Box of Days

~日々の雑念をつらつらと綴るもの也~ by MIYAI

“My Back Pages”を歌った夜

2006年04月16日 | diary
 友達の結婚パーティーで“My Back Pages”を歌った。いい出来とはいえなかったけど、まぁ、余興ということで。でも、あの状況じゃ1曲やるのが限界だったな。それ以上は耐えられなかった。というわけで、“My Back Pages”だけ歌ったのだった。

 パーティー自体は立食形式で、こじんまりとしたものだった。結婚した2人が楽しそうにしてて、それがなによりというか、よかったと思う。いい会だった。最後の最後で、変な親父(どうやら会社の上司らしい)が「俺にしゃべらせろ」とばかりにマイクをもって、(少なくとも僕には)わけのわからんことを長々としゃべりだしたのには笑った。いや、あれはしょうがねー親父だったなぁ。ちゃちゃを入れたい衝動を押さえるのが大変だったよ。ま、それはそれで冠婚葬祭らしかったけど。

 その後は、仲間と3人で居酒屋へ。まったりと日本酒を飲む。疲れていたし、はやめに帰ったのだけど、電車の中では、友人と話ながらもちょっと眠かったりした。

 さて、本日は渋谷でお仕事。終わったらそのまま帰ってくるか、下北沢でライヴを観るか。その場の流れで決めよう。

晴れの日

2006年04月15日 | diary
 昨日はたくさんの人と「はじめまして」をした。ショップやレーベルやイベンターなど、総勢20人くらい(僕が知ってたのは5人くらい)。扱ってる音楽はみんなそれぞれ違うのだけど、かえってそこが新鮮で面白かった。仕事を超えたおつきあいになっていけばいいなと思う。

 さて、今日は友達の結婚式。ギターを弾いて、ハープを吹いて、歌ってみたりする予定。さっきちょっと練習したんだけど、自信がなくなりそうになって…やめた。

 まぁ、いいや。がんばろ。行ってきます。

僕らのポール・マッカートニー

2006年04月14日 | diary
 昨夜、当BBSでも絶賛されていたポールの『Chaos and Creation in Abbey Road』(というタイトルでいいのかな?)を無事鑑賞することができた。

 これは、ポール好きにはたまらない内容だと思う。1時間ほどの番組なんだけど、ポール・マッカートニーという人がもつ底知れない魅力に溢れている。僕の部屋のちっこいテレビ画面からでも、それははっきりとわかった。観てると知らずにうちに頬がゆるんで、「もう俺、ポールが大好きだぁ」と思わずにはいられなかった。ポールはいつだって僕らを幸せにしてくれるんだよね。

 だって、なにをやってもかっこいいんだからね。ちょっとした仕草や表情にも、たまらない気持ちにさせられる。で、なにがすごいかって、こんなに偉大な人なのに、けっして親しみやすさを失わないこと。ポールはいつだってフレンドリーで、ファンに優しい。ポールのああいう雰囲気って、意図的に作り出せるものじゃない。だって、ほんの仕草でそれがわかるんだから。僕だってずっと彼のファンをやってきてるし、それくらいのことはわかる。

 この番組では、ちょっとした音楽的実験をやってみせたりする。ポールってこんな風に音楽を作ってるんだなぁ、というのがわかって興味深い。そのやり方は、とてもシンプルで根気を必要とするものなんだけど、ポールはほんとに楽しそうで、音で遊んでいるのが楽しくでしょうがないみたいだった。それだからこそ、ポールの音楽は温かさを失わないのだろう。メロトロンで遊んでみせるところも楽しかったな。

 僕が特にしびれたのは、瞬間的にみせるポールのハード・エッジな部分。それは大好きなオールド・ロックン・ロールを歌うときに顔を出した。“Twenty Flight Rock”とか、やばいくらいかっこよかった。これまでもいろんな場面で、この曲を歌うポールを観てきたけど、格別だった。

