ここではないどこかへ -Anywhere But Here-

音楽・本・映画・サッカーなど興味の趣くままに書いていきます。

亀田家の代償

2007-10-12 22:04:27 | スポーツ
内藤と亀田の一戦は一夜明けて、予想されたとおり亀田バッシングの嵐となった。
マスコミの報道もブログなども総じて亀田陣営の口汚いビッグマウスとお行儀の悪さ、
そしてダーティーな反則の数々にエキセントリックな反応一色だった。

スポーツの世界においては相手をリスペクトすることなしには成立しないものがある。
フェアプレイとかスポーツマンシップというものは相手を尊重するところからしか生まれない。
相手をゴキブリ呼ばわりして罵倒するような人たちが、あのような汚い反則を繰り返したというのは、ある意味で納得できなくもない。
あの程度の精神性の人たちにフェアプレイの意味が理解できなかったとしても、さもありなんと思えるからである。

今日になって、ようやく敗者のコメントが発表されたが、反則を都合よく正当化するという、これも予想された展開となった。
ビッグマウスはいい。しかし、大口をたたいた分だけその結果には潔く決着をつける必要があるのではないか。
あれだけのことを言っておいてこそこそと逃げ帰り、あとから詭弁を弄して正当化するというのではまるで子どもである。

あれだけのことを言うのだから、負けたときはさぞや潔良いのかと思っていた。少しは期待もしていた。
でもルール無視の何でもありの喧嘩作戦に、負けてなお居直る態度。
もうあの一家にスポーツの持つ純粋さを求めるべくもない。
私のようにあの一家から離れていくファンも多かろう。
裏づけのない強がりはあまりにも大きな代償だったと言える。

J1第2節 大宮アルディージャ対FC東京(埼玉スタジアム2002)0-2

2007-03-11 12:48:37 | スポーツ
どこからボールを奪いに行くのか。サッカーにおける戦術の基本だろう。
リトリートして網を仕掛け、相手が出てきたら奪ってその背後のスペースを狙うのか。
できるだけ高い位置でプレスをかけて奪ったら一気にゴールまで持ち込むのか。
前者の場合はゴールまでの距離が遠くなるし、
後者の場合には相手が引いてがっちり守備を敷いているだろうから、ゴールをこじ開けるのは容易ではない。
一長一短ではある。

どこでボールを奪うのかという点について、今日の東京はきっちりとした共通理解があった。
できるだけ高い位置で。奪ったらすぐに攻撃に入る。
今日はそれがうまく機能していた。
とにかく栗澤が前線で独楽鼠のように走り回ってボールを追い回す。
両サイドは高い位置をキープしてボールを持ったらできるだけ深くえぐる。
福西は今野のカバーを信頼して、機を見てするするとゴール前まで上がっていく。

高い位置で奪うということは背後にリスクを負うことであり、そのリスクヘッジに裏づけがないと難しい。
先週の広島戦ではその裏づけが取れていなかったことが最大の問題だった。
今日の東京はそこをある程度修正できていたと思う。
藤山の危機察知に対する感覚が研ぎ澄まされていた。
相手はロングボールを使ってエニウトンに当ててこようとしたが、そこをきちんとケアできた。
今野がしぶとく守備をした。極めつけは土肥が冴えていたことである。
全員が守備で統一した意識を持てていたこと。
運もあったが破綻のない守備ができたのは、先週の4失点を考えると大きい。

前半の1点目はCKをフリーになった今野がヘッドで合わせたもの。
その後前半を1-0で凌いだことが後半につながった。
後半の福西の東京での初ゴールは、やはりCKから。
セカンドボールの相手クリアミスがこぼれてきたのを、
角度のないところから鋭く振りぬいて突き刺したゴールだった。
東京サポーターが陣取るゴール裏で福西は左胸をぽんぽんと叩いた。
福西が名実ともに東京の一員になった瞬間だ。

ボランチコンビが得点したが、やはりFWの不発は面白くない。
平山は動きもよく再三シュートを放ったが得点ならず。
特にヘディングの精度はまだまだ。原監督の特訓はまだまだ必要か。

アウェイでの今季初勝利でまずは一息ついた格好だが、来週からは五輪組が抜ける。
ここをどうやって凌いでいくか、早くも最初の山場がやってきた。

今年の箱根駅伝

2007-01-05 22:07:46 | スポーツ
すっかり書きそびれていたが、今年の箱根駅伝はじっくりと見ることはできなかった。
結果的には往路の山登りでエースが格の違いを見せつけた順天堂がその貯金を復路でもがっちりと守った。
復路での波乱は少なかったが、前年覇者の亜細亜大が10位、同じく2位の山梨学院がシード圏外の12位と沈む一方で、
早稲田、専修が健闘しシード権を奪回した。

