花森えりか My Room

─愛と官能について語る部屋─

テレフォン・デート

2021-11-07 14:46:42 | 女って不思議
 受話器を手にし、メモに書いた番号のボタンを押す。胸がドキドキ。呼び出し音1回で、相手の受話器が、はずされる音がした。
(テレクラに、かかった!)
 と、胸がドッキン。
「もしもし」
 と、未知の男性の、魅力的でセクシーな声。自分の声に自信があるから、こんな遊びをするのか。
「はい」
 と、私。
「こんにちは」
 と、相手の男性。
 羞恥と緊張感で、一瞬、間を置いてから、
「こんにちは」
 と、同じ言葉の挨拶。
「お元気ですか?」
 と、相手の男性。
「はい」
 と、私。
「今日はお休みですか?」
 そう聞かれ、
(とんでもない!)
 内心、呟きつつ、
「はい、あ、いいえ、私、人妻ですから」
 と、言ったとたん、
(自分で、人妻です、なんて言うのは、おかしいわ。主婦です、とか、結婚してるんです、って普通は言うのだろうか。人妻をやめてから6年経つから、うっかりヘンな言い方しちゃった)
 瞬間的に、そう思った。
「ああ、それではね。いつも、この時間は家で何をしてるんですか?」
「テレビ見たり、本を読んだりしてます」
 時刻は午後2時。専業主婦時代を思い出して、スラスラと。
「外出は、あまり、しないんですか?」
「近所のスーパーとか、時々、デパートへ出かけるくらいです。たまに実家とか」
「お酒飲みに行ったりはしないの?」
「年に一度ぐらいです」
 結婚していたころ、文芸同人誌の仲間たちと年に数回会って、例会の後にお酒を少し飲んだことを思い出したが、数回を1回に変えて答えた。
「じゃ、いつも家にいるの? ストレス溜まっちゃうでしょう?」
「でも、チャンスがないから。飲みに行くなんて」
「そう。でも、たまには出かけたいと思うでしょう? 家にばかり閉じ込もってないで」
「ええ、少しは」
 私はずっと、小声で、しかも恥ずかしそうに――実際、恥ずかしくてたまらないのだが――考え考え、言葉を口にしていた。
「外に出る勇気、あまりないのかな」
「……ええ」
「一度、会いたいですね」
 ドキッ!! 見知らぬ男には会いたくない! 怖い! 別にホテル行きを心配してるわけじゃないけれど。どんな男性か、わからないし。身元不明の男性には絶対絶対、会いたくない。
 でも、理知的な話し方をする男性である。声も低くセクシーで素敵。私の恥じらいがちの言葉に、やさしく微笑していそうな感じがいい。
「あのう、今日は会社、お休みなんですか?」
 初めて私から質問。
「いや、今、さぼってるの」
「あら、でも、そんなことして……」
「ぼくは外回りの仕事だから、朝、会社に顔を出せば、あとは時間が自由だから」
「営業のお仕事ですか?」
「そう。ポケットベル持ってて、用がある時は会社に電話して」
「こういう遊び、よくしてるんですか?」
「いや、そんなにでもない。あなたは?」
「初めてです」
 こんなことをさせられるのは、なんて言ってしまいたくなる。
「そう。だけど、素敵なことが起こるかもしれないし、一度会ってみたいな。時間、何時ごろならいいの?」
「えっ、私、あの、でも、でも、主人がいて、子供がいますから」
 結婚何年? 子供はいくつ? 幼稚園に迎えに行くの?――などなどの質問をされ、適当に答えた。
「紅茶、好き?」
 ふいに、聞かれた。
「えっ、紅茶ですか? あ、はい」
「ケーキ、ごちそうさせてくれませんか? おいしいケーキと紅茶。会ってお喋りしましょう」
 電話を切りそうにした私に、彼は自宅と違う部屋があるからと電話番号を教えた。もちろんメモなどしなかった。
 電話を終えて切る。ふーっと深い吐息。
 ふたたび受話器を手にし、そのテレクラの電話番号を教えてくれた漫画家のN氏に電話。
 感想を聞かせて欲しいと言われていたからだった。
 実はその前に、編集者から、テレクラをテーマの短編小説を依頼され、風俗ルポも描く漫画家のN氏を紹介されたのである。飲み会やパーティーで数回会って知っていたが、親しく言葉を交わしたことはなかった。
 電話で漫画家N氏に少し取材後、是非、体験してみるように勧められ、その感想を聞かせて欲しいと、つまり、取材のお礼の取材という感じで約束していた。
「どうでした?」
 と、電話の向こうのN氏が興味津々。
「まだ胸がドキドキしてるみたい。でも、予想以上に感じのいい声で、会いたいと言われて、ケーキをごちそうさせて下さいって言われたんです」
「ケーキですか、可愛いですねえ」
 クックッと含み笑った声のN氏。
「会ってみれば、もっと、書く参考になるのに」
「いえいえ、身許のわからない男性と会うのは、とてもとても怖くて。私って、内気でシャイで消極的なタイプですから」
「内気でシャイで消極的? 本当ですか」
「ええ、正真正銘、内気でシャイで消極的。そんなふうに見えません?」
「う~ん、そんな、ふうに、見えないというか、見えないこともないというか」
 と、2人は声を立てて笑い合った。
 その後もN氏と少しの雑談。テレビ出演するという日にちと時刻を教えてくれたので、見る約束をした。
 原稿用紙に向かう時間の長い日々に、ちょっぴり楽しく有意義なテレクラ初体験の午後だった。

 ※〈残編断簡〉というほどでもないけれど、紙類やファイルの断捨離をしていて見つけた過去の連載エッセイ『女って不思議』の加筆。掲載日は不明。

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