 この番組が収録されたのは、おそらくアルバム『Chaos and Creation in the Backyard』が完成したばかりの頃。手応えのある作品を作れたことの誇りが表情からも窺えた。ポール自身もきっと充実感を感じていたのだろう。自信に溢れているときのポールは、もうとにかく圧倒的で、誰もたちうちできない。新曲のお披露目はどれも素敵だった。アコースティック1本で歌われる”Friends to Go”などは、まるでポールが自宅でギター片手に作曲をしたばかりのヴァージョンみたいだった。メロディがこんなに繊細だったんだって思った。

 たったひとりで観客の前に立って、まるで昔からの友達のように彼らに語りかけ、冗談を言うポール。当たり前のようにギターやピアノを弾いて、歌を歌うポール。「よく来たね。スタジオって面白いだろ。ほら、こんなのもあるよ」みたいな感じ。もしポールの家に遊びに行ったとしても、きっとポールは僕を同じようにもてなしてくれるだろう。ポール・マッカートニーって、そういう人だから。信じられないかもしれないけど…。

Spirits of Ancient Egypt

2006年04月13日 | diary
 かなりビートリィな夜に、僕がはじめて知ったこと。

 “Spirits of Ancient Egypt (遥か昔のエジプト精神) ”は、ポール作だった。

 うそぉー。なんでデニーが歌ってんだよ?って、いや、そういう歌は他にもあるけどさ。でも、僕は今の今までずーっとこの曲はデニー・レインのオリジナルだと思っていた。だって、ポールにしちゃ凡庸だと思いませんか?初めて『Venus and Mars』を聴いた中学生のとき、♪よまいべいべぇ~あんあいらぁびゅっ♪てな歌い出しに「駄目だこりゃ」となって以来、完全にデニーの歌だと思い込み、ソング・クレジットを確かめようとさえしなかった。これとジミー作の“Medicine Jar”はアルバムに入れなくてもよかったのに、と普通に思っていた。「ポールもわざわざ他のメンバーに花をもたせることもないのにね。逆に才能の差が出ちゃって痛々しいよね」と、かなり本気で思っていた。 だから、昨夜、データに詳しい友人から、この曲がポール作であると指摘されたのは、新鮮な驚きだった。

 MIYAI:「ほ、ほんとに?」
 友人:「間違いない。すげー自信ある」

 この時点で僕の気持ちはかなりグラついたんだけど、やっぱり長年そう思い込んできたわけだし、そうそうすっきりとはいかない。さてどうしたもんかとなり、近くのビートルズ・バーへ。マスターに『Venus and Mars』のCDを見せていただく。そこにはこんな記述が。

 ポールがナッシュヴィルへ行ったとき、チェット・アトキンスに見せてもらったエジプトのピラミッドの本にインスパイアされ…。

 …全然ポールの曲じゃんよ。

 うーそうかぁー。いくら知らなかったとはいえ、僕はポールが作った曲をずっとくさしてきたのか。しまったね。でもねぇ、きっとポールは自分でもこれがたいした曲じゃないとわかってたと思うんだな。それをデニー・レインがどういうわけか気に入ってしまい、自分に歌わせてくれと嘆願。しつこく嘆願。「えー、これを歌いたいのかい?ふぅん。まぁそこまで言うならいいけどさ」と、そういうことではなかったかと。えっと、どうかそうあってほしい。

 君は僕の恋人 愛してるよ
 僕の愛を1ポンドばかり切り取って
 シチューの中に入れて料理しておくれ

 というわけで、はじめてこの歌の歌詞をちゃんと読んでみた。ふむ、愛をシチューの中に入れてとか、言われてみれば、ポールっぽい気がしないでもない。こういう思い込みって、きっと他にもあるんだろうね。ちなみに、“Medicine Jar”はしっかりジミー・マッカロウ作とクレジットされていて、ちょっとほっとしたのだった。

Morph the Cat

2006年04月12日 | diary
 誰であれ、向き不向きとか得意不得意とかってあるものだと思う。スポーツはできるけど勉強は苦手とか、楽器は上手だけど作曲はできないとか、誠実だけど女にモテないとか(ちょっと違うか)、まぁいろいろ。こんな僕にだって、割とセンス良くこなせることもあれば、どうしようもないくらい鈍臭くなってしまうこともあったりする。

