ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

今年読んだ本(2007)

2007-12-31 17:54:14 | 
ローマ人の物語Ⅰ-ローマは一日にして成らず-/塩野七生
ゆっくり歩け、空を見ろ/そのまんま東
笑い犬/西村健
真夏の島に咲く花は/垣根涼介
浮世でランチ/山崎ナオコーラ
送り火/重松清
八月の路上に捨てる/伊藤たかみ
35年目のリクエスト あの日の手紙とどけます/亀渕昭信
卒業/重松清
きみの友達/重松清
10ドルだって大金だ/ジャック・リッチー
イングランド・イングランド/ジュリアン・バーンズ
アメリカの終わり/フランシス・フクヤマ
ローマ人の物語Ⅱ-ハンニバル戦記-/塩野七生
風に舞い上がるビニールシート/森絵都
まほろ駅前多田便利軒/三浦しおん
敗因と/金子達仁・戸塚啓・木崎伸也
その日のまえに/重松清
ローマ人の物語Ⅲ-勝者の混迷-/塩野七生
「愛」という言葉を口にできなかった二人のために/沢木耕太郎
風が強く吹いている/三浦しをん
246/沢木耕太郎
酔いどれの誇り/ジェイムズ・クラムリー
ローマ人の物語Ⅳ-ユリウス・カエサル ルビコン以前-/塩野七生
さらば愛しき女よ/レイモンド・チャンドラー
鬼平犯科帳(23)特別長編 炎の色/池波正太郎
鴨川ホルモー/万城目学
守護天使/上村佑
走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹

29冊。読書もあまりできなかったなあ。
今年はとにかく塩野七生さんの「ローマ人の物語」に取り組んだ。
ゆっくりと読み進めたのでなかなか読めなかった。とりわけユリウス・カエサルの後半が越年してしまったのが後悔。
今年は読書に限って言えば年の初めに読んだ本は随分昔のような気がする。
前半は重松清をよく読んだ。重松氏には随分救われた。
来年も「ローマ人の物語」を続けながら、新しい作家の本もどんどん読んでいきたい。
電車の中を書斎にして・・・。







今年買ったレコード(2007)

2007-12-31 17:31:43 | 音楽
Mignonne/大貫妙子
Romantique/大貫妙子
Showdown/村田和人
Special Delivery
Living All Alone + Prime Of My Life/Phyllis Hyman
seasons colurs 春夏撰曲集/松任谷由実
Aventure/大貫妙子
Shades Of Blue + Family Reunion/Lou Rawls
On Love/David T.Walker
ブラジル/土岐英史とサンバ・フレンズ
ギター・ワークショップVOL.1/憲司、香津美、勝敏&潤史
FREE SOUL FLIGHT TO BRAZIL
DOWN TOWN/エポ
MY CREW/村田和人
Who's Foolin' Who?/Frankie Bleu
All Dressed Up/David Roberts
紅雀/松任谷由実
David T. Walker
seasons colurs 秋冬撰曲集/松任谷由実
Odyssey
Body Heart/Quincy Jones
Press On/David T.Walker

今年はここ15年あまりの間でもっともレコードを買わなかった年だったと思う。
22枚。年末に数枚買ったのでようやく20枚に達したという低調さだった。
今年は音楽を聴ける心境になかったというのが正直なところだった。
音楽というのはそんなに力はない。改めてそのことを実感させられた。
圧倒的な苦しみや悲しみの前では音楽や映画といったものはやはり無力だということだ。
そのことを再認識した上で音楽と向き合ってみたいと思う。

今年は日本人の再発リ・イシューものを比較的よく買ったほうだと思う。
大貫妙子や村田和人の初期の作品がようやくCDでそろってきた。
1、2枚買いそびれているので来年の宿題にしたい。
年末はDavid T.Walkerのライブに行ったこともあって彼がらみのアルバムを少し買った。
少しずつ意欲が出てきた感じもあるので来年は原点に立ち返って興味の趣くままに聴いていこうと思う。
また音楽との新しい出会いがあればいいなあ、と思う。





