脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

長時間残業で脳出血・・労災認定

2014年12月31日 17時16分12秒 | 過重労働
私の月間労働時間は250時間~300時間でした。年間3000時間以上の労働時間です。幸い会社は労災申請をスムーズに受け入れてくれましたが『なかなか認定は厳しいと思うけどな。』代表取締役が他人事のように言ったのを忘れずにはいられません。脳疾患は私の生活習慣と高血圧の既往症であり業務とは無関係と思っていたからでしょう。しかし・・半年程の審査期間がありましたが労災が認定されたのです。認定結果を待ちながらリハビリ入院していた私は暇な時間にはスマホでインターネットや動画を観ていました。ネットで【労災】をキーワードにした関連サイトを見ているうちに・・長時間労働とか過労死・・後遺障害・・いろいろと見ていく幅が増えてきたのです。でも第一は労災認定されるか否か?これが一番のきがかりであったのは言うまでもありませんでした。入院期間中、社長・専務・会社の人達も入れ替わり見舞いに来てくれましたが・・・退院前1か月に専務が2度目の見舞い・・というより、もっと別な意味で病院に来られたのですが、それも大きなキッカケとなって私はある決意をしたのです。
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倒れてからでは遅い! 会社は何とも思わない!

2014年12月29日 11時07分08秒 | 過重労働
平成25年6月16日 午後7:30頃 顧客と電話のやりとりの最中、少し感情的になった時・・首筋から頭のてっぺんにかけて何とも言えない感覚が走った瞬間、次に頭の中が雲で覆われたような風呂上がりの"のぼせ"のような感覚が感じられた時、既にロレツは廻らなくなりデスクの上に顔をおしつけるようにバタンと項垂れました。近くの同僚や部下が項垂れた私を起こそうとしつつ『大丈夫ですか?』と声をかけられ私は"大丈夫"と答えたつもりが蚊の鳴くような声で『ら・・らいようぶ・・』これだけ言うのがやっとでしたが(あ・・死ぬなぁ~・・手・・腕・・動かへん!!)心の中で死を覚悟しながら、ただ1点をみつめるだkrで焦点は合いません。『おい!1
救急車呼べ!!』私の同僚が隣の部署の社員に叫ぶ声・・『E!救急車ですか?』そう答える他部署の社員。『何しとんねん!早く呼べ』・・『ベルト緩めて!揺さぶったらアカン!!』社長の声も聞こえてきた。見えてないが私の周辺は人でたくさん集まってきたのであろうと思われガヤガヤしていた。たぶん・・10分くらい経過しただろうか・・救急隊が到着。担架に乗せられ、そのまま病院へ・・救急車の車中『御主人!!聞こえてますか!!見えてますか!!腕、動きますか!』てつづけの質問が私の耳をつきやぶるような声で投げかけられた。『は・・はい・・聞こえてまふ・・うれ・・うごきまへむ・・』やっとの思いでこたえました。『御主人!!病院に着きましたよ!!』救急隊のこの言葉を最後に意識を失い・・気が付くと集中治療室にいました。点滴のチューブ・酸素マスクの他、コード類など体中がコードやチューブだらけでした。妻の話だと暫く眠って数時間後に意識回復。待合室には専務と総務課長が来ていたみちです。意識を回復した私は目を開けると、物が何重にも見え、まるでトンボの複眼でみているようでしたし身長185センチある私にはベッドが小さく、とにかく点滴のチューブやらで狭く身動きが取れないストレスから大声で叫んでいたそうです。
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人生を振り返って・・貧困

2014年12月28日 13時49分34秒 | わが半生
私は昭和30年代に東京都目黒区に生まれ父は板前・寿司職人。父が東京に修行で来た頃に母と出会ったそうです。最近、叔父に聞いたのですが当時、母には彼氏がいたそうで、学校の先生だったそうです。なぜ母が公務員の彼氏でなく寿司職人の父と結婚したのか?既に母は他界してますので謎のままです。父と母は結婚と同時に大阪で四畳半1間のアパートで暮らし始めたのです。父は当時23歳。若く下っ端の職人ですから給料も安く暮らしは苦しい日々であったと思います。母の実家は目黒区の閑静な住宅地にあり敷地も広く、そこそこの暮らしをしていたみたいで私が生まれて、まもなくは耐えられず幼い私を抱き実家に帰ることも屡々あったようです。もちろん各駅停車のローカル線で大阪~東京は、かなり疲れたとことでしょう。そのたび、父が母を迎えに行ってたと聞いています。四畳半・・風呂なんかありません。トイレはアパートの共同トイレ。電話も当然ないのです。父は下っ端で地方に行くことが多いためなのか・・テレビだけはありました。そう14インチくらいの画面で白黒映像です。たぶん地方回りの多い父は母が寂しいと思ってテレビだけは買っていたのだと思います。昭和30年代後半・・東京オリンピックを私もテレビで観たことは、ハッキリと記憶しています。当時、テレビ・冷蔵庫・洗濯機は3種の神器といわれるほど高価で庶民にとっては高嶺の花であったのです。
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拒食症・・真の回復を望んで・・エピローグ1

