脳出血で無職になった親父のブログ

脳出血を経験してスピリチャルに目覚めたオッさんのブログ

来月(^^)

2018年10月18日 09時00分51秒 | 裁判
民事訴訟、特に損害賠償請求訴訟の多くは判決まで至らず和解になるようです。

私が提訴した裁判も来月、裁判所より和解案が出させるようです。
先ずはザックリとした和解案。
和解案が提示された後、原告被告双方で和解に応じる意思がある程度あるなら後日、詳細が出されます。

私の代理人からの話だと。
担当裁判官3名のうち何名かは来年の異動になるとの事。
すると。裁判所としては。年内になんとしても和解を!と思うわけです。
もし?仮に和解がなされなければ。
判決へと移行し判決文を裁判官は作成しなければなりません。
数多くの裁判を抱えている上に目の前で異動が決まっているなら?
和解で終わらせたい。
また弁護士は今後の事もあり裁判所を見ているから裁判所の意向に沿っていこうとする。

私は大阪の弁護士に相談していますが。
被告の会社は地元弁護士。
地元の裁判所で今後の事も考えていくなら
おそらく被告側弁護士は会社に対し強力に和解に応じるように説得すると予想されます。

私個人的には和解でも判決でも
どちらでも良いのですが。
正直なところ
和解の方が、ホッとします。

もう流石に疲れました。
裁判って意外に疲れます。
エネルギーを使います。
精神的な疲れが
これ程のものかと。経験し初めて分かりました。

だって弁護士事務所へ初めて行ってから、もうすぐ5年を迎えようとしています。
訴訟準備。それに加えて割増賃金訴訟を途中で行いつつ準備を進めて平成28年に損害賠償訴訟を提起し何度と繰り返し口頭弁論。
医師の意見書を双方交換するまで
会社側は、まぁ私の心をズタボロにするほど主張し過失は全くないと言ってくるのは
結構、こたえます。
言葉の威力を感じます。
会社って?こんなもん?
不信感や
会社だけではありません。
経営者に対する人間不信🧑

様々な気持ちが私の心の中を駆けずり回って来ました。

やーーーっと。来月、和解案。

もう。疲れました。
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裁判も大詰め(^^)穏やかな日常へ。

2018年10月07日 16時43分52秒 | 裁判
会社の本音d( ̄  ̄)いや。会社代表者の本質が見えたのが。割増賃金訴訟を起こしてからでした。

私自身も初めての訴訟。
会社側の主張する書面を初めて読んだ時は本当に怒りがこみ上げて来ました。

全ての責任は会社でなく私。
労働基準法など守ったら中小企業の経営は出来ないとまで言う経営者でした。
この傾向は損害賠償請求訴訟でも同じでした。

先日、私の代理人弁護士との電話でのやり取りのとき。
弁護士は『何も、そこまで言わなくても。と思った文面はありましたよ。決して少なくなかったですし。』
重箱の隅をつつくような主張文面。
ここまで経営者として責任を逃れようとする代表者。
代表者な目の前は損害賠償金額を1円でも少なくするために必死な文面。

いや。それしか見えないの?
そう思ったのです。

私は弁護士に。
『割増賃金訴訟のやり取りで、そんな経営者でなければ損害賠償請求訴訟には至らず示談していたかも知れません。』と言いました。

私の気持ちの中では『お金』ではなくなっています。
でも。常にと言うと嘘になります。
人間った弱いなぁ。
つくづく感じ入っているのが今の心境です。

お金、お金でない!と思い込もうとする自分も片方ではありながら。
一方ではお金なのです。
これが結構、辛いのです。
和解案がまもなく提示されます。
正確には和解額。
ザックリとした金額が提示され、双方で和解の意向があれば具体的金額を裁判所は後日、提示すると共に双方より和解条件があれば盛り込める内容がどうか?まで検討されていくそうです。

弁護士に相談に行ってから4年10ヵ月が経過しました。
私の心は時にはぐるぐる洗濯機に入ったようにかき混ぜられたり。台風の如く強い風や雨がやってきたり。
時折、お日様が顔を出したり。

昨日、妻が。
『お父さん。この10年、色々とあったやん?A香の拒食症、E香の非行、お父さんの病気、おばあちゃんの認知症、ホンマ、次から次。ありすぎた。今、やっと穏やかになってきたやん。今年の内に裁判も終わりたいよね。』

私は黙ってうなづいたのでした。
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裁判も大詰め(^^) お金第一から変化が。

2018年10月07日 10時13分09秒 | 裁判
弁護士に相談に行ってから。私はネットで労災事件の判例などを見ていました。
すると。
多くの方が過労死されている事を知ったのです。

あってないような労働基準法。
36協定無視の会社。
社員を道具としか見ていない会社。

とにかく儲けさえするばいい。
そんな会社が
どれだけ多いか。

そんな記事の中で
一番印象に残ったのが『和民過労死事件』
新卒入社の女性が長時間労働の末
自殺しました。
遺族であるご両親が会社を訴え結果は勝訴に近い和解となりました。

