ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

博士の愛した数式

2006-10-31 22:13:27 | 映画
もともと劇場で観ようと思っていたのだが、そのときに別の映画を観たので観そびれていた。
日曜日、前の晩からお腹の具合がよくなくて家でごろごろしていたのだが
CATVのオンデマンド・プログラムで見つけて観始めた。

小泉堯史監督の作品はほとんど見ているが、作品からはこの監督の視線の柔らかさが感じられる。
小泉監督は一貫して市井の日本人の奥ゆかしいやさしさを描いている。

数学者である博士は交通事故の後遺症で記憶が80分しか持たない。
だからまともな社会生活を送ることができずに義姉が用意してくれた別荘地の離れに家政婦を雇って暮らしているが、
記憶障害のせいで家政婦が長続きしない。
そこに家政婦であることに誇りを持っているシングルマザー杏子がやってくる。
離れのことは離れで解決するようにと義姉から申し渡された彼女は孤軍奮闘を開始する。
博士は初対面の相手にまず身近な数字でコミュニケーションを計ろうとする。
だから、毎朝杏子は靴のサイズを聞かれることになる。
身近な数字を通して我々は、「階乗」、「素数」、「完全数」、「友愛数」に触れていく。
そして自然科学の真理は見えない世界にこそ内包されているのだということを博士にゆっくりと諭されていく。

大事なことを忘れないように背広にメモを貼り付けた博士はどこか滑稽で、このとぼけた感じを寺尾聡が実に飄々と演じている。
寺尾聡は「ルビーの指輪」で陰のある2枚目になるずっと以前の若いころ、
「おくさまは18歳」とか「美人はいかが?」などのテレビドラマでコミカルな役を演じていたし、
何と言っても父君はあの宇野重吉なのだ。(最近本当によく似てきました)

そんなほのぼのとした博士の人間的な温かみにいつしか杏子も息子のルートも包み込まれていく。
「子どものただいまの声ほどいいものはない」、「子どもは大きくなるのが仕事だ」
といった子どもへのまなざしには穏やかな春の暖かさを感じる。

数学が私は大変に苦手だった。無味乾燥な数式が出てくるともうそれだけで脂汗が出てきた。
しかし数字に込められた真理は静かに何かを語っている。その数字の語るところに想像力が働いたなら、と思う。
博士のようなルートのような先生がいたならば私もまたもう少し数学との接し方が変わっていたかもしれない。

記憶などなくても本来の人間のやさしさが損なわれることはない。
人生の喜びも悲しみも苦悩もしずかに剥ぎ取った博士は孤高の素数そのものではないか。


in Tokyo/Joao Gilberto

2006-10-30 22:43:21 | 音楽
晴れ。

João Gilbertoが再び来日する。来週のコンサートに行くので前回の初来日公演時のライブ盤を聴いている。

初めての来日でずいぶんと日本のことが気に入ったようで、御歳75歳での再来日公演は非常に嬉しい。
特に前回の来日公演を見逃した私としてはなおさら。

ブラジルは日本から最も遠い国であり、いくらレコードでボサ・ノヴァをたくさん聴いても、その本質的なところはよく分からなかったりする。
日本ではボサ・ノヴァが雰囲気を楽しむイージーリスニングであったり、ボサ・ノヴァ風といったアレンジを施された流行歌であったりするからだろうか。
遠い国の遠い音楽をまるでファッションとして扱う日本の音楽業界のある種の貧困さを感じざるを得ない。
そしてそれにすっかり毒されている自分にも・・・。

そういうことを考えると、この2006年という時代に日本でJoão Gilbertoの生のギターと歌声を聴くことができるのは奇跡に近い体験かもしれない。
まさに本物に触れることができる数少ない機会。
ボサとは何か、その一端でも堪能できればと思う。
そしてその至福のひと時へのオーバチュアとしてこの静かな情熱で満たされた盤が語りかけてくれるものは多い。

