いわゆる〝忠治三部作〟-「忠治旅日記-甲州殺陣編」「忠治旅日記-信州血笑編」「忠治旅日記-御用編」で伊藤太輔監督の下、国定忠治の落莫の人生を見事に演じた大河内伝次郎は一時新穀劇に戻っていたが、再び映画界に復帰し、そのカムバック第一作となった辻吉郎監督「沓掛時次郎」が封切られたのも、また昭和4年でした。
この映画の主題歌として、原作者長谷川伸が作詞、浅草オペラ全盛期の金竜館で楽長をつとめた奥山貞吉が作曲、川崎豊・曽我直子がデェユットして男女の掛け合い形式をつくったのが、後の股旅歌謡の先駆ともなったとされている「沓掛小唄」です。
当時の浜口内閣は金解禁を行って日本経済の立て直しを図る井上準之助蔵相の積極的経済政策を施策の二本柱とし、翌五年一月十一日金解禁を断行します。
ところがすでに、昭和4年24日には、後に〝魔の木曜日〟とよばれるこの日、ニューヨークのウォール街を株式大暴落が襲い、アメリカのブームに終止符がうたれ、世界恐慌の荒波がわが国にも押し寄せてきていました。
二本は大打撃を受けますが、ここでその昭和恐慌については詳しく述べている余裕はありません。
このような政治不信、不景気等時代の風潮は退廃をもたらし、都会ではジャーナリズムが〝エロ・グロ・ナンセンス時代〟を喧伝しました。
「エロチシズムとナンセンストと時事漫画風なユーモアとジャズ・ソングと女の足と--」と川端康成が『浅草紅団』で模写した第二次カジノ・フォーリーでは、警視庁が「股下三寸未満、あるいは肉色のズロースを使用すべからず」他8条の通達を出すほどに派手な脚線美をみせてくれたし、「道徳は罪悪の認識から始まる」のキャッチフレーズで平凡社から『世界猟奇全集』12巻が刊行された。
マッチの図柄にもエロ・グロの衣装があふれ、また「一回五十銭、口に消毒ガーゼ」のキッス・ガールが横浜の公園で開業(?)、などという新聞報道もみられます。後に「円宿ホテル」とか「エロ風呂」とよばれた連れ込み旅館も郊外に出現したといいます。
演歌では、佐藤千夜子の「愛して頂戴」、二村貞一の「洒落男」、藤野豊子(四谷文子)の「アラその瞬間よ」川原喜久恵の「ザッツ・オーケー」、曽我直子、川崎豊の「麗人の唄」、四谷文子の「わたしこの頃変なのよ」、淡谷のり子の「私此頃憂鬱よ」等々のナンセンス歌謡、あるいは「ネェ小唄」が流行しました。
またカフェーの全盛もこの時代相と無縁ではないのです。そうしたカフェや女級の、あるいはそれらに象徴される都会風俗を主題とした流行歌がぞくぞく誕生しました。「君恋し」「道頓堀行進曲」「浪花小唄」「女級の唄」などです。
満州事変が勃発したころ、(ここではでは詳しい歴史は省きますが)この時代を見事にうつして流行歌の世界に古賀政男が登場します。
古賀メロディの特徴は、中山晋平が築いたヨナ抜き短音階を基調に独自のユリをくわえた点にあるといわれています。
本人の著書で『我が心の唄』を引用すれば「ジャズと都々逸。それは音楽的に図式的に表現すれば、一オクターブ七音と、五階の東洋的短音階との差であった。此の落差を埋めなければ、この世相を反映し、すべての人々に共感を得る曲は出来ないと私は思った。」ということです。
こうした古賀政男の『酒は泪か溜息か』(昭和6)藤山一郎の透き通った歌唱法で歌謡史に残るビッグヒットが生まれるわけです。(つづく)
この映画の主題歌として、原作者長谷川伸が作詞、浅草オペラ全盛期の金竜館で楽長をつとめた奥山貞吉が作曲、川崎豊・曽我直子がデェユットして男女の掛け合い形式をつくったのが、後の股旅歌謡の先駆ともなったとされている「沓掛小唄」です。
当時の浜口内閣は金解禁を行って日本経済の立て直しを図る井上準之助蔵相の積極的経済政策を施策の二本柱とし、翌五年一月十一日金解禁を断行します。
ところがすでに、昭和4年24日には、後に〝魔の木曜日〟とよばれるこの日、ニューヨークのウォール街を株式大暴落が襲い、アメリカのブームに終止符がうたれ、世界恐慌の荒波がわが国にも押し寄せてきていました。
二本は大打撃を受けますが、ここでその昭和恐慌については詳しく述べている余裕はありません。
このような政治不信、不景気等時代の風潮は退廃をもたらし、都会ではジャーナリズムが〝エロ・グロ・ナンセンス時代〟を喧伝しました。
「エロチシズムとナンセンストと時事漫画風なユーモアとジャズ・ソングと女の足と--」と川端康成が『浅草紅団』で模写した第二次カジノ・フォーリーでは、警視庁が「股下三寸未満、あるいは肉色のズロースを使用すべからず」他8条の通達を出すほどに派手な脚線美をみせてくれたし、「道徳は罪悪の認識から始まる」のキャッチフレーズで平凡社から『世界猟奇全集』12巻が刊行された。
マッチの図柄にもエロ・グロの衣装があふれ、また「一回五十銭、口に消毒ガーゼ」のキッス・ガールが横浜の公園で開業(?)、などという新聞報道もみられます。後に「円宿ホテル」とか「エロ風呂」とよばれた連れ込み旅館も郊外に出現したといいます。
演歌では、佐藤千夜子の「愛して頂戴」、二村貞一の「洒落男」、藤野豊子(四谷文子)の「アラその瞬間よ」川原喜久恵の「ザッツ・オーケー」、曽我直子、川崎豊の「麗人の唄」、四谷文子の「わたしこの頃変なのよ」、淡谷のり子の「私此頃憂鬱よ」等々のナンセンス歌謡、あるいは「ネェ小唄」が流行しました。
またカフェーの全盛もこの時代相と無縁ではないのです。そうしたカフェや女級の、あるいはそれらに象徴される都会風俗を主題とした流行歌がぞくぞく誕生しました。「君恋し」「道頓堀行進曲」「浪花小唄」「女級の唄」などです。
満州事変が勃発したころ、(ここではでは詳しい歴史は省きますが)この時代を見事にうつして流行歌の世界に古賀政男が登場します。
古賀メロディの特徴は、中山晋平が築いたヨナ抜き短音階を基調に独自のユリをくわえた点にあるといわれています。
本人の著書で『我が心の唄』を引用すれば「ジャズと都々逸。それは音楽的に図式的に表現すれば、一オクターブ七音と、五階の東洋的短音階との差であった。此の落差を埋めなければ、この世相を反映し、すべての人々に共感を得る曲は出来ないと私は思った。」ということです。
こうした古賀政男の『酒は泪か溜息か』(昭和6)藤山一郎の透き通った歌唱法で歌謡史に残るビッグヒットが生まれるわけです。(つづく)