D9の響き

Guitarを肴につらつらと・・

My Architect~A Son's Journey

2006-10-09 20:39:38 | cinema
ルイス・カーンを探して

本日は趣向を変えて、ドキュメンタリーのレヴューをさせて頂きます。
タイトルからして建築関係者の琴線に触れるテーマなんですが、実はフェイクでした。

本来そのなかで活動する人の機能を最大限に発揮しうる器を創るのが建築デザイナーとすれば、それをアートにまで昇華した存在として実在化出来る稀有な存在が唯一Architect
・・つまり‘建築家’と呼ばれる職能を有する存在といえます。
建築家は自称で成り立つ存在では決してありません。
そんな数少ない建築家の一人である‘ルイス・カーン’という人は、近代建築において空間の精神性を唯一具現化できた人であると思います。
日本人では安藤忠雄先生が希少なそのフォロワーのひとりではないでしょうか。

そんなカーンの私生児であるナサニエル・カーンが、自身の存在を確かめるいわば‘自分探しの旅’をつぶさに収めた記録です。
私がフェイクと言ったのは、切り口が建築であったというだけで、テーマは全く関係ない普遍的なもの・・親子の愛のあり方であったということなんです。

カーンが61歳の時に生まれた主人公は、11歳の時に父親を突然失いました。
確かに愛されていたといういわば信念だけで生きてきた36年間を振り返り、本当に自分は望まれて生まれてきた存在だったのか・・と思い立ちます。
残された父の映像、記録、作品を通し、友人や仕事仲間、あるいは異母兄弟たちとその母親から無き父の面影をなぞり出し、最後にはある確信に至ります。
・・自分は生まれるべくして生まれた存在なんだ・・。

自身のすべてをさらけ出してしまうという行為は、観る人によれば自己顕示欲、あるいは売名行為なのでは・・と映るかもしれません。
ナサニエルにとっては、それが自身への癒しであり救済行為であったということが、これらの映像からひしと伝わってきます。
建築関係以外の方にも是非観て頂きたい作品です。

近代建築の世界でも3大ギタリストならぬ3大建築家という存在がいます。
・・コルビュジェ、ミース、ライトですね。
カーンは現代のギタリストに例えれば誰かな・・って考えてみました。

私的には、クラプトン、ベック、ペイジらになぞらえ、少し若い世代ですべてのギタリスト達に尊敬され、ワン・アンド・オンリーな方といえば‘スティーヴィー・レイヴォーン’となります。

・・カーンは私にとってはそんな存在でした。


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