凄い人って生まれた環境が極端に貧乏とか反対に超金持ち(^^)とか。身体が弱いとか障害を持って生まれてくるとか、幼少期に大きな病気になるとか、とにかく超恵まれてないか恵まれてるかが多いですよね(^^) なぜ?何か因果を思わせるとは考えられませんか?スポーツ選手、実業家、芸能人、芸術家などなど。また、その才能を社会に活かす逸材には決まって強力な協力者が不思議と現れています。また、時に不思議と、その人物に合った環境に変化したり?もちろん抵抗勢力もやってきます。それを乗り越えたら不思議と吸い寄せられるように行くべき道へと導かれたり(^^)人生の脚本は自身の人生は自分が勿論、主役ですが、また他人の脚本では脇役であったり、通行人であったり(^^)生まれ落ちる舞台も設計し、魂の成熟度の高い人はビンボーか金持ちか?障害を抱えるか、途中から抱えるか、ビンボーはビンボーの試練、金持ちは、どう人のためにお金を使うか?お金の力に溺れない試練。魂のステージの高い人は、低いステージでの活躍と更に高いステージアップの修行。魂のステージが低い人は今世、1つでも高いステージアップ(^^)地球という、この物質的世界で色々な魂レベルの人達と色々な魂のステージを経験する。 魂のステージが低い人はワンランク上で踊ることはできないけどワンランク上の客席は観れる。そこで努力し、せめて通行人でもいい、バックダンサーでもいいからワンランク上のステージへ行くための修行をする(^^)それを繰り返し愛の溢れる魂に成長したら輪廻転生は無くなって次の肉体を持たずに修行し今度は人間のサポート、いわゆる守護霊とか指導霊とか背後霊となり修行をするのかな?話はそれましたが凄い人って、人間としての修行の最終章に到達してるか?それとも最終章の手前くらいなのかな?才能の凄さでなく、とにかく愛溢れる人。 これまでの輪廻転生で愛を提供するために才能を活かし愛を提供するために、その報酬を使ってきた人。決して人を責めない人。全ては自責で考え決して他人や環境のせいにしない。ここまでのレベルにならないと何度も何度も生まれ変わるのかなと思う今日この頃です。
次女がパンケーキ屋にバイトへ行き始めた当初、短気な社員さんが、とにかく怒鳴り散らすらしく次女も『もう辞める!!』これまでバイトが長続きした試しがなく話しを聞くと確かに理不尽な指導をしているのです。また、その社員さんの影響も強く、ホールもキッチンもいつも空気は重く、バイトや他の社員さんもストレスがあるため、新人の次女に風当たりがきつく『まるでイジメや!!』と。ひと通りの話を聞き私は一言だけ『もし?バイト先で仕事のことで例え怒鳴られながらでも教えてくれたら、ありがとうございます。感謝します!って言ってみ(^^)』と次女に言うと『そんなん無理!怒鳴られて感謝?無理やん』確かに次女の気持ちの通りですが『辞めるんやろ?次のバイト見つかるまで居てるんやったら騙されたと思って言ってみ(^^)たぶん、変わると思うよ(^^)』次女は渋々、やってみると。但し気持ちは感謝のかけらも無いと付け加えたので『ま、まずは言葉ありかやから』その数日後、次女から電話が『お父さん!ホンマに変わった!なんでなん?感謝します!って言った後からお店の空気、変わって私には怒鳴らへんし、周りの人も、ウチに優しくしてくれるねん(^^)』この日を境に次女から毎日のように私の携帯へ電話がかかるようになりました。もちろん、今でもパンケーキ屋のバイトは続けていて『今、パンケーキ屋とティーン向けのアパレルでバイトしてるけど、ウチはアパレルが本命やし、ティーンはやっぱり(・・;)もうええわ。他のアパレルのバイト探して採用されたらティーンのアパレルと今度のアパレルの2ヶ所でバイトする。パンケーキ屋は別に辞めたくて辞めるんじゃたくて(・・;)居心地はパンケーキ屋はええねんねど、アパレルで頑張っていきたいし(^^)』と。パンケーキ屋で、辞めたいと言っていた次女が『ありがとうとか感謝することって周りを変えることがわかったよ(^^)』感謝します。は中々、言葉には出来ませんが言葉にすると言った相手や周囲の人の心にガチャっとスイッチが入るようになっているみたいです。魔法の言葉なのかもしれません(^^)