 で、かなり細かい話になってしまうのだけど、以前の日記にも書いたように、僕はラグの選び方がわからない。どれくらいわからないかというと、これがもういたって全然まったくもってこれっぽっちもわからない。どんなものが自分の部屋に合うのかなんて想像もつかない。それが派手なのか地味なのか汚れが目立つのかごまかしがきくのか圧迫感があるのか淡白なのか男なのか女なのか日本人なのか外人なのかジョンなのかポールなのか・・・まぁとにかく、わかりませんえん。センス・ゼロ。そう言って間違いないね。

 だから、昨日は友達にお願いしてラグ選びにつきあってもらった。彼女の実家は洋服屋さんで、それだからか、いつもかっこいい服をさらりと着こなしていて、日頃からセンスがいいなぁと思っての抜擢。お願いすると、彼女は「いいですよ」と快く引き受けてくれた。前に見せた僕の部屋の写真を覚えていてくれたらしく、「こんな感じのがいいんじゃないかなぁ」と電車の中でいろいろ話してくれた。頼もしい。

 3つほどお店をまわり、「これは部屋全体にうまく調和する」とか「これだとワンポイントになって引き締まる」とか、彼女は僕にもわかるような明快さでアドバイスをしてくれた。僕はほぉほぉと話を聞きながら、「くすんじゃうのは嫌だなぁ」とか「あんまり明るい柄だと落ち着かないかも」とか、好き勝手なことを言ってみたり。で、こういう場合、なにより助かるのは「これはどう?」と訊ねたときに「いいと思う」と言ってもらえることかもしれない。あー間違ってないんだということがわかって安心するから。

 いくつか候補をあげていって、どうにか無事ひとつ選ぶことができた。別のでとてもきれいな色のものがあって、それにするか悩んだけど、結局、落ち着いた色の両端にシンプルなボーダーが2本はいったものにした。これは取り寄せの商品だったのだけど、彼女が店員さんにいろいろ訊いてくれたから選べたようなもの。もし僕ひとりだったら、きっと店員さんに話しかける勇気はなかったはずだから、買えなかったと思う。どうもありがとうございました。

 貸してたレイ・デイヴィスの新作が返ってくる。袋の中にはドナルド・フェイゲンの新作も一緒にはいっていた。こういう気遣いは嬉しい。ありがたくお借りする。ベトナム料理屋さんでフォーなどをいただき、帰宅後はギターの弦を張り替えながら、ドナルド・フェイゲンを聴いた。いつも通りのドナルド・フェイゲンで、いつも通りにかっこよかった。

Wedding Song

2006年04月11日 | diary
 今度の土曜日、友達の結婚式で歌を歌うことになっている。で、週末にちょっと練習してみたが、てきとうなとこでやめてしまった。音楽好きな知り合いの前でならともかく、まったく知らない人達を前に歌を歌うのは、全然慣れてない。当日はきっと緊張すると思う。上手にやる自信もない。

 でも、僕はギターを弾くし、ハープを吹くし、歌を歌う。音楽ってそういうところがあると思う。

 ただ、ひとりだと心細いので、友人にリード・ギターを弾いてもらうことにした。事前に音を合わせてる暇はないので、結婚式当日に少しはやく集まって、アレンジを決めようと思っている。まぁ、余興だし、誰も期待してないわけだし(そもそも僕らが演奏することなんて知らないのだから)、それでいいんじゃないかな。

 とりあえず、新郎にマイクを用意してくれと頼んでおいた。OKとのことだった。マイクを通すと「さぁーこれからはじめますよー。みんなしっかり聴いてねー」みたいな感じがして、ますます緊張しちゃいそうだけど、生音だとそれはそれで全然聴いてもらえなくて、淋しい思いをしそうだしな。ほんとはその方が温かいし、素朴だし、本物の音だから、伝わる気持ちも違うと思うんだけど。

 昨日、酔っぱらって家に帰ってから、小さな音でギターをつまびいていると、先日のジョン・セバスチャンのライヴを思い出した。にこやかに、さりげなく、セバスチャンはギターを弾いて、歌を歌って、ハープを吹いた。とてもリラックスしてて、聴いてる僕らを幸せな気持ちにさせてくれた。あんな風にできたらいいなぁと、なんとなく思った。