Press On/David T.Walker

2007-12-31 17:10:51 | 音楽
David T.WalkerのOde時代の2枚目にあたるのがこの作品。OdeというとCarole Kingだが、このアルバムにはCityのCharles Larkeyが参加しているし、
Carole Kingの「Brother Brother」がカヴァーされていたりして、Carole Kingの初期に通じるテイストがある。
もっともCarole Kingの初期の作品にはDavid T.が参加していたりするので同じ匂いがするのはもっともな話。

オリジナルの「Press On」は彼自身のルーツを感じるブルース・ブラックなグルーヴ感がある。
うって変わってThom Bellの「Did'nt I Blow Your Mind」、Stievie Wonderの「Superstition」など当時のソウルの名曲たちを自在に演奏している。
シルキー・タッチなとろけるようなギターと骨太なリズムトラックが見事に溶け合っている。

Ode時代の3作品の中ではもっとも完成度の高い一枚と言えるだろう。
楽曲への思いが込められた彼の演奏は聴く者を引き込む崇高さがある。理屈抜きに楽しめる。
Lennon-McCartneyの「With A Little Help From My Friends」のイントロのギターは鳥肌もの。
この曲がこうなるかという解釈がすばらしい。このアルバム中の白眉でもある。

Body Heart/Quincy Jones

2007-12-28 18:10:56 | 音楽
74年の作品。時代を考えるとかなりコンテンポラリーな感じの音作り。
メロウなグルーヴの根幹を成すのはやはりLeon Wareの参加が大きい。
Quincy Jonesはそれほど数多く聴いたわけではないが、このアルバムが後の彼の音作りに一定の方向性を与えたことは想像できる。
ポップだけど非常にクール。ソウル・オリエンテッドで非常に知的な味わいがある。
Herbie Hancock、Bob James、Dave Grusin、Richrd Tee、Eric Galeといった多彩なメンバーがこのえもいわれぬグルーヴと緊張感をもたらしている。
先日観たDavid T.Walkerもこのメンバーの中で渡り合っている。
Phil UpchurchやWah Wah Watsonも参加しており、ギタリストの競演も大きな聴き所だと思う。
時代の風雪に耐えられる音楽というのは、こういうぎりぎりのせめぎ合いを経てきた中からうまれてくるのだと思う。


David T. Walkerライブ(2007.12.19ブルーノート東京)

2007-12-21 23:29:38 | 音楽
ブルーノート東京にDavid T.Walkerのライブを見に行った。
ブルーノートに行くのは実に15年ぶり。John Simonのライブを見に行って以来だ。
見たいアーティストは結構いたのだけど、生来の出不精から足が遠のいていた。
その間に店舗は移転しており、SOHOの倉庫を思わせるような広々とした地下のスペースに漂う雰囲気は大人のジャズクラブそのもの。
以前の狭く窮屈なライブハウスの面影がなくなっていて驚いた。
しかももう10年近くも前に移転しており、そんなことも行くまで知らなかったことがちょっと悔やまれた。

David T.この人のギターは軽やかに主張している。
Jackson Fiveから井上湯水までさまざまなアーティストのバックでギターを弾いてきた職人の音は、決してフロント・アーティストの邪魔をしない。
それでいて一聴するだけで彼のものとわかる確固としたスタイル。
ヴォーカルの魅力を引き出しながら決してエゴイスティックにならないように
それでいてさりげなく自らを主張する。
その気張らない、嫌味のないスタイルが幾多のミュージシャンたちと渡り合いながら長年に渡って第一線で活躍できた大きな理由ではないか。
そんな彼のステージは、肩肘張らずに音楽に向き合っている姿が窺える楽しいライブだった。

スタジオミュージシャンはアーティストや楽曲を選べない。
Davidも自分のスタイルや好みには合わない曲を弾かなければならなかったことも一度や二度じゃないだろう。
好き嫌いを主張したり、あれやこれやと薀蓄を垂れているよりもまず演奏すること。
それによって徐々に楽曲に対するこだわりが取れて、音楽を純粋に音楽として楽しむ。
そんな思いが伝わってくるような佇まいなのだ。