複雑な思いを私の中を駆け巡るのでした。
その事件以降。
毎日の新聞記事やネットニュース、テレビでのニュースで労災事件を見聞きするに従った私の心境に変化が現れてきたのです。

そして。
そんな折に弁護士から『未払い残業代訴訟をしませんか?』と。
多くを語らない弁護士。
なんとなく。
やらなければいけないのでは?
残業代は2年で時効になるため私の請求出来るのは半年分でしたが。計算すると150万円にもなりました。
残業代は正当な対価。
であれば請求すべき。

私の心の声が聞こえたのです。
平成27年11月
私は会社を相手取り割増賃金請求訴訟を起こしました。
これは損害賠償請求訴訟を提起する前の準備運動のつもりでもありました。

そして割増賃金訴訟提起した当月下旬。
労働基準監督署から
労災年金支給が認められたのです。

これには妻も喜んでくれました。
これで
私が死ぬまで国から守られるわけですから。
家族のために。
ただ、それだけ。

話を戻します(^^)
様々な労災事件。過労死や自殺のニュースを見聞きするうちに。

お金第一で訴訟をすると。
とにかく疲れます。
何が?って?
言葉で形容はし難いです。

自分の利益優先で考えていけば行くほど
心が重く、苦しく
後ろめたさ。さえも感じるのです。

私の心の中で損害賠償請求訴訟をするにあたり
志を変えようと。思い始めたのが
その頃です。
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裁判も大詰め(^^)振り返ると。弁護士に相談した当初。

2018年10月07日 09時25分07秒 | 裁判
平成26年1月(^^)
私と妻は大阪の淀屋橋近くにある弁護士事務所へと相談に行きました。

2時間近くの相談。
弁護士からは十分に受任出来る事案と伺い、その数日後、正式にお願いしたのです。

この時は家族を守るため。
お金が第一でした。

情け無いかも知れません。
でも。労災保険は認定されたものの。年金を受け取れるか?どうかは、その約2年後に判断されたのです。
もし?年金ではなく一時金だけなら家族を路頭に迷わせる事に。
長女は大学一年生。次女は高校一年生でした。

教育費。子供達の将来のために。
だったのです。

退院し自宅に戻って毎日の生活をしていくうちに
『あーー。仕事は無理だなぁ。』
そう思い始めたのです。
気持ちと身体との差が激しい。
とにかく
目から見えるものは二重に見える。
左半身麻痺はとても身体を重く感じさせる。
疲れやすい。
手が震える。パーキンソン病みたい。
食べるのに時間もかかる
パソコンのキーボードは右手でしか打てない。
電話はスマホのスピーカー状態でしか出来ない。
などなど。

アッサリ。
仕事復帰は諦めました。
だから。
お金が第一になったのです。
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裁判も大詰め(^^)振り返ると複雑な心理。訴訟するキッカケ、

2018年10月07日 09時11分49秒 | 裁判
昨日。私の代理人弁護士から電話が(^。^)
来月の裁判期日に備える陳述書を作成するため連絡をくれました。
そのやりとりをしながら。
私は弁護士に
『会社代表者が、あんな人でなければ訴訟提起せず示談に応じていたかも知れません。』

電話ん切ってから回想しました。


過重労働により労働災害被災者となったのが平成25年6月。脳出血🧠発症の瞬間。
【死】の不安と恐怖、そして覚悟が心の中を駆け抜けました。
半月に渡る入院生活の間。労災保険適用認定を心から願い祈っていました。

退院する、ほんの2〜3ヶ月ほどまえ。
スマホでネット検索。
キーワードは【労災】
労災保険認定率とか、プログなどを読み漁っていると?
【労災損害賠償請求】に関する内容のサイトが目に入ったのです。

へぇ。訴える人もいるんだ。その時はそんな気持ちでした。

でも。その気持ちから変わっていったのは、ある日の出来事がキッカケになったのです。

それは退院する1ヶ月ほどまえ。
平成25年11月。
私が入院している病院に代表者が来ました。
お見舞い。最初は、そう思っていました。
が。
話をしていくうちに私の状態と今後の事が主な内容でした。それはそれとして良いのです。(^^)

その内容。
今後の雇用について。
退院後は役職を解き年収は半分以下。
確かに。それは仕方ない事ではあると思いますが。その時の話の仕方、表情、内容。
なーーんか。ね。って。

仕事が出来ないなら辞めることも考えなければならない。

その時、私は車の運転も仕事も出来るつもりでいました。はは(^^)

現実を知るには時間がかかります。その事は少し置いておいて。

代表者から優しさ。を全く感じられなかった。
人は弱っている時って人の優しさが欲しいんだなぁ。
事務的と言うか。他人事。
それが全てと感じたのです。
会社代表者から。
労わり、思いやり、そんな感情が一寸たりとも感じなかった。

代表者が病室を出たら後。
しばらく、思うことが。

その翌日。
私は訴訟をしようかな。
そんな気持ちになったのです。
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