マスターナンバー33をネットで見まくり状態です(o^^o)なんせ休職中で暇ですから(o^^o)(・・;)来月、正式に退職する予定です。やっと(^^)サラリーマン生活から脱却!サラリーマンになって同じやるなら一生懸命を心に置いて頑張れば頑張るほど何となくぎごちなく生きづらいなぁと。労災が認定され、年金生活となった途端、全身の力が抜けるように安堵感が押し寄せてきたのです(^^)話は逸れましたが、マスターナンバーゾロ目さんは結構、帝王切開で産まれて来ていると、何処かのサイトに書いてましたが私も次女も帝王切開で生まれてきています(^^)私は予定日を過ぎても出てこず帝王切開で取り出した時、なんと失神していて取り上げた病院の看護師が私の足首を持ち逆さまにして、お尻をペンペンと叩いたそうです。母からは、よく、この話は聞かされました(^^;;マスターナンバー33はお金には、大雑把だけど死ぬまで不自由しないとも。確かに大雑把です。今の妻と結婚した、おかげで我が家は安定しているので(^^;;脳出血で倒れたら大抵、医療費は勿論、労働力低下もしくは【労働力ゼロ】となる事は必至(・・;)でも?労災認定と厚生障害年金で死ぬまでお金には困らなくなりました(・・;)なんか複雑ですが。両方の年金で今の会社の税込年収以上の手取りがあります(o^^o)それにマスターナンバーは宇宙的次元との繋がりがあり眼に見えない世界を受け入れるみたい(o^^o)確かに子供の頃は図鑑、今ではネットで銀河などの大星雲を見ると本当に心が落ち着けるし、色々と創造したり。どれだけ見ても飽きないのです。宇宙の果てって???考えただけでも宇宙の神秘は魅了されます。脳出血になってから、とにかく人から貰うより与えることが嬉しくなっていきました。自分の事は後回。義母の認知症が昨年夏にわかった時、妻の兄の無関心さに怒りを持っていましたが義母のために色々とサポートをしているうち、義兄も住宅ローンや何だ、かんだと経済的に困窮しているのが何となく分かったのです。昨年年末あたりから私の考え方に変化が更に出始め(お義母さんを支えていくことは義兄も助ける事になるのかな?それも、ええやろ(o^^o))と思い始めたのす。妻に吐いた暴言は別の形で謝罪はしてもらうつもりですが義母は自分の産んだ子供同士に争ってほしくないはず。義母目線で考えれば義母を通じて義兄の経済的な支援となるんやったら、そんでええわ(o^^o)と。今は妻には、そんな事は言えません。数秘術を知る前から、そんなこと思っていたら妻が『絶対にお母さんが施設に入るようになったらアニキにも負担してもらうから!』と言うので私は、『ええやん。俺たちが全額負担しよ(o^^o)』その言葉を出した時、妻の表情が変わったのでした。話は逸れましたがマスターナンバー33は無償の愛、そして奉仕の精神が覚醒すると壮大に大きいそうです(o^^o)私、目覚めたのかな?と思う今日この頃です。
回復期の病院では結構ストレスが多かったのです(。-_-。)まずは毎朝5時過ぎに看護師が介護用簡易トイレを廊下で大きな音を立てながら準備するのです。そりゃ、もう明け方にバタン!バタン!廊下に音が響いいるのです。どの病室も何故か扉はオープン状態で看護師が出入りしやすいためとのこと。患者ではなく看護師優先病院(。-_-。)更に、その簡易トイレを準備中に男の職員が各病室を回りお茶を入れて回るのです。病室のベッドの横にテーブルがあり、患者は水筒を置いていて明け方に男の職員がカートに乗せてある、焙じ茶を入れて回るのですが、その時の音が(・・;)結構、移動やお茶を注ぐ音、カートの上にある大きなお茶の機械、微妙な作業の音。簡易トイレとの二重奏は、安眠妨害のほかあららません。2、3日は我慢ささましたが、やはり耐えられず私は詰所へ行って何とかするよう願い出たのです。すると?私の願いを聞いてくれたのか明け方の簡易トイレ準備とお茶のサービス時間帯が変わりました(^^)でも、まぁ他の患者さんは何も言わなかったのが不思議でしたね(^^)
魂の成長って自分自身でどう感じていけばいいのでしょうか?(・・;)勉強ならテテストの結果とかスポーツでも陸上にしろ野球にしろ数値化出来ます(^^;;身体の健康も検査結果で分かります。でも魂の成長は数値化出来ません(^^;;人は眼に見えるものや体験したことを信じる傾向があり、それも無理の無いことだとも思うのです。人が仕事や勉強を頑張ってる姿を見ると頑張ってるなぁって。でも?人は眼に見えないところで努力していること、泣きたいことなどあります。しかし人間って見える部分で他人を評価したり?思い込んだり?本当は見えない部分があるから。その人の今の状況があるのかも知れません(^^;;話は逸れましたが魂の成長度合いは眼には見えません。でも言動や行動、趣味や嗜好の変化、自分自身が落ち着ける環境の変化、友人の変化などなど自分自身を振り返ると意外とあるのかな?私は食べ物や音楽の嗜好に変化が出ました(^^)音楽はクラッシック、食べ物は野菜に魚中心で食べる量も減りました(^^;;都会に出ると物凄くストレスがかかるのです(・・;)梅田や心斎橋は疲れて疲れて(・・;)駅も大阪のターミナル駅は苦手です。とにかく人の多いところ都会の雑音が入ると?あきまへん(・・;)テレビも殆ど見ません。自宅近くの鳥の声が癒しになりますね(o^^o)また人から貰うより与える方が良く感じるようになりました。欲も減りました(^^)そして眼には見えない世界のことや神秘的なこと、死んだらどうなるのか?宇宙のことなどなど(^^)再び興味を示すようになったのと人が話す言葉やイントネーションは勿論、表情から、その人の感情や思いが何となく分かるのです。写真から時には波動を感じたり(・・;)時々です。ただ単に思い込んでるだけかも知れません。でも、いろいろと変化も出てきました(・・;)
