太田姓 清衛門 さんの旅の記念碑
■舗装道路を歩いてきた東浦路の旅ですが、
ここで、ほんの少しだけ「古道」と言うに相応しい土の道を歩きます。
● 12:00 短い古道の名残
別荘地内の舗装道路は緩やかなにカーブしながら続いています。
車で通るとなんでもない距離でも
自分の足で歩くとかなり、きつい~~!
「あ~、もうそろそろ、何かないかな」と思い始めた頃
前方に何やら細い横道が。
どうやら、これが元々あった東浦路のようです。
梅林やミカン畑の横を歩き、
左手には、奈良本から天城までの風景が一望!
遠くにあるのは三筋山でしょうか??
ものの5分も歩くと、
古道の出口になり、先ほど歩いていた舗装路とぶつかりました。
● 12:05 峠の石造塔群
古道から舗装路に出ると
複数の道が合流する交差点になっていました。
その中、今歩いてきた道のほぼ正面に位置する道が、東浦路の続きのようです。
右手の木陰に石造塔が7体。
右側の4体は、巡拝塔です。
一番右側。
向って右側には 「奉納 西国供養佛」の文字
向って左側正面には 「豆州 奈良本縣」の文字
横には 「○○○河津庄尼 下田駅(旧字で)」
建立は寛政四年(1792年)十月吉祥日
奈良本とは、この辺りの地名です(熱川という地名はありません)。
何故、奈良本というのか、これはまたいつか別の機会に。。。
そして、丸い台には
鈴木○ ○衛門
加藤氏 兵衛門
太田姓 清衛門
太田氏 源兵門
○○ 半四郎
○澤 作衛門
と名前が連ねてあります。
鈴木、加藤、太田、と現在も、この地に多い苗字が並んでいる事に
親近感を覚えます。
200年の時の流れが一気に縮まりました。
旅の仲間達の名前。
なんか「ロード・オブ・ザ・リング」を思い出してしまいました。
■向って右から2番目の角柱。
建立は文政九(1826)年十二月弐七日。
太田○○○
稲葉平太○
土屋○○○
太田○左○
まるでうちの娘のクラスメートのような苗字が並びます。
ちょっと触れたら、グラグラしました。
大きな地震があったら、倒れてしまうかもしれません。
■向って右から3番目。
建立は天保十(1839)年十月
他の文字は判読できず。
■向って一番左の角柱。
中央に「奉納 西国(旧字で)三拾三所供養塔」の文字
建立は文化四(1807)年十一月吉日
秋元吾五良
楠山文右エ門
楠山久左エ門
楠山安○○
親戚同士で旅に出かけたのでしょうか?
正面には 鳳凰?形良い鳥が彫られています。
■そしてこの4体の巡拝塔の左側には
ひと回り小さいお地蔵様が3体。
資料によると、寛保三(1743)年 建立となっていますが
痛みが激しく、全く判読できず。
触れてみると、
少し力を入れたら表面が剥がれ落ちてしまいそうなくらい、柔らかい。
私のような素人ではなく
ちゃんとした研究者によって保全、記録を今一度行って欲しい、そう思いました。
(1-0)プロローグ |
(1-1)スタートは白田川河口 |
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ |
(1-2-a)片瀬の共同湯 |
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い |
(補足)サイの神/参考文献 |
(1-4)巡礼者の足跡 |
(1-5)村境から馬頭観音像群 |
(1-6)道標と奈良本小橋地区のサイの神/地神塔 |
(1-7)読誦塔と4体の馬頭観音像 |
(1-8)様々な神さまのカオス状態 |
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