カポーティ

2006-10-29 11:25:48 | 映画
晴れ。

意地悪な映画館のおかげで見られなかったのはこの「カポーティ」。
「冷血」をよりよく読むためにこの映画を見ようと思っていたが結果的には「冷血」読み終えたあとで映画を見た。

原作はジェラルド・クラークの「カポーティ」で、新潮文庫から出ているジョージ・プリンプトンの「トルーマン・カポーティ」とは別物。
監督はベネット・ミラー。

私はカポーティの肉声は聴いたことがないのだが、とにかくフィリップ・シーモア・ホフマンの気迫の役作りがすばらしい。
容姿だけでなくしゃべり方やクセまでも丹念に研究した後が伺える。

「ティファニーで朝食を」で成功を収めたカポーティは華やかな社交界の一員となっていたが、ある日新聞の小さな記事に目が留まる。
カンザス州で起きた農夫一家の惨殺事件。
幼馴染で後に「アラバマ物語」で有名になるネル・ハーパー・リーを助手に従えて現地へと向かい取材を開始するカポーティ。

やがて二人組の犯人が捕まり、その一人ペリーに取材を重ねていく中で
カポーティは自分と似た境遇をたどってきたペリーにある種の共感を覚えていく。
カポーティは自らホモセクシャルであることを公言してはばからなかったそうだが
彼がペリーに対して密かに好意を抱いていたのではないかというような描き方がなされている。
摂食拒否を続けるペリーを介抱するシーンにみられるエロティシズムなどは象徴的なシーンだろう。

殺人の核心部分を聞き出せないまま時間が過ぎていく。
やがて犯人たちは絞首刑に処せられる。それまでには話を聞き終えて執筆しなければならない。
カポーティはこの作品が傑作になりうる可能性を見出していた。
ペリーがしゃべってくれた上で処刑されない限り作品が完結しないことに焦りを感じつつ、一方でペリーにはどこかで生きていてほしいと願う。

残酷なまでのリアリストと甘美な世界とを行きつ戻りつするカポーティの内面をしっかりと捉えた演技は静かな迫力がある。
フィリップ・シーモア・ホフマンはこの作品でアカデミー賞の主演男優賞を獲得している。

この作品のもうひとつのコントラストは華やかな社交界での快活なカポーティの振る舞いと、刑務所での悲壮感漂う死刑囚との交流ではないか。
およそ縁のない正反対の舞台を行き来するカポーティを描くことで、カポーティ自身の心の振幅を象徴的に描いているような気がしないでもない。

冷血/トルーマン・カポーティ

2006-10-29 02:15:34 | 
カンザス州の農村地帯。富農のクラッター家の4人がロープで縛られた上何者かに射殺されていた。
この実際に起こった事件を元に筆者が5年の年月を費やして取材し書き上げたノンフィクション。ニュージャーナリズムの傑作と呼ばれている。
綿密な取材を敢行し膨大な資料をもとに紡ぎ出された渾身の作品で、非常に奥行きの深い重厚な作品だ。

人気作家の作品らしくまるで小説を読むかのような筆致で描かれている。
事実は小説よりも奇であると言ったらよいのか、我々はまずその事実を基にしたストーリーに引き込まれていく。

今の我々は不幸なことにこういう残忍な殺人事件に慣れっこになっている。
ニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込むのを目の当たりにしていれば、
現代の我々にとってこうした殺人事件はもはや不思議でもなんでもない。

それにしてもカポーティはなぜこの事件を取り上げようとしたのか。
確かに残忍な犯行ではあった。
しかし当時でもこの事件に限らず大量殺人は起こっていただろうし、
実際にそうした他の事件で収監された死刑囚のエピソードも出てくる。
あるいはカポーティの執筆の意図を読み解くことがこの作品へのアプローチとなるのかもしれない。

ペリーとディックという二人の犯人。この生い立ちも性格もまるで異なる二人の犯人が丹念に描写されている。
そして被害者のディック一家のことも、捜査官デューイも綿密に描かれている。
加害者と被害者を取り巻く状況や置かれた立場を描くことによって、次第にこの事件の背景を立ち上がらせようとしてる。

