◆ペンションエルブルズ◆INO-SHIKA日記part2

天城山麓、標高620mに建つ料理自慢のペンションエルブルズ。そこに住む面白家族と変化に富む伊豆の自然をお楽しみ下さい♪

▼東浦路の旅(1-5)村境から、馬頭観音像群

2011-12-01 | 伊豆東浦路とサイの神
***本日の写真***

観音の中で唯一「怒り顔」の観音~馬頭観音のはずですが。。。
この馬頭観音(弘化4年=1847年)は、優しいお顔@熱川小学校裏門



●10:37 片瀬と奈良本の村境

 『左 いとう』という道標に従い、左の方へ旅を進めます。
 登り坂は急な斜面に沿って、九十九折れに続きます。

  

 今でそ、コンクリートで舗装され歩きやすくなっていますが
 かつてはもちろん土の道。
 多分岩などもごろごろしていたことでしょう。

  

 雨など降った日には、
 この急坂を勢いよく水が流れて行ったに違いありません。

 坂を登りきり
 薄暗い場所から明るい場所に出る地点が、片瀬と奈良本の村境であった場所です。
 昔この辺りに、村境を示す大きな松の木があったそうです。
 村境の松だから『境松』。
 現在、熱川小学校のすぐ脇にある商店の店名は「さかいまつ」。
 かつて、境松に一番近い場所に、このお店の店主の家があり、
 屋号が「さかいまつ」であったことから、
 店名を「さかいまつ」としたそうです。

 

 注意してみると、小さな石の塊が樹の下にあるのに気付きます。

 

 目を凝らすと、何文字かが浮き出てきます。
 『信士』『享保三年』(=1718)『向町 向山』などと書かれているようです。

 どなたかのお墓か、峠で旅人の安全を祈るお地蔵様か。
 ここまで、崩れてしまうと判断が出来ません。
 更に風化が進む前に、きちんとした記録を残していかなければなりませんね。

●10:45 熱川小学校

 片瀬の浜から、ゆっくりと周囲を眺めつつ、写真撮りつつ、
 小学校の校庭の下まで約45分でした。

  

 東浦路はこの分岐点を右側に進む路ですが
 今回は、東浦路を少し逸れ、
 左側へ回り、熱川小学校の裏手にある馬頭観音群を見に行ってみました。

  

 元々この場所に建てられたのではなく、道路工事などの際に一箇所に集められた感じです。


  
 江戸後期から明治にかけての石造のようです。


★馬頭観音★
  馬頭観音は、観音菩薩の変化神の1つで、
  他の観音菩薩が慈悲深い表情をされているのに対し
  唯一忿怒の表情を表している。(東伊豆にある馬頭観音は慈悲相が多い)
  頭上に馬頭を戴き、胸前で馬の口を模した「馬頭印」という印相を示すことから
  牛馬の供養や無病息災祈願と結びつき
  牛馬に関係のある職業の人々によって作られた講や個人によって信仰され
  村境、交通難所、屋敷内など建立された。
     
  






(1-0)プロローグ
(1-1)スタートは白田川河口
(1-2)片瀬湯波さんぽ道から坂町へ
(1-2-a)片瀬の共同湯
(1-3)最初のサイの神さまとの出会い
(補足)サイの神/参考文献
(1-4)巡礼者の足跡

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2 コメント

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楽しませて頂きました (外山 智(トヤマ サトリ))
2011-12-02 21:46:32
ついこの間、細野高原に初めて“すすき”を見に行きました。大分以前には赤沢辺から“旧しもだ街道”を仲間と一緒に辿ったことがありましたが、かなりの部分が海に入ったり埋没したりで、結局大半は図面上で追いました(^_^;)。
この東浦路の記事と写真を見て“労作だなぁ”と感心しました。わが身を顧みて反省しています。
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Unknown (るみ)
2011-12-03 15:58:54
外山さん、コメントをありがとうございます!
第一回目の旅は、わりと家の近くなので、
地の利があったり、知り合いが色々教えてくれたりして、何とか歩けていますが、
遠方となると、難しくなってくるかもしれません。
でも、僅かなヒントで、辿って行く、またそれも楽しみです。
揃えた文献のあちこちを引用させていただいて、毎回書いています。
ただ流して行ってしまうのがもったいないので!!
「労作」と言っていただき本当に嬉しいです。
このシリーズは暫く続きますので、宜しかったら、お付き合い下さい。
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