あの世での感覚はこの世の何倍もの感覚で実感するそうです(^^)この世では魂は肉体に閉じ込められているから魂そのものは肉体によって感覚が鈍く死んで肉体を脱ぐと魂そのものが丸裸(*^o^*)になりますから。人は死んだあと生きていたころの行いを振り返るそうで、その時に良い事も悪い事も明らかになるそうです。誰も見てないはずの事も?そうなんです(^^)天は見ていたのです。その振り返りの時、良い行いには本当に真面目に生きて良かったと言う満足感や喜びは大変、大きいです。その反対に良くない事は、その良心の呵責に潰されそうになるくらい(・・;)恥ずかしいことは本当に穴が、あったら入る位の恥ずかしい感覚に見舞わられるらしいです(・・;)ですが未だ生きてるうちに、キチンと反省をしておけば、それが、しっかりと魂に刻まれあの世に記録されるそうです。改心した魂には神様も慈悲ある心で迎えてくれるみたいです。また、生きているあいだに反省と感謝を心から行えば魂のステージが上がるそうです。私の次女の経験談を次のブログでツラツラ書きますからヒマなときにでも読んで下さいね(^^;;
人は失なわないとわからない事が多いです。例えば健康(^^)歩けること、食べられる事などなど。脳出血を起こし1カ月寝たきりだった私は歩けないし倒れた直後は点滴だけ、やっと食べられると思ったら嚥下障害のため 固形物は無理。御飯ややさいのペースト状しか食べられませんでした。リハビリを行い、やっと車椅子に乗れた時、普通の御飯が食べられた時は本当に感激ものでした。普段、当たり前のことに、どれだけ当たり前としか思ってなかったか?当たり前の事に感謝しかありませんでしたし、当たり前の事が、いかに幸せなことなのかを気づかせてくれた病気に感謝さえ思えるようになったのです。倒れた当初は病気を恨み『なんで?俺が?』と(・・;)でも入院し様々な病気の方々を目にしていくうちに『俺だけじゃないんや(^^;;多くの人たちが病気と闘っている!中には余命いくばかりな方々も。』そう思うと何だか自分が恥ずかしく思うようになったのです。『病気を招いたのは自分自身の健康管理をことなのかを怠ったか身体に無理を与え働いたか(・・;)など全ては自分自身で招いた結果なんや』そう思うと気持ちがラクになりリハビリにも前向きな気持ちで取り組む事が出来たのです。私が前向きになればなるほど作業療法士や理学療法士の先生も懸命に私のリハビリに取り組んでくれるのです。すると益々、回復も早まる事に(^^)支えてくれている看護師さん達にも感謝感謝(^^)毎日、病質に来てくれる妻、見舞いに来てくれる方々など全ての人達に感謝感謝しかありませんでした。感謝の心は全ての人達、置かれてる環境などへ当たり前でなく感謝しかないんだ。そう思うとリハビリのため転院して2、3ヶ月したころ。過去を振り返り反省ばかり。涙が止まらない日もありました。とにかく枯れるほど泣き自分自身の未熟さ、愚かさ、恥ずかしさ(・・;)いかに感謝をしない人生を歩んできたのだろうと。人の幸せを願わなかったのだろうと。脳出血で倒れても神様が私を生かせて下さった愛を退院して約3年が経ち漸く分かり始めた今日この頃です(^^)