何かの片手間にちらちら見ていたので大して語る資格はないのだけど、
なぜ箱根駅伝があそこまで見る者をひきつけるのかをつらつらと考えた。

箱根駅伝の一区間は22,3kmに過ぎない。フルマラソンの半分程度だ。
大学の駅伝部ともなれば練習で毎日4,50kmは走るだろう。
その彼らからすれば距離的には決して長いものではない。
それなのに箱根駅伝では中継地点で倒れこむように襷を渡したり、脱水症状で走れなくなったりする選手をよく見かける。
ペース配分やコンディションの調整などは練習でいやというほど繰り返している彼らが、
まるで初めて走ったかのような苦しげな表情でゴールするのを見ていると、
そこにこそ箱根駅伝の魅力があるのではないかという気がするのだ。

陸上競技は個人競技だが、駅伝は個人競技であると同時にチーム競技の側面も持っている。
しかも箱根駅伝はそのチームであるという側面を殊更意識せざるを得ないルールになっている。
繰上げスタートと10位以内が翌年の本大会の出場権を得られるというシード権がそれだ。

個人はチームの名誉のために襷をつながなくてはならない。
そして、それだけではなく後に続く後輩たちのためにも襷をつながなければならないのだ。
そのことが強いプレッシャーを与え限界を超えても走ろうとする過酷なレース展開へと繋がっていくのだ。
そして、まさにそれこそが多くの人を惹きつける箱根駅伝の醍醐味なのだと思う。

今年も必死に走る選手たちを見ながらそんなことを考えていた。

SHINJO

2006-10-28 00:23:34 | スポーツ
晴れ。

新庄にそれほど感情移入をしていたわけではないが、涙をこらえて打席に立つ彼の姿が映し出されるとさすがにグッとくるものがあった。

日本ハムファイターズ。東京を本拠地としていたころはジャイアンツの陰に隠れて地味な球団だった。
北海道という新天地に移転したのは無理からぬことだったわけだが、
大リーグから帰ってきたばかりの新庄は生まれ変わった球団で自分がどう振舞うべきかを冷静に考えていたのだと思う。
ファンと選手との幸福な関係を追及していった結果のあのパフォーマンスだった。
そのことが、日本一から一夜明けた退団会見でよく分かった。

ファンがあってのプロ選手であるということを知悉していた極めてクレバーな選手だった。
ユニフォームを脱いだだけで新庄剛志は変わらないと言う。
またみんなをあっと言わせることをやりたい、と。
ぜひまた我々を元気付けて欲しい。楽しみである。お疲れさま。

WBAライトフライ級王座決定戦 亀田興毅対フアン・ランダエタ

2006-08-02 22:47:46 | スポーツ
曇り。

亀田興毅が世界王座に挑む試合をテレビで見た。
これまで亀田一家はトレーナーの父親を含めて常に強気の発言を繰り返してきた。
もちろんそれには自信を裏付ける厳しい練習と世界を冷静に見据えた戦略があった事は容易に想像できる。

しかし亀田の普段の鋭い目つきは試合になるとどこか弱々しく頼りなさげに見えた。
それは今までの試合でも何度となく目にしてきたような気がする。
とりわけ今日は世界タイトルのかかった試合のせいか、亀田には明らかに怯えのような表情が伺えた。
そんな目を見て、以前からマスコミを前にして強気の姿勢を崩さない亀田は本当の彼の姿ではないと思っていた。

そして思いがけず1ラウンドからダウンを喫してしまったことで、彼の目には明らかに驚愕と絶望が宿っていた。
思えば、彼はそんな自分自身を覆う鎧としてビッグマウスを繰り返してきたのではないか。
そうやって自分を追い込まなければ、世界とは伍していけないということを見極めていたのではないか、と思うのだ。

ビッグマウスと練習量で武装してきた彼は、しかしこの試合で初めてなりふり構っていはいられないところまで追い込まれた。
序盤のピンチを脱してから、中盤は冷静に相手の動きを見極めここぞということころでラッシュを繰り返した。
相手を何度かロープへと追い込んだが、ランダエダは老獪にこれをいなす。

若い亀田の剛のパンチに対して、ランダエダ亀田のガードをくぐって柔らかく長いパンチを繰り出す。
試合運びの点では明らかに経験の差が出ていたし、終盤は完全にランダエダの猛攻で亀田は防戦一方となった。

