縁起笑店

縁起の道も招き猫から
陶芸家猫社長のつれづれコラム
横浜の縁起村から伊豆の満腹村に移住

賀状はパワハラ

2009-12-22 | Weblog
寅に襲われそうになった。こん棒でめったやたらに殴った。寅はシナシナになってあっけなく寅死した
夢だった。寅が夢に出てくるのは初めてだ。夢でも寅は恐い。でも何で寅なんだ?
たぶん年賀状のせいだ。来年の賀状は猫社長の酔い寅のポストカードだ。最近ちょびちょびと書き
始めているので脳みそのどこかに寅の残像が張り付いてしまったのかもしれない。
高校までは賀状といったら仲の良い友人にせいぜい20枚ほど送れば良かった。ところが大学に
入学して賀状の数は飛躍的に伸びた。
猫社長は大学に入って絵本を創るクラブに入部した。どちらかといえば軟派なクラブだ。
木枯らしが吹く頃、上級生達に「先輩達には年賀状は必ずだせよ、そしたら返事を送ってやる」と言われた。
これって今ならパワハラってことなんじゃないの。
絵本クラブはガリ版で部員全員の名簿を刷ってそれを毎年更新して部員に一部づつ渡されていた。
その名簿には部員の住所と誕生日と血液型まで載せていた。やはり軟派だ。
クラブにはいつも活動している人とまったく顔も知らない幽霊部員もたくさんいた。
もし全員に送るとなると100枚近くなる。その頃はパソコンもないし裏も表も手書きだ。
そして一応美大な訳で、文字だけで済ますなんてとうていできない状況でもあった。
「賀状にはリキ入れるよ。そこで自分のセンスが問われるからね」と先輩達。
これは少なからず猫社長たち一年生にプレッシャーを与えた。
猫社長も一枚一枚一生懸命何やらかを描いたような記憶があった。時間も相当掛かったような気がする。
賀状を出して返事をくれた人もまったくくれなかった人もいた。
今は賀状書きはすごく楽になったけれど、暮れになると賀状を書かねば、元旦に間に合うようにせねばと
気が競るのはあの頃のトラウマがあるのだろう。