最近、数秘術に興味を持ったのに意外と算出してなかった私の両親と、実は養子に来た弟の数を出してみると?な!なんと、父親9母親はマスターナンバー22養子に来た弟は9(^^;;でした。そして以前も申し上げた通り私がマスターナンバー33妻が11次女が44なのです(^^)いやー、驚きです。マスターナンバーだから特別な魂とは思っていません。でも出現率の低いマスターナンバーが多い親族なんでず(^^)振り返ると?母親は確かにと思う変人さん。その変人さんの夫が父親。変人の母親が変人さんの私を産み、そして何かの縁で養子に迎えた男の子が父親と同じ数の9孫が44(^^)44の出現率は極めて低いらしく、あるサイトには2000年以降は約500年間は生まれて来ない計算らしく超レアだそうです。因みに次女の運命数は9(^^;;なんとも驚きです。天から与えられたハードルが高いため覚醒しなければ結構、厳しく生きづらい人生のマスターナンバーだそうですが、なんとなく(・・;)なんとなくですが今世、気づかなければ来世も(・・;)そして来世、気づかなければ(・・;)そのまた来世へと気づくまで、そして気づいて役割を果たすまで輪廻を繰り返すのかな?もしかさしたら、双六のゴール手前で何度もサイコロを振らなければならない状況なのかな?と。マスターナンバー33も最近になり漸く数秘術のマスターナンバーとして与えられた役割が定義されてるみたいですが44は殆ど定義されてなく未知数です。次女は一体、何の役割や目的を与えられ生まれて来たのでしょう?おそらく33よりも高い高いハードルのような気がしてなりません。人は親を選んで生まれてくるといいます。次女にとって祖母である私の母22と私33妻11を選んで生まれてきたのかな?因みに長女は生まれる予定日通りなら11のはずでした。でも予定日を遅れて生まれてきたので4のライフパスナンバーとなりました。でも長女と次女を見ると4が三つ並ぶのです。数の不思議な話でした(・・;)
学校でする勉強に意味を感じることがなく宿題もしない(・・;)勿論、夏休みの宿題もギリギリまでしなくて1番、困ったのは絵日記でした(・・;)そんな調子でさしたから高校まで殆ど勉強はしてません。とにかく学校の勉強に必要性が感じられないのでした。でも?学校の図書室では宇宙図鑑や偉人の伝記もの、なぜだろう?と言う色んな疑問に答えてくれてる本、雑学本などは飽きもせずに読みふけった子供でした。勉強は嫌いでしたが本は大好きな(^^)運動も剣道や空手など自分自身の護身と何となく心を鍛える運動に興味を持って取り組んだんです。学校のように、何のための規則、校則なのか?生徒を一つの枠に収めようとする空気がたまらなく嫌で嫌で仕方なかったことを今でも忘れません。どうして集団登下校するのか?勿論、生徒の安全なのでしょうが(・・;)だからサラリーマンには絶対になりたくない!と子供の頃から思っていたのに、社会は安定がなければ生活が難しく、高校時代に一つ後悔したことがあったのです。それは?小学校2年生だったかな?父親がいきなり『おまえ、テレビに出ないか?お父ちゃんな、藤本義一さんと知り合いになってな、お前の事、話したら1度連れておいでって言われた』と言われたのです。私は、とってもシャイでテレビと聞いただけで、怖気づいてしまい、『テレビ?恥ずかしいやん!嫌や!』と断わってしまったんです。その後、何度か父親は言ってきましたが私は『嫌や!』と断わってから父親は諦めたのか言わなくなったのです。高校時代に後悔してのはサラリーマンになりたかった。ギターも少しはかじってましたが然程、上達もしません。そんな高校時代に俳優に少し憧れた時、ふと父親の言葉を思い出したので私は、とある劇団へ履歴書を送ったのです。すると、返信があり、その手紙を母が父親に見せたらしく『お前、劇団に入りたいのか?でも、こんな金は無いぞ!お前、覚えてるか?小学校のころテレビに出るか?言うたらお前、断わったなぁ。あの時、たまたま藤本義一さんと知り合いになったけど今は、もう遠い人や。』私は父親の、その言葉で俳優には縁の無い運命なんやと(・・;)諦めたのです。そしてサラリーマンとなり子供に恵まれたころ、また、ふっと後悔の念が頭を過ることが多くなりました。それは会社という組織で生きることの生き辛さでした。年収も高くなり順調に昇進しても私の心の中は何か息苦しさが常にありました。部下からは『Yさんは順風満帆ですよね(^^)』と言われた時、複雑な心境になったことは言うまでもありません。私の人生で大きな岐路は父親の言葉だったのかも知れません、