 あの日、CDを売っていると、メンフィス・ジャグ・バンドのTシャツを着てる人がやってきた。同僚が「かっこいいTシャツですね」と声をかけた。「それ欲しいなぁ」と僕も言った。「昨日、横浜でセバスチャンにも欲しいって言われたんだよ」と、彼は嬉しそうに言った。「だから俺、30枚くらい送ってやろうと思ってさぁ。もう大変だよー」と、彼は実に嬉しそうだった。もう送ったのかな?なんだか、あの日は誰もが浮き足立っていた。それだけみんなが待ちこがれたライヴだったんだと思う。
 
 まぁ、いいや。とにかく「ゆずみたい」と言われないよう頑張ろう。えっと、別にゆずが悪いと言ってるわけではなくてね。

Is It in My Head

2006年04月10日 | diary
 The Whoの『Quadrophenia』を聴く朝。これから天気がぱっとしないぞっという日に聴くのが正しいかと。やっぱりこのアルバムが一番好きだなぁ。硬派なジャケットも最高。

 The Whoといえば、ツアーの予定も発表され、新曲が6月に出て(予定)、ニュー・アルバムが9月に出てと(予定)、ちょっとやる気あり過ぎじゃない?と思ってしまうくらい。ツアーは、ヨーロッパのフェスというフェスにかたっぱしから参加していくという、実にThe Whoらしいもの。で、これが僕なら過労で倒れかねないような過密スケジュールだったりする。さらに驚くべきは、すべての公演を順次DVDで発売していくこと。

 普通ここまでやりますか?聞いたこともないよ。

 まぁ、勢いがついちゃったんだろな。やると言い出したら聞かないのか?それとも、周りに誰もとめる人間がいないのか?きっと両方なんだろな。でも、こんな風にとことんやらないと気が済まないところが、えっと、けっこう好きだったりする。待望の単独来日なんて話もちらほら聞こえてくるし、今後が楽しみな2006年のThe Whoなのだ。がんばれ、The Who!

 『Quadrophenia』のブックレットは、隅々まで覚えてる。あれを見てモッズのことをいろいろ想像してた。ページをパラパラとめくり、写真を眺めながら、繰り返しレコードを聴いていた頃のことを思い出すと、胸がじんわりする。で、ちょっと照れくさかったりもする。

 僕は悩みのない人を見る
 僕はいつも飢えている国を見る
 僕は胸の鼓動の音楽を聴く
 僕は歩く、人々は振り返り、僕を見て笑う

 すべては僕の頭の中のことなのか?とThe Whoは歌う。僕はこれを、押さえられない自意識の歌として聴いていた。ここには10代の侮蔑と反発と不安がある。誰もが通り過ぎて行く世代の濃密な匂いがする。

life goes on...

2006年04月09日 | diary
 今日は海へ。自転車で5分。海沿いのイタリアン・レストラン。オープン・テラスの席。パスタとピザとビールとワインとカフェラテとケーキ。がっつり食う。名付けて「近場リゾート大作戦」。便利だ。それから、いつものボード・ウォークへ移動し、だらしなさそうにごろごろする。陽射しの明るさが嬉しい。風もあたたかく、ぽかぽか陽気。いい季節になったなぁと思った。

 昨晩、藤沢のバーで、たまたま隣り合わせた女の子と話をした。彼女はイタリアン・レストランで働いているのだと言って、僕にパスタ料理についてのいろんな話をしてくれた。トマトの甘みの出し方とか、湯切りのタイミングとそのコツとか。それはある種の秘密というか、ちょっとした打ち明け話を聞いてるみたいだった。ただし、酔っぱらって聞くには、いささか内容がこみいってたようで、朝起きたらほとんどなにも覚えていなかった。「今度食べにきてね」と渡されたメモもどこかへ消え、店の名前も忘れていた。だから、今日は別の店でパスタを食べた。まぁ、それで良かったような気もするけど。

