神社の世紀

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(10)伊勢津彦捜しは神社から【伊勢命神社(3/4)】

2010年10月02日 13時46分04秒 | 伊勢津彦


 だがなぜ、伊勢命神社なのか。

 伊勢命神社は『延喜式』神名帳の隠岐国穏地郡に登載ある古社である。『続日本後紀』嘉祥元年(846)条に「隠岐の国伊勢命神、明神の列に預かる、しばしば霊験あるによる也」とあり、これにより同神名帳では明神大社に列せられている。



伊勢命神社



昔ながらの船屋がある隠岐の風景


隠岐は素晴らしい。瑞々しいのと老成したような気分が
矛盾なく同居している土地で、そこで過ごした数日が、
いつまでも心に残りつづける。
こんな場所は滅多にない。

神社も良かった。
食い物もうまかった。
出会った人々も優しかった。
『玄松子の記憶』にある「
伊勢命神社」のページを開くと、
私の脳裏にそういう隠岐のことがありありと蘇る。






隠岐に流罪となった後鳥羽上皇の奥津城


 伊勢命神社があるのは島根県隠岐郡隠岐の島町久見である。隠岐は言うまでもなく島根県の沖合に浮かぶ離島であるが、わが国の歴史では佐渡などと並んでしばしば流罪先となったため、僻遠の地というイメージが強い。しかも久見はその隠岐諸島の中でも、本土からもっとも離れた島後の、さらに北端部に近い土地である。いったい、こんな場所にある神社に、伊勢の土着神である伊勢津彦が祀られているなどということがありえるのだろうか。

 当社は近世まで内宮と呼ばれていた。したがって、あるいは伊勢の内宮と混同されて天照大神を祀っていた時期があったかもしれない。しかし、神名帳にある社名から言って、ほんらいは伊勢命という神を祀る神社だったのだろう。社名は明治期になって伊勢命神社に改められ、祭神も伊勢命に戻った。しかし、では、伊勢命と伊勢津彦は同一神だったろうか。



伊勢命神社

  松前健の『国譲り神話と諏訪神』にある「建御名方と伊勢津彦」の章は、短いものだがこのことについて肯定的な調子で書かれている。

「『延喜式神名帳』の隠岐国隠地郡の条に、伊勢命神社の名が見える。後世には内宮とか伊勢神明とか呼び、天照大神を祭神としているらしいが、本来は風波に関係する伊勢津彦を祀ったものと考えられる。(『日本神話の形成』p447)」

 だが、『式内社調査報告』、『日本の神々』、ウィキの伊勢命神社の項をはじめ、管見では松前によるこのテキスト以外、当社の祭神が伊勢津彦であるなどと論じたものは見たためしがない。明らかに定説ではないのだ。
 松前はどうして当社の祭神を伊勢津彦と考えたのだろうか。たぶん、たんに「伊勢命」という神名が伊勢津彦をおもわせたからだろう。しかし両者を同一神とするためには、もう少し強い根拠が必要である。

 隠岐島にある式内社を名前で見てゆくと、伊勢命神社をはじめ、水若酢命神社、玉若酢命神社、宇受加命神社、由良比女神社のように、記紀神話には登場しないローカルな祭神名のついたものが多い。これらの祭神の性格はたいていの場合、よく分からないのだが、それでも伊勢命神社には祭神に関する伝承があり、それがある程度は手がかりになる。そこでとりあえず、『神国島根』から伊勢命神社の社伝を引用してみる。 
 



水若酢神社



同上



水若酢神社本殿



玉若酢命神社



同上

同上(右は八百杉の幹)



玉若酢命神社のシンボル、八百杉



玉若酢命神社の本殿
当社の社家は隠岐国造の後裔である。



宇受加命神社



由良比女神社



海中にある由良比女神社の鳥居



由良比女神社の石楠花
 

 「御祭神を伊勢命と申し、創立年代は不明なるも伝説によれば一夜神光海上より輝き来り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。偶々神託蒙る者あり、以って伊勢明神を奉斎せしより神火の出現はじめてやみたりと、この地は西北風強烈なるためまもなく現社地に移転せりと伝う。『続日本後記』に仁明天皇嘉祥元年名神の列に預りし趣、明記せられ延喜の制に於ては、名神大に列せられたる由明かなり。明治五年郷社に列せらる。」

 「一夜神光海上より輝き来り字仮屋の地に止まり以来夜々出現止まず。」の部分からは伊勢命が海上を明るく照らしながら寄りつく神であったことがわかる。『伊勢国風土記』逸文によれば伊勢津彦は夜間、大風を起こし、波を巻き上げ、海上を明るく照らしながら海彼へ逃れ去ったとあり、いちおう、海を明るく照らしながら移動するという点は両者に共通している。

 しかし、「祭神が最初、海上を明るく照らしながらやってきた」というのは、伊勢命神社に限らず、海の近くにある古社の社伝にはよくみられるもので、いたって類型的なものだ。伊勢命を伊勢津彦とする根拠としてはやはり弱すぎる。

 むしろ注目するなら、「この地は西北風強烈なるためまもなく田代川の対岸の浄地、現社地に移転せりと伝う。」のほうだとおもう。というのも伊勢津彦には風神という神格が感じられるからで、もしも当社が彼を祀る神社であったとすれば、風の強い土地である久見がとくに選ばれて鎮座したとも考えられるからである。ちなみに、私が訪れたときも久見は風が強く、車で海沿いにあるこの集落に入ると風が車体に当たってひゅうびゅう鳴り出したことをよく覚えている



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