の手法だけでこの神にアプローチするのは相当に難しかろう。

 いちおう、『日本書紀』一書(第八)には「天照国照彦火明命」、『先代旧事本紀』には「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」とあり、これらの表記には「天地を照らす」という意味の「天照国照」がついているため、ここからもこの神が太陽神であったことはある程度、示唆されたとおもう。しかし、もし根拠がこれだけだったら、現在のように天火明命が太陽神であるという説は広く知られるようにはならなかったとおもう。この神が太陽神であるということを示すにあたっては、やはり松前の論文によって「あまてる神社」という式内社群でしばしばこの神が祭神として祀られていることが示される必要ががあったのだ。神社による日本神話批判が可能であること、 ── これはなかなか盲点をついている。 

 さて、こういった神社による日本神話批判が成立する条件はどういったものであろうか。

 そこでは記紀紀等の編纂された時代よりも古い時期に創祀された神社がとりあげられなければならない。また、その神社の社伝や祭神が附会のたぐいではなく、古くから伝わっていることが確認できることも求められるだろう(とくに神社の祭神というのは後世になってよく変わるものなので、現在の祭神をそのまま鵜呑みにするのはたいへんに危険だ。)。

 ただし、これらはあくまでも神社による日本神話批判を外部から支えるテクニカルな条件にすぎないとおもう。むしろ内側からそれを支える条件が重要なのだ。それは次に説明する「隠された神」というタイプの言説の姿をとる。

 かつて古代世界で広い信仰を集めていた偉大な神があった。しかし、それを祀っていた政治勢力は大和王権に敵対したために滅ぼされ、その神への信仰も王権から危険視されるようになった。このため、表だってその神の祭祀を続けることはできなくなり、記紀神話からもその神の事跡は抹殺されるか、飛騨の両面宿儺のように恐るべき怪物としての零落した姿しか止めなくなっている。しかし、地方の神社で祀られている祭神や社伝までは中央政府の手も届かなかったので、現在でもそこにはその神の記憶がかろうじて残っており、そういった神社を探訪して伝承等を丹念に拾い出せば、その忘れられた神の本当の姿を蘇らせることができる。その神社に伝わる伝承は、その神の形姿を記紀による歪曲から救い出す証人なのだ、── このようなものが「隠された神」と呼びたいタイプの言説である。

 神社による日本神話批判を成り立たせるためには、多かれ少なかれこのタイプの言説を導入する必要がある。どうしてか?

 (前言を翻すようだが)通常、神社による日本神話批判などというものは考えられない。常識的に言って神社とは日本神話に登場する神々を祀るためのものだから、これを足場にいくら日本神話批判を行っても、A社の新聞記事を確かめるために、同じA社の新聞を何部も買い込んできてチェックするようなハメに陥ってしまう。また、もし地方の古い神社で記紀神話には見られない伝承に出合ったとしても、ローカルで荒唐無稽なものとみなされ、無視されることになるだろう。あまつさえ、それに注目して記紀神話の内容を疑ったりしたら、とんでもないトンデモとして失笑される。

 しかし、その神社で祀られている神が「隠された神」であったとすればどうか。その場合、その伝承は忘却された偉大な神を記紀による歪曲から救い出す証人であるのだから、それを足場に神社による日本神話批判が可能となる。つまり、「隠された神」タイプの言説とは、そうした社伝等に記紀神話の外部に出てメタ作業を行う足場としての地位を与えるのだ(いわば、A社の新聞記事を確かめる目的にとっての、B社、C社の新聞記事の地位を与えることになる。)。

 松前の『天照御魂神考』はこうした「隠蔽された神」タイプの言説の嚆矢だったとおもう。そのことがもっとも先鋭化するのは、天火明命がプレ・アマテラスだったことを示唆する箇所である。

 すなわち松前は、天火明命が尾張氏の祖神であることから、もともとこの神は伊勢から尾張にかけての海域で活動していた海部たちの間で信仰されていた神であったと考えた。そしてその上で、伊勢で祀られているアマテラスは新しい神であり、ほんらいはこの海部たちの信仰する男性太陽神が広く伊勢湾沿岸で信仰されていたが、やがてそれが大和朝廷によって皇室神話の中に吸い上げられ、伊勢神宮の整備が進行すると共に、皇祖神アマテラスへと昇格したとした。

 ここには、アマテラスが記紀における唯一の太陽神となったため、そのモデルとなった天火明命の神話が隠された可能性が示唆されている。記紀神話にこの神の活動の記述が乏しいのも、こうした事情によってそれが意図的に取り除かれた可能性も考えられよう。

 

あまてるみたま考(4)」つづく

 

 



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