翻訳者魂

人間は関係を持ちたい。人間は知られたい。人間は参加したい。人間は貢献したい。人間は自分に価値があると思いたい。

10年後の世の中に期待すること

2007-02-07 18:05:11 | インターネット
2007年1月31日、Windows Vistaが発売された。目新しいインターフェースや高度なセキュリティ、そしてデジタル著作権管理機能が注目を浴びている。

デジタル著作権管理機能は、コンピューターに記録している音楽や映像を管理する。その音楽を聞く権利はあるの? そのビデオはコピーできるの? そういったことを判断してくれる。

今、自由な社会では、基本的に誰もが公平にインターネット上のリソースにアクセスできる。規制も少ないし、発言の自由も保たれている。インターネットユーザーは、文化であっても、経済であっても、技術であっても、独占には抵抗する。

インターネットは、マスコミ、政治、大企業から権利を奪い、その権利を人々に与えた。日本の真実は、2ちゃんねるが表に出してくれた。

でも、そんなオープンな状態は過去のものになるかもしれない。Vista以降、インターネット上では、規制と管理と監視が厳しくなるだろう。不適切な情報は削除されるだろう。そんな時代、つまりクローズな世界に向かう可能性が高い。

コンピューターは、インターネット上で情報をやり取りしている。情報のやり取りはネットワーク上の約束事であるプロトコルにしたがって行われる。どのように接続を確立し、どのようにデータを移動するかといったことは、プロトコルに従う。

プロトコルがあるから、コンピューター間で情報をやり取りするプログラムを書くことができる。その際、ネットワークは、どのような内容の情報がやり取りされているかなんていうことには関知しない。ネットワークは、やりとりの手段を与えるだけだ。

だから、検閲や監視、管理はむずかしい。もちろん、不可能じゃない。でも、ネットワークは自由に向かう。花が太陽に向かうように。そういう性質なのだ。

ネットワークは、情報を動かす土台で、その内容には関知しないという仕組みは、データはコンピューターとコンピューター、エンド・トゥ・エンドでやり取りされるということだ。

でも、サイバーパトロールを実践するプログラムを書くことは、実はピア・トゥ・ピアのファイル共有プログラムを書くのと同じくらい簡単。

中国やシンガポールやサウジアラビアといった圧政的で、自由の無い、権威的な国がネットワークを自分たちに都合の良いように利用することも簡単だ。

インターネットプロトコルでせっかくぼくらが手にすることができた表現の自由。それが今、剥奪されようとしている。

遊ぶ自由、実験する自由、芸術から刺激を得る自由。そんな自由が、規制される。大企業は、大企業の利益のためだけに、人々の想像力を抑圧しようとするだろう。

インターネットが規制され、管理され、監視されれば、情報を自由に共有していた人々、アイディアを交換し、既存の権力に立ち向かおうとしていた人々は大きな打撃を受ける。

抵抗や変革が無くなれば、オープンなインターネットは完全に消え去る。インターネット上の遊び、冒険、発見、発明もなくなるに違いない。

Vistaは、何百万もの家庭で使われるだろう。簡単な操作、高度なセキュリティ、安定した動作を普通の人々は体験する。

エアロ・インターフェースに満足し、スパムやウィルスを寄せ付けないセキュリティに安心する。

しかし、人々はある日、気づくだろう。「コンピューターが変わった。自由が奪われた。」

そんな日が来ないように、10年後も自由でオープンなインターネットを利用できるように、ぼくらは、インターネットで手にした自由を守らなければならない。守らなければ、この自由は歴史のほんの小さな脚注として記されるだけになる。マスコミや政治家や大企業の奴隷に戻るのはもうごめんだ。

How the net turns code into politics