Dan Brown(ダン・ブラウン)原作の同名作品が映画化されました。
で、昨日早速観に行ってきたのですが、意外と満員御礼で急遽別の映画館に移動したりと、予想外の展開に翻弄されっぱなしでした。
これも、あの新型インフルの影響なのかもしれません。
ちなみに、神戸市内では既に全てが平常に戻っていますよ。(笑)
閑話休題。
ネタばれしない程度にこの映画の感想を述べるとなると、結構難しいかもです。
だってね、基本的に原作を弄りまくって、登場人物や団体、はたまたストーリーの骨子まで変えまくってるんですから。
この辺の事情を考えると、“大人の論理”というのが今回の映像化にかなり垣間見れる訳です。
そのあたりをちょっと述べてみましょうか。
まず、フィクションに徹している、ということ・・つまり、厳重なクレーム対策がなされています。
特に今回は、“バチカン”という巨大な宗教団体で繰り広げられる陰謀が題材であるということが非常に重要です。
また、かつて同じスタッフで制作された映画“ダヴィンチ・コード”で、すでにバチカンから動向に目を付けられていたということもあります。
この辺から、原作どおりの設定で敢行するには余りにリスキーであると判断したんでしょうね。
なにしろ、原作でブラウンは、ストーリーに出てくる団体や固有名詞等が“すべて事実に基づくものである”とわざわざ謳っていますから。
実際ローマ市内でのロケで、たびたび意図的な妨害に合ったと、Ron Howard(ロン・ハワード)監督も証言しています。
次に、登場人物のプロフィール変更。
これは、所属部署や団体の名称を変えた次点で、原作の進行上必要となる新たなキャラクターに作り変える必要があったようです。
更に、演じる俳優のパーソナリティにも配慮して変えた部分も大きいと思います。
たとえば、主役の一人であるカメルレンゴ(前教皇侍従)の存在そのものまでが大胆に変えられています。
この役を演じるEwan McGregor(ユアン・マクレガー)がスコットランド出身ということで、役柄ではアイルランド出身の“パトリック・マッケンナ”となってます。
しかし、原作のこの役の設定はイタリア出身の“カルロ・ヴェントレスカ”となってます。
更に、原作で重要な役どころとなっているCern(セルン)のコーラ所長や、主役のヴィットリア・ヴェトラの父レオナルドなどがそもそも端折られてたり・・云々。
多分、主役のロバート・ラングドンとヴィットリア・ヴェトラ、そして狂気の実行犯ハサシン以外は、みんな名前などを変えられていたんじゃないでしょうかね。
そして、ストーリーにおける“集中と選択”・・まるでビジネスみたいだな。(苦笑)
原作はダヴィンチ・コードよりも若干長めで、科学と宗教の対立点の詳細な分析内容が大半を占めており、これは膨大な時間を掛けて調べ尽くしたと思われる原作者が意図した最も重要なエッセンスであることは間違いないと思います。
しかし、映像版では時間を追うスリリングな展開に重点を置き、啓示の道を解き明かす過程をメインに構成されてます。
これは、大正解でしたね・・だって、面白いんだもん。
観てて力入るし。(笑)
ちなみに、結末も結構弄ってますよ・・でも、この方が分り易いかも。
更に、“アンビグラム”の象徴性でしょうか。
これは、シンメトリーあるいは点対照となる文字図形を指す名称で、物事の“アンヴィバレント”つまり“二律背反な存在”を暗示するものとして書かれているように思われます。
物語の“イルミナティ”のロゴしかり、焼印の文字しかり、映画のロゴしかり・・云々。
ひいては、本来のストーリーの根幹をなす“科学と宗教”の立ち位置や“反物質”の存在さえも、それを象徴するかのようですね。
とにかく、まず映画をご覧になってほしいですね。
原作は先述したとおりかなり長く、読むのに結構気合が必要となります。
しかし、その内容は興味深く、知的好奇心を擽り捲くられること請け合いなんですよね。
読むのを断念した家内が鑑賞後に“めっちゃ面白かった”と興奮してました。
また、ダヴィンチ・コードよりも主役のロバート・ラングドンが若くマッチョでスポーティに書かれてます。
でも、演じるTom Hanks(トム・ハンクス)に無理ありすぎ・・水着姿が痛々しいです。(爆)
この辺のギャップを確認するのも、また面白いのではないでしょうか、ね。(笑)
