遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

いまさらながら阿久悠のことなど

2017-10-13 | 昭和歌謡曲の軌跡
阿久悠の言葉に関するエッセイなどは生前からもいろんな場所で発表されていて読んでいた。


今あらためて4冊出版されている。(「阿久悠 命の詩~「月刊YOU]とそのじだい~」。「阿久悠のいた時代 戦後歌謡曲」。「企みの仕事術」。「清らかな厭世 言葉をなくした日本人へ」など)すべてを読んだわけではないが、いまになってみるとすごい作詞家だったのだろうかと思う。

しかし「言葉をなくした日本人」とは、言葉を消費尽くし(消尽した作詞家、阿久悠自身ではないかと思ったりする。)昭和から戦後の歌謡曲のなかでも、いわゆる演歌といわれる歌謡曲は、大きく衰退したように思うからだ。

それは時代的な要求なのか、時代を築いた者の手柄なのか、よくわからないが、それを解くキーに昭和の歌姫と言われた「美空ひばり」がいる。

阿久悠は「ひばり」が歌わない、歌えない歌をつくるという目的意識で 詩をかいていたと自伝で書いていたのを読んだことがある。
しかし、それは阿久悠の最大の誤算ではなかったかと思う。「ひばり」が歌ってこその昭和歌謡曲であり、そこからはずれていることは、昭和歌謡曲の歴史から外れることになる。

歌謡曲を大衆のものといっておきながら、阿久悠自らの思考と嗜好で別の方向性を持たせることが出来たというのは、傲慢な言い方のように見えてしかたがない。裏を返せば当時の業界で新しい歌謡曲の制作に真剣な人がいなかったのかもしれないし、プロデュサーが惰眠をむさぼっていたのかもしれないとさえ思えてくる。

いろいろ批判めいたことも書いたが、商業的な問題まではわからないが、純粋に詩だけをみても、阿久悠の詩は確かに新しい発想で書かれていたことだけは認めざるを得ないだろう。

伊東静雄ノート3

2017-10-13 | 近・現代詩人論
私が愛し
そのために私につらいひとに
太陽が幸福にする
未知の野の彼方を信ぜしめよ
そして
   真白い花を私の憩いに咲かしめよ 
昔のひとの堪え難く
   望郷の歌であゆみすぎた
   荒々しい冷たいこの岩石の
場所にこそ (「冷たい場所で」全行)

 みぎの「冷たい場所で」は、「わがひとに与ふる哀歌」のすぐ後に書かれた作品である。「曠野の歌」
までは、すこし距離があり、詩臭『哀歌』の中では、かなり異質な作品であるといえる。

太陽は美しく輝き
あるひは太陽の美しく輝くことを希ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行った      (「わがひとに与ふる哀歌」部分)

「わがひとに与ふる哀歌」の相愛の仮構の作品とくらべるまでもなく「冷たい場所では一転して愛するもののための自己犠牲を、それは片恋の真実を提示するかのように歌っているここでは愛の苦行のように冷たい岩石の場所に自らを対置し、あたかも愛する人に罪を犯したと感じるときの自己懲罰という苦行者の振る舞いのようにも見えるが、わたしにはこの冷たい岩石の場所の発見こそ、伊東の詩の成立する〈生〉の場所であり、そこに自らをつなぎ止めることによって見果てぬ愛の粛清を果たそうとしたものと思える。だから苦痛における結合の表現というよりも祈りに近い肉声を聴く思いがする。この冷たい場所の発見が伊東の詩の根拠だと言い切るには今少しの手順が必要であろうか。この場所にもう少しこだわってみたいと思う。   (未)

心に響く今日の名言-夏目漱石

2017-10-13 | 心に響く今日の名言
「世の中はしつっこい、毒毒しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋まっている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ。」
(夏目漱石『草枕』136より)