50年代終わりのアメリカ。
片田舎の農村で、高い倫理観と勤勉さを持った古きよきアメリカ人と
陽炎のようなアメリカン・ドリームを追いかけようとしたロウアー・クラスの若者たち。

アメリカは黄金の60年代に入ってますますこうした光と影を内包していくが、
まるでカポーティは来るべき時代を予見しているかのようにその光と影をあぶりだしてみせる。
夢の残滓に翻弄されて犯罪に手を染めていく二人には共感するべきものは何もないが、
しかし彼らとて時代の犠牲者だったのかもしれない。

ペリーは獄中でイエスの像を描いたというエピソードが紹介されている。
我々はそこにわずかばかりの救いを見出すことができる。




J1第29節 大宮アルディージャ対FC東京(さいたま市浦和駒場スタジアム)0-1

2006-10-28 23:58:52 | サッカー
晴れ。

先週の大逆転劇とはうって変わって、今日はとても地味な展開となった。
駒場での大宮戦。実は駒場に出かけるのは初めてだった。
穏やかな秋の昼下がり。浦和駅からのんびりと歩いて駒場に着くとすでに両ゴール裏は結構な入りになっていた。

開始直後の一分。相手陣内の右側で得たFKに今野が頭で合わせたシュートがするするとゴールに吸い込まれた。
なんともあっけない得点。キックオフ直後相手GKの荒谷は秋の西日をまともに受けることになった。
もしかしたら光が目に入ったのかもしれない。ほとんど一歩も動けなかった。

このゴールで東京は活気付く。
石川はドリブルでサイドを切り開き、馬場は元気よく駆け回って前線でボールを奪取。ルーカスも惜しいシュートを放つ。

しかしながら決め手を欠く。大宮も深い守りからなかなか攻めのリズムを作れないまま前半を終了する。
今シーズンの東京は先制されることが多いし、先制しても追いつかれて折り返しというパターンがとても多い。
今日のような引き締まった展開は珍しいなと思う。

後半も東京はまず守備意識を保ちながらなるべく高い位置でチェックに行く。
大宮は不用意なミスからボールを奪われてなかなかリズムを作れない。
東京は茂庭が負傷退場する。三浦を入れて今野をCBへとスイッチ。
今野が積極的に攻撃参加していただけに少し心配になる。

大宮も斉藤を投入したあたりから中盤でボールを持てるようになってきてカウンターの応酬の様相を呈してきた。
ただ、両チームとも決定的なチャンスを何度か作りながらフィニッシュの精度を欠き、時間が過ぎていく。

東京はルーカスが下がってボールをとりに来るので前線の枚数が足りず攻撃のコンビネーションが機能しない。
本来ならここで平山を投入するなどして前線でタメを作りたいが、茂庭の怪我で交代枠を使ってしまったので積極的な交代ができない。
藤山を増嶋に代えたところで、1点を守りきる作戦に出たのだろう。
大宮のミスに助けられたが何とか凌いで守りきった。

終わってみたら1点を89分間かけてひたすら守り抜いた試合だった。
いつぶりだろうと思うぐらいの久しぶりの完封試合。
しかし、常勝チームになるにはこういう決して良くない出来でも凌いで耐えて勝ち点を拾っていくというのが大事だと思う。
実際、今日はしっかりと意思統一された守備の意識が強く、それがぶれなかったというのが大きな収穫だった。


SHINJO

2006-10-28 00:23:34 | スポーツ
晴れ。

新庄にそれほど感情移入をしていたわけではないが、涙をこらえて打席に立つ彼の姿が映し出されるとさすがにグッとくるものがあった。

日本ハムファイターズ。東京を本拠地としていたころはジャイアンツの陰に隠れて地味な球団だった。
北海道という新天地に移転したのは無理からぬことだったわけだが、
大リーグから帰ってきたばかりの新庄は生まれ変わった球団で自分がどう振舞うべきかを冷静に考えていたのだと思う。
ファンと選手との幸福な関係を追及していった結果のあのパフォーマンスだった。
そのことが、日本一から一夜明けた退団会見でよく分かった。