試合は判定に持ち込まれ、亀田の勝利はもう厳しいと思ったし、むしろこの試合では亀田は勝たない方が良いと思った。
順調すぎて、むしろ今後の彼から大事な何かを奪ってしまうのではないかと思ったからだ。
しかし、彼は僅差で本当に僅差でチャンピオンの座についた。
苦しんで勝ち取った勝利は彼に今までとは違ったものをもたらすはずだ。
それでも、しかし、と思う。
私にはあのリング上での今にも逃げ出しそうな亀田のたよりなく弱い光を宿した目がどうにも気になるのだ。

セ・パ交流戦読売ジャイアンツ対ソフトバンク・ホークス(東京ドーム)2-4

2006-05-19 21:20:01 | スポーツ
野球のチケットをいただいた。プロ野球の試合を見たのは何年ぶりだろうか。
昔結婚前のかみさんと神宮に行ったようなかすかな記憶がある。
前回東京ドームに行ったのは野球じゃなくてポール・マッカートニーのコンサートだったしなあ(笑)。
サッカーのスタジアムには毎週のように通っているが、野球を見に来たのはちょっと記憶にないぐらい久しぶりだ。

ジュニア・スイートという一階スタンドと二階スタンドの間の中二階みたいなVIP観覧席なんかがある階。
ファーストクラスではないけど、ビジネスクラスという感じかなあ、それほど大げさでもなくてグリーン車ぐらいか。
ウェルカムドリンクがついていて、座席にはおしぼりがある。
ピンクレディのサウスポーのような(ふる~!)お姉さんが注文を取りに来てくれて、豪華な幕の内弁当(これはお金払います)や飲み物なんかをデリバリしてくれる。
わざわざ売店まで並びに行かなくてもいいし。
いつものサッカーは桟敷席のゴール裏で観ているので、今日はなんだかちょっとリッチな気分。

今年のジャイアンツは好調な滑り出しだったが、交流戦に入り序盤の飛ばしすぎからか少し調子を落としている。
一方のソフトバンクも勝ったり負けたりを繰り返してなんとか上位につけているものの今ひとつ。

普段野球を観なくなって何年もたつ私だが、子供の頃はジャイアンツのファンだった。私が野球を見始めたのは長嶋の晩年。
王、長嶋、柴田、高田、黒江、土井、末次、森、堀内(遠い目をして書いています、順不同)の頃である。
おまけに私の郷里はジャイアンツのキャンプ地だ。王や長嶋は子供の頃の憧れのアイドルだった。
時は流れて、1983年の日本シリーズ、西武との歴史に残る名勝負。第6戦を観たのは高校の視聴覚教室。
クラス全員で授業をサボタージュして唯一テレビの置いてあった視聴覚教室に忍び込み、遮光カーテンで教室を暗くして熱狂したのだった。
思えば、私が野球をちゃんと見ていたのは、あの史上最高ともいわれた日本シリーズぐらいまでである。
大人になるにしたがって興味の対象は増えていくのだ。

ついついどうでもいい私の野球遍歴を書いてしまったが、そんなわけでこの夜の両チームに対しては特にどちらを応援しているという感じでもない。
いいゲームをしてくれればどちらが勝ってもいい。
席につくとちょうどゲームが始まったところだった。ホークスの攻撃。早速ズレータのタイムリーで2点先取。
その裏ジャイアンツは二岡がソロ・ホームランを放った。しかしいつもサッカーも見慣れているからか、野球のボールは一度見失うと軌道がまったく分からない。
ちょっと目を離したら分からなくなってしまい歓声でホームランだと分かった。
それにしても二岡のバッターボックスに入るときのテーマ曲がどういうわけか「Sky High」なのだ。なんで?
二岡の歳じゃリアルタイムじゃないだろうに。それとも二岡はプロレスファンなのだろうか?