彼は座って弾き始める。徐々にグルーヴに乗ってきてやがて立ち上がる。
息の合ったミュージシャンも乗ってくる。そしてその高揚感は徐々にオーディエンスに伝播していく。
リードしたり煽ったりするわけではない。そこにいる誰もがごく自然に音楽を楽しみ、自然に高揚していく。

今年は精神的にはしんどい年だった。音楽を聴くこと自体が減っていて、生の演奏に触れる機会からもずいぶんと遠ざかっていた。
それだけに久しぶりに出かけたライブがDavid T.Walkerのようなハートウォーミングなライブで良かったと思う。
すばらしいミュージシャンたちから滋養をたっぷりと注いでもらえたような気がする。

personnel

David T. Walker (g)
Clarence McDonald (key, p)
Jerry Peters (key)
Byron Miller (b)
Leon Ndugu Chancler (ds)

setlist

1. Q.C.
2. The Real T.
3. Plumb Happy
4. Never Can Say Goodbye
5. Going Up
6. Repcipe
7. Save Your Love For Me
8. Ahimsa
9. Lovin’ You
10. An-Noor
11. The Sidewalk Today
12. What’s Going On
13. Soul Food Cafe´
14. Walk On By

Odyssey

2007-12-11 05:50:02 | 音楽
David T.Walkerの2度目の来日公演が今月ブルーノート東京で行われる。
チケットはもう買ってあるので今から楽しみだが、この人がバックを務めたアーティストはとにかく枚挙に暇がない。
アメリカはもとより井上陽水やドリカムまでという奥行きと幅広さなので、
とてもすべてを聴き通すことは不可能なわけだけど、せっかくのライブの前に少しは予習しておきたいところ。

Odyssey。僕はクラブなどにはあまり行かないので、このアルバムがいわゆるレア・グルーヴの一枚として
数年前に盛んにクラブで取り上げられていたということは知らない。
特に「Bttened Ships」のような跳ねたリズムのミディアム・チューンは確かにクラブ受けするだろうなあ、という気がする。

白色混合の7人組のOdysseyは72年にMotownのサブレーベルであるMo-westから出たアルバム。
アルバムはこの一枚きりのようだ。雰囲気的には5th Dimensionがちょっと若くなった感じ。
考えてみるとモータウンのアルバムを買うのも久しぶりだなあ・・・。

いわゆるヴォーカル・インストゥルメンタルのグループでDavid T.が参加しているのは「Our Lives Are Shaped By What We Love」の一曲のみ。
この1曲で聴ける彼のギターはまさにDavid T.節。
そう思って聴くと他の彼が参加していない曲に比べて落ちついた雰囲気が感じられる。
どんな人のバックで演奏しようとも必ず自分の存在感をそれとなく発揮する。
David T.Walkerのギターはさりげなく主張するのだ。

J1第34節 ヴァンフォーレ甲府対FC東京(甲府・小瀬スポーツ公園陸上競技場)0-1

2007-12-05 14:08:14 | サッカー
昨年も訪れたアウェイ甲府戦
昨年も思ったことだが、甲府の試合運営は素朴で温かい。アウェイチームが本当に歓迎されているんだなということを感じる。
今回も無料でほうとうの麺や観光案内のパンフレットを配っていた。別に物をくれたからというわけではないが、
試合に訪れた人たちに山梨を好きになってもらいたいという、地元の方々のもてなしの心を感じる。

さて、今年のJリーグもいよいよ最終節。個人的にもいろいろとあっていつになく長く感じられたシーズンだった。
率直に言って今年ほどつまらないシーズンはなかった。思い返してみて印象に残っている試合がないのだ。
「何かが足りない」、そういう"引っかかり"を感じながらスタジアムへ通い続けた。
試合を見ながら奮い立つような「何か」が足りない。それは何なのか。
03年のホーム最終節ヴェルディ戦、04年のナビスコカップ決勝、
05年のホームガンバ戦、06年の同じくホームガンバ戦、ホーム川崎戦・・・。
勝てないまでもひりひりとした興奮を味わうことのできた試合が毎年少なくとも1試合はあった。
見終わって「いいもの見せてもらったなあ」、「今年はこの試合が見られたからいいや」、と思える試合が何試合かはあった。
でも、今年のシーズンはそういう痺れるようなゲームにはついぞ出会えなかった。(残りの天皇杯には期待したいけど・・・)
そして、この甲府戦でも結局、そういう沸き立つような興奮を味わうことはできなかった。
"引っかかり"はこの試合でもぬぐえなかった。

