遙かなる透明という幻影の言語を尋ねて彷徨う。

現代詩および短詩系文学(短歌・俳句)を尋ねて。〔言葉〕まかせの〔脚〕まかせ!非日常の風に吹かれる旅の果てまで。

昭和歌謡曲の軌跡-服部メロディ-の登場

2017-10-29 | 心に響く今日の名言
作曲活動とともに、昭和13年に結成された帝劇の松竹歌劇団指揮者として紙恭輔と斬新な舞台を厚生し、「服部の存在なくば、このショーは三文の価値すらないものになったであろう」(榛名静男評)と評されるほどで、笠置シヅ子とのコンビはこの時以来であります。
レコードにあたっても、昭和12年4月中野忠晴(戦後、三橋三智也の唄を作曲)とコロムビア・リズム・ボーイズのジャズコーラス「山寺の和尚さん」で新境地を開拓し、続く「別れのブルース」でその地位を確立しました。
和製ブルースの原点ともなったこの「別れのブルース」は淡谷のり子の存在をクローズアップした作品でもあります。淡谷のり子の後日談として、


「これは私には歌えまねせんと申しあげました。音域も違うしね。でも駄目だといわれて、よーしと一晩寝ないでお酒を飲んで、わざと声を荒らして吹き込みました」と笑ったといいます。

服部良一はまた歴史家原田勝正の質問にこんな風に答えています。
「ブルースというのが魂のすすり泣きなら、日本人こそブルース的なんじゃないかと考えたわけです。横浜の本牧のチャブ屋へ日本のブルースの雰囲気を味わいに行ってきました。東北訛りの女を外国船からあっがった男が抱いて踊っていて、感傷的でしたね。古賀メロディーもいいが、ブルースには、あすへの希望がある。というのが、私の考えでした。
「この(藤浦光の歌詞)〝メリケン波止場〟でぐっと曲想がふくらんだのです。あくまでもあちらのブルースじゃなく本牧のブルースを、というのをここに留めて。あちらのブルースをまねたんじゃ敗北だから、イントロから工夫しました」(小学館版『昭和の歴史』参照)

タイトルは最初「本牧ブルース」とつけられたが、一般性を考慮して「別れのブルース」にかえられ、大阪の曾根崎新地や満州から逆に流行しはじめて全国を風靡しました。
続いて、服部良一・淡谷のり子のコンビは、翌13年に「雨のブルース「想ひ出の
ブルース」を14年には「東京ブルース」を出し、ブルース時代と言われる一時期をつくり淡谷のり子をブルースの女王と称揚されるようになります。(戦後の西田佐知子の「東京ブルース」とは同名異曲)

窓をあければ 港が見える
メリケン波止場の 灯が見える
夜風 潮風 恋風乗せて
今日の出船は どこへ行く
むせぶ心よ はかない恋よ
踊るブルースの切なさよ
(藤浦洸作詞、服部良一作曲「別れのブルース」)

こうしたブルースや先述の「蘇州夜曲」などのほかにウエスタン調の「バンジョーで唄えば」(中野忠晴)14年には藤山一郎の軽快な「懐かしのボレロ」、中野忠晴の「チャイナ・タンゴ」、霧島昇、ミス・コロムビアのコンビによるラブソング「一杯のコーヒーから」、淡谷のり子の叙情的なタンゴ「鈴蘭物語」、15年には松平晃の「小鳥売りの歌」笠置シズ子の「センチメンタル・ダイナ」や淡谷のり子の「満州ブルース」などの作品を発表し、ジャズ音楽に対する圧迫が日増しに強くなる世相の中で、学生やインテリ層を中心に、幅広い層にアピールしました。

一杯のコーヒーから
夢の花咲く こともある
街のテラスの 夕暮れに
二人の胸のともしびが
ちらいほらりとつきました
(藤浦洸作詞、服部良一作曲「一杯のコーヒーから」)

この様な服部メロディーを核にして、松島詩子のタンゴ「マロニエの木陰」(作曲星川潤一/昭和12)、渡辺はま子の「支那の夜」(作曲竹岡信幸/昭和13年)、ディック・ミネの「ある雨の午後」(作曲大久保徳二郎/昭和14)、淡谷のり子の「ルンバ上海」(作曲仁木他喜雄/昭和15年)、渡辺はま子とそれに続き李香蘭が歌った「何日君再来」などの佳曲が暗雲の中から漏れる光のように、人々の心にしみていったのである。

*〈この後は戦時中の流行歌について書こうと思ったが、資料がまだないのと、戦争の歌はどうも敬遠したという気持ちがあって、ひとまず次回からは戦後の歌謡曲の世界について書きたいと思います〉戦時に流行歌が辿った道も重要な問題を含んでいると思うが別の機会にしたい。

大手拓次再読7

2017-10-29 | 近・現代詩人論
 詩集『藍色の蟇』は親友の逸見亨の想定である。ここに納められた作品が全部で二二五編である。およそ二十五歳から四十六歳までにいたる約二十年間のものがおさめてある。この詩趣についてはこれまでいろんな詩評が書かれてきたと思うが、私はそれらの詩集評などはあまりよんでいない。拓次のゆいつ理解者といっていいのが鋭い批評で最初に批評をした萩原朔太郎であった。ここで朔太郎の「大手拓次君の詩と人物」を書き写してみたい。

「「神」「信仰」「忍従」「罪」「実在」「道心」「尼僧」「悪魔」「僧形」「祈祷」「香炉」等々の言葉は、
実に大手君の詩の主調を成しているイメージである。

全巻の詩編を通じて、読者はあのカトリック教寺院の聖壇からたちこめている。乳香や蓮香の朧々とした煙の匂ひを感じるだろう。かうした大手君の思想は、おそらくボードレールから影響されている{略)大手君は決してあの異端的、反逆的の懐疑を抱いた「悪の華」の詩人ではなく、むしろそれと正反対なリリシズムをもった純情の詩人であった。{略)

朔太郎の直感力は、なんと拓次の詩精神までもみごとに指摘してさらにつぎのように書いている。

「この特異な詩人の本領は性の悩ましいエロチシズと、或る怪しげな夢をもったプラトニックの恋愛詩に尽きるのである。童貞のやうに純血で少女のように夢見がちなこの詩人は彼の幻想の部屋で人にかくれるた秘密をいたはり育てて居た。彼のエロチシズムと恋愛詩は、いつもアヘンの夢の中で、夢魔の月光のやうに縹渺して居た。それは全く常識の理解できない不思議な容器に満ちたポエジイである。」