ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

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冬の蜃気楼/山田太一

2006-01-27 23:22:21 | 
晴れ。

若いときの思い出すだけで赤面して急にそわそわしてしまうような恥ずかしいことってたくさんあるような気がする。
若いということはそれだけでもう恥ずかしいことの連続だし、どうしてああいう行動をとってしまったのか、
あんなことを言ってしまったのかと後悔することの連続だったりする。
今になってみると、それこそが「若い」ということであり、まあそれがゆえに許されてきたということだってたくさんあったと思う。
あの若さであんなにスマートには振舞えなかっただろうし、老獪な策を弄することだってできなかっただろう。
背伸びをしたところで、それは年長の人から見れば滑稽な「大人ぶり」に見えただろうし、つまり若いってことは何をやってもみっともないことの連続なのだ。

山田太一の作品にはそんな若いがゆえのみっともなさや恥ずかしさを描いた作品が結構あると思う。「ふぞろいの林檎たち」もそんな作品のひとつだったと思う。
そしてこの作品もそんな若さゆえの挫折が描かれている。
映画会社に入社したばかりの石田は、駆け出しの助監督としていくつかの映画を担当する。
中年の大根役者羽柴、17歳の新人女優瑠美、監督や先輩助監督などを通して、石田は自分の若さと不器用さを思い知らされていく。

山田太一はかつて松竹に助監督として勤めていたことがあり、自伝的な話もいくつかは織り込まれているのかもしれない。
つまりは山田氏自身が若いころの自分のどうしようもない「青さ」をある種の懐かしさとともに表現したかったのではないか、と思うのだ。

その若さゆえの焦燥感とか背伸びをしたい感じというのにとても共感を覚える。
それは山田作品に共通の感覚だと思う。