試合は5回に再びズレータのタイムリーでホークスが突き放した。
ジャイアンツは何度か好機を作ったが、なんといっても3度の併殺が祟った。
とりわけ8回は追い上げのムードが高かっただけに致命的だった。
ホークスとしては3タテを免れてほっとしたのではないだろうか。

それにしてもやはりドーム球場というのはどうも閉塞感があっていけない。野球も屋外で天然芝なのが一番だと思う。

王監督二度目の世界一

2006-03-22 22:59:34 | スポーツ
なんだかんだで昨日は疲れきってしまい、いささか乗り遅れの感もあるけれど。

王貞治。私たちの世代のヒーローである。ON砲というのは当時の野球少年にとっては夢だった。
子どもの頃、草野球をするときに誰が長嶋で誰が王になるのかでよくけんかになったものだ。
右利きの僕は結局最後まで王にはなれなかったけど。
そしてやがて、王選手がハンク・アーロンの755本の本塁打記録を塗り替え、800本を放ち、
868本の世界一の記録を作ってバットを置くまでを観てきた世代としては、
あの王さんが再び世界一に挑む舞台にある種の感慨を覚える。
きっと私たちよりも上の世代の方々にとっても、少なからず同じような思いがあったのではないかと思う。

王さんは日本人ではないという事実。
かつてホームラン記録を塗り替えていた頃に知ったことである。
日本に生まれ日本で育ち日本で野球を覚えて日本でホームラン王に輝いた、その王さんが日の丸を背負うということ。
そんな王さんが日本を世界一に導くということ。そのことに何か深い意義があるような気がする。

いまや国籍や人種などということは、ちっぽけな問題に過ぎない。
野球にしろサッカーにしろ相撲にしろ軽々と国境を越えてしまう時代なのだ。
そんな現代に、大リーグで確固たる地位を築いているイチローが
王監督を世界一の監督にしようと熱くなったというのもまた感慨深い出来事である。

王さんが再び世界一に輝いた日、東京では桜が開花した。

WBC準決勝 日本対韓国

2006-03-19 23:05:56 | スポーツ
99%ないだろうと思われた日本の準決勝進出。
メキシコの驚異的な執念の粘りによって棚から牡丹餅のように日本にもたらされた準決勝の切符。
準決勝はメキシコのためにも頑張って欲しいと思っていた。

ここまで圧倒的な強さで勝ち残ってきた韓国。一次リーグから一度も負けていない。日本にも2戦2勝だし自信をもって臨んでくるだろう。
一方の日本は後がないところから辛くも勝ち残ってきており、チームの置かれた状況はまったく対照的である。

実力も拮抗しているであろう両チームにとっては、一発勝負を戦う上でのメンタリティの強さが勝負を分けるポイントになりそうだ。
そういう意味では、4強に残り兵役免除が発表された韓国に対して、
その韓国にイチローをして「今までの野球人生で最も屈辱的な負け方」をした日本は、今度こそ雪辱を果たしたいと燃えているはずで、
試合に入るメンタリティとしてはこれもまったく対照的である。

日本には一度死んだ身でもあり、もう何も失うものはないという、いい意味での開き直りがあったと思われる。
闘志と開き直りが程よい緊張感と冷静さをもたらした日本に、メンタルの上でアドバンテージがあったのではないか。
上原の気迫と落ち着きにはそんな感じがよく出ていたと思う。
それでも韓国はいいチームである。試合は拮抗して6回まではスコアレスの展開となった。

しかしこれは1点勝負かなあ、ミスしたり失投したら苦しくなるだろうなあ、と思っていたところで
このシリーズ、調子を落としていた福留が代打で送られる。その福留がツーランホームランを放った。
王監督の采配が見事にはまり、韓国にとっては手痛い失投である。
これで、韓国のキム・ビョンヒョンは緊張の糸が切れて続く小笠原に死球を与えてしまう。
ここからこの回一挙5得点と畳み掛けた攻撃はあっという間だった。
アメリカ戦での不可解なジャッジによる敗戦、韓国戦での屈辱的な連敗でたまりに溜まった鬱憤が一気に吐き出された瞬間だった。
ここまできたらもう、決勝でも持てる力を存分に発揮してキューバにも勝って欲しい。

それにしても自然に沸き起こる観客席の歓声がすごく良かった。
日本のプロ野球のあの鳴り物入りの応援がないほうが、野球は楽しいという気がするのだけど。
観客席からもベースボールの楽しさが伝わってきた。

もう一度この舞台で見たいと思っていたイチローも三安打一打点としっかりと仕事をしたし、決勝が本当に楽しみになってきた。

イチローという選手

2006-03-16 23:28:46 | スポーツ
イチローという選手に対する印象はあまり良くなかった。野球選手としての完膚なきまでのスマートなプレーと文句ない実績。
10年に一度出るかどうかの大器であることには違いない。
ただあの孤高のたたずまいにはどうにも違和感があった。感情を押し殺し、知的でクールでマスコミにもほとんど口を開かないイチロー。
同じ大リーガーとしてはマスコミの取材にも律儀に応じる松井秀喜のほうが印象は数段良かった。

