■ ナンセンス歌謡
昭和不況で、結果、人々の関心はもっぱら片隅の幸福に似けられていきます。
恋愛や結婚の中に人生の楽しみを見いだす傾向を反映して、昭和10年を前後して、ナンセンス映画が氾濫します。
小津安二郎の喜八もの(下町のビール工場に働く喜八という男と、となりに住む弟分を主人公として、坂本武、大日方伝が公演した一連の小津安二郎の人情喜劇)の
第一作(昭和8年)から、トーキー女優として田中絹代の地位を確立させた「花嫁の寝言」(昭和8年)「隣の八重ちゃん」「花嫁寝台列車」(昭和9年)「恋愛修学旅行」「若旦那日本晴れ」「うら街の交響曲」「のぞかれた花嫁」(昭和10年)「あなたと呼べば」「からくり歌劇」(昭和11年)等々です。
こうした映画の主題歌や挿入歌がヒットし始めるとともに、レコード会社のほうも独自に、庶民感情に根ざしたナンセンス調の歌を制作するようになります。
こうした小市民的な生活感情をうつしてヒットしました。そこから「ねぇ小唄」と呼ばれる歌もうまれました。
私しや花嫁 器量よし
皆さん覗いちゃ いやだわよ
あんまりみつめちゃ いやだわよ (高橋掬太郎作詞、江口夜詩作曲「花嫁行進曲)
音丸がうたったこの「花嫁行進曲」は新興映画「初恋日記」の主題歌として昭和11年に発売されたものだし「二人は若い」は日活映画「のぞかれた花嫁」主題歌としてディック・ミネと主演の星玲子とのデュエットで大ヒットしました。
あなたと呼べば 〝あなた〟と答へる
山のこだまの 嬉しさよ
「あなた」「なんだい」
空は青空 二人は若い(玉川英二作詞、古賀政男作曲「二人は若い」)
「ゆるしてネ」(赤坂小梅/昭和10) 「花嫁双六」橋本一郎・喜代丸/昭和11)「忘れちゃイヤヨ」(渡辺はま子/昭和11)「ダッテいやよ(静ときわ/昭和11)「とんがらがっちゃ駄目よ」(渡辺はま子/昭和11)「あヽそれなのに(美ち奴/昭和11)「鬱の女房にゃ髭がある」(杉狂児・美ち奴/昭和11)「あなたのあたし」(松平晃・市川春代/昭和11)等々が、この時期のナンセンス歌謡としてあげることが出来ます。
戦後、この系譜はたとえば植木等などにうけつがれることになりますが、当時は社会に対してのナンセンスではなかったことも、扇情的になっていく過程で検閲の対象になります。
文部省が国体明徴を訓辞する状況下にあったから、このナンセンス歌謡がこのましからざる対象となるのも当然でしょう。
〈なえ忘れちゃいやよ わすれないでね〉と甘く歌う「忘れちゃいやよ」(最上洋作詞・細田正勝作曲)も検閲のひかり「月が鏡であったなら」と改題して発売しました。またPCL映画「唄の世の中」主題歌「とんがらがっちゃ駄目よ」も発売禁止を受けたのですが、その際ビクターは静ときわで改訂版をつくろうとし、これが直接の原因となって渡辺はま子はビクターからコロムビアに移籍するという、いわゆるトンガリ騒動もおこっています。
このナンセンス歌謡と呼ばれるものは、パロディといえるほどの風刺性をもっていないが故に、ナンセンス歌謡の表現はともすれば扇情的になってゆくのも当然の帰結といえましょう。真の意味のコミカル・ソングは生まれなかったのです。
次はマドロスものにうつります。(つづく)
昭和不況で、結果、人々の関心はもっぱら片隅の幸福に似けられていきます。
恋愛や結婚の中に人生の楽しみを見いだす傾向を反映して、昭和10年を前後して、ナンセンス映画が氾濫します。
小津安二郎の喜八もの(下町のビール工場に働く喜八という男と、となりに住む弟分を主人公として、坂本武、大日方伝が公演した一連の小津安二郎の人情喜劇)の
第一作(昭和8年)から、トーキー女優として田中絹代の地位を確立させた「花嫁の寝言」(昭和8年)「隣の八重ちゃん」「花嫁寝台列車」(昭和9年)「恋愛修学旅行」「若旦那日本晴れ」「うら街の交響曲」「のぞかれた花嫁」(昭和10年)「あなたと呼べば」「からくり歌劇」(昭和11年)等々です。
こうした映画の主題歌や挿入歌がヒットし始めるとともに、レコード会社のほうも独自に、庶民感情に根ざしたナンセンス調の歌を制作するようになります。
こうした小市民的な生活感情をうつしてヒットしました。そこから「ねぇ小唄」と呼ばれる歌もうまれました。
私しや花嫁 器量よし
皆さん覗いちゃ いやだわよ
あんまりみつめちゃ いやだわよ (高橋掬太郎作詞、江口夜詩作曲「花嫁行進曲)
音丸がうたったこの「花嫁行進曲」は新興映画「初恋日記」の主題歌として昭和11年に発売されたものだし「二人は若い」は日活映画「のぞかれた花嫁」主題歌としてディック・ミネと主演の星玲子とのデュエットで大ヒットしました。
あなたと呼べば 〝あなた〟と答へる
山のこだまの 嬉しさよ
「あなた」「なんだい」
空は青空 二人は若い(玉川英二作詞、古賀政男作曲「二人は若い」)
「ゆるしてネ」(赤坂小梅/昭和10) 「花嫁双六」橋本一郎・喜代丸/昭和11)「忘れちゃイヤヨ」(渡辺はま子/昭和11)「ダッテいやよ(静ときわ/昭和11)「とんがらがっちゃ駄目よ」(渡辺はま子/昭和11)「あヽそれなのに(美ち奴/昭和11)「鬱の女房にゃ髭がある」(杉狂児・美ち奴/昭和11)「あなたのあたし」(松平晃・市川春代/昭和11)等々が、この時期のナンセンス歌謡としてあげることが出来ます。
戦後、この系譜はたとえば植木等などにうけつがれることになりますが、当時は社会に対してのナンセンスではなかったことも、扇情的になっていく過程で検閲の対象になります。
文部省が国体明徴を訓辞する状況下にあったから、このナンセンス歌謡がこのましからざる対象となるのも当然でしょう。
〈なえ忘れちゃいやよ わすれないでね〉と甘く歌う「忘れちゃいやよ」(最上洋作詞・細田正勝作曲)も検閲のひかり「月が鏡であったなら」と改題して発売しました。またPCL映画「唄の世の中」主題歌「とんがらがっちゃ駄目よ」も発売禁止を受けたのですが、その際ビクターは静ときわで改訂版をつくろうとし、これが直接の原因となって渡辺はま子はビクターからコロムビアに移籍するという、いわゆるトンガリ騒動もおこっています。
このナンセンス歌謡と呼ばれるものは、パロディといえるほどの風刺性をもっていないが故に、ナンセンス歌謡の表現はともすれば扇情的になってゆくのも当然の帰結といえましょう。真の意味のコミカル・ソングは生まれなかったのです。
次はマドロスものにうつります。(つづく)