阿久悠の言葉に関するエッセイなどは生前からもいろんな場所で発表されていて読んでいた。
今あらためて4冊出版されている。(「阿久悠 命の詩~「月刊YOU]とそのじだい~」。「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲」。「企みの仕事術」。「清らかな厭世 言葉をなくした日本人へ」など)すべてを読んだわけではないが、いまになってみるとすごい作詞家だったのだろうかと思う。
しかし「言葉をなくした日本人」とは、言葉を消費尽くし(消尽した作詞家、阿久悠自身ではないかと思ったりする。)昭和から戦後の歌謡曲のなかでも、いわゆる演歌といわれる歌謡曲は、大きく衰退したように思うからだ。
それは時代的な要求なのか、時代を築いた者の手柄なのか、よくわからないが、それを解くキーに昭和の歌姫と言われた「美空ひばり」がいる。
阿久悠は「ひばり」が歌わない、歌えない歌をつくるという目的意識で 詩をかいていたと自伝で書いていたのを読んだことがある。
しかし、それは阿久悠の最大の誤算ではなかったかと思う。「ひばり」が歌ってこその昭和歌謡曲であり、そこからはずれていることは、昭和歌謡曲の歴史から外れることになる。
歌謡曲を大衆のものといっておきながら、阿久悠自らの思考と嗜好で別の方向性を持たせることが出来たというのは、傲慢な言い方のように見えてしかたがない。裏を返せば当時の業界で新しい歌謡曲の制作に真剣な人がいなかったのかもしれないし、プロデュサーが惰眠をむさぼっていたのかもしれないとさえ思えてくる。
いろいろ批判めいたことも書いたが、商業的な問題まではわからないが、純粋に詩だけをみても、阿久悠の詩は確かに新しい発想で書かれていたことだけは認めざるを得ないだろう。
今あらためて4冊出版されている。(「阿久悠 命の詩~「月刊YOU]とそのじだい~」。「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲」。「企みの仕事術」。「清らかな厭世 言葉をなくした日本人へ」など)すべてを読んだわけではないが、いまになってみるとすごい作詞家だったのだろうかと思う。
しかし「言葉をなくした日本人」とは、言葉を消費尽くし(消尽した作詞家、阿久悠自身ではないかと思ったりする。)昭和から戦後の歌謡曲のなかでも、いわゆる演歌といわれる歌謡曲は、大きく衰退したように思うからだ。
それは時代的な要求なのか、時代を築いた者の手柄なのか、よくわからないが、それを解くキーに昭和の歌姫と言われた「美空ひばり」がいる。
阿久悠は「ひばり」が歌わない、歌えない歌をつくるという目的意識で 詩をかいていたと自伝で書いていたのを読んだことがある。
しかし、それは阿久悠の最大の誤算ではなかったかと思う。「ひばり」が歌ってこその昭和歌謡曲であり、そこからはずれていることは、昭和歌謡曲の歴史から外れることになる。
歌謡曲を大衆のものといっておきながら、阿久悠自らの思考と嗜好で別の方向性を持たせることが出来たというのは、傲慢な言い方のように見えてしかたがない。裏を返せば当時の業界で新しい歌謡曲の制作に真剣な人がいなかったのかもしれないし、プロデュサーが惰眠をむさぼっていたのかもしれないとさえ思えてくる。
いろいろ批判めいたことも書いたが、商業的な問題まではわからないが、純粋に詩だけをみても、阿久悠の詩は確かに新しい発想で書かれていたことだけは認めざるを得ないだろう。