しかし、ここ最近のイチローを見ていて、少しずつその印象が変わってきたように思う。
松井が日本代表入りを拒んだのに対して意外にも(少なくとも私には意外に感じられた)代表入りを決めた頃から、
イチローの表情には多彩な変化が現れてきた。
特にオリックスのキャンプに参加した頃からは次第に饒舌にもなり、取材にも積極的に応じている姿を幾度となく見ることになる。

キャンプで一緒になった清原にもイチローは野球への熱い思いを語って意気投合したようだし、
日本代表というものにある種の矜持を持って向きあっているように感じた。
ことによるとそれは、彼がリスペクトしてやまない王監督の下で野球できることと無縁ではないのかもしれない。
そして、彼はしばしば日本球界の将来についての憂いを語るようにもなっていたという。

実はイチローは案外熱い男なのだ。何かを意気に感じられる男なのだ。
それは今日の韓国戦に負けた後に彼が本当に悔しそうに吼えたことからも伺える。
聞けばイチローはちばあきおの野球漫画「キャプテン」の大ファンなのだそうだ。
それも熱いキャプテン、イガラシに最も惹かれているのだとか。
不可解な判定で米国に負けた後、イチローは選手を集めて食事会を開いて結束を誓ったのだという。
イチローのキャプテンシー、それはふがいないマリナーズで安打記録に挑んでいたころの孤高の姿とは対極にある。

フォア・ザ・チームに徹しているイチロー。
今や感情を押し殺すことなく自分を鼓舞している彼を見て、彼が日の丸をつけてプレーする姿をどうしてももう一度見たくなった。

トリノ・オリンピック閉幕する

2006-02-28 22:36:08 | スポーツ
曇り。

トリノ・オリンピックが閉幕した。
早起きしてジョギングの合間にせわしくテレビ観戦したが、
まだ夜も明けきらぬ河川敷を走りながら、さっきまで見ていたすばらしいアスリートたちの活躍を思い出しては大いに勇気付けられた。
競技の最初から最後までを完全に観戦したものについては雑感をレヴューに書き残したが、それ以外の競技についても、断片的ながら観戦した。
例えば、優勝候補のカナダを相手にすばらしいショットを見せて魅了してくれたカーリング女子や、
ガンを克服して米国代表としてカムバックしたフィギア・スケートペアの井上怜奈、
男子回転でメダルにわずか0.03秒届かなかった、皆川賢太郎などなど・・・。
一方でジャンプやノルディック複合、ボブスレー、アイスホッケーなど時間の関係で見逃した競技も多かった。どだい全部見るのは無理な話なのだが・・・。
したがって、体重制限に引っかかって失格となった原田雅彦のことにも言及しなかった。
個人的には原田ひとりの責任とばかりもいえないと思うのだが。

結局今回日本のメダルは荒川静香のひとつに終わってしまったが、新種目を中心に結構楽しめたし、たくさんの感動も味わえた。
オリンピックはやはり参加することに意義があるのであって、メダルという結果ばかりにこだわっていては、オリンピックの本質を見まがうのではないか。
JOCや各競技団体の首脳にとってはそういうわけにはいかないのだろうし、視聴率や部数欲しさのマスコミもまた然りだろうが、
国民が求めているのが本当にメダルの数なのか、といったところについては今一度総括したほうが良いのではないか。
荒川は帰国すればマスコミにもみくちゃにされるだろう。特にテレビのばかさ加減にはうんざりだし、そういったところに巻き込まれる荒川も気の毒としかいいようがない。

日本選手団の団長は「国民の皆様に謝罪したい」などとのたまっているが、それこそ全力を尽くした選手に対する冒涜ではないか。
謝罪なんかされなくても、十分に感動は味わえたし楽しかったのだ。少なくとも私にとってはそれだけで十分だ。
カーリング女子やスノーボードクロスの藤森由香をはじめ、多くの4位に終わった選手たちへの熱いまなざしを見ても結果だけがすべてとは言い切れまい。
もちろんオリンピックに出るからには世界と伍していけるだけの実力がなければ、ゲームの成立という観点からはつまらないだろう。
そういう意味で参加選手をスリム化するのは分かる。
それでもなお思うのは、メダリストは結局4位以下のメダルを取れない多くのアスリートなしにはありえないということである。
参加して全力を尽くした選手たちにはメダルと同等の敬意を持って迎えてあげたいと思う。
やはり、オリンピックは参加してこそ意義があるのだから。