Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

Morning Has Broken

2007年03月19日 | diary
 数日前にマスクをはずした。まだ調整段階だけど、もう大丈夫じゃないかな?と思ったりする。もう帽子を目深にかぶる必要もないよね?と思ったりする。そろそろメガネをはずす日も近いことだろう。極個人的に開放感が漂いはじめた今日この頃。うれしいうれしい。

 昨日からちょっと風邪っぽいのだけど、花粉が去ってくれることを思えば、風邪なんてたいしたことじゃない。そう思って、今日もしっかり働こう。今日と明日働けばお休み(春分の日)。その後も2日働いたら週末。水曜日に休みがあるというのは、気分的にも、サイクル的にも、大変いいことだと思う。

 昨日は、レコードを聴いてはごろんちょし、ごろんちょしてはレコードを聴いていた。今度の土曜日の DJに備えて曲を選ぼうとしたんだけど、基本的に僕はアルバムを1枚ゆっくりじっくり聴きたいので、これがなかなかすすまなかった。例えば、ジョン・セバスチャンの『Tarzana Kid』なんか聴いてると、「やっぱりいいなぁ。レコードを取っ替え引っ替えするよりも、これを1枚まるまるかけた方がいいんじゃないの?」と、ごく普通に思ってしまう。資質的に、あまりDJには向いてないのだろう。

 先日、家で仕事をやろうと早めに会社を出て夕暮れ時の江ノ電に乗ったら、富士山のシルエットがくっきり空に映えて、とてもきれいだった。丹沢の山々や箱根や伊豆半島も、夕焼け空の下、その美しい稜線を浮かびあがらせている。そのとき、夕暮れの海を見るのは久しぶりだなぁと思った。何年か前までは、当たり前だったことなのに。好きなときに好きなだけ、夕焼けを眺めることができたのに。そんな頃のことを、ぼんやりと思い出したりした。

 あの頃の僕は、今よりずっとひとりだった。それに比べたら、今はいろんな人達に囲まれている。どちらにもいいところがあるし、やはり思い通りにいかないこともある。

 今日は薄曇り。きっと富士山は見えないだろう。まだ朝の静けさを残した海を眺めながら、僕は会社へ向かうのだと思う。久しぶりにキャット・スティーヴンスをターンテーブルにのせてみた。懐かしかった。なんとなくだけど。

ヒナソウとニール・ヤング

2007年03月18日 | diary
 穏やかな日曜日。今日も、レコードに囲まれて、部屋でのんびり過ごすつもり。花に水をあげて、一番陽のあたる場所に置いて、ニール・ヤングの『Live at Massey Hall 1971』を聴いてたりする。すると、本当に穏やかな日曜日になったりする。

 地元にある馴染みのアナログ・バーが、月に1回、有志のDJナイトをやっていているのだけど、それが昨晩あって、僕もレコードを数枚持って参加してきた。マスターに2台並んだターンテーブルの使い方を教えてもらってから、春らしいものを6曲かけた。セントラルパーク・シークス、ルー・ロンドン、サミー・ウォーカー、ハッピー&アーティ・トラウム、スティーヴ・イートン、アズテック・トゥー・ステップ。あぶなっかしい手つきで、1度なんか曲がかかってる方の針を途中であげちゃったりしつつも、どうにかプチDJデビューを果たす。

 昨年まで一緒に働いてた同僚と久しぶりに飲んだ。お互いの近況を報告し合い、音楽の話をあれこれとした。気がついたら、同僚はかなり酔っぱらっていた。きっと疲れているのだなぁと思った。今日は子供の幼稚園の卒園式なのだそうな。そして明日には家族を連れて、大阪へと引越して行く。またしばらく会うことはないだろうけど、頑張ってほしい。

 さっき、友達にメールを書いた。わざと丁寧な言葉を使って書いたら、なんだかちゃんとした人になったような気がした。えっと、錯覚なんだけど。

 ニール・ヤングがアコースティック・ギターひとつで歌っている。アコースティック・ギターひとつで歌うニール・ヤングは本当にいいと思う。

 窓から差し込む光の角度が変わった。僕は花を一番陽があたる場所に動かして、ニール・ヤングの『Live at Massey Hall 1971』を聴いてたりする。そんな穏やかな日曜日…。

