脳出血で無職になった親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

消費者金融会社に勤めて。

2015年08月31日 10時09分45秒 | わが半生
昭和50年代半ば、まだまだ消費者金融の社会的なイメージは悪いのですが、お客様は驚くほど来られて貸付残高も順調に伸び利益は高く儲かっていました。大抵の使い道は遊ぶ金でしょうね。私が入社する数年前などは年率73%以上でありながらも一部上場会社や公務員など堅い勤務先の方々が多く来られていたみたいですが、私が入社したころから主婦や自営業の方々がへの融資増え始めたのです。当時は当然、インターネットなどなく、無人店舗もありません。お客様は店頭に来店され私達と面談しながらの審査、融資の手続きを行います。お客様の負債状況は消費者金融会社が中心となる情報センターへ電話問い合わせし件数と大体の借入残高は把握できてああましたが情報センターに加盟してない業者もあります、更にカードやクレジットに車のローンなどの借入状況は面談してヒアリングするのですが、お客様からの申告に頼るだけでした。京阪沿線では京橋あたりが情報センター未加入の業者も多くて小口で何軒も借入している人も少なくなかったです。やっとATMが消費者金融にも導入が始まり大手と中小との格差と差別化が進み始めた頃でした。
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消費者金融で勤めて。

2015年08月29日 09時29分38秒 | わが半生
消費者金融会社、いわゆる【サラ金】に勤めたことで多くの経験をしましたが、やはり社会でのイメージが悪く高い金利、厳しい取立て、自転車操業で自殺(・・;)マスコミ報道の影響が大きく、私も友人から『どこに勤めてるん』と聞かれた時は結構、困ったのも事実です。確かに高い給料で会社も当時、従業員は600名、全国に支店があり規模は中堅企業でした。業種を除けば全く問題ありません。そんな消費者金融会社へ面接試験を受けに行ったとき、正直、私も怖い会社では?と恐る恐る行ったのを今でも覚えています。入社してみると意外にも【まとも】で今で言うパワハラもなく、新店舗だった為か残業も月30時間くらい勿論、ティッシュなど駅での早朝配布は残業もつきました。当時、業界で大手4社は武富士、プロミス、アコム、レイク。飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長していた業界で業務拡大で人材が追いついて来ないのが現状でした。イメージは良くないのに高い給料のためか面接応募が途絶えることがなく、私が入社してからも次から次に後輩が入ってきたのです。また、他社は知りませんがアコムとレイクは比較的、社内の雰囲気は穏やかで厳しい営業や回収業務は殆どありませんでした。殆ど?の理由は後日に言いますが天満橋に配属され1年半は、ほんと普通で『なぁんや(^^)普通の会社やん』です。また入社してわかったのは世間のニュースでは貸し手である業者ばかりを悪く報道してましたが借り手にも良くない人達もいるのです。ギャンブルにハマり転職を繰り返してしまう人、健康保険証を偽造して借りに来る人、他人の健康保険証を借りたり盗んだりして健康保険証の持ち主に成りすましでお金を借りようとする人、他人を業者に紹介して、紹介された人からマージンを取る人など、ホンマ、多種多様な人達。当然、業者も対応マニュアルを持って防ぐのですが、、ま、 イタチごっこです。いろいろと勉強をさせてもらいました。そして、私も天満橋から梅田支店へと異動したのです。
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大切なこと

2015年08月28日 10時34分01秒 | 日記
アルツハイマー認知症、病気になった身内として悩むことがあります。それは認知症を本人に知らせるのが良いのか?否か・・医師は告知すれば本人に相当、大きな精神的ショックを与えた場合、認知症の進行を早めるリスクが高いとも言われました。しかし反対に考えれば本人自身が、それとなく異変に気づいていて、告知を受け病気を受け入れた場合は・・そのリスクが高まるとは限らず、むしろ本人が本人である意識があるうちに、やりたい事をさせてあげるのも大切といえるのではないか??認知症は癌などと全く違う性質の病気ですが以前は癌=死・・となるので告知をしなかった時代もあります。しかし現代医学においては癌は治る病気へと変化した、その時代背景から普通に癌告知」がされています。でも認知症は自分の頭の中の記憶が少しづつ消しゴムで消され新しい事も覚えることが出来なくなるのです。そして癌と違い余命宣告するようなことはありません。進行も個々様々でもあります。告知するか?しないか・・本当に悩める問題です。
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下流老人の報道を見て