ファンがあってのプロ選手であるということを知悉していた極めてクレバーな選手だった。
ユニフォームを脱いだだけで新庄剛志は変わらないと言う。
またみんなをあっと言わせることをやりたい、と。
ぜひまた我々を元気付けて欲しい。楽しみである。お疲れさま。

最低の映画館(立川CINEMA CITY)

2006-10-26 12:32:56 | 映画
晴れ。

久しぶりに休みを取ったので映画を見ようと映画館に行った。
近くの映画館ではやっていない作品だったので立川まで向かう。
ところが途中渋滞にはまってしまい、上映時間を10分ほど過ぎてしまった。
まだ予告編の時間帯だし何とか間に合ったなと思って窓口でお金を差し出したら入場を断られてしまった。
わざわざ1時間もかけて来たのに次の回に入れと言う。窓口の女性が顔色ひとつ変えずにである。
取り付く島もない。やってきた客を門前払いして追い返すというのはサービス業としていかがなものか。
あえて名前を出しておこう。

立川の「CINEMA CITY」である。(あ、タイトルで出しちゃったか)

最近のシネコンは完全入れ替え制で全席指定というところが多い。
したがって途中入場しても続きを見ることができない。
指定席の便利さとのトレードオフの関係でもある。
それでもたいていの映画館ではそれを承知の上での途中入場はとりあえず認めている。
しかも私の場合は10分の遅刻でしかない。たいていはまだ予告編の時間帯であり仮に本編が始まっていたとしても数分だろう。

上映後の入退場が他のお客さんの迷惑になることはよく分かる。
だから遅刻を認めないというのは時間を守って入ったお客さんに対するサービスであることも分かる。
いかなる事情があるにせよひとつ例外を認めたら際限がなくなるということも一般論としてはよく分かる。
しかし、途中入場が他のお客に迷惑だというのであればトイレにも行けないのであろうか。
つまらない映画だからといって席を立つことも許されないのであろうか。

そう考えるとわずか10分の遅刻をも認めないというのはサービス業の本質として何か違和感を感じる。
この映画館は顧客本位のサービスというのをどう考えているのだろうか。
ことは娯楽である。娯楽に金を落とすというのは飲み食いにかけるお金とは本質的に違うものである。
快適さや喜びを求めてやってきた客を10分の遅刻さえ認めない厳格さで追い返すというのを文化に携わる者がやってはいけない、と私は思う。

わたしはあえて押し問答することなく帰った。
ごり押しして不愉快なおもいをしてまで映画を見る気にはなれなかったからである。

もうこの映画館には二度と行くまい。
映画を見るということは銀行の窓口で預金を引き出すのとは訳が違う。
映画と映画を見る人をこのようにしか扱えないこんな映画館が日本の映画文化をだめにする。

J1第28節 FC東京対ガンバ大阪(調布・味の素スタジアム)3-2

2006-10-23 23:37:59 | サッカー
先週の広島戦の後に私は東京は2点差の罠に陥ったと書いた。
また、あとに残る負け方をしたとも書いた。
今日2点差の罠に陥ったのはガンバだった。
そして、先週の負け方を一蹴した東京のこの勝ち方には度肝を抜かれた。
全くサッカーは、FC東京は面白い。これだからやめられない。

年に一度あるかないかの劇的な勝利。こういう試合のためにSOCIOを続けているのだ。
怪我明けでいきなり左足で弾丸シュートをぶち込んだノリオ。
この同点シュートが決まった瞬間、喜びを爆発させて飛び上がっていたら
思い切り足を踏みはずしてくじいてしまい、痛いのなんの!
痛くて堪らないのに嬉しくて泣き笑い、生まれて初めての奇妙な感じ。