レコードと過ごす1日

2007年03月17日 | diary
 お茶をすすりつつ、ボーダーラインの『Sweet Dreams and Quiet Desires』を聴く昼下がり。アルバム・タイトルが、かっちょよかったりする。言葉にするでもなく、あえて口にすることもないけど、内に秘めたものはちゃんとある、みたいな。で、内容がこれまたタイトル以上にかっちょよかったりする。少しも押しつけがましくないんだけど、ただそこにいてくれるだけで、じんわりとしたものが伝わってくる、みたいな。結局、こういう穏やかな佇まいのものが僕は好きなんだと思う。音楽であれ、人であれ、なんであれ。

 これはずっと欲しいなぁと思っていたレコードで、つい数日前に買ったばかり。1,800円だった。以前はもっといいお値段がした記憶もあり、「わっわっわっ!」と喜び勇んで即買いしたんだけど、よくよく見たらジャケがばっくりと割れていた…。とりあえず、のりを塗ってみた。うまくくっついてくれるといいんだけど。

 昨日は、津田沼のレコード屋さんで、ステイプル・シンガーズの『Bealtitude: Respect Yourself』を買った。600円だった。これもかっちょいい。つーか、すげーかっちょいい。僕が来たからと、お店をはやく閉めてくれて、すぐそばの焼き鳥屋さんでビールを飲んだ。ディランの自伝の話やエルヴィス・コステロの話とかしてるうちに、夜はちゃんと更けていき、予定通り終電に乗って帰ってきた。金曜日の夜らしく、藤沢駅前のタクシー乗り場には長い列ができていた。

 今度、生まれて初めてDJの真似事をするんで、「こういうのって何枚くらい持っていけばいいの?」と訊ねると、「MIYAIさんにも1時間くらいやってほしいから、そうだなぁ、予備含めて40枚くらいかな」と言われた。「えー!そんなにたくさん!」と僕が驚いていると、「そんなの全然少ないって。いつもみんな100枚とか200枚とか持ってくるよ」と言われた。DJの人達も大変なんだなぁと思った。

 陽が差し込んできて、部屋が明るくなった。メイヴィス・ステイプルの歌声が、さっきよりも希望に溢れて聴こえる。お茶をもう1杯飲んだら、来たるDJに備えて、レコードを選びはじめよう。

颱風を聴いたりした

2007年03月16日 | diary
 寝坊もせずに起きれたけど、かなりぼーっとした朝。みかんと漢方薬とポール・バターフィールド・ベター・デイズ。ジェフ・マルダーの歌声とエイモス・ギャレットのギターが沁みる。エイモスといえば、来日が決まったそうで。観に行かないとね。

 昨日は神保町界隈(お茶の水?)のロック・バーへ。行く前に、連れからは「ロック・バーじゃなくて、シンソン(シンガー・ソングライター)・バーだよ」と言われたんだけど、結局この日は、僕らの持ち込みCDをいっぱいかけてくれたんで、実際のところはどうなのかよくわかんなかった。お店の看板にジーン・クラークとザ・バンドがいて、入口とかトイレにはディランとニール・ヤングがいて、ジャクソン・ブラウンが好きだというマスターがいてと、そんな店だったりする。マスターはよくしゃべる親切な人で、はじめましてだった僕にもいろいろと気をつかってくれた。

 ヘロンやトニー・コジネクやアン・ブリッグスやリンダ&リチャード・トンプソンやロジャー・モリスやグレイス・ポッターやその他諸々、それから、はっぴいえんどを聴いて、時間はまったりと過ぎていき、ちょっと駅まで走って電車に乗って、地元の駅に着いたのが23時過ぎだった。電車の中で僕らはいろんな話をした。で、地元のバーのカウンターでもいろんな話をした。話題の中心は奈良だった…気がする。コートを着て外に出たときには、午前1時30分を過ぎていた。

 たくさんの気持ちが浮かんでは消え、また浮かんできたりした。そんな夜だった。

 今日もお店をあちこちまわる予定。で、夜は津田沼でお酒を飲んで、終電に乗って帰ってくるんだと思う。そんな1日のはずだったりするが、さて?