2014年12月27日 10時54分47秒 | 拒食症との戦い
携帯が鳴った・・ラインの着信音。画面を見ると『お父さん!』長女からであった。すぐに折り返し電話をすると『もしもし・・』長女の元気な声。かれこれ1時間くらい長女と話をした・・・というか話されたと言った方がいい。携帯をスピーカーにして自室で長女の話を聞く。彼氏のこと、おばあちゃんの家に時々、行ってること・・『お父さん、明石に穴子、食べに行く約束は?ウチの車で連れていってあげる。ほんで淡路に行って1泊せえへん?ウチがお金出すよ♪』そういえば、明石に大善という店の穴子料理を食べてみたいと言っていたので事前に場所の確認をするため調べたが・・・残念な店は潰れていたのです。『お姉ちゃん(長女)店、潰れて、もう、あらへんねん。』しかし長女はサバサバと『ふ~ん、ほな、カニでも食べよ。三宮あたりでええやん』明るく話す長女に『そやな。カニでも行こうか?』こんな会話が、やっと出来るようになりました。まだまだ完全に拒食症から抜け出せたわけではありません。長女の様子は大学を中退し現在、一人暮らしをしてから少しづつ変化が出始めたのです。月1度は妻と梅田で食事や買い物をしたり彼氏も出来て今年は成人式を迎えます。私たち夫婦が未熟であるがゆえに娘たちの心を追い込むことになってしまったのですが周囲の人たち・・義母や彼氏、そして娘の友人達に支えられ命を落とすことなく成人を迎えられたことは大変、嬉しく、そして娘は、こうやって私に連絡をくれるようになりました。父親として温かく娘を見守りこれからの幸せを願っていきたいと思います。
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輪廻転生・・カルマ

2014年12月26日 09時50分17秒 | スピリチュアル
人って私は生まれ変わるものだと思い始めました。なんのために生きているのか?この世で魂の修行をするためと言う人がいます。それは私もその通りだと思います。では?何のために修行するのでしょう?この世界を争いのない人類全体が幸せにしていくために・・のような気がします。人は不幸を感じると他人の悪口を言ったり愚痴ったり・・時には陥れたり苛めたりするそうです。前世で"いじめっ子"は今世、苛められっ子"になるようで、今世、いじめられた出来事が前世いじめっ子であった【カルマ】が今世に現れ"いじめられている"事で【カルマ】を解消したのに、いじめられた腹いせに例えば高校に進学等したとき、また【いじめっ子】となり高校デビューしてrしまうと再び【カルマ】を作ってしまうそうです。苛められっ子の辛さ苦しさを自身の魂が経験し今世、その痛みから1歩人間らしさの成長をすれば魂のレベルが少しでも上がり来世の幸せ度もアップするのではないでしょうか。そうやって各個人の魂が成長すれば争いも差別もない『人類みな兄弟』となれるような気がしてなりません。日本も500年前は織田信長を筆頭に戦国の世の中で今の都道府県が『国』となり争いが絶えなかった時代でしたが現在は勿論、国は日本であり国内での戦争などありません。【カルマ】の根っこは恨みや妬み、怒り・・など心にマイナスが生じた時に言動や行動で他人を巻き込んでしまう・・自己中心的で他人のセイや環境のセイにばかりではないでしょうか?まずは自責で考えることから始める。。良いことをすると"ポッ"と胸のあたりが温かくなりませんか?その繰り返しが魂の成長となって来世の幸せに繋がるようです。人は死んだら今世の徳と記憶しか天国へもっていくことは出来ません。私は病気をして脳出血で倒れた時、【死】を覚悟しましたが神様は生かしてくださいました。それは、きっと・・これまで我儘で傲慢な私のままでは、まだ、あの世には行けない・・病気を背負って心のありかたを変える今世での課題が残っているからと思っています。50数年の人生を振り返り今世の【カルマ】を考えると私の前世は相当、自己中心的で傲慢で人として??であったのかな?本当に未熟な魂であると思い始めました。とても自分が恥ずかしく思えてなりません。残る人生、少しでも家族は勿論、人に優しく見返りを持たず接していくこと。今の行動や言動が自分のためでなく相手や周囲の人にとって良い影響を与えられるか、どうかを念頭に生きていきたいと思っています。
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