遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

風景について(現代詩)

2017-10-07 | 現代詩作品

…風景画はいちまいの祈りである。
というのはあまりにも即物的であり、また、短絡的な切り口でしかないようにおもえるのは、あのゆうめいな一枚の絵画をみてもわかるきがする。それはたとえば、ミレーの「落穂拾い」や「晩鐘」を連想させたりもして、われ々現代人の、慢性的につかれた脳内をめぐらしてみればわかるだろう。いわゆる慢性的な疲労度によっては他者を気遣うといったちいさな意志の強度というよりは、およそ安易で無防備なとるにたらない発想だといわれてもしかたがないだろう。
と、
…そのように嗤う風景画がいちまいの祈りである。その前におそらく広大無辺なわれわれの精神の襞という襞に、あやうく染みついている未生以前の人類の
追憶といったもの、あるいはその足跡でもある、とるにたらない写実的であれ、あるいは観念的であれ、だれがきめたかしらない四季折々におけるたあいない
風景もあるが、その不断にはありもしない思慕までもだれかによって押し付けられている嫌いといえない防備な息苦しささえも、あきれるぐらいに感じなが
ら、決して望んだりしない忌避というそのものを、否定させる力を秘めている風景。それがわれわれの不幸の始りだったという時代のことは、いまさらおく
びにもださずに綺麗に口を拭ってどうどうとせのびしながら生きのびてきた一億年以上のいのちの誕生を持つ鳥類。それを先祖とあがめているなもしらぬ民
族もいたはずだが、おもいだせないのはなぜか。

…その風景はすべてを赦す宣誓書ではないし、人類の最初の誕生の契機にたとて、たとえばフロイト流口唇期から男根期にかけての観念。両親のあいだをな
がれる小川の喩えは、寝相の悪いあまりにも形式的でやせた想像力の脆弱ないのちの迷彩でしかなく、忍耐とか、苦心とか、怠惰とか、破戒とか、おおくの
負の記号とあんいにむすびつく村落のないえんを一面に覆っていた時代のことをただ無視する街区もあってふくしゅうのれんさが世界をならくにつきおとす
怨念のてさきであったふかいざんげでもあった。それいぜんの大正から昭和の初年。江戸川乱歩の探偵が都内のしたまちをはいかいしたという都会のゆうつ
な感情を胸裏にふかくしづめる猟期的な事件にみちびかれた民衆はやがて世界大戦へとみちびかれていくのだけれど。そのまえに「ほしかれいのやくにおい
がする/ふるさとのさびしいひるめし時だ」としるした色紙の文字のりちぎでほそいふでの切ないふるえはだれにもまねのできないことがわかったいまも、
こうしてふりかえる。

…「風景」がついにいちまいの祈りである。
といのは確かに即物的な思いこみにちがいないが、思いこみでない意思表示もた、ないに違いない。「朔太郎、犀星の抒情詩にみられたような自然への抵抗もここには全くなく風物と人がひとつに解け合って肯定と調和に始終している。」その詩について、たぶん風景に近づくことはある逃避的な感性にちがいなく、民衆もやがてはそのことに目覚めることになるだが。しかしそれはたとえばいちまいの祈りである風景画の裏がわに、ぐうぜんのように思いがけず温かい人間性にふれたときの歓びのさめた雫も錯覚であるかとことばの形式についていまも考える。   
                     

*鮎川信夫「詩の森文庫」の田中冬二についての引用より。 

昭和歌謡曲の軌跡-影を慕いての周辺

2017-10-07 | 心に響く今日の名言
大正11年から一年間、古賀政男は四兄の店がある大阪で働くが、休日には翌集らずカニ云ったそうである。「ピクニック」というタイトルで作曲したものに、フォックス映画「オーバー・ぜ・ヒル」の題名を借りて島田芳文が詞をつけた「丘を越えて」に代表される軽快な古賀メロディには、マンドリン・クラブで演奏していたスペインあるいは南欧音楽の影響とともに、あるいは初期の宝塚歌劇の因襲に触発された者があるかも知れません。

●古賀メロディの周辺~宝塚とシャンソン


宝塚少女歌劇と松竹歌劇が東西のから生まれて人気を博した頃は、同時にシャンソンの日本への紹介という面で歌劇団は貢献したといわれている。

大正2年、小林一三の発案で、10才から14才の少女16名からなる宝塚唱歌隊が結成され、その年の暮れに宝塚少女歌劇養成会と改称され、世おく3年4月方5月にかけて宝塚新温泉多赤ら塚パラダイスで婚礼博覧会の余興として出演したのが、宝塚歌劇の始まりです。 
この宝塚歌劇に対抗して松竹歌劇が設置され、昭和3年、浅草松竹座を開場したのを機に、東京にも松竹歌劇部がつくられ、同5年、パリ帰朝の大森正夫演出により「東京踊り」10型で人気をあつめました。この9月、松竹座での「松竹オンパレード」公演で、司会役の水ノ江滝子が、ショートカットの髪にシルクハットをかぶりタキシード姿で登場,〝男装の麗人〟という流行語を生むほどの人気を博しました。宝塚で云えば小夜福子,芦原邦子のシャンソンで人気を二部していたことのことです。

ここでは詳しくは、ふれえませんが、宝塚歌劇はシャンソンの日本への紹介に大きく貢献しました。たとえば、「菫の花咲く頃」「甘き言葉を」「暗い日曜日」などがあります。この「暗い日曜日」はダミアガ唄ったのと同じ昭和11年10月に二本でも淡谷のり子が歌ってヒットしたが、自殺者がふえたという物議も醸したといわれています。
っところでこの「暗い日曜日」の邦訳などが原詞に近いものですが、たとえば「すみれの花咲くころ」などは、日本語の詞は本歌とはかなりニューアンスが変わっています。

〈本歌の詞〉
白いリラの花が再び咲く頃になると,人は心を惑わす言葉を言い交わす。
恋のお祭り気分が人を狂わせてしまう。原因は春よ、おまえなんだ…

〈日本語の詞〉
春 菫咲き春を告げる
春なぜ人は汝(なれ)を末
楽しく悩ましき 春の夢
甘き恋に 人の心酔はす
そは汝(なれ) すみれ咲く春(白石鉄造詞)

上手いと云えば実に上手い訳詞です。注意したいのは感傷的部分が強調されて、ちょうど流行歌のもつ特性ときわめて似通っていることではないでしょうか。
(つづく)