 とにかく気持ち良く晴れた空と海に、トマト・ベースのパスタはよく似合っていた。えっと、ビールは言うまでもなしね。名付けて「近場リゾート大作戦」(しつこい)。

 部屋でレコードを聴いて、それから友達に、僕のギターと歌とハーモニカを聴いてもらった。ボブ・ディランの“My Back Pages”。ちょっと緊張したし、ちっとも上手に弾けなかったけど。もっと練習が必要だなと思った。

 これから、貸してもらったイーグルスのライヴDVDを返しに、またそのお礼としてボニー・レイットとジャクソン・ブラウンとブルース・スプリングスティーンが共演したライヴのDVDを渡しに、茅ヶ崎のバーへ向かう。そこでビールを飲みながら、その場に居合わせた人達と一緒に観れたらいいなと思う。

We Shall Over Come : The Seeger Sessons

2006年04月08日 | diary
 のどかな週末のはじまり。レコードを聴いたり、ギターを弾いたり、パソコンのキーボードをかたかた叩いたり。あと、久しぶりに海を見にいこうかな。随分、行ってない気がするから。

 昨日は、ブルース・スプリングスティーンの新作『We Shall Over Come : The Seeger Sessons』を一足はやく聴けるということで、ソニー・ミュージックの本社まで行ってきた。アルバム全曲とメイキングDVDを大音量でたっぷりと味わう幸せ。ありがたやありがたや。

 フォーク・シンガーであるピート・シーガーのカヴァー・アルバムということで、『The Ghost of Tom Joad』や『Devils and Dust』に近い弾き語り調の作品を想像していたのだけど、実際聴いてみると、これが全然そうじゃなかった。

 ずっと気さくで猥雑で陽気で騒々しく楽し気な作品に仕上がっていた。

 とはいえ、これは(サウンド的にもアプローチ的にも)ロックじゃない。それよりもずっと昔からあるアメリカン・ミュージックをベースとしている。また、いわゆるフォーク・ミュージックでもない。これは酒場のバンド・ミュージック。リラックスした空気。フィドルやバンジョーが賑やかに鳴り出すと、気持ち良くなった酔っぱらいが歌い出す。うまいも下手も関係なく、大きな声をあげて、足を踏みならして、みんなで一緒に音楽を楽しむ。ここに収められているのは、そんな種類の音楽だ。

 そして、アプローチもかなりゆるめだ。これほどゆるい空気をもったスプリングスティーンの作品はこれまでなかった気がする。自分達が楽しく演奏すれば、その楽しさはきっと聴く人にも伝わるはず。そんな無邪気な純粋さをスプリングスティーンという人はもっているのかもしれない。ライヴでのナチュラルな立ち振る舞いなどを見ると、いつもそう思う。このアルバムでの演奏は、そんなライヴに近いものだと感じた。でも、これがスタジオ録音であることを考えた場合、本番じゃないと思った。これは、リハだ。

 スプリングスティーンがこのアルバムでやりたかったことは、根源的な音楽の楽しさ体現すること。そして歌い継がれてきた古い歌を、次の世代へと歌い継いでいくことだと、僕は思う。それはとても純粋な行為だ。だからきっと、思慮深くなにかを突き詰めたり、音を作り込むよりも、演奏したときの楽し気なムードやノリを優先したのだろう。しかし、こういうバー・バンド・ミュージックは、その音楽の性質上、生で観て聴いてこそ真価を発揮する音楽だ。ライヴはいい。しかし、録音はとても難しい。

 その点、なごやかなセッション風景の中で歌われるDVDの方が、よりスプリングスティーンのやりたいことが伝わってきて楽しめた。そこには仲間との楽しい時間があり、歌があり、スプリングスティーンの笑顔がある。

 『We Shall Over Come : The Seeger Sessons』のような音楽を演っている無名のミュージシャンは本当にたくさんいる。彼らは総じて他の仕事をしながら、音楽をつづけている。いたって普通の人達だ。でも、そこには彼らの世界があり、人生が投影された歌と演奏がある。今回、スプリングスティーンは、そこに入っていったのだと思う(入っていきたかったんだと思う)。しかし、こうした音楽は、(いくらブルース・スプリングスティーンであっても)ずっとやりつづけてきた人には、どうしたってかなわない。