残り13分で2点差をひっくり返したゲームは見ている者にとっては劇的だしドラマとしては最高の筋書きだと思う。
観戦者として純粋に楽しめた試合だった。

しかし、チームとしてみたときには決してほめられた内容ではなかったと思う。
播戸とマグノアウベスというフリーにしてはいけない二人にまんまとゴールを決められる。
早い時間帯での失点が多い。立ち上がりの失点というのはほんとにがっくりとくる。
ガンバは浦和を追走するためにどうしても落とせない試合だし、最初から攻勢をかけてくることは予想できたはずだ。
前線から激しくチェックに来るし、中盤で奪うと二川や橋本、加地あたりが飛び出してくる。
東京は攻撃陣と守備陣が完全に寸断されてしまい、広島戦のときの悪い形から脱しきれていない。
ガンバのパス廻しに翻弄された前半だった。

平山とルーカスの縦の関係もあまり機能しないまま、後半早々に平山を下げて馬場を入れ、ルーカスをトップに。
後半10分を過ぎたところからガンバ陣内のいわゆるバイタル・エリアで東京が少しずつセカンドボールを拾えるようになってきた。
東京はガンバのような攻撃的なチームには概して分がいい。
過去ガンバとは打ち合いのゲームを何度もやってきているし、これは案外こじ開けられるかもしないと思った。

更に前半の攻勢が祟ったのか、徐々にガンバの運動量が落ちてくる。
馬場が前線で走り回るのを抑えきれなくなり始めた。
それでも時計は刻々と廻って、さすがに厳しいかなと思った。
それを察したかのようにバランスを捨てて前線に上がってきた今野がキーパーをかわし無人のゴールに流し込む。
この時点で残り13分。でもゴール裏の雰囲気はここで俄然ヒートアップする。
なんとなく、なんとなくなのだが負けるような気がしなくなってきた。
このあたりが勝負のあやであろう。
ほぼ勝てると思ったガンバは1点を取られて受けに廻ってしまった。
3点目を取れなかったことが完全に裏目に出た格好。
1点差に詰め寄られて焦りが出てしまった。

そして3ヶ月ぶりの鈴木が突き刺した強烈なミドル。鳥肌が立った。
これでさらにイケイケになった東京がついに逆転。石川の技ありのゴールだった。

こういう試合になるとなぜだか訳もなく涙が出てくるのだ。
そしてそういうタイミングで歌い始めたYou'll never walk alone
ロスタイムを声を枯らして選手を鼓舞し続けた。
本当に痺れた試合だった。

でも次はもう少し楽な形で勝って欲しいと思う。
ドラマはめったにないからこそ感動するのものだから。

10/22のランニング

2006-10-22 11:44:40 | ジョギング
晴れ。

今日は6キロのラップを計ってみた。
昔は5分のペースというのはきついペースではなかったが
歳のせいか5分15秒ペースでもちょっときつい。
午前中で体の動きがいまひとつだったせいもあるが、
体をケアしながらゆっくりと調子を上げていきたい。
帰りはリレーに備えてダッシュして帰ってきたけどこれもきつかった。

今日の距離:6キロ
タイム:31分53秒
ラップ:
5:17:95(6)
5:16:86(5)
5:20:45(4)
5:18:61(3)
5:14:68(2)
5:25:34(1)



10/21のランニング

2006-10-21 22:40:12 | ジョギング
久しぶりに30分を走る。
東京マラソンの抽選に外れて以来どうもモチベーションがなくなってしまっている。
これはいけない。
ずいぶん長いことレースから遠ざかっているしまずは近いところで年内の10キロ程度のレース出場を目標に立て直そうと思う。

そして、増えてしまった体重を落とすこと。4キロ減量。
5分/キロで10キロ50分を目標にしよう。
そしてそれをそのままフルマラソンに引き伸ばした3時間30分を目標に来年のホノルルでも目指してみようかな。

今日は無理をせずに5分30秒でラップを刻めた。
悪くはない。あせらず少しずつ立て直していこう。

今日の距離:6キロ
タイム:29分39秒