序盤から試合を支配したのは甲府だった。2部降格が決定したチームの消化試合とは思えない闘争心で向かってくる。
最後ぐらいはホームで勝ってサポーターを喜ばせてあげたいというモチベーションを感じる。
セカンドボールをきっちりと競ってマイボールにすると、ショートパスを美しく繋いでくる。
スペースを埋める動きが鮮やかで、東京のプレスがかからない。
詰まってきたなと感じると即座にサイドチェンジを織り交ぜてくる。これぞモダンフットボールだ。
このチームがどうして降格するのかと思う。
バレーが去った後の甲府はペナルティエリアで最後の仕事をする選手がいない。
決定的なFWを欠いたことが大きい。惜しいと思う。このオートマティズムやオフ・ザ・ボールのクレバーな動き。
大木監督のサッカーはほとんど完成していたのに、最後のワンピースを埋められなかった。

東京は梶山、馬場の調子がいまひとつ。G大阪戦で見せたような流動的な躍動感が見られない。
石川は右サイドで奮闘するが、徳永との連携があまり見られない。左サイドの鈴木規郎は精細を欠いて動きが鈍い。

原さんのサイドアタックは完全にワンパターン化してしまっている。なぜか。
ひとえに中で仕事ができる選手がいないからではないかと思う。
外から中、中から外という自在なボール捌きがサイドアタックの生命線である。
02年、03年頃にケリーがトップ下を務めていたときにはセンターにきちっとボールが収まった。
右を疾走する石川からケリーにクロスが当たる。
それを石川を追い越した加地にもう一度捌き、中でアマラオとケリーが待ち受ける。
あるいは宮沢から正確なフィードを受け取った戸田がトップスピードで左サイド奥深くまで抉って行く。
スピーディで果敢なサイド攻撃で年間4位の座を射止めた03年頃が、
今思えば原トーキョーの最も完成していた時期だったのだと思う。(かなりノスタルジックな回顧だが・・・)

今はサイドで石川が奥深くまで持ち込んでも後ろからのフォローがない。
苦し紛れにクロスを入れても相手DFに囲まれて孤立するルーカスがいるばかりである。
一本調子で工夫がない。そしてそのパターンを相手に完全に読まれている。
中で待ち受けるべき馬場や栗澤の出来如何で石川が機能不全に陥ってしまう。
規郎に至ってはサイドでどういう動きをすればいいのかさえ分かっていない。
結局サイドアタックの再構築ができないまま1年を費やしたということだ。

ゲームは攻め立てる甲府に受けに廻る東京という構図のまま、時間だけが過ぎていく。
東京にとっては凡そ山場のない単調な展開。後半負傷で馬場がアウト、
代わりに入った川口がトップになり、ルーカスが1.5列目に下がる。
運動量の多い川口が前線でかき回すことで、ルーカスが前を向けるようになる。
甲府のディフェンス陣に疲れもあってか次第にギャップができてきた。
川口の奮闘で何とか流れを手繰り寄せた東京は、そのギャップを突いて終盤ルーカスがPKをゲット。
自らそれを沈めて辛くも逃げ切った。
勝利には再三のピンチを凌いだ塩田の鉄壁のセーヴィングも大きい。

最終戦でなんとか勝点3をもぎ取ったというだけの凡戦である。
甲府のサッカーのほうが格段に面白かった。
そう、面白い、わくわくするようなスペクタクル。それが今年の東京には見られなかった。
画して原さんの志向するサッカーは今年、開花することなく終わった。
そのことについてはまた書こうと思うが、来年は監督も代わり恐らくサッカーの質も変わるだろう。
ひとまずリーグ戦はこれで終わったが、残る天皇杯で最後の意地を見せて欲しい。