 言うまでもないことだけど、いい作品には仕上がっている。なにより、スプリングスティーンが楽しそうにしているのが、僕には嬉しい。でも、これは趣味のアルバムだとも思う。スプリングスティーンの素朴な人柄は伝わってくるけれど、彼の他の作品がもつ、 ブルース・スプリングスティーンだけにしか表現し得ない独特の深みは希薄に思える。この辺が好き嫌いの分かれ目かもしれない。

 でもね、前作からたった1年というインターバルだし、前作『Devils and Dust』とのバランスを考えると、これでいいのかもしれないな。なにより本人が気楽に楽しんでるんなら、僕らも気楽に楽しめばいいのだろう。そういう作品が、スプリングスティーンのカタログの中にひとつあるのは、けっして悪いことじゃない。アメリカ発売は4月25日、国内盤は5月24日。どうぞよろしく。

遠いようで近い町

2006年04月07日 | diary
 行くのにたっぷり2時間はかかる遠いはずの町。なのに、だんだん遠く感じなくなっているのが不思議。そこには友達が住んでいて、昨日の夜は初めてその町でお酒を飲んだ。

 友達は僕をいろんなビールがおいてある店に連れていってくれた。まずはエビスで乾杯。2杯目はせっかくなんでと、飲んだことのないものを選んでみる。メニューにはとにかくいろんな名前のビールがずらりと並んでいて、ひとつひとつに簡単な説明が書かれていた。そこで僕は、バズガー…ん?違ったかな?ビガビー…あれ?もっと違うなぁ。まぁ、いいや。そんな感じの名前のビールを注文した。なんでもそれは世界初のピルスナーで700年の歴史と伝統があるという。小瓶とグラスが運ばれてきて、友達が丁寧にそそいでくれて、まずはひとくち。「どう?」と訊かれるが、別にどうってことない。でも、なんか言わなきゃと「深いね」と答えたら、けたけた笑われた。いや、だって、700年の伝統なんて言うから…。きっと深いんだよ。僕がわかんねだけで。

 音楽の話をあれこれ。「スプリングスティーンは日本に来ないの?」と訊かれ、「来ない」ときっぱり応える。「来てくれればいいのにねー」という優しい言葉にも、「あり得ない」と駄目押し。「行ってみてわかったけど、ニュージャージーはやっぱり遠いからね。きっとめんどくさいんだよ。あんな距離を、わざわざ来る気がしないんじゃないかな。そもそも、スプリングスティーンが日本のファンの前で演奏したいという気持ちより、俺がスプリングスティーンのライヴを観たいって気持ちの方が、どう考えたって遥かにでかいんだからさ。こっちから会いに行くのが、まぁ正しいというかね」と、行く予定もないのにこんなことを強気に語っている自分が悲しい。

 その店はビートルズがよくかかるという話だったんだけど、3時間半いる間に、かかったのは2曲だけだった。“Slow Down”と“Mr.Moonlight”。あとは、オールディーズが多かったから、きっとその店ではなんらかの音楽的方向転換がはかられたのだろう。ビートルズの2曲もその路線だし。『With The Beatles』の話題になったので、その中で僕が一番好きな曲はなんだと思う?と訊ねてみたら、彼女は少しづつ絞り込んでいって、見事に当ててみせた。店を出る頃に、その曲のオリジナル・ヴァージョンが店内に流れた。スモーキー・ロビンソンのソウルフルなヴォーカル。「当てたのえらいと思わない?」と言う彼女に、「それだけつきあいが長くなってきたんだよ」と僕は言った。だって、初めて会ったときなら、絶対当てれっこないと思うから。

 最後にミルクティーを飲み、会計を済ませ、駅の改札でさよならし、終電で2時間かけて家に帰った。でも、やっぱり、そんなに遠い気がしなかった。確実に遠いんだけどね。なんでだろ?

 で、今朝はスプリングスティーンの編集CDRを聴いている。5月からのヨーロッパ・ツアーの日程が発表されはじめている。どうか、今度こそ、日本に来てほしい。