で、昨日早速観に行ってきたのですが、意外と満員御礼で急遽別の映画館に移動したりと、予想外の展開に翻弄されっぱなしでした。
これも、あの新型インフルの影響なのかもしれません。
ちなみに、神戸市内では既に全てが平常に戻っていますよ。(笑)
閑話休題。
ネタばれしない程度にこの映画の感想を述べるとなると、結構難しいかもです。
だってね、基本的に原作を弄りまくって、登場人物や団体、はたまたストーリーの骨子まで変えまくってるんですから。
この辺の事情を考えると、“大人の論理”というのが今回の映像化にかなり垣間見れる訳です。
そのあたりをちょっと述べてみましょうか。
まず、フィクションに徹している、ということ・・つまり、厳重なクレーム対策がなされています。
特に今回は、“バチカン”という巨大な宗教団体で繰り広げられる陰謀が題材であるということが非常に重要です。
また、かつて同じスタッフで制作された映画“ダヴィンチ・コード”で、すでにバチカンから動向に目を付けられていたということもあります。
この辺から、原作どおりの設定で敢行するには余りにリスキーであると判断したんでしょうね。
なにしろ、原作でブラウンは、ストーリーに出てくる団体や固有名詞等が“すべて事実に基づくものである”とわざわざ謳っていますから。
実際ローマ市内でのロケで、たびたび意図的な妨害に合ったと、Ron Howard(ロン・ハワード)監督も証言しています。
次に、登場人物のプロフィール変更。
これは、所属部署や団体の名称を変えた次点で、原作の進行上必要となる新たなキャラクターに作り変える必要があったようです。
更に、演じる俳優のパーソナリティにも配慮して変えた部分も大きいと思います。
たとえば、主役の一人であるカメルレンゴ(前教皇侍従)の存在そのものまでが大胆に変えられています。
この役を演じるEwan McGregor(ユアン・マクレガー)がスコットランド出身ということで、役柄ではアイルランド出身の“パトリック・マッケンナ”となってます。
しかし、原作のこの役の設定はイタリア出身の“カルロ・ヴェントレスカ”となってます。
更に、原作で重要な役どころとなっているCern(セルン)のコーラ所長や、主役のヴィットリア・ヴェトラの父レオナルドなどがそもそも端折られてたり・・云々。
多分、主役のロバート・ラングドンとヴィットリア・ヴェトラ、そして狂気の実行犯ハサシン以外は、みんな名前などを変えられていたんじゃないでしょうかね。
そして、ストーリーにおける“集中と選択”・・まるでビジネスみたいだな。(苦笑)
原作はダヴィンチ・コードよりも若干長めで、科学と宗教の対立点の詳細な分析内容が大半を占めており、これは膨大な時間を掛けて調べ尽くしたと思われる原作者が意図した最も重要なエッセンスであることは間違いないと思います。
しかし、映像版では時間を追うスリリングな展開に重点を置き、啓示の道を解き明かす過程をメインに構成されてます。
これは、大正解でしたね・・だって、面白いんだもん。
観てて力入るし。(笑)
ちなみに、結末も結構弄ってますよ・・でも、この方が分り易いかも。
更に、“アンビグラム”の象徴性でしょうか。
これは、シンメトリーあるいは点対照となる文字図形を指す名称で、物事の“アンヴィバレント”つまり“二律背反な存在”を暗示するものとして書かれているように思われます。
物語の“イルミナティ”のロゴしかり、焼印の文字しかり、映画のロゴしかり・・云々。
ひいては、本来のストーリーの根幹をなす“科学と宗教”の立ち位置や“反物質”の存在さえも、それを象徴するかのようですね。
とにかく、まず映画をご覧になってほしいですね。
原作は先述したとおりかなり長く、読むのに結構気合が必要となります。
しかし、その内容は興味深く、知的好奇心を擽り捲くられること請け合いなんですよね。
読むのを断念した家内が鑑賞後に“めっちゃ面白かった”と興奮してました。
また、ダヴィンチ・コードよりも主役のロバート・ラングドンが若くマッチョでスポーティに書かれてます。
でも、演じるTom Hanks(トム・ハンクス)に無理ありすぎ・・水着姿が痛々しいです。(爆)
この辺のギャップを確認するのも、また面白いのではないでしょうか、ね。(笑)