21年には服部良一作詞作曲、藤山一郎歌唱の「銀座セレナーデ」を筆頭に、ディック・ミネの「東京スーベニール」、近江俊郎・柴田つる子の「敏座歩けば」、霧島昇・松原操の「花咲く銀座」などが出ました。
翌22年にはNHKを歌謡として小畑実の歌った「虹の都」、映画主題歌として、藤山一郎の「夢淡き東京」、「浅草の唄」、藤山一郎・渡辺はま子のデュットによる「東京の夜」などがヒットしました。
昭和20年9月23日の「日米放送音楽祭に米軍二三三隊吹奏楽隊が出演下のを皮切りに、ジャズ番組もNHKで次々と編成され、在日米軍向けのWVTRの放送開始とあいまってジャズ音楽も盛んになる。
輪種辺浩とスター・ダスターズ、レッド・ハット・ボーイズ、東松二郎とアズマニアアンズ、南里文夫とホット・ペッパーズ、ゲイ・クインテット等が次々と活動をまじめ27年のジャズ・ブームへとつながっていきます。
こうしたミュージック・シーンの中から、池真理子の「愛のスイング」が生まれ、戦後直後のヒットとなりました。
岡晴夫の〝花売娘シリーズ〟戦後第一作は21年の「東京の花売娘」ですが、この歌にもブギのリズムがとりいれらています。
開放感と生活苦は映画界でも同じでした。
映画館の減少、スターの不足、安易な戦争批判や恋愛例ががつくられる一方、外国映画は「春の序曲」と「キューリー夫人」を皮切りにアメリカ映画が席巻します。
日本映画の場合は相変わらず主題歌が次々とつくられたが、その中で歌謡史上最も重要な意味をもつのが、松竹の戦後第一回作品「そよ風」(昭和20年10月11日封切)の主題歌「リンゴの唄」でした。
かつて第一期映画主題歌黄金期に数多くの女性映画を作った佐々木康が監督し、上原謙、佐野周二が主演した「そよ風」は同名のメイン主題歌があり、並木路子が歌ったサブの方の「リンゴの唄」が強く人々の脳裏にやきついたとわけです。
童謡にも通じるサトウ八ローの平易でロマンティクな詞に、万城目正が明るいメロディをつけたこの唄には、ようやく訪れた平和への喜びと希望に満ちあふれていたからこその大ヒットとなったのでしょう。
敗戦直後の時代劇は占領軍の方針で困難な道を辿ります。戦後すぐに話題を呼んだ映画はたとえば「大曽根家の朝」「安城家の舞踏界」「また逢う日まで」「素晴らしきひ日曜日」などは丁度、昭和初期の傾向映画の場合と同じく、流行歌とは無縁でした。その代わり興業的ヒット作の中からいくつかの映画主題歌の佳品を生みました。
◇「麗人」(藤田進・原節子主演)の主題歌「麗人の唄」(霧島昇)
「ある夜の接吻」(若原雅夫・鈴木美智子・奈良光枝主演)の主題歌「悲しき竹笛」(近江俊郎・奈良光枝)邦画では始めてのキスシーンで話題を呼ぶ。
◇「はたちの青春」(大坂志郎・桑野通子主演)主題歌「可愛いスイトピー」(並木路子)
他にも「鸚鵡は何を覗いたか」主題歌「鸚鵡の唄」。「お嬢様お手を」の同名主題歌。「雷雨」の主題歌「愛の雷雨」。などが挙げられます。
昭和20年11月のコロムビアレコードの製造枚数は33275枚。ビクターは旧作「燦めく際座」をコロムビアの工場でプレスしてもらうことで再起。といわれている。23年にはコロムビア、ビクター、キングの労働組合主催による「レコード復興祭」が開催された。レコードの統制価格制度が撤廃、自由競争へと進んでいきます。
翌22年にはNHKを歌謡として小畑実の歌った「虹の都」、映画主題歌として、藤山一郎の「夢淡き東京」、「浅草の唄」、藤山一郎・渡辺はま子のデュットによる「東京の夜」などがヒットしました。
昭和20年9月23日の「日米放送音楽祭に米軍二三三隊吹奏楽隊が出演下のを皮切りに、ジャズ番組もNHKで次々と編成され、在日米軍向けのWVTRの放送開始とあいまってジャズ音楽も盛んになる。
輪種辺浩とスター・ダスターズ、レッド・ハット・ボーイズ、東松二郎とアズマニアアンズ、南里文夫とホット・ペッパーズ、ゲイ・クインテット等が次々と活動をまじめ27年のジャズ・ブームへとつながっていきます。
こうしたミュージック・シーンの中から、池真理子の「愛のスイング」が生まれ、戦後直後のヒットとなりました。
岡晴夫の〝花売娘シリーズ〟戦後第一作は21年の「東京の花売娘」ですが、この歌にもブギのリズムがとりいれらています。
開放感と生活苦は映画界でも同じでした。
映画館の減少、スターの不足、安易な戦争批判や恋愛例ががつくられる一方、外国映画は「春の序曲」と「キューリー夫人」を皮切りにアメリカ映画が席巻します。
日本映画の場合は相変わらず主題歌が次々とつくられたが、その中で歌謡史上最も重要な意味をもつのが、松竹の戦後第一回作品「そよ風」(昭和20年10月11日封切)の主題歌「リンゴの唄」でした。
かつて第一期映画主題歌黄金期に数多くの女性映画を作った佐々木康が監督し、上原謙、佐野周二が主演した「そよ風」は同名のメイン主題歌があり、並木路子が歌ったサブの方の「リンゴの唄」が強く人々の脳裏にやきついたとわけです。
童謡にも通じるサトウ八ローの平易でロマンティクな詞に、万城目正が明るいメロディをつけたこの唄には、ようやく訪れた平和への喜びと希望に満ちあふれていたからこその大ヒットとなったのでしょう。
敗戦直後の時代劇は占領軍の方針で困難な道を辿ります。戦後すぐに話題を呼んだ映画はたとえば「大曽根家の朝」「安城家の舞踏界」「また逢う日まで」「素晴らしきひ日曜日」などは丁度、昭和初期の傾向映画の場合と同じく、流行歌とは無縁でした。その代わり興業的ヒット作の中からいくつかの映画主題歌の佳品を生みました。
◇「麗人」(藤田進・原節子主演)の主題歌「麗人の唄」(霧島昇)
「ある夜の接吻」(若原雅夫・鈴木美智子・奈良光枝主演)の主題歌「悲しき竹笛」(近江俊郎・奈良光枝)邦画では始めてのキスシーンで話題を呼ぶ。
◇「はたちの青春」(大坂志郎・桑野通子主演)主題歌「可愛いスイトピー」(並木路子)
他にも「鸚鵡は何を覗いたか」主題歌「鸚鵡の唄」。「お嬢様お手を」の同名主題歌。「雷雨」の主題歌「愛の雷雨」。などが挙げられます。
昭和20年11月のコロムビアレコードの製造枚数は33275枚。ビクターは旧作「燦めく際座」をコロムビアの工場でプレスしてもらうことで再起。といわれている。23年にはコロムビア、ビクター、キングの労働組合主催による「レコード復興祭」が開催された。レコードの統制価格制度が撤廃、自由競争へと進んでいきます。