神保町

2007年03月15日 | diary
 寝坊。ゆっくり日記をつけてる時間なし。顔を洗って、着替えて、バッグにレコードとCDを入れて、いざ出発。朝食はコンビニでサンドウィッチを買おう。今日は昼前には会社を出て、1日ぐるぐるお店をまわって、夜は神保町界隈(お茶の水?)にあるというロック・バーへ連れてってもらう予定。たーのーしーみー。

 最近は夜が寒い。ひとまず、みかんでも食べよう。ビタミン補給。風邪ひかないように。

Cheese and Onions

2007年03月14日 | diary
 そろそろ花粉もピークを過ぎたかな?と、昨日、家に帰って久しぶりにコンタクトを入れてみたところ…。

 かゆいかゆいかゆいかゆいかゆい!

 全然だめだったな。というわけで、完全防備な日々はもう少しつづく。そんな姿もだんだん馴染んできたのか、昨日は「メガネの方がいいんじゃない?」と言われたりした。ただ、その人はメガネの僕に慣れただけだと思う。坊主にしたときも、しばらくすると「その方がいいね」と言ってたし。まぁ、他人にはどっちでもいいことだもんな。このどっちでもいいも、無関心によるものなのか、それとも盲目的な愛の力によるものなのかで、その意味合いはだいぶ違ってくるわけだけど、少なくとも昨日の場合は、100%無関心からくる発言だったのは言うまでもなし。

 取り引き先のCDショップに電話をすると、仲良くしてる店員さんが出た。僕は彼女にラトルズのDVDを借りていて、ちょうどこの日返しに行こうと思っていた。そこで、「ちゃんと2回観ましたよ。最高ですよねー」と話をふったところ、「ほんと最高ですよね!あたしは“Cheese and Onions”で最後の間抜けな音が「ボンッ」って鳴るところと、“OUCH!”で4人の頭にリンゴが落ちてくるシーンが、もうもう大っ好きなんです!あっそうだ、ジョン・ベルーシも出てたでしょ?すごくいいですよねー。それとねぇ…」などなど、それはそれは熱く熱くこと細かなシーンまで語ってくれた。「で?MIYAIさんはどのシーンが一番好きなの?」と問われ、「あ、えっとね、もう1回観ますね」と応えたのだった。

 そんなわけで、僕の部屋の机には、今日も変わらず、ラトルズの『4人もアイドル!』が置かれてたりする。週末にでもまた観るとしよう。ラトルズは深い。

 昨日の朝はエリックを聴いたので、今朝はジョージを。ラトルズが大好きだったジョージなら、僕よりはもう少しまともに彼女と話ができたんじゃないかな。そんな気がする。

I've Got a Rock'n Roll Heart

2007年03月13日 | diary
 エリック・クラプトンなり。『Money and Cigarettes』なり。“I've Got a Rock'n Roll Heart”なり。ロックン・ロールを胸に、今日もがんばってこう。

 数日ほうっておいた伊坂幸太郎の『アヒルと鴨のコインロッカー』を読み終えた。動物が殺されるのが嫌で、なかなかすすまなかったんだけど、読み終えてみればこれもしっかりと面白く、また見事な小説だった。人が心に抱えてしまう言葉にならない気持ちを、伊坂は物語に変換することで、すくいあげていく。それこそが、小説の存在意義であり、仕事だと、僕は思う。僕は彼の書く小説を読み、自分の生活とはまったく別の物語の中に、自分の心を見つけ、感情を見つけ、僕だけの風景をそこに重ね合わせていくことができる。それは、どうしようもないくらい、意味のあることだと思う。