甲府からの帰り、観戦の仲間たちとほうとうを食べた。
寒いこれからの季節はかぼちゃやきのこがたっぷり入ったほうとうは体も温まってほっこりとする。
来年はこれが出来ないのが残念。甲府にはぜひ1年でJ1に戻ってきて欲しい。
もちろん東京がJ1にい続けることが前提だけど。

走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹

2007-12-04 06:01:32 | 
日常的に長距離を走っていると、「すごいね」とか「どうして走っているの?」というようなことをよく聞かれる。
「すごいね」も「どうして」も半分はそんなわざわざ苦しい酔狂なことをやって何が面白いのかという
嘲りのようなニュアンスも含まれていたりする。
親しい人のなかにはもっと意地悪に「何が面白いの?」と聞いてくる人もいる。

そんな時僕はいつも的確な答えを返すのに窮する。
なぜ走るのか、走るのはどうして楽しいのかを走らない人に言葉で説明する術を持たないからだ。
それでもまだ日常的に走っている人とは、うまく言葉にできなくても共感し合える部分というのがある。
結局その答えはやはり走ってみなければ分からないということになる。
だから僕はそのような質問を受けたときにはこう答える。
「走ってみれば分かるよ」と。

ここふた月ほど膝を痛めてしまって走れない。日常生活を送る分には問題のないところまで回復してきたが、
毎日律儀に治療に通っては包帯やサポーターで膝をがっちり固めている。
傍から見たらそんなことをよく根気よく続けていると思われるかもしれない。
放って置いても日常生活に不都合はないのだから、自分でもよくやるよなと思う。
それもこれも早く走り始めたいという思いからだ。
走ることが生活の一部になってしまっていたことを改めて実感した瞬間でもある。

さて、小説家の村上春樹がランナーであることはよく知られているが、
彼がなぜ日常的に走っているかについては今まであまり語られてこなかった。
もともと自身のことについて語ることの少なかった作家だが、そんな彼がフルマラソンを年に1回は走り、
ウルトラマラソンやトライアスロンにも挑戦したというのは、作品から立ち上がってくる著者の雰囲気からするとギャップが大きい。
彼はそんなにタフにトレーニングを続ける体育会系の小説家という感じではない。

この本には走ることを契機として自らの小説家としての来し方が語られている。
走ることを語ろうとするとそれは小説家としての自分の生き方をおのずと語ることになる。
つまりこの人にとっても走るということは日常的な営為ということなのだ。
何も走ることを人生にたとえるというような大仰なメタファーではなくて・・・。

僕はなぜ走るのかということに的確な回答を見出せずにいる。どうしても適当な答えや説明ができずにいる。
しかしながらここで村上春樹が語っている走ることについての彼の思いの多くには共鳴できる部分が多い。
彼は職業小説家として、自らに課したそのミッションに対して忠実にそして誠実であろうとする。
小説家としてストイックな姿勢を保とうとする。
小説を書き続けるということは圧倒的に肉体的な忍従を強いられる作業なのだそうだ。
知的生産活動だと思われがちな小説の執筆も、実はそれを支える体力がなければ到底長続きはしない。
だから、彼はその書き続けるための最低限の体力を維持し続けることを第一の目標として走り始めたのだ。
僕はもちろん小説家ではないからそこのところはよく分からないけれども、長距離ランナーとしておおよそ共感できるのは次のような下りだ。

『でも「苦しい」というのは、こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。
もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?
苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、
自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を、僕らはその過程に見出すことができるのだ。
生きることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、
行為そのものの中に流動的に内包されているのだと言う認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる。』

『・・・結局のところ、僕らにとってもっとも大事なものごとは、ほとんどの場合、目には見えない(しかし心では感じられる)何かなのだ。
そして本当に価値のあるものごとは往々にして、効率の悪い営為を通してしか獲得できないものなのだ。
たとえむなしい行為であったとしても、それは決して愚かしい行為ではないはずだ。僕はそう考える。実感として、そして経験則として。』(本文より)

冒頭の質問に対して村上春樹はそう答えてくれた。ランナーとしてそれは腑に落ちる。
そう、すべては走ってみれば分かる。