2015年08月27日 10時09分47秒 | 日記
今朝、テレビで下流老人のことを報道してました。65歳を越え月額わずかな年金で暮らし、その生活ぶりは困窮であると。一つのケースとして70歳の方が出演されてました、その方は外資系ホテルで38年の勤続があり年収も700万円だったと言います。海外勤務が3分の2あったため日本の厚生年金も殆どかけていなかったので月額7万円の年金と奥様の障害年金で月17万円の収入とのこと。住まいは賃貸。家賃もあり、その生活はギリギリなのは理解します。確かに、やむにやまれない理由で厳しい老後を迎えている片も、おられるでしょう。しかし下流老人の全てが、そうではないはず。日本の貯蓄の65%が老人の貯蓄とのことですがテレビのコメンテーターは金持ち老人が下流老人に分配すればいいと言ってましたが私は少し、それは違うだろ?と思ったのです。人って人生をコツコツ積み上げ贅沢をせず会社も長く勤続すれば狭いながらも家やマンションは買うことは可能ですし、月に食べる分くらいは年金も受給できるのが社会の仕組みではないかと。真面目に積み上げて行けば普通の暮らしは出来るはず。今の結果 は、これまでの生活や行動スタイルの答えだと思うのです。世間は甘くありません。そんなテレビ報道はしてほしくなかった。私は現在、障害年金を受給する身体障害二級の身体で働くこと出来ません。でも35年のサラリーマン生活で何度か転職したものの23歳からは真面目に勤続し自宅と購入。贅沢はせず住宅ローンを繰り上げ返済し3500万円のローンを15年で完済しました。そりゃ、しんどかった(・・;)ですよ。それもこれも妻の支えが、あってこそです。下流老人に分配するくらいなら障害孤児とか本当に困っている人達への支援を社会で考えてあかなければ?と思うのです。なんか納得出来ないテレビ報道でした。
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薬が処方されていなかった!

2015年08月26日 09時13分42秒 | 義母の認知症
8月23日 日曜日、私と妻は大阪の義母宅へと車を走らせていたのです。いつものロケーション。日曜のせいか阪神高速道路も空いていてスムーズに流れた、おかげで50分で豊中に到着。昼少し前に着いたので雑談をしてから近所のファミリーレストランへ食事に行きました。「あんな。。この前、近所の病院に行って薬が処方されてんけど説明書に、いっぱい副作用が書いてあったから先生に言うたら、ほな一旦、やめましょ!って言われてん。」私達夫婦は、てっきりアルツハイマーの進行を遅らせる薬のことかと思い食事を済ませた後、義母の処方箋をそれとなく確認したのです。処方薬はコレステロールを下げる薬と胃腸薬・・『お母さん、それで、先生から止め時ましょって言われた薬って?』妻が尋ねると『そんなん忘れたワ。』一言で終わってしまいました。23日の日曜は、もしかしたら義兄が実家に尋ねてくると思い私達は出向いたのですが結局、夕方になっても義兄は来ることはなかったので、そのまま帰ることに・・この日も義母は本当に認知症?と思わせるほど頭が冴えていたのです。確かに時折、???と思うこともありましたが加齢が原因と思う程度なのです。しかし義母は、おそらく自分自身の頭の中に変化があることを感じていて自宅にはカレンダーにメモ帳があり行事等、キチンとメモしていました。介護保険証やケアマネージャーの名刺、孫や子供の連絡先・・1つのポシェットの中にしまい込んで自分なりに分かりやすいよう管理していたのです。もし、この日に義兄と会うことが出来たら義母の今後のことで話が出来ればと思っていたのですが、それも叶わず。私達は帰宅後、予め用意していた義兄の手紙を再度、確認し『明日、これ郵送する。』詳細は一切、記載せず、一度、話し合いをしたい主旨を記載してあるのですが「お父さんが期待するような反応は無いと思うヨ」妻がボソッと言いました。私は妻に・・『お義兄さんに期待はしてないよ。俺達が、どれだけお義母さんに、してあげられるかを考えてるだけ。お義兄さんは息子や。状況は知る必要がある。それを知って、どう思い、どうするかは、お義兄さん次第で俺は・・でも?実の親やん?それだけや。』妻は暫く黙ってから『遺言書の事やったら会おうって言って認知症やって、だから会おうって言ったら・・電話で済まされへんか?やで!』確かに憤りが無いと言えば嘘になりますが、大切なことは義兄の思いや行動でなく義母を今後、どう支えていくことが出来るか?私は、それだけを考えたいと思っています。処方箋を翌日、義母のかかりつけ医へ電話で問い合わせたところ「申し訳ない・・認知症診断した病院から処方するものと思っていました。」言い訳が返ってきました。私は責めはしませんでした。『○○病院の精神科の医師からの手紙を再度、確認し次回、お義母さんが来院されたら処方します。』医院長自らの謝罪と対応を聞き、ひとまず電話を切ったのですが・・(いい加減なものやな・・)残念な気持ちでいっぱいになりました。認知症と診断され一か月後のことでした。
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