 伊坂幸太郎に、今んとこハズレなし(3冊しか読んでないけど)。この人は本当にすごいなぁと思った。

 今朝はサラダを食べた。冷蔵庫に買って1週間ほどたったレタスとキュウリがあって、いい加減食べないと腐るかなと思って。サラダは美味しい。僕はサラダが好きで、実家に帰ると、お袋は僕にサラダを食べさせてくれる。もし食べさせてくれなかったら、ちょっとさびしいかもしれない。

 今日も1日鎌倉の事務所で作業の予定。ロックン・ロールがんがんで頑張ろう。

Blue River

2007年03月12日 | diary
 昨日は、昼前に親父とお袋がやって来た。3人でお茶を飲み、ようかんをつまみ、将来の心配をされ、先週親父が行ってきた自転車旅行の写真を見せてもらい、エラ・フィッツジェラルドのレコードをかけ、みかんを食べた。それから稲村ガ崎にある美味しいイタリアン・レストランでランチを食べて、2人は帰っていった。久しぶりに会えてよかったし、笑顔を見れてよかったと思った。

 夕方、藤沢の小さな映画館で『フラガール』を観た。期間限定で1000円ということもあり、思っていたよりも客入りがよかった。かなりまっすぐなお話なんだけど、ひたむきさが胸を打つのか、しっかり4回泣かされた。それが嬉しいような悔しいような。20年前なら泣かなかったと思う。10年前だと微妙かな。だんだん涙の価値が下がっているのかもしれない。気をつけよう。

 夜は、ブラジル音楽のライヴを観に近くのレストラン・バーへ。中西文彦(g)と前川朋子(vo)のユニットに、bic(per)が加わってのトリオ編成。で、これがとてもいい演奏だった。基本はサンバやボッサなのだけど、どこかロックっぽかったりファンキーだったりジャズ・テイストがあったりと、ミュージシャンとしての引き出しの多さに驚いた。でもそれが器用貧乏にならずナチュラルだったから、心に響いたのだろう。また、機会があったら観に行ってみたい。

 家に帰って、レコードを聴いて、本を読んだ。でも、別にレコードを聴きたかったわけでも、本を読みたかったわけでもなく、他にやることが思いつかなくて、ただそうしていただけだった。だんだんぱっとしない気分になってきて、ウイスキーを飲んだら余計にぱっとしなくなった。こんな夜はとっとと寝るに限るんだけど、こういうときってなかなか寝つけないもの。薄い意識の中でずるずると時間だけが流れていった。でも、いつしか意識は薄れ、消え、再び戻ってきて、今はこうして朝を迎えている。

 カーテンを開けると、外は気持ちのいい青空だった。僕は昨夜の気分をひきずったままベッドから抜け出し、少しだけ考えてから、エリック・アンダーソンの『Blue River』をターンテーブルにのせた。

 青い川は流れつづける
 岸辺に沿って流れていき
 深みや暗闇から僕を守ってくれる
 だって、僕らはあまり遠くまでさまよっていたくはないんだ
 
 エリック・アンダーソンの歌声には、孤独な人だけが持つ優しさがあると思う。

Troubadours

2007年03月11日 | diary
 昨日は久しぶりに近所の図書館へ。『古今亭志ん生落語集』をなんとなく選んで、窓際の席に座った。隣は幸田文の『闘』を読み、斜め前のお婆さんは割と大きめの本を読んでいた(どういう本なのかはわからなかった)。最初のお噺である「唐茄子屋政談」を読み終えて顔を上げると、お婆さんは気持ち良さそうに寝ていた。次の「中村仲蔵」を読み終えたところで、腹が減ったので、近くのレトロな食堂へ。ソース焼そばを注文し、ビールを飲んだ。連れは和風スパゲッティを注文し、やっぱりビールを飲んだ。

 図書館に戻ったときには、もう本はいいかなという気分だった。なので、映画を借りて部屋に戻ることにした。『リバー・ランズ・スルー・イット』。この映画は僕の生涯ベスト3に入ると思う。映画館で最初に観た大学4年のときから、その気持ちは変わらない。でも、何度も観ようとは思わない。観たのは昨日で2度目か3度目。きっとそういう映画なのだろう。モンタナの自然、光が溢れるようなカメラ・ワーク、語られる言葉、そしてブラッド・ピット。すべてが美しい。ありのままに生きて無惨に殺された弟。「なにか他に知っていることはないか?」と父親は何度も兄に訊ねる。「弟はとても釣りがうまかった」とだけ兄が言うと、「いや、それだけじゃない」と父親はつぶやく。「あの子の人生は美しかった」と。心からその通りだと思う。ありのままに生きることは美しい。でも、残念ながら多くの人にとって、人生は芸術作品じゃない。

 ワインを飲んで、チーズをかじった。最後にハーブティーを飲んだ。外は暗くなり始めていた。部屋を満たすアート・ガーファンクルの歌声が気持ち良かった。

 夜は、ヴァン・モリソンのライヴ映像を観た。最近出たモントレー・ジャズ・フェスティバルのDVDで、1974年と1980年のヴァンが収められている。いささか臨場感に欠けた映像だけど、この時期の動くヴァンを観るのはほぼ初めてという興奮も手伝ってか、そのうち気にならなくなった。1980年の演奏がとても良かった。ヴァンが“Troubadours”を歌う。そこには「もうこれだけでいいじゃないか!」というくらいの説得力があった。とにかく屈指の名作としか言いようのない『Into the Music』に収められた名曲。だから、DVDが終わってから、僕はすぐに『Into the Music』を引っ張り出して、ターンテーブルにのせた。本当に素晴らしい歌ばかりが並ぶこのアルバムの中でも、昨日の“Troubadours”は輝いていた。なぜかひどく輝いていた。

Babe, I'm Gonna Leave You

2007年03月10日 | diary
 なんとなくうららかな土曜日。束の間の休息。

 昨日はまっすぐ家に帰らず、週末のための買い物もしなかった。で、今日も明日も、かなり近場ではあるが、外出することにした。ほどなくスギ花粉の季節も去り、桜の花が咲く季節を迎える。そのための、いわば心の準備みたいなもの。ま、ひらたく言えば、気が変わったのである。

 そんなんで、ガツン!とくるのが聴きたくて、レッド・ツェッペリンのファーストをターンテーブルへ。やっぱりかっこいい。嫌いな曲なんてひとつもないよ。ほんとに素晴らしいと思う。

 僕が好きなアーティストの20組にツェッペリンを入れたことに、何人かから意外だと言われた。そう言われるのも、今となってはわからないでもない。基本的に僕の趣味はハードロック的じゃないし、ケルティックでもないから。でも、そんなに意外じゃなかった頃だって、きっとあったんだと思う。その頃もケルト的ではなかったけど、いくらかハードロック的だったから。で、僕は、今でもツェッペリンのハードロックは好きだったりする。ものすごく。それ以上にアコースティックなナンバーに惹かれはするけれど、もし好きな曲を5曲選べと言われたら、案外ハードなナンバーが並ぶんじゃないかな。どうだろね。

 レッド・ツェッペリンの魅力を語るのは難しい。あえて言葉にするなら、それは異国の地を吹く風のようであり、遥かなる大地を彷徨う旅人の憂いのようなものだ。僕はそんな光景や心情を、映画館のスクリーンを見つめるように、まったく違う場所から眺めている。それは隔絶しているようでありながら繋がっていて、繋がっているようでいて隔絶している。

 人と人との繋がり。音楽の持つ力。そんなことを思ってみたりする。

 手のひらにのるくらいの小さな花の鉢をもらったので、窓辺に置いてみた。自慢じゃないが、僕はサボテンを枯らしたことがあるので、この花の将来には不安を禁じ得ないけど、部屋に花があるというのは、それだけで、なかなかいいものだなと思う。

 これから近所の図書館へ。外出と言っても実はその程度なんだけどね